待望の挨拶

 ニアンにある八つの地区は、円状の地形に沿って存在し。地形と同様に円状の領土を切り分けるように大まかに八分割されている。それぞれに高低差もあり多少歪んだ地区も有るが概ね均等に別れている。

 その中、八つの地区の中心に存在する『塔』。それこそがカガールのいる場所であり、『宮殿』と呼ばれる場所である。カガール自身は王ではないし、宮殿というのは周りがそう読んでいるだけで中は普通の事務所。八地区の首長がいる役所と同様のものだ。

 だが見た目はその呼び名に相応しい、荘厳な気配を漂わせている。


「おお、凄え」

『なんと綺麗な……』


 このニアンの中央を貫く塔は上にこそ高くなく十階程度あるかどうか。しかし下には延々と伸びており、フェンスから覗く隙間からは先が見えない。その外観は派手過ぎず地味過ぎず。他と変わらず石造りの塔はその節々に洋風建築を思わせる装飾が施されており、民家などのものよりは幾分派手であり、ただ悪趣味な訳ではない。色も大理石のような白で落ち着いた雰囲気を醸している。

 どの地区からも望める、目立つ建物では有るもののニアンを象徴するに相応しい風体と言えよう。

 メーディは素直に感動し目を奪われたが、理といえば一瞥し直ぐに入り口へと繋がる宙吊り橋へと向かっていった。この塔は他の地面から離れており隙間の下には奈落が見える。なので行くには計四つの橋のどれかを渡る必要がある。警備の為であろう、橋は二人がすれ違えるギリギリでありそこまで高くない横の壁からは吸い込まれそうな下がよく見え、高所が駄目な者は渡るのに苦労するという。

 今の今まで感動していたメーディだが、この橋の仕様に愕然としていた。


『嫌……です。怖い、ですぅ』

「子供か、それならここで待ってろ」


 優しさの欠片もない発言を投げ放ちそそくさと離れていこうとする理、しかしその腕が引っ張られた。勿論相手はメーディである。


「なんだよ」

『……手を、引いて下さい』


「一人で歩けよ」

『貴方には情というものが欠落しているのですか?』


「そうかもなあ」

『なんという……。お願いします、私も入りたいんです』


 頭を掻いて、一瞬黙った後に手を差し出してきた理。同伴者であるが子供でもある、ほんの少しは付き合ってやるか。と気まぐれを起こした。これは本当に気まぐれであり、カガールに会えるということで機嫌がよくなければ無視された可能性も否めない。

 事実メーディは半ば諦めていたので、最初は意味がわからないと呆けていたが。理解すると恐る恐る小さな手を伸ばして握った。

 そのまま引かれて歩きだす。メーディも一人前を自覚しているので恥ずかしいのだが、それ以上に男に手を引かれるというのが初めて、そして相手が化物ということで心中は複雑であった。

 ただ、その大きく力強い手は恐ろしく頼もしかった。






 塔に辿り着いて案内を受け、向かうように言われた先は『地下』であった。例のエレベーターを使い下ること十数分、ゆっくりとした速度で降りていることを考慮しても相当の深さであることが伺える。エレベーターの中はかなり広く三メートル四方程度。

 共に乗っているのはメーディと案内人の他、重装兵が十人。厳戒態勢と言える状態で囲まれたまま、無言で時が流れる。

 しかし渦中の人間にも関わらず理は飄々として気楽に佇んでおり、基本的に無視されているメーディのほうが余程緊張している。

 そんな一般人がいれば胃が悪くなりそうな空気をそのままに、そしてその空気を吐き出すようにエレベーターの扉は開いた。

 そこから長い廊下を歩く。床には踏み心地の良い赤い絨毯が敷かれ、横には幾つも扉があって空いたところから見えた中には会議室のようなものから、警備兵が休憩していた詰め所のようなものまで(後者は敢えて見せたのだが)。

 二度曲がった後に、漸く目的地に到着した。大袈裟な、威厳を強調するかの如き細やかな装飾の施された両開きの大扉。案内人が恭しく開いた先はこれまた大広間であり、会議用の長机の他にカガールが休憩するために誂えたのか、ソファにテーブルが置かれたスペースも有る。

 使った痕跡の有るそれらも含めて、一見して公私に渡って利用されているような部屋。その最奥にある執務机、どうやってか不思議に陽が射す窓を背にあるそれに向かって腰掛けている男。


「あんたがカガールかい」

「そうだよ、異邦の旅人。私がニアンの長であるカガール・デンバードだ」


 カガールは理の想像よりも年行った男であった。五十過ぎ、もしくは六十になろうかという風貌。ラテン系を思わせる肌色に、深く刻まれた皺。短く刈り上げられた髪も口元に蓄えた髭も灰色で、その貫禄はまさに長を思わせる。服は茶色の革製で、丈夫そうな造りのジャケット。それは仕事着というよりは『戦闘服』に見える。


「やる気充分、という事でいいかい?」

「冗談は止してくれ、こっちはまだ病み上がりだ。君と戦うには不十分に過ぎる」


 カガールの横についた秘書の男が眉を寄せる。それだけ異様な発言だったということである。


「じゃあ治ったらすぐにでも――」

「君は正直で、とても好戦的なのだね」


「その通り、見てわかった。あんたは強い、そして“病み上がりには見えない”な」

「……それは君の眼が節穴なのだろう」


 メーディは違和感を得ていた。今も自分が通訳をしているのに関わらず、両者はそれを不要としているような。


「ふむ、やはりお前は他と違う。お前みたいなのは二人目だ」

「ほほう、私の他に。一人にでも出会って生きているとは、驚嘆すべきことだ」


「ならばお前も?」

「そういうことだ、だがこの話はあまりしたくない。するのならば二人きりがいい」


 そう言いながらカガールが目配せをした、秘書は渋い顔を覗かせながら引き上げていく。理もメーディに言い聞かせ外にやる。警備のものも居なくなり、部屋には二人だけとなった。


「それで?」

「私も詳しくは、なぜかは知らないが。時折こうして、別の世界から召喚される。あらゆる生き物、時には非生物も、そして全てに共通して言えるのは並ならぬ強者だということ」


「そう、それそれ。だからここに来たんだ」

「……やはり野蛮なのだな。人型だからもう少し理性を期待したのだが」


 聞こえているのか、カガールの言葉を無視して会話を続ける理。


「お前は過去にそういう奴と殺り合ったことは」

「三度、随分昔だがね。何れも辛勝、こうして生きているのは幸運に他ならない」


「あんたが強いからさ、幸運は強いやつにしか巡ってこない」

「それは良いことを聞いた、けれど聞くのが遅かったな」


「何故?」

「最早私には幸運が降りてくることは無いということさ」


 理の眉がピクリと動いた。


「何が言いたい」

「私はもう“戦わない”」


「戦えない、じゃないんだな」

「言葉の綾だ、何にせよ君の期待には応えられないよ」


見つめ合う二人。カガールの瞳の裏にあるものを理には読み取れない。しかし何か引っかかるものはある。

瞬間、カガールに何かが投擲された。それを難なく掴むカガール。入り口すぐに置いてあったペンだ。


「やっぱりやるじゃないか」

「恐ろしいな、沫や死ぬところだった」


「どうしてもやる気はないと」

「何度も言ったろう」


「……そうかい」






 外で待機していたメーディ達は、すぐ横の部屋で休憩を取っていた。勿論それは形だけで厳戒態勢に変わりはないのだが。

 出された水に口をつけながら時間が経つのを待つメーディ。内心は不安でいっぱいなのだが、それを口にすれば彼らは止めに入るだろう。そしてそれこそが危険なのだと分かっているから押し黙る。

 けれどもそれで尚安心できないのが理という男である。今にもカガールという男に喧嘩を吹っ掛け(既にしているが)殺し合いに発展するのではと思い気を悪くする。

だが予感は外れ、以外にも温和に話が終わったらしい。部屋の扉が開くと理がいた。


「帰るぞ」

『理さん?』


『もういいのですか?』

「“今”はな」


「じゃあまたな」

「私の話を聞いていたのかな?私は――」


 嗤う理。


「ああ、分かっているさ」

「……そうか」


 理にしては驚くほど静かな対応に不思議がるメーディ。だがそれはそれで良いと納得して付いていく。

 後を見るとカガールは微笑を浮かべて見送っている。それが何故かメーディには違和感を与えた。






 二人が出ていった後、秘書がカガールに話しかけようとした時。


「――、あ、あのカガール様?」

「……!どうしたのかね」


「い、いえこの後はどうしますか、と」

「ああ、やはりまだ優れない。休ませてもらう」


「そうですか……」

「……済まないな」


「そんな、今までの働きを考えれば寧ろ妥当かと」

「そうか、有難う。じゃあ下がってくれ」


 秘書が部屋を出る、そして辛うじて堪えた息を吐く。初めてだった、心優しき英雄カガールを“怖い”と思ったのは。


 部屋に佇むカガール。手には未だに理から投げられたペンが握られている。


「もう少し、そうしたらきっと……」


 見上げるのはニアンの街か、それとも。

 いつも澄ましたその顔は、いつになく強張っていた。

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