第十五話 転換点
「起きろバン! 困った事になったかもしれない」
翌日、俺が寝ている寝室にワルナが駆け込んできた。
まだ朝だというのに銀の鎧をしっかりと着込んでいる。
昨日見た返り血は一滴も残っていない。
「どうしたんだ?」
目を擦りながらベッドの上で身体を起こそうとすると、左手が引っ張られるように重い。
貸してもらったシルクみたいな生地のパジャマに温かく柔らかい感触がある。
掛け布団をはがして確認すると、サティがベッドにもぐりこみ俺の左手に抱きついていた。
いつの間に……。
「んんん……なぁにぃ?」
俺が動いた所為でサティも目を覚ました。
二人ともベッドの上で身体を起こす。
「早朝にフェンミィがジンドーラム王国に向けて出発してしまった。
大魔王復活を知らせに行ったのだ」
ワルナがサティの行動には一切触れずに話を続ける。
どうもかなり深刻な事態のようだ。
俺は気を引き締め、始めて聞いた単語について聞き返す。
「ジンドーラム王国?」
「ここから北東にある小国で、ダンジョン保有国だ」
ダンジョンを保有しているかどうかは、わざわざ口にするぐらい重要な事なんだな。
しかし……、
「なんでいきなり他の国に?」
「ここからならシャムティアの首都よりずっと近い。
それに私はフェンミィからシャムティア国王宛ての手紙を預かっている。
我が国に対しては、それで十分だと思ったのだろう。
ついでにもう一国にも知らせようとしたのだ……くっ、彼女の行動力を甘く見ていた」
あれ?でも確か昨日……。
「フェンミィに今日は話があるから時間をとってくれるように言ったろ?」
「午後には帰るとの言伝が有った。
屋敷の者にも話を通しておくべきだった、不覚……」
午前中で済ませる気なのか。
フェンミィの機動力あってこそだな。
「どうなると思う?」
俺の質問に対しワルナは眉間にシワを寄せる。
「事前の使者も無く、身元も不明なフェンミィがいきなり行っても、相手にされず門前払いが妥当だと思うが……」
ならたいした心配は要らない筈だが、ワルナの慌てようはなんだ?
「三年前、王が代替わりして以来、あの国には悪い噂しかないのだ。
元々わが国との関係は良好だったのだが、一気に悪化した。
愚王による圧制と搾取、治安は悪くマフィアが
万が一も十分有り得る」
万が一って、殺されるって事か……。
「今のフェンミィはかなり強いんだろ? それでも危険だと思うか?」
「フェンミィが強いというのは、あくまでダンジョンの魔力が薄い場所での事だ。
魔力が
たとえ満月でもな」
そうなのか。
この世界の強者の戦闘力はどれくらいなのだろう?
修復が終わった俺より遥かに強かったら困るな。
「私は今からフェンミィの後を追う。
どうせ追いつけはしないし、無事に帰って来て行き違いになる場合もあるだろうから、魔道具で屋敷と連絡がとれるようにした。
貴公はどうする?」
俺が行っても役に立たないどころか足手まといか?
いや待て、センサーで周囲を探る事くらいなら出来る。
人ごみの中で個人を識別する精度はそれ程高くはないが……。
だがそれでも、フェンミィになにかあったらと考えると胸が苦しい。
たかが数日一緒に居ただけの関係だが、それでも俺は彼女にかなりの好意を抱いていた。
「行く、行かせてくれ」
「サティも行く!」
俺が答えるのとほぼ同時に、すっかり目が覚めていたサティが元気いっぱいにそう言った。
「サティ、お前は駄目だ。子供には危険すぎる」
「やだ! バンお兄ちゃんの方が危険だもん。
バンお兄ちゃん弱いからサティが守ってあげるんだ」
う~ん、俺はこんな小さい子供に
まあ今の無力っぷりからすれば仕方ないか。
「ではバンの事は私が責任を持って守ると約束する。
それでどうだ?」
「でも……」
「姉の事が信じられないか?」
「う~……分かったよ」
サティはそう言うと、ベッドから飛び降りどこかへ走り去ってしまった。
「急げバン、時間こそが貴重だ」
ワルナにそう言われて俺もベッドを飛び降りる。
◇
「いけません姫様! お仕事がございます。
特に明日の会談はなんとしても成功させていただかねば、領地の存続に関わります」
出発する直前、館の玄関前で執事さん風の老人に俺達二人は呼び止められた。
いや執事さんなのかもしれないが……。
「明日までには必ず戻る。
すまぬが今日の仕事はなんとかしてくれ」
「旦那様がお留守の今、リトラ家の未来を担うお方がそのような我がままを申しては皆に示しがつきません」
「友の危機かもしれぬのだ!この通りだ、爺」
ワルナが頭を下げた。
爺と呼ばれたその人はとても難しい顔をしていたが、結局譲歩してくれたようだ。
「分かりました。
この爺がなんとか致しましょう。
けれど、明日のご予定だけは決してお忘れにならぬように」
「すまぬ、ありがとう爺。行くぞバン」
ワルナが礼を言って俺と一緒に移動用の馬車へと向かう。
「待って! お姉ちゃん!」
それを、今度は離れの方から駆けてきたサティが呼び止める。
「サティ、連れてはいけないと言ったろう?」
「違うのお姉ちゃん。
バンお兄ちゃん、はいこれ」
サティが俺にクマのぬいぐるみを手渡す。
「きゅー」
まるで生きているかのごとく動くそのぬいぐるみは、俺の手をよじ登り二の腕に抱きつくようにして落ち着いた。
「お守りだよ。この子がサティの代わりにバンお兄ちゃんを守るから」
ぬいぐるみのクマを見ていると昨日の思い出したくない記憶が蘇る。
「なあ……これ、まさか元人間とかじゃないよな?」
「違うよ。そんなことするのはバンお兄ちゃんにだけだったら」
……いや、俺にももうしないでくれ。
◇
「行くぞ、出発だ」
俺達は馬車二台に分乗して目的地に向かった。
一台目にワルナと俺、そして護衛の兵士が三名。
二台目には護衛の兵士が八人。
そしてそれぞれに御者が一人という編成だ。
馬車と言ったが、引いているのは俺の見知った馬ではない。
足の長いカバといった風体の動物で、時速五十キロ強という巨体に似合わぬ巡航速度を維持している。
「
俺が馬を気にしていたのでワルナが説明してくれる。
そうか、動物もダンジョンからの魔力を利用出来たりするんだな。
馬車に魔法のサスペンションが付いているそうで、こんな速度でも安定して走り、振動も殆ど無かった。
巻き上げる派手な砂埃が車内に入ってこないのも魔法のおかげだそうだ。
高価で高性能な軍用らしい。この世界にも機械化歩兵みたいな部隊が有るのだろうか?
「とはいえフェンミィの速度とは比べ物にならないがな。
目的地まで約六時間というところだろう」
なるほど、この世界でもフェンミィの移動速度は特別に速いんだな。
でも、個人としてはどうなんだろうか?
ワルナの黒い翼を見ながら俺は思う。
「なあ、ワルナ自身はどうなんだ? 空を飛んでフェンミィより速く移動できないのか?」
「もちろん空は飛べる、フェンミィよりずっと速くな。
だが、あまり高くは飛べず長距離の移動も無理だ」
なるほど、便利な魔法が存在し魔力が潤沢に供給されるこの世界でも、持久力には差があるようだ。
鳥のように……とはいかないらしい。
「とりあえず朝食を渡す、食べておけ」
俺はワルナから携行用といった感じの食事を受け取った。
◇
出発してから約四時間、そろそろ国境に差し掛かろうかというタイミングだった。
「姫様、前方約一キロ、商人の馬車が盗賊らしき一団に襲撃されている模様」
御者が馬車の中へ叫んだ。
「全車停止! 全員降車!」
ワルナは即座に指示を出し、兵達も迅速に従う。
御者を含めて全員が金属製の鎧を着ているのだが、そうとは思えない軽々とした動きだ。
魔法的ななにかが作用しているのだろうか?
俺もみんなの後を追うように馬車から降りた。
襲われているという馬車が街道の先、遥か遠くに見える。
改造人間の俺はこの距離でも拡大して詳細に見ることが出来るが、御者はよく分かったな。魔法か?
「間違いありませんね、盗賊です」
俺達と同じ馬車に乗っていたベテランらしき初老の兵士が言った。
指で作った輪を覗くようにしていたので、遠視かなにかの魔法を使ったのだろう。
なるほど、御者もこうしたのか。
しかし盗賊多すぎないか?
これでも他の国よりマシだというのか……。
「よし全員抜刀! 突っ込め!
「ハッ!」
ワルナが突撃の指示を出す。
この距離からか? と思った。遠すぎないか?
「石火!」
だが、ワルナ達がそう叫んだ瞬間、
――アラート エラー タイガー エラー――
俺の脳内に無機質な機械音声が響いた。
ワルナ達は改造人間と同じ超加速状態になれるのか!
彼女が『石火』と呼んでいたそれを、俺の自動防御システムは同一だと判断したみたいだ。
修復が完了していないので俺は変身も思考加速も出来ず、エラーを吐き出しただけだが。
速い。音速に近い速度で突撃していく。
特に先陣を切っているワルナが速い。黒翼を広げて滑空していた。
まるで低空飛行の戦闘機だ。
改造人間である俺や仮面アベンジャーの加速や最高速には及ばないだろうが、それでも普通の人間に対しては絶対的な速さだった。
ワルナ達が盗賊と接敵する。
それは一瞬で、一方的な虐殺だった。
二十人程居た盗賊は、あっという間に一人を残して皆殺しとなった。
なるほど、これはフェンミィより強いだろう。
しかし、ワルナも人殺しを
これだけ武力に差が有るなら、全員を殺さずに対処できたのではないだろうか?
逮捕して法の裁きに…………この国にも法律はあるよな?
俺は馬車と共に襲撃現場へ移動する。
襲われていたのは馬車七台からなる隊商だった。
護衛は全滅、商人にも死者が出ていたが、それでも大多数は生き残っていた。
ワルナの護衛が怪我をした商人の治療と死体の後始末をしている。
ワルナは捕縛した盗賊としばらく話していたが、知りたい情報を引き出し終わったらしく、剣を抜いて最後の一人を切り殺してしまった。
ワルナはそのまま馬車へと戻ってくる。
「盗賊共め、いくら潰しても湧いてくる、始末に負えんな。だが根負けする訳にはいかぬ」
人をまるで虫のように言う十代半ばの美しい少女。
俺はどうしても気になっていた事を尋ねてみる。
「余裕のある戦闘だったよな? 逮捕しようとは思わなかったのか?」
ワルナが
「逮捕? 盗賊をか?」
なにを言ってるのか分からないという声だ。
「ああ、皆殺しじゃなくて逮捕して、法の裁きを受けさせる方が良いとおもうんだが……」
「この国の法では強盗は死刑だぞ。
わざわざ殺すために捕まえるのは予算と時間の無駄だろう?
慣例で盗賊はその場で皆殺しにするものだ。
例外はなにか重要な情報を引き出す時だけで、その場合も拷問から最終的には死刑となる」
厳しいな。強盗したら死刑なのか。
冤罪も心配だ。
口封じが容易く、取り締まる側が有利すぎる。
「少し厳しすぎないか? 改心するかもしれないのに」
「改心? 盗賊共がか?」
俺の発言があまりに意外だったのだろう、ワルナが本気で驚く。
「盗賊になるような奴は改心などしないぞ。自由になれば同じ事を繰り返す」
「そうとは限らないだろ?」
「私が見た中では全てそうだ。この国の歴史を
選り好みしなければ、まっとうな仕事はあるのだぞ、我が国なら。
奴らはあえて盗賊を選んだのだ。
何年投獄しようが、きっかけさえあれば安易にまた他者の生き血をすする道を選ぶだろう」
「そんな……」
「それに、武器を持った敵に手加減をするなど愚行だ。
油断なく全力で向かうべきだろう? ためらわず殺す気でな」
本当に殺伐としてるなぁ……この世界。
それでも……。
どうしても納得できなくて、俺はワルナに問う。
「だけど、それでも人の命は特別に大切なものじゃ……」
「人の命に等しく価値があるなど幻想だ。
こ奴らみたいな他人を食らう餓鬼の命など害獣にも劣る。
無価値どころか害悪だ。
駆除せねば、それこそ価値のある領民の命が危険に晒されるぞ」
そう言い切られて、よく分からなくなってきた。
なぜ人を殺しては駄目なんだったか?
例えば、より多くを救うためなら殺しても良いのか?
俺の反論は勢いを失う。
どんな人の命でも特別で世界で唯一の価値ある物だとか、この惨劇の現場ではまるで説得力を持たない。
それに自分の意思でないとはいえ、俺も沢山の人を殺してきた。
そんな俺が今更、殺人を
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