第十八話 友達

「ここまで来れば大丈夫だと思うっす」


 夕方、俺達は野営場所を決め、ココが火を起こし夕食を作った。


 夕食は道中でココが採った野草と、さばいた蛇を一緒に煮た鍋物だった。

 味はシンプルに塩味で、丁寧にアクとりがされ食べられないほど不味くはない、が、特に美味くも無いという感じだ。なんていうか……淡白な謎蛇肉と相まって味気ない。

 だがココは美味しそうに食べている。


「はう~、お肉は久しぶりっす。あと、やっぱし誰かといっしょに食べるとおいしいっす」


 セリフはお約束な感じだが本当に嬉しそうだ。

 なるほど、幸せそうなココを見ていると、この味気ない椀がなんだか美味しく感じられるから不思議だ。


 それにしても、肉を食べるのが久しぶりという程に最低の食生活をしているココ。

 その彼女ですら手に入れられるのだから、塩の供給は潤沢じゅんたくなんだな。

 そういえば獣人族の村でも調味料は豊富だった。



 ◇



「こっちっす」


 食事を終えた後、俺達は夜の森を歩いていた。

 もうすっかり日は暮れていて、月が出ているとはいえ森の中はかなり暗かった。

 俺はココが作った鍋料理の残りを大きめの粗末な椀に入れて運んでいる。


「持ってもらってすいませんっす」

「いや、構わないけど、こんなに暗くなってから行きたい場所ってどこなんだ?」


 暗視が出来る俺にとっては昼間と同じだが、ココにとっては歩きにくい暗さではないだろうか?

 だが俺の心配をよそにココは迷わず進んで行く。

 たいしたものだ、夜のこの森を歩き慣れているのだろうか?


「それは……あっ、うあうっ」


 ズデンッ


 ココが盛大にすっ転んだ。

 どうやら少し買いかぶったみたいだ。


「大丈夫か?」


 俺は椀を片手で持ち、反対の手を倒れたココに差し出す。


「ああう……ありがとうございますっす」


 今度は迷わずにココが俺の手を取って立ち上がる。

 俺達は再び薄暗闇を進んでいく。


「行くところは友達のところっす。ああしの、たった一人の……」

「友達が居るんだ」


 失礼な言い方になってしまったが、それを聞いて俺は少しほっとした。

 この悲惨な娘にも支えになりそうな人が居るんだ。

 だが、友について語るココの声は暗い。


「ぁう~でも……きっともう、あの子は、ああしを友達だと思ってくれてないと思うっす……」

「え?」


 どういう意味だ? 喧嘩でもしてるのか? この食事は仲直りのきっかけにでもするつもりだろうか?


 その時、俺のセンサーが前方に人の気配を捉えた。

 反応は微弱で、進行方向へ約二百メートルと近い。

 雑多な生き物が存在する森の中とはいえ、この距離に接近するまで特定できないとは……。

 俺は少し焦る。隠遁する魔法とかだろうか? だとしたら要注意だ。

 体格は小さく子供のようで、これがココの言う友達なのかもしれない。


「ココ、人の気配がするけど……子供かな? 二人」

「あ、その二人なら心配要らないっす」


 やはりこの反応が友人のようだ。

 ココはそちらへ向かって歩き出し、暗闇を慎重に進んで行く。


「着いたっす」


 そこは森の木々がぽっかりと途切れ、小さく丸く開けた場所だった。

 差し込む月明かりが照らすその小さな広場には様々な花が咲いており、静謐せいひつな美しさをかもし出していた。

 広場の中心には木製の棒が突き立てられており、その前に同じく木製の低い台が置かれている。


「なんだ? ここは?」

「お墓っす。友達の」


 ココが寂しそうに笑った。

 墓標なのか、この棒。


「エミラちゃんて言うっす。この場所が好きだったので、ここへ埋めたっす」


 ココは俺から椀を受け取ると墓標前にある台の上に置いた。


「ああしがこの街にたどり着いて、飢え死にしそうだった時に助けてくれたっす」


 友達って近くに潜んでいる二人組みではなく、この墓に埋葬された人間の事なのか……。

 結局ココの薄幸はっこうは揺るがない。


「良い子だったっす。ああしより一つ年上でやさしくて明るくて、なんのとりえも無いああしと違って、弓が上手くて狩りとか得意だったす。

 ああしのたった一人の友達で、よく肉とかくれたっす」

 

 ココが愛おしそうに粗末な墓標を撫でる。


「でもある日、街で小さい子をボコってるマフィアを止めようとして、逆にマフィアにボコられたっす。

 何人ものマフィアによってたかって、めちゃくちゃボコられてたっす」


 墓標を撫でていた手が止まり、固く握り締められる。


「ああしは見てたのに逃げたっす。いちもくさんっす。巻きぞえになりたくなかったっす。

 そして、その日の夜中にこっそりと戻ったっす」


 拳は更に固く握り締められ、微かに震えていた。


「エミラちゃんは、ゴミといっしょに道の端に捨てられていたっす。

 もう動かなかったっす。可愛かった顔はパンパンに腫れて誰だか分からないし、手足が変な方向に曲がってたっす」


 そこで一旦言葉を切ったココが、こちら向いた。


「ああしはクズっす。友達を見捨てた最低のクズっす」


 そう言ったココは微笑んでいた。てっきり泣いているのかと思ったのだが……いや、たぶんこれは泣き顔なんだろう。

 俺は裏道の三叉路でココと目が合った時の事を思い出す。

 あの、他人の助けなど微塵も期待していなかった目を。

 これは、泣いたところで誰も助けてくれないと知っている者の泣き顔なんだ。


「それは……」


 俺は安易に慰めようとして言葉に詰まる。

 それは仕方がないだろうとか、二人とも死ぬよりマシだろうとか、そんな言葉は彼女に届かない気がした。


「それでも、ああしは死にたくないっす。死んだら終わりっす。二度と動かないっす。そしてすぐ腐るっす。

 犯されても、奪われても、殴られても、踏みにじられても、それでも生きていたいっす」


 そう言ったココが墓標に向き直る。


「だからエミラちゃん、ああしはこの街から逃げるっす。

 これで最後っす、お別れっす、ごめんなさいっす」


 結局、俺はココになんの言葉もかけられなかった。

 俺達は無言でその場を後にする。


 俺達が墓所から離れた直後、近くに居た二人の子供らしき反応が墓へと向かう

 話題を得た俺はココに話しかける。


「なあココ、結局あの二人は誰だったんだ?」

「森の奥に兄妹で住んでる子供っす。ああしがエミラちゃんに供えた食べ物を毎回狙ってるっす」


 お供え物泥棒ってやつか……。


「いいのか?」

「しかたないっす。みんな生きるのに必死っす。それに、エミラちゃんなら喜ぶと思うっす」


 そう言ったココが足を止め振り向いた。

 口に手を当てて、


「ああしは街を出るっすからお供えはこれが最後っす。でも、頑張って生きるっす」


 そう叫んだ。



 ◇



「行く当てはあるのか?」


 野営地に戻った俺はココにそう尋ねた。


「無いっす。でも寒いと死にやすいので温かい方に行くつもりっす」


 なんていうか、切実過ぎて悲しい答えだな。


 俺の明日の予定は、この街に戻ってくるワルナとの合流なのだが、ココを連れて行きたいと思った。

 この娘をこのまま一人で放流したら、あっさりと死にそうな気がするのだ。

 ココはせっかく助けた相手であり、俺を助けてくれた恩人でもある。

 それに俺は、この街の食物連鎖の最下層で懸命に生きる彼女が嫌いではなかった。


「なあ、俺と一緒に来ないか? ちゃんとした居場所も用意出来ると思う」


 俺も大魔王城の居候みたいな物だが、獣人族は寛容かんようだったし、あるいはワルナに頼んでもいい。


「ぅえ?」


 ココの目が驚きに満ち大きく見開かれる。

 思いもよらなかったという顔だ。


「ああ、それとココ、俺と友達にならないか?」


 俺はそう言ってココに向けて右手を差し出した。


「…………」


 今度のココはなかなか目の前の手を取ろうとしない。

 しばらく俺の手を見つめた後、うつむいてしまった。


「ああしは、なんの取り得もないすよ。 

 自分すら守れない程弱くて、しかも、友達を平気で見捨てるクズっす。

 きっとまた、一番大事なところでバンさんを裏切るっすよ?」

「そんなこと気にするな、好きな時に好きなだけ裏切っていいから」

「でも……」

「なあ、もしココが死んだら俺は悲しいよ。もうそのくらいは関わっただろ? だから……友達からお願いします」


 あれ? なんか告白こくったみたいになったな……。

 まあ黙っていれば絶世の美女が相手だ、全く下心が無いとは言わない。

 俯いていたココが顔をあげる。その目に宿るのは期待と不安だろうか?


「うあうぅ……本当にいいんすか?」

「ああ」


 俺は力強く頷いた。


「あ……あいっす。ああしこんなっすけど、よろしくおねがいするっす」


 ココがおずおずと両手で俺の手を包むようにして握り、今度はちゃんと嬉しそうに笑った。



 ◇



 夜も更けて、俺達は横になって休んでいた。


 俺が眠っても、内蔵したコンピューターとセンサーが自動で警戒してくれるので危険度が増すことは無い。

 ……だが、寝付けない。

 地面に雑魚寝ざこねという環境もその一因だが、それよりも色々ありすぎた所為だろう。

 なにより気がかりなのは、この厳しい街でフェンミィが行方不明だという事だ。


「眠れないっすか?」


 どうやら寝付けない事をココに気付かれてしまったようだ。


「なんなら、ああしに突っ込むっすか?

 みんな気持良いって言うっすよ。いっぱい腰振って、その後は良く眠れるみたいっす」 


 緩い。ココの性に対する倫理観はびっくりする程にスナック感覚だ。

 もっと自分を大切にして欲しいとは思うのだが、それを口に出すのはためらわれた。

 この娘は他のすべてを犠牲にしても、命一つを必死に守ってきたのだ。


「いつでも気軽に突っ込んでくれていいっす。ああしが寝てる時でも大丈夫っすよ」


 だがしかし、これからもずっとこの調子で良いとも思えない。

 もう少し自分の身体をいたわる方向に誘導できないだろうか?


「なあココ、君はせっかくそれだけ恵まれた美人なんだし、もう少し……その……もったいないと言うか……」


 上手い言い方が思い浮かばなくて、尻切れトンボになってしまった。


「うぁ……美人で良い事なんてなかったっすよ。

 美人で得するのは守ってもらえる子だけっす。親とか、恋人とか、パトロンとかに……」


 ココの答えは思っていたのとは違う過酷なものだった。


「ああしみたいに誰にも守ってもらえないと、ただヤバいだけっす。大金を見せびらかして歩くのと同じっす。良い事ないっす」


 そうか……こんな街じゃ、そういうものかもしれないな。だからフード付きのマントなのか……。


「その……なんか、ごめん……」

「ああぅ……す、すいませんっす……。

 ちがくて、バンさんならいつでも気軽に突っ込んでくれて良いって言いたかったっす。

 ああしに出来ることなんかこれくらいっすから」


 俺は返事に困った。

 無下にそれを断るのは、ココが自覚している唯一の価値を否定してしまうような気がする。


「あ、ありがとう……」


 結局、他に返す言葉を思いつかなかった。

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