誰も知らぬ海の形
理が食事を終え、湯浴みも満喫したので再び歩みを進めることとなった二人。変わらず霧が立ち込めていたが、やがて薄くなり景色が拝めるようになった。ぬかるみを越え、傾斜がある地形を登れば目指していた海が顔を覗かせた。
「おお……。おお?」
『凄いですね、これが海?』
「いいや、違う……。これが、海だと?」
それは違和感の塊、理、地球の価値観から見ればであるが。
海と言うには幻想的に過ぎるだろうか。この海の『群れ』は。中に浮かぶ水の塊、高さも大きさもてんでバラバラだ。今二人が遠くにいて、全体を見渡せるから分かることではある。大きいものは本当に大きい。巨大な湖が如きもの、その横にはそれの十分の一にも満たない、横長の楕円のもの。それらの下には別の水球もあるが、合間には暗闇が覗いており、ここからではそこは計り知れない。その景色は果てしなく、彼方にも同じものが見て取れる。
「成る程、確かにおったまげた」
『貴方の知る海とは違うのですね』
「まるで違う、しかしどう渡ったものか」
『どうしましょうね』
「取り敢えず行ってみるしかないか」
『後回し、ですね』
棘のある言葉を躱し先へと進む。遠くとは言え見える範囲に居たのだから、辿り着くのにもそう時間は掛からなかった。野宿を一晩挟んで山を下る、頭より高い雑草群をかき分ければそれらが目の前に現れた。
宙に浮いているがゆえに当然とも思えるが、砂浜といえるようなものはない。唐突に海は見え、海の下にある暗闇は手前にはなくゆったりとした坂の先に続いているようだ。だが現状は上のほうが興味はある理。
「飛び込めばあとは泳ぐだけだよな」
『考えなし止めてくださいね』
「とは?」
『“間”をどうやって渡るのですか』
水の塊同士の間は空だ。
「こう……、勢いで」
『考えましょう』
「うむ」
自分が言わなければ理は実行していた、そう確信が持てる程度にはメーディの理解は進んでいる。
「だがどうしたものか、空でも飛ぶか?」
『出来なくはないですが』
「ちょっと遅いんだよな、お前のあれは」
『文句を言うならやってあげません』
やや拗ねる。
「ん」
『どうしまし――、ええ!』
「――むううん!」
空から大きな何かが降ってきた。その姿はまるで。
「……カエル?」
身の丈三メートルのカエル人間だ。
「クソおぉ!また失敗かぁ!」
「煩えカエルだな」
それは海の中から現れ、今は二人の前で仰向けに倒れている。理の言葉が聞こえたのか、むくりと起き上がると立ち上がった。がに股で前傾姿勢のそれは地面を殴ると大声で叫んだ。
「なんの!次だ、次。次こそはあの彼方へ!」
「だからうるさいって」
『耳がキーンてします』
オレンジ色の巨体に木の幹のように太い手足がついている。目の間には縦に大きな傷が目立つ。
やっと二人に気がついたカエル男は、ギョロ目を動かし、驚いたように目が小さくなった。
「どわ、なんだお前ら」
「見えてなかったのか」
『どうも、メーディと申します』
ペコリとお辞儀をするメーディに面を食らった様子のカエル男。
「おお、丁寧な。小さな娘、それと偉そうな男」
「理だ、おっさんのそれはなんだ、羽か?」
「ん、これが気になるか。そうかそうか、見る目があるなお前」
カエル男の背中には羽のようなもの、羽の部分はボロボロで骨組みが折れ曲がっている。
「バサバサ鳥から奪いし羽に、赤茶樹の葉を組み合わせた儂手製の品だ。どうだ、良きものだろう」
胸を張るカエル。
「壊れているけどな」
「むぐう……、痛いところを。なんの次は更に改良して――」
『あの、お名前を聞いても?』
「名前?」
「なんだ無いのか」
座り込んだカエルは腕を組んで首をひねる。
「名前とはなんだ?」
『えーと、他人と区別するための言葉、ですかね』
「知らんなあ、儂は生まれたときから一人だし。同種は見たこともないわ」
「んじゃあ『デカガエル』で」
『そんな安直な』
「なんでも良い、好きに呼べ!」
「それでデカガエル、なんで海の中から出てきたんだ。それとその羽」
手をパチンと、大きいのでバチンとデカガエルは鳴らした。
「無論、海の果てへ行くためよ」
「おお、都合がいい」
「ん?」
「手伝ってやるよ」
不愉快げに大きく鼻息を鳴らしたデカガエル。
「いらん!」
『そう言わずに……』
「いらん!」
「頑固だな」
微笑む理だが、それが良くないものだと知っているメーディが声を出す。
『ご飯!』
「ん?」
「あ?」
『食事にしましょう、話はその後で、ね!』
「……まあ腹は減っているな」
「この近くにいい猟場がある、教えてやる。そんで食ったら帰れ」
取り敢えずと歩きだす二人を追うメーディ。忌避していたはずの食事をだしに使う自分に、逞しくなったなあと乾いた笑いがこぼれた。
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