土産と置き土産

 理はニアンに構えた自宅のソファの上で寛いでいたが、立ち上がって一言呟く。


「そろそろ行くか」


 横で本を読んでいたメーディが顔を上げる。一月半で、簡単な書物なら読めるようになっていた。生まれ持った聡明さと彼女の弛まぬ努力によるもので、教師をしていたこの家の召使も舌を巻いていた。


『と言いますと』

「ニアンを出る」


『いよいよですか、思ったよりもゆっくりしていましたね。居心地が良かったですか?』

「悪くはなかったが、それよりも回復に時間がかかったからな」


『そうですね……』


 メーディが視線を理の前にあるテーブルへと向ける。山のような食器群、反対側が見えないほどに積み上げられたそれらは当然食べ物が盛られていたものだ。メーディは食べないので平らげたのは理一人。

 彼の超人的な回復力はその精神力に由来し、カガールとのギリギリでの戦闘は心身ともに疲弊させた。苦労で言えば海食いも大概であったが命の危険度は今回のほうが高かった。カガールの武器は、見た目こそ平凡な物ばかりだが、その威力は小型のミサイルに匹敵する。それが絶えず降り注ぐのは、理をもってして緊張の連続であった。

 その緊張ですり減った精神を安らげたのは食事であった。彼の異常な食欲のお陰で、一時期ニアンが食糧危機になりかけたほどだ。その為に首長が直談判する一幕もあったが、セレニアの“一振り”で崩落した地下坑道の再採掘を手伝い、更にはリハビリがてらの狩猟で補った。その結果却ってニアンの状況は良化し、市中で彼の人気がこれまで以上に高まったのには首長皆が苦笑いした。

 因みに料理を用意していたのは当初、ここにいた召使十人が総出で行っていたのだが、疲労で一人が倒れると順番に病人が増え、最後はニアン中の料理人、料理上手をかき集めていた。それを考えると理がこの国を去って、最も喜ぶのは彼らかもしれない。


『それではカガールさんに知らせるのですか?』

「あー。そう言えばそんな話もあったな、けど面倒くさいな」


『なんだかんだでお世話になったのですから、それくらいしなさい』

「……うん」


 カガールとの戦いを終え、療養に入ったカガールだがその折に理とセレニア含めた三人が、メーディに説教をされるという出来事があった。戦った場所がニアンの地下ということで、一歩間違えればニアンが崩れていた。脳筋三人はそれを分かっていながらも我を優先し、街を危険に晒した。理はともかく後の二人は国を統べる者としての自覚すら、よそ者の少女に叱責を受けた。

 色々な経験を経て、メーディはだんだん理の『姉』のように振る舞うようになっている。それに理も強くは言い返さず、言われることは概ね正論なので、譲れない部分以外は大人しく聞いている。


『それにしても、ニアンが落ち着いたのは他人事ながらホッとしています』

「まあ、あいつがやる気出せばこの国は大体安全だろうな」


 カガールが怪我を治しながらも、国民に無事を報告し(理に受けた傷のことを休んでいた理由にして)ニアンの人々を安心させた。その上でロッサンらが提案した首長たちによる合同政府を受け入れた。そのトップとしてカガールは存在する。ダニアンは難色を示したが、カガールが「個人がトップに経つのであれば自分より強くなければ認めない」と言うと大人しくなった。すぐ前に負けたとはいえカガールの強さを再認識した以上、そして街に起きる脅威を知ったからには文句は言えなかった。


 その後理はカガールのいる場所へと使いを出し、返事を待った。すぐに向こうからの使者がやって来て、一刻もすれば来ると報告された。理は特に荷物もないが、メーディは腰にニアン製の水筒を提げている。ニアンの出口は来たところとは逆方向の通路を通り、カガールともそこで会うことになっている。

 その道中もニアンにいた間に生まれた『理ファン』が黄色かったり野太かったりする声援を彼に向け、ここを出ていくと言えば泣き崩れる婦女子が出る始末だった。


『これだけは未だに解せない』

「俺の魅力が分からんやつだ」


 ジト目で理を見るメーディ。


『戦っている時の様子を見せれば彼女たちも掌を返すでしょうに』

「男らしさにクラっとするさ」


 “獣らしい”の間違いでは、と突っ込みたかったが堪えたメーディ。そして理の言う評判になるのではとも思う。こんな野蛮人のどこが良いのだろうかと頭が痛くなる気分だ。ニアンに来た最初のうちは、メーディが理の“いい人”だと囁かれていたのを彼女は知らない。その後二人の会話等を見て『被害者』だと理解されてからは、優しくされていたこともあまり分かっていない。


「着いた」


 来た場所と告示した施設、ニアンの門まで来た。中で少し暇をつぶすとカガールがやって来た。特に兵も連れず、ふらっと現れた。護衛の必要もないので、市中を歩く時は何時もこうだ。


「やあ、待たせたね」

「そうでもない」


理も立ち上がり向き合う二人。


「俺がいなくなって清々するだろう」

「街では随分と人気だったろう、皆悲しむよ。……私は仕事が減って嬉しいがね」


 カラカラと笑うカガール。殺し合いをした間柄とは思えない、友人のような空気。


「次はどこへ」

「考えていない、気ままに行くさ」


「……君も大変だね」

『お気遣い、痛み入ります』


 大袈裟に額に手を当てるカガール。本来はこのくらいフランクな男なのだ。


「理は『海』を知っているかい」

「知っているが」


 理が知る海を端的に説明する。


「ああ、私の故郷と概ね同じだ」

「それがどうした?」


「この先にも海があるのだが、流石この世界。凄いぞ、一見の価値ありだ」

「成る程」


『すいません、海とは?』


手を挙げるメーディ。


「ここのは知らんが、でっかい水溜りだな」

『うーん?』

「まあ見れば分かるさ。それとこれを」


 カガールが出したのは一振りの剣。鞘に入っていたのだが抜いてみせると、理には見覚えがあった。水晶でできたような綺麗な刀身。


「リーバイルという男を知っているな、彼から貰ったんだが、私からの選別だ。元々君が手に入れたものらしいしね」

「むう。だがこれは俺には使えん、変わった石だった筈だが」


 半ば無理やり理に持たせた。だが手にしても剣は“弾けない”。


「少し“弄らせて”もらった。君にも使えるようにしたし、おまけも付けていた。要らないかな」

「剣は得意じゃないが……。折角だ、有難く頂戴しよう」


 ニアンで誂えた、黒い革ジャケットの腰ベルトに差す。地球の現代風な恰好なので、理的にはやや浮いた印象になる。


「……ではな」

「ああ」


「そう言えば、忘れていた。あの『怪物』についてだが」

「『抜け殻』とか言ってたな確か」


「そう、抜け殻だった。つまり中身がある筈なのだが、それは言っていたよ「これは不合格だ」とね」

「不合格?」


「……私の推測だが、それは『体』のことを指していると思う」


 続きを促す理。


「あれは不合格と言ったが、それでも私は怖気が奔った。もしあれが納得する体を得たならば……」

「そりゃ最高だ」


「ほう」

「それだけ強ければ、倒した時の悦びも、戦う楽しみもひとしおだろうさ」


「……全く、これだから野蛮人は」


 頭をブンブンと振るメーディに理がチョップをする。


「それはどこに?」

「分からないな。方向で言えばその海と同じだが……」


「よしよし、楽しみが増えた。ならさっさと行かなくちゃな、追いつけると良いが」


 そう言って歩きだす理。

 見送りながら小声で独りごちるカガール。


「……死ぬなよ」


 結果として、ニアンを渦巻いていた混沌を拳一つで吹き飛ばした理。一国を巻き込んだ暴風は、台風一過のような風景を残し去っていく。次に彼が行く所には、どのような場所、どんな風が吹くのだろうか。

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