第十七話 ココ

「下水道って言うらしいっす」


 一緒に逃げてきた女性が、俺達の歩いてきた地下通路について説明する。


「ここは街の北にある森の中っす」


 下水道の出口は森の中を流れる支流らしき小川につながっており、汚水がそのまま垂れ流されて居た。

 地下から地上へ向かうため下水道の出口付近は上り坂になっているのだが、汚水は淀みなく上って来る。

 なんらかの魔法が働いているのは間違いないだろう。


 糞尿が流れる地下の下水道が有るとか、ファンタジー世界にしては随分と近代的だな……と、そこまで考えて、俺はワルナの屋敷のトイレが水洗だった事を思い出す。

 地方都市ナーヴァにも、こんな下水道が有ったのかもしれない。

 しかし、人糞を肥料に使わないのだろうか?


 俺はここが中世ヨーロッパ風だなどと勝手に思っていたが、都市の生活様式はむしろ元居た現代に近いのかもしれない。

 魔法の恩恵は絶大だな。


「下水道へ逃げると臭くて汚いから、たいていの人は追うのを諦めてくれるっす」


 土下座女性は自慢げにそう言った。

 これまで何度も下水を利用しているようで、真っ暗闇の中で迷わずここまで来れた。

 しかし改造人間の俺はともかく、この女性はよく酸欠にならなかったな。魔法による換気でもされているのだろうか? 


「南の大きな川にある出口は有名なんすけど、こっちの出口はほとんど知られて無いので、たぶん大丈夫っす」

「そうか、ともかくありがとう。助かったよ」

「いいえっす、ありがとうはああしの方っす」


 俺達は下水の排水口より少しだけ上流へ移動し、身体を洗う。


「これを使うといいっすよ、服も全部脱ぐといいっす」


 手作り感溢れる粗末な木製の椀を手渡された。中にはドロっとした液体が入っている。


「これは?」

「石鹸っす」


 なるほど、原料は油っぽい木の実を潰したものと……灰かな?

 ここに常設してあるのか、準備がいいな。


 俺は服を全部脱いで川に浸し身体を洗う。

 水は冷たいが感覚を遮断する程ではなかった。


 しかし、襲って来たのは何者だ?

 この女性を囲んでいたゴロツキ三人の仲間か?

 だが、それにしては強すぎたし、装備も整いすぎていたと思う。

 ワルナの兵士を無勢で瞬殺したあの凄まじい戦闘力は、俺が見た盗賊やゴロツキのそれとはかけ離れたものだった。


 もしも襲撃がこの女性を助けた所為なら、ルガンさん達が死んだのは俺の責任だ。

 背に重く圧し掛かるように感じる何かは罪悪感だろうか?


 悪の組織の改造人間として活動していた俺にとって死は身近な物だった。

 沢山の仲間の死、そして自分が殺した多くの人々。

 実は人間なんて油断すると簡単に死ぬ。よく知っている。だが、それにしてもこの世界は、そしてこの街は人の命が軽すぎる。


「どうしたっすか? お腹痛いっすか?」


 黙りこんだ俺を心配してくれたのか、土下座女性が声をかけてくれる。

 彼女の方を振り向くと…………、


 そこには絶世の美女が全裸で立っていた。


 完璧な比率で整った鼻と口、大きな目だけはややタレて愛嬌を感じさせるが、そのおかげで冷たい印象を与える事が無い。

 女性にしては高めの身長と長い足、細い腰に形の良い豊かな胸と尻で、男性の夢が具現化したようなスタイル。

 以前にワルナの裸をスーパーモデル並みと評したが、これはその上を行く完成度だった。


 年齢は二十歳くらいだろうか? 

 所々に打撲によるであろう青アザがあるのと、ピンク色の髪がろくに手入れもされずに痛みまくっているが、それ以外は完璧な美だった。


「え? 誰?」

「あうっ? なに言ってるんすか、ああしっす、ああし」


 外見に全く似合わない、少し舌足らずな声としゃべりかた。

 それはさっきまで俺と一緒に汚物にまみれていた女性だった。

 確かに美人だとは思っていたが、ボロのマントと粗末な服を脱ぎ、川で汚れを落とした彼女が、まさかこれ程の美しさを放つとは思ってもみなかった。

 

「その声、確かに土下座娘だな……」


 俺に全裸を凝視ぎょうしされても全く照れることなく、隠そうともしない彼女に、俺の方が恥ずかしくなり視線を外す。


「なんすか? ドゲ……? ああしはここっす」


 土下座っ子は急に自分の存在する位置をアピールした。


「んっ? いや、君が目の前に居るのは言われなくても分かるけど?」

「ああう? ああしバカだから、むつかしいことは分からないっすよ?

 ああしはココっす、名前っす」

「ああ、名前が『ココ』なのか」


 俺は名前もその外見に似合わないな、などと失礼な事を思った。


「分かった、よろしくココさん。俺はバンだ」

「バンさんっすね。覚えたっす。

 あと、なんか落ち着かないので、ああしの事は呼び捨てにして欲しいっす」

「分かったココ、なら俺のこともバンと呼び捨ててくれ」

「ああぅ……そ、それも落ち着かないので勘弁してほしいっす」

「え? いやそれは……」 

 どうも彼女……ココは、自分の立ち位置を相手より下に置かないと安心できないらしい。

 しばらく押し問答になったが、きりがないので、結局俺は彼女の希望を受け入れた。



 ◇



「この先に、ああしのねぐらがあるんすけど」


 服と身体を洗い焚き火で乾かした俺達は、とりあえず一緒に行動する事となり、ココのねぐらに向かっている。

 道なき道を進んでいたが、下草の背は低く森の中は歩きやすかった。

 

「待ち伏せされてないか、ちょっと見てくるっす。

 バンさんはここで待っていて欲しいっす」


 おお、さすが、伊達にこの街で生き抜いていないな、思ったよりもしっかりしている。

 ……と思ったら、ココの足がガクガク震えていた。


「ううっ……あうあう」


 そうか、そりゃ怖いよな。

 俺は改造人間のセンサーで辺りを探ってみる。


「二百メートル程先に小屋らしき建物があるな。それの事かな?」

「あう? バンさんすごいすっね。それっす、でもここからじゃ見えないのに……魔法っすか?」

「似たようなものだ。小屋にも周りにもだれも潜んでいないと思うけど、どちらにしても二人で一緒に行こう」

「あいっす」


 明らかにほっとした様子のココと共に、そのねぐらへと進んだ。

 それは一部屋しかない小さな山小屋という感じの粗末な建物だったが、作り自体はしっかりとしていた。


「いろいろ取ってくるっす」


そう言ってココが小屋へ入る。


そしてしばらくの後、ボロボロの大きなリュックを背負い外へ出てきた。

 鍋やヤカンがリュックからぶら下がり、歩く度にガチャガチャと音を立てている。


「ここで一晩過ごすんじゃないのか?」

「ねぐらはなるべく秘密にしてたっすけど、長く住んでたんでやっぱし危ないっす。

 つーか、この街がもう危ないっす」


 色々残念なわりには、まともな危機回避能力だと思う。なんて言うか……捕食される側の知恵か。


「離れた場所で野宿するっす……あううぅ」


 そう言って歩き出したココがふらついてる。 


「重そうだな、俺が持とうか?」

「だ、ダメっす。そんな、そんなことバンさんにしてもらえないっす。大丈夫っす」

「いいから」


 俺はココから半ば強引にリュックを奪う。

 それは確かに重いが、今の俺でも背負って長距離を歩ける程度のものだった。


「あうっ、えと……す、すいませんっす」


 ココは恐縮して居心地が悪そうだった。



 ◇



「あ!」


 森の中をしばらく歩いていると、ココがなにかに気がついた。


「どうした?」

「蛇っす」


 そう言われて注視すると、低い雑草の上に確かに蛇が居た。

 …………いや待て、これ蛇なのか?

 蛇の様に長いがユニコーンみたいな角があるぞ、頭の形も蛇とは違ってワニっぽい。


「ううう、わああああ」


 なにやら奇声を上げてココが蛇に向かって走り出す。

 接近者に気がついた蛇は、鎌首を持ち上げて威嚇する。


 シャーッ

「はぁうっ」


 蛇の威嚇音にココの足が止まる。


 シャー

「う……うあぅ~っす」


 ココが情けないうなり声を出して両手を挙げて蛇とにらみ合う。

 一定の距離を保ったまま、ぐるぐると回りだした。

 なにをしてるんだ?

 まるで子供が蛇をからかって遊んでいるかの様だが、なんていうか……せっかくの美人が台無しになる残念な絵面だった。

 だいたい、今はそんなことをしている場合じゃないだろう。


 シャッ

「あうっ」


 蛇が身体を伸ばし襲い掛かると、ココが怯えて尻餅をつく。

 あれ? 全然楽しそうには見えないぞ? むしろ必死だ。まさかこれって遊んでいる訳じゃなくて……。


「もしかして、その蛇を捕まえたいのか?」

「あいっす。

 ご飯にお肉が入るっす、ごちそうっす。バンさんに食べてもらいたいっす」


 なるほど、俺に蛇肉をごちそうするために、勇気を振り絞って慣れない狩りをしてくれていたらしい。


「この蛇に毒は?」

「無いっす」


 実はジャッジ時代に蛇を大量に扱った事がある。

 ヒーローに仕掛ける落とし穴の中を毒蛇で埋め尽くすためだった。


 だが戦闘形態の改造人間には蛇の牙など通らない上に、仮に毒が打ち込まれても俺と仮面アベンジャーには抗毒血清を作り無害化する機能がある。

 そして、重力と慣性を制御して空を飛ぶことも出来る改造人間は、そもそも落とし穴に落ちない。


 なんのために立案されたのか分からない作戦で、もちろん失敗した。

 だがその時に俺は、田舎育ちの改造人間仲間に蛇の扱い方を教わっていた。


 俺はリュックを下ろし蛇の後ろから近づく。

 すばやく尻尾の先端を掴むとそのまま振り回し、側に有った岩にその頭を何度も打ち付ける

 蛇はすぐに動かなくなった。


「す……すごいっす。すごくすごいっす」


 ココがキラキラした目で俺を見つめ、少ない語彙で称賛する。


「バンさんは狩人なんすか?」

「いや、違うよ」


 そう言いながら仕留めた蛇を手渡すと、ココは宝物でも手に入れたかのごとく嬉しそうに受け取った。


「ありがとうございますっす。これでお肉が食べられるっす」


 ココがリュックからナイフを取り出し、蛇の首を落として血抜きを始める。

 しかし、彼女はこんな蛇一匹捕まえられないのか?

 この辺りなら、ダンジョンからの魔力は潤沢に供給されていそうなんだが……。


「なあ、もしかしてココは魔法を使えないのか?」

「使えないっす。運動も苦手で力も無いっす」


 そうなんだ。魔法が使えない魔族か、その苦労は察するに余りあるな。

 しかし、この世界に来てから初めて、今の俺より弱い者に出会った気がする。

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