小さな村の変革

 海食いの亡骸の上で仰向けに倒れている理。規格外の戦いは理をもってしても深刻なダメージを拵えさせた。体中は酸液で焼け爛れ、限界を越えようかという力みは筋繊維をボロボロにさせた。

 回復のためには食事が良いのだが、流石に海食いの酸液だらけの死体は食べられない。頑張れば食べることも出来ようが、弱った体を回復させるために更に弱らせては本末転倒だ。

 なのでただ寝ていた。海食いは想像を絶する強さだった、正直デードルの槍がなくては危うかった。その槍は海食いを貫いた結果あちこちが溶けている。だが折れてはいない、それはデードルの意志の強さを写したようだった。

 この世界にはまだまだ強者がいるだろう、それを思うだけで胸が高鳴る。


 遠くから歩く音が聞こえる、見れば共に来た三人が駆け足で近づいてくる。片腕を失い海食いから落下したデードルも無事だったようだ。あの男は思いの外に骨のある男だった。前に睨んだだけで竦んだのを見て興味をなくしていたが、強さはともかく海食いに挑み、それを害せる武器を拵えたというのは驚きに値する。


『コトワリ、無事か』

「見ての通りだ、まだ歩くのはキツイがな。――あ痛たた……」


 なんとか体を起こしてみせるが、全身が軋む。


『それで済んでいることが凄いのだ、……そもそも倒したのが異常なのだが』

「その為に俺はここに来たんだ、負けてたまるかよ」

『ふふふ、そうですな。貴方は最初からそう言っていましたな』


 サーディナが一歩前に出て話しかけてくる。


『無礼を詫びさせて頂きたい』


 深々と頭を垂れるサーディナ。


「よせよせ。と言うよりも無礼なことってなんだよ。覚えがないぞ」

『貴方はそうかも知れませんが、私たちは皆、貴方を侮り、蔑んでいました。愚かな幻想を抱く者だと』


「それが違ったから、ってことか」

『はい。貴方は私達が及びもつかない超戦士でした。なのでお詫び申し上げます』


「詫びなんていらんよ。思うのは勝手だし、それをどう思ってもいない。俺はやりたいことをやるだけで、誰がどうとかは関係ないよ」

『正に、正に強者。この厳しい世界を生きるに相応しい精神。僅かでもあろうが私達も近づきたいものですな』


 話している間にも回復は進み、立ち上がるだけなら出来そうになったのでそうする。痛みを堪えて歩きだす。


『今後はどうされるつもりで?』

「まだ考えてない。ってかどこかに行きたいが当てがないから決まっていない」


『ならばもう少しだけ俺達の村に居てくれないか』

「別に構わないが、なんでだ?」


『そういうつもりは無いであろうが、俺達の村を救ってくれたのは他ならぬお前だ。海食いが死んだことで森も月日は掛かるだろうが再生していくだろう。その礼をさせて欲しい』

「他にもあるだろう?」


 面を食らったような顔をしたデードル、はにかんで言葉をつなぐ。


『……出来れば俺や、他の戦士にもっと強さを見せて欲しい。俺達の価値観、閉じた世界をぶち壊して欲しいんだ』

「まあいいだろう、安くはないぞ」


『どうすればいい』

「これがもう一本欲しいな」


 槍を見せる。するとデードルが困惑し、意を決したように残った腕に目をやる。


『いいだろう……』

「ははは」


『なんで笑う!』

「はははは、いや悪い」


 そう言ってデードルの横を通り過ぎた。


「冗談だ、その覚悟があれば十分だ」

『……――はは。敵わないな』


 共に歩き出した二人、その後を追うサーディナ。更にその後を進むメーディ。

 彼女がポツリと、誰にも聞こえぬ大きさで呟いた。


『……閉じた世界』






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 理の体力が戻らない間は足取りが芳しくなかったが、回復するに連れ、往路の速度に近づいていく。

 ここまでの旅路でお互いを少しは理解したが、それで会話が増えるわけではない。必要があったかは怪しいが疲弊した理に三人が気を使った面もある。

 そんな変わらぬ無言の道中で理は一人あることを思っていた。

 海食いを倒した、それは彼にとって大いに価値が有ること。だが労に見合った感動では無かった。何故か。海食いを倒したのは自身の実力のみでは無いからだ。

 デードルの槍もそうだが、何よりもそう思わせるのは海食いにあった『古傷』。あれは間違いなく何らかの理由により受けた傷跡だった。そしてどうしても気になったのが湖の端。そこは海食いの傷があったのと同じ方向。

 不自然に『抉れている』部分があった、まるで“あそこから飛んできた”様な。つまり何だ、あれを吹き飛ばせる、吹き飛ばしたとでもいうのか。あの傷がなかったら倒せていたか、認めたくはないが厳しかっただろう。

 いずれはそんな、弩級の存在と相まみえることもあるだろう。それ迄にはもっと力を、更に強さを。モチベーションがあるのは良いことだ、今までにはありもしなかった想像も出来ない強敵。その上を行く喜び。

そんなことを考えている内に体も動くようになっていった。






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『ぬうううぁあ!』

「なんだそりゃ」


 地面に転がるダーダー。彼の横には他にも戦士が十数名は倒れている。

 あれから三日。今日が約束していた滞在の最終日だ。その間にやったことといえばそれ程多くはない。寝て、食って、合間に村の戦士と戯れる。

 戯れるとは言ってもそれは理目線に過ぎないのだが。竜が兎と遊ぶようなもの、相手は文字通り必死の気持ちで挑んでいる。だがこれは三日目にしてこれだけの戦士が集まっているのだ。

つまり最初は殆どいなかった、ダーダー含む僅か三名。その中にはデードルも居るので実質二人。それ以外は未だ理を認めていない、理解できないでいた。

 どれほど説明を受けても腑に落ちない、言葉で聞くのと見るでは差が有りすぎるのが理由の一つではあるのだが。

 因みにダーダーともう一人、ダーダーと同じく年若い、リグーアという者。二人に共通して言えるのは理が海食いに挑む以前から彼に興味を、好感を抱いていたということ。

 それは彼らが外の人間への抵抗感が他の者より薄いからだ。自分が未だ一人前であるという自覚が足りないのと、心が成熟しきっていないが故の柔軟さ。そして何より興味。

 尊敬して止まないデードルが認めているという事実はこの二人にとっては決して軽んじられぬ事である。それは他の戦士にも言えるのだが、だからといって教えを請うのは簡単に出来なかった。年月を経た自尊心は生半に曲げられるものでは無いのだ。

 それを打ち破ったのはデードルだった。正確に言えば理と戦うデードルの姿にである。


 片腕を失ったとは言え依然この村では頂点に立つ男が、まるで子供のよう。それ以上の差がある様子に多くが狼狽えた。当然それより遥かに劣る若者二人は歯牙にも掛けられぬ有様であったが。それでも三人はへこたれなかった。二人はデードルに触発された部分もあるが。なにせそれだけデードルの執念は凄まじかった。地力の差に加え片腕のハンデ、それに一切の言い訳もなく倒れては立ち上がる。

 誰も見たことのないデードルの姿に皆がなにかを感じ取った。これがあるべき姿、今までの自らを恥じる程の強烈な出来事。

 それから一人、また一人と参戦する者が増えていった。今では殆どの戦士が挑んでは地に伏している。

 理にしてみれば退屈なものではあるが、それでも約束を反故にする真似は主義に反するので仕方なくといったところ。思いの外に相手が多かったのは予想外だが。

 負傷はとうに治っている、寧ろより強度が増した感触。力一杯暴れたことで力の天井を突き破ったのだろう。こうして今まで力を付けてきたのだ、ここに来て漸く見合った相手が現れたことで鈍っていた成長速度が戻った。


「――これで全員か、結局俺に触れたのはお前だけだったな」

『……マグレに近いがな』


 デードルが理に挑み、攻撃を当てることが出来たのは一度きり。ごく一瞬動きが鈍った理に、ありったけの力で掛かってやっと一撃。それも肩に掠ったに過ぎない。


「俺に触れるのはマグレじゃ出来ねえよ、実際ここ何年も拳を食らったことなんか無かったからな」

『それは嬉しいような、悔しさを感じるべきなのか悩むな』


「誇っていいぞ、俺に攻撃を当てられる。それだけで大したもんさ」

『本当に……、お前でなければ吐けない。冗談にもならないような台詞だな』


 内心ではデードルは喜んでいた、理の強さを知った今となっては。そして攻撃を当てられたのは間違いなく成長の証だから。


『だが今日で出発か』

「そうだ、宛も出来たしな」


 目的地はサーディナから聞いた場所、元々は彼らが移住の選択肢に上がっていた場所。話にはそこに他の人間種族の集落があるという。ただ人間種というだけで共住を出来るほどこの世界は優しくない。皆、明日を生きるのに必死なのだ。

 なので候補の中では下の方に位置していた場所だ、それでも他の場所よりは何かがある可能性が高い。なにせ彼らが望むのは豊かな自然なのだから、当然脅威の少ない場所を願う。

 実際に行ってみるまでは分からないが、期待できるのは人里。そこから情報を得られる出来るかもしれない。


「それで、この三日でなにか変わったか?」

『そう簡単に変わるようなものでもないけれどな、俺達が長年掛けて固めた価値観ってのは。それでも何人かは思う所がありそうだ。今はそれでいい』


「それはよかったな。じゃあ出発の準備、つっても溜めた食い物を取りに行くだけどな」

『見送りに行くよ、要らん世話だろうがな』






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「――本気で言っているのかい、メーディ」

「はい。どうかお願い申し上げます」


 元老院の集会場、今日は定期的な会合があったので全員が集まっている。そこにメーディが現れてある陳情をしに来たのだ。


「ふむ。あの男に付いて、ねえ。正気の沙汰じゃあ無いと思うけれど」

「ムジャーサ様。その通りです、私はあの人に當てられたのだと思います。あの人と、立ち向かった生き物のあまりの大きさに」


「そう思うのならば考え直したらどうだい、きっと巻き込まれて死んでしまうのがオチよ」

「そうかも知れません。けれどそれでは何時までも我々は前に進めないと思います」


 メーディの赤い瞳の眼差しは澄んでおり、遠くを見るようだった。


「……デードルもここに帰ってきてからそんなことを言っているらしいね、でしょう?サーディナ殿」

「そうとも。――私も何度となく言っているがね」


「それ程までの出来事、光景だったと」

「そうです。あれは私達が知る由もなかった、そしてもしかしたら未来に待ち受けていた脅威であるかも知れないのです」


「確かに私たちはいずれここを発っていた、今も未来は不透明ではあるけれど。ですがそれ程の、海食いに匹敵するようなものが、世にはあるのだと?」

「それを確かめたいのです。これは私の願いでもありますが、我々が立ち向かわねばならない世界の事実なのです。宛もなく流浪するということの恐ろしさ」


 ムジャーサが他の面々を見る。サーディナ以外は諦めたような表情、――おそらく自分も似たような顔をしているのだろう。


「……わかりました、神官は替えの効かない村の宝です。ですが貴方一人分の仕事を埋めることは出来るでしょう。貴方の身は自身で守りなさい、私達はここから無事を祈りましょう」

「有難うございます」


 頃合いを見ていたサーディナが口を開いた。


「つかぬ事を聞くが、メーディ。そもそも理殿には許可を得たのかね?」

「――それが最初の挑むべき難題でしょう」


 そう言うメーディは少し震えていた。






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「いやだ」

「そこを何とか」


 村をいざ出ようとした時に駆けてきた彼女が俺に同行を願い出た。当然断ったのだが、意思が固く諦める様子はない。そして一つだけ、彼が決めきれない理由があった。


『必ず私の『助け』が必要となって来ることがあるでしょう』

「……」


 『助け』とは彼女の、この村の神官が有する『力』精霊を介し万象に語りかける能力。

 その中でも彼が魅力を感じてしまうのが『通訳』だ。今実際に言葉の分からぬ彼らとのコミュニケーションを成立させているのは他ならぬ彼女の力によるものだ。


『あなたはこの世界に強い魅力を感じていますでしょう?その中には見知らぬ人間種や生き物がいるでしょう』

「それは……」


『私がいれば『可能』です、人間でなくとも知性があれば他の生命体、植物ともの対話を成立させて見せましょう』

「ぐぬぅ」


 いかん、押されている。仕方がない、それだけ彼女の存在は大きい。彼女の言うとおり俺はこの世界に興味が、魅力を感じて止まない。生き物との交流もその中にはある、その際に話せるというのは便利といえば便利だ。


 言葉を持たぬ者とも会話ができるのも大きい、俺のこの世界への魅力を持っていることをこいつが知っているのは、この能力には言葉と同時にある程度の感情の読み取りができることに由来する。


『最早答えは出ていますでしょう、人を寄せ付けぬ貴方が“悩んでいる”のがなによりそのことを示しています』

「うぬぅ……!」


 そしてこいつは頭が良い。俺は決して知能に関しては極めて優れているわけではない、戦闘に関しては経験と勘でやっていけるがそれ以外の交渉などは文字通り『力任せ』しか出来ない。

 しかし答えが出ているとは言ったが一つ、避けては通れない大きな、大きすぎる問題がある。


「お前は『弱すぎる』役に立つ以上守ってはやるがこの世界に俺と互角、果ては遥かに勝る存在がいるだろう。そうなったら悪いが見捨てる、というより守らん、守れん、守る気がない。そこまでお前が大事なわけじゃない、なんなら同じことができるやつもいるだろう」

『それは都合の良い推測です、そして私には自衛の手段があります』


 精霊を繰る。それがメーディの、この村の神官が持つ能力。それはあらゆる場面に適応できる万能さを持つ。火を操り水を動かす。限度はあるが優れた能力ではあるだろう。


「確かに適応力はあるかも知れんが、そんなものがいつもどこででも通用する訳がないだろう」

『そうなれば見捨ててくださって構いません、私もあなたと同様に世界が見たいのです。その結果世界に敗れるのであれば本望です』


 強い、一歩も引く気がない。想像以上に頑固で、意志が固い。この村の女はこれが普通なのだろうか、少しだけ現実逃避をしてしまう。


「……お前の有用性は理解した、その頑固さもある種の尊敬すら覚える。だが何故だ?お前は寧ろ俺を煙たがっていたように見えたが」

『……気づいていたのですか』


「心は読めても自分の顔は見れないわな、どう見ても嫌々だったろう」

『正直に申し上げますと、今も貴方が怖いです。強さも、その異常とも言える真っ直ぐな精神に。心の形が分かるからこそ、それがどれだけ強固なものかが分かるのです』


「それで?」

『だからこそ、その力が作る轍を歩きたいのです。……弱い私にはそれしか出来ませんから』


 ため息を吐く理。お荷物は間違いないのだが、何時でも切り捨てて良いと言うのだからその通りにすればいいか。


「わかーかった。わかった。勝手にしろ」

『有難うございます!――今荷物を取ってきます、少しだけ待っていて下さい!』


 走り去っていくメーディ。その後姿は年相応の、いつもの大人びた様子とは違う。それに一抹の不安、早まったかとも思う理。だが男に二言はない。

 





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 メーディを引き連れて村を起った理を、見えなくなるまで立っていたデードル。やがてすっかり見えなくなったのを確認すると翻って村に戻る。するとサーディナが進路上に立っていた。


「何の用だ、爺。あいつはもう居ないぞ」

「いいや、私はお前の顔を見に来たんだ」


「……」

「変わった、違うな。『戻った』と言ったほうがいいか。昔の、愚直だったお前に」


「失礼な。あの時とは違う」

「ほう?」


 空を見上げるデードル。


「確かに、俺は驕っていた。そして怠惰を拵えていた、今はそれが無くなった。そして新しく、手に入れたものがある」

「それは?」


「――夢だ」

「夢?」

 

「ああ。俺は強い、これからもっと強くなりたい。だが今はそれよりもこの村をより強固な集団にしたい。それが今の夢だ」

「だから守護神官の任を」


守護神官とは村を守る要として部隊を率いるだけではなく、日頃からの警備体制などを元老院と議論する要職である。相応の強さと実績を求められ、度々空席になっている。デードルは前々から推薦を受けていたが、面倒の一言で躱し続けていた。


「そう。また海食いのような脅威が現れた時、もう理はいない。我々の力のみで退けなくてはいけない」

「そうだね」


「俺が理に憧れた気持ち、それはきっと村の皆が俺に向ける思いと同じなのだろう。それを背負うものとして、相応しい姿を見せたいんだ」

「本当に、別人のようだね。期待しているよ、我らが誇り、デードルよ」


世界から見れば小さい、あまりに小さい一介の集落だが、そこにはある男の出会いを通し確かな『変化』があった。


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