第五十三話 王女アムリータの過去

*今回もアムリータ王女視点となります。


「いっ、いやぁ……はっ」


 あ……良かった、自分の部屋ですの。

 夢でしたのね、本当に良かったですわ。


 自称大魔王と会った日の深夜、わたくしは、いつもの悪夢にうなされて目を覚ましました。

 全身に嫌な汗をかき、パジャマがぐっしょりと濡れていましたわ。


 それは、何度見ても慣れる事の無い恐ろしい悪夢。

 三年前に実際に経験した出来事。



 わたくしが奴隷の首輪をつけられた時の夢でした。



 三年前のその日、わたくしは好奇心から年の近い侍従の娘と入れ替わって、王城を抜け出しましたの。


 なにもかもが新鮮で浮かれていたわたくしは、裏道に迷い込み、粗野なゴロツキに捕まり、奴隷商人へと売られましたわ。


 そこで奴隷の首輪をつけられましたの。


 主人と称する汚らわしい奴隷商人が命じると、どんなに嫌な事でも身体が勝手に動いてしまう。

 自分の身体が自分を裏切る。


 それは例えようの無い最悪の恐怖でした。


 心に負った傷が深すぎて未だに癒えず、こうして時折り悪夢を見ますもの。


 幸い、近衛の魔術師が見つけ出してくれて、わたくしは救われました。


 けれど、自分が自分でなくなるあの恐怖は忘れられませんわ。

 どこの誰であろうと、あんな事をされて良い筈がありません。

 奴隷の首輪、あれは、この世に存在してはならない悪魔の発明ですわ。



 あの日からわたくしはお父様に、そしてシャムティア王国の偉い方々に、奴隷の首輪を廃止して欲しいと訴え続けてきました。

 けれど、必死に懇願こんがんしたのに、父も、大臣も、誰も理解してくれませんでしたわ。


 他人に全てを支配される恐怖、あの残忍さは体験しないと分からないのですわね。

 みなさんが口を揃えて必要悪だ、社会を支えているとおっしゃいます。


 更に、奴隷商人のギルドは凄い力を持っていますわ。

 他の商業ギルドとは違い、魔族の世界にある全て奴隷商人が同じ組織に属していて、大国シャムティアでさえ簡単には手を出せない程です。


 それに奴隷の首輪もおかしいですわ。

 高度な魔法の産物で、王国の宮廷魔術師でも複製できないのに、奴隷商人ギルドからは安価で大量に供給されていますの。


 奴隷商人ギルドはなんとも不気味な組織ですわ。

 あえて敵に回したいと思う人など居ないのでしょう。


 ですから、わたくしは決めましたの。

 誰も分かってくれないのなら、自分でやろうと。

 

 わたくしは大きな権力を手に入れて、奴隷の首輪を廃止させてみせますわ。

 そして、最終的には奴隷制度も無くしますのよ。

 たとえ何十年かかろうとも、ファイトですわアムリータ。


 そしてその為には、なんの力も無い、あんな小さな国に嫁ぐ訳にはいきませんの。



 ◇



狼狽うろたえるな! 見苦しいぞ!」

 

「余興である! 大魔王の威容、今宵はその目に焼き付けるがよい!」


 シャムティア王城の大ホールに現れた恐ろしい怪物が、城すら震わせるような大声で怒鳴りましたわ。


 大魔王を歓迎するという舞踏会。

 婚約を発表する為に、わたくしは無理やり出席させられてましたの。


 それなのに、なんですの!

 あの男、本物の化け物でしたわ!

 わたくし、あれに嫁ぐんですの?


 見た目も、声も、態度も、何もかもが暴力的で、皆を威圧しているあれに?


 わたくしにとって婚姻は願いを叶える為の手段で、夫については二の次でしたわ。

 でも、それでも、理想の男性像くらいありましたのよ。


 優しい人が良かった。


 苦しむ人を見て、自分も辛いと思うような優しい人が。

 追い詰められて苦しんでいる人に、たとえ自らが傷つくとも、迷わずその手を差し伸べられるような優しく強い人が理想だったのですわ。 


 けれど、わたくしに突きつけられた婚約者は、大した力も持たない小国の王で、他人を威圧して従わせるような嫌な男だなんて。


 こんなのあんまりですわ。



 ◇



「いっそのこと、あの不埒者を僕が切り捨てましょうか? 王女殿下」


 いつの間にかミュージカルの上演となり、婚約発表などうやむやになった舞踏会の後、ナルスト士爵がそう言いました。


「いけませんわ、そんな」


 都合が悪いからと言って、相手を殺してしまうなど絶対になりません。



 ◇



「ふん、思い知ったか。

 貴様はアムリータ王女殿下に相応しくないのだ」


 ナルスト士爵が大魔王に決闘を挑んだという知らせを聞いて、慌てて早朝の野外訓練所へ駆けつけました。

 実際は模擬戦で、お互い無事に終わってほっとしましたわ。


「王女殿下、勝手な事をして申し訳ありませんでした」


 わたくしの側までやってらしたナルスト士爵が頭を垂れましたの。


「いいえ、あなたが無事で良かったですの。わたくしの為に、ありがとうございますわ」


 これなら処罰もないでしょう。


「出来れば王女殿下の悩みの種を、取り除いて差し上げたかったのですがね」


 王国最強の騎士が、そんな物騒なことを口にしましたの。


「いけませんわ、そんなの。

 さあ、切り替えて頑張りましょう、今日はズーアル侯爵邸の強制捜査の日ですわ」


 そうですわ、切り替えましょう。ファイトですわ。



 ◇



「王女殿下、地下室で発見しました。捜索願いの出されていた少女達です」


 わたしくしはズーアル侯爵邸の応接室で、衛兵から報告をうけました。

 彼が連れているのは、わたくしより年下の少女二人で、下品な服を着せられ、奴隷の首輪をつけられていますわ。


 この子達にいったい何をしたのか、考えるだけで虫唾が走りますの。


「さあ、動かぬ証拠ですわよ。ズーアル侯爵、観念なさいませ」


「ブヒヒ、観念いたしましたともアムリータ王女殿下。ですが最後に紅茶を一杯だけたしなませて頂きたい。ブヒヒヒ」


 ソファーを軋ませる、でっぷりと豚のように太ったズーアル侯爵がそう言いましたわ。

 相変わらず豚のようなお顔をなされてますけど、この方本当に人間なのかしら。

 どこかでオークの血が入っているのでは?

 

「貴様、自分の立場が分かっているのか?」


 ナルスト士爵が、汚物を見るような目でズーアル侯爵を見下してそう言いましたわ。


「ブヒヒヒ、ナルスト卿、この哀れな罪人に少しばかりの慈悲を頂きたいのです。ブヒッ」


「誰が哀れな罪人だ、連続誘拐犯人め。

 余罪も必ず暴いてくれるから覚悟しておけ」


 そうですわね。

 一刻も早く余罪を暴いて、罪も無いのに奴隷にされた子供達の行方を聞き出さないといけませんわ。


「残念ですがズーアル侯爵、お茶を飲む時間など差し上げられませんわ。

 近衛の皆さん、王城へ連行してください」


「ブヒッ? いや王女殿下、もう紅茶は要らぬようだ。

 到着した、魔術師の大軍がな。ブヒヒヒヒ。

 捜査が今日で良かった、これもワシの人徳だろうよ。ブヒッ、日ごろの行いが善い所為であるなぁ、ブヒヒヒヒヒヒ」


 ズーアル侯爵が楽しそうに笑い出しましたわ。

 いったいどうして?


「なにがおかしい? 到着? 大軍? 何を言っている、貴様はこれから……むっ? なんだ?」


 ナルスト士爵がそう言った瞬間、わたくしの視界がぐにゃりと歪みましたわ。

 そしてそのまま、まるで暗闇に吸い込まれるように意識を失いましたの。

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