海食い

 枯れ木が並ぶ森を歩き始めて数時間。地球とは一日の長さは大きく変わらないようだ。厳密には変わるのだろうが、時間感覚が狂わないのは楽でいい。

 行程は順調。順調すぎて退屈なほどだ。偶に通りかかる小動物を捕まえて食べたりはするが、それでは退屈凌ぎにもならない。

 なので暇がてら、少し気になっていたこいつらの生体。生活を聞いてみる。


「お前たちはどうやって子供を作るんだ?」

『な、何を唐突に!』

『メーディ。女の子、それも神官がそう声を荒げてはいけないよ』


 初心なメーディを窘めたサーディナが説明をする。


『我々はある時期になると女性が花を咲かせる。胸に、黄色い花だ。それを男が自分の蔦を絡めて『受粉』させる。そうして出来た種が胸の中で育ちやがて子になる』

『お前はどうやって?』


「あれと一緒だ」


 指差したのは遠くの木の上にいた動物。初めて見る生物だがどことなく猿っぽい。

 茶色い長い毛が全身を隠し、手足に長い爪があり尻尾が棘のように尖っている。

 それが二匹いるのだが、どうにも雌雄らしく『致している』。


『はあ!?』


 デードルが大声を上げたせいでこちらに気がついた、随分熱心だったようで怒りも一入と言った所だ。


『拙い、クグルパイオン。群れで行動する奴らだ。繁殖活動、をしていたようだが。恐らく近くに仲間が……!』

『デードル、迂闊だったね』

「来ているな」


『どうする、サーディナ様は逃げられますか?』

『逃げる必要はあるのかい?』


 デードルがサーディナに聞く。冷静な時は礼儀を守る男のようだ。サーディナは俺に訪ねた。間を置かずに答える。


「必要ない、すぐ終わる」

『……なら俺もやる』


「勝手にしろ、だが本当にすぐ終わるぞ」

『十数はおりますが……』


 メーディの言葉を置き去りにして駆け出す。数は多いが、どうみても雑魚だ。

 遊びがてらに時間を掛けてもいいが、大して面白くは無さそうだ。前菜。海食いの前の準備運動。肩慣らしにするとしよう。

 折角ギャラリーも居るのだからここは派手に、先ずは動きを止める。

息を吸い込んで――。




「――――――――!!」




『きゃっ!』

『むぅ……』

『……な!?』


 轟音、単に咆えただけなのだが。威圧目的だから気は込めない。そして想定通り猿どもが動きを止めた。ついでに後ろの三人も固まっている。

 走り木に近づく。幹の太さは一メートル、上には十メートルといったところ。根本を蹴ってへし折る。そのまま無理やり引きちぎって抱える。そして振りかぶり、やり投げのような構えから放り投げる。

 狙い誤らずに木々の間を飛んでいく。高速で投げられた木は通過する際にいる猿を吹き飛ばす。そして奥にいる一匹、最も体躯の優れる個体に直撃した。

 残された猿に向けて嗤い掛ける。


「……まだやるか?」

「ギギギ、グギギ……」


 唸り声を上げて威嚇している、だが俺が大袈裟に一歩足を前に出すと一目散に逃げ出した。


「ふん」

『なんという……』

『ふふ……』

『……』


 三者三様の反応。サーディナは年の功か動揺を見せず、デードルは無言で飛んだ木で抉られ出来た道を見つめていた。メーディの驚き方は普通。




 その後も順調な旅路で行程の三分の二を進み、野営することになった。

 焚き火を囲み夕飯……を取るのは俺一人。他三人は何も食べない、基本光を浴びればいいとか。羨ましいが、食の楽しみを失うのは悩みどころだ。

 団欒とは程遠い静かな空気が流れる。俺も、サーディナやデードルも無口なのでそうなる。メーディはその空気の中でおさまりが悪そうに小さくなっている。

 やがて俺以外は寝入り、一人で炎を見つめていた。


 帳が落ちきり俺は木の上にいた。夜目は効くが周囲に何かがいる様子はない。焚き火をしたがそのために必要な『薪』は簡単に拾えた。湖に近づくほどに森はやせ細っていく。自然と生き物も離れていったのだろう。

 サーディナも想像以上に深刻化していることに驚きを隠せないでいた。

 海食いに思い馳せ朝日、朝の光が太くなるまで瞑想して過ごした。




 デードルは眠りに就けないでいた。今日見たコトワリの姿、あれは自分が目指す姿に酷似していた。

 そう、憧れてしまった。それが悔しくて堪らなかった。そして歯噛みしながら横たわる。パイオンの群れをああも容易く、しかも一瞬でボスを見極めそして屠った。判断力、そして途方もない力。

 戦士に求められる全てを、あの男は備えているように見えた。

 海食いに挑む。考えたことも、出来るとも思ったことがない。

 明日には湖に着く。その時にどうするべきか、自分に何が出来るのか……。朝になるまでにその答えは出なかった。


 あくる日にいよいよ海食いが待つ湖へ向かう。件の湖をこいつらは『紅い湖』と呼んでいる。余りに澄んだ湖面は夕暮れに真っ赤に染まる様から、そのまま紅い湖と言われる。捻りはないが名前なんてそんなものか。

 そうして漸く、思いの外近かったが。湖に到着した。サーディナが想像以上にピンピンしていたので足を引っ張られることもなかった。こいつらは総じて丈夫な奴らのようだ。

 で、湖なのだが……。


「……どこが湖よ。『水溜り』だろ」

『そんな、馬鹿な……』


 サーディナが崩れ落ちた。思い描いていたよりも遥かに悪い状況に愕然としたのだろう。

 だがこれはどう見ても湖ではない。中央に真っ黒い大きな岩があり、その足元に僅かに水が残っているばかりだ。詰まるところ枯れかけている。いやこれはもう枯れていると言っていいだろう。

 不思議なのは今まで水があったろうに、魚の死骸一つ見当たらない所だ。


「海食いはどこだよ」

『あ、おい!そんな無造作に……』

『――いけない、離れてください!』


 俺達は湖の縁に立っていたが、そこから俺が進んだ時に足元が動いた。同時にメーディが叫んだがすでに遅い。


「おお!?」

『な、なんだ!?』

『ああ……、この威容。これぞ正に!』

『サーディナ様、これが?』


『そう、これが海食い!』


 足元から現れた、水を含む柔らかい足場を割って出てきたのは『足』。触手とも呼ぶべきか、それは中央の岩から伸びていた。

 つまりこの湖の三分の一どころでは無いのだ、海食いはこの湖全域に根を張っていた。そこから水や、命を吸い上げていたのだ!


「凄え、これが生き物だってのか……。ははは」


 足が震える、顔のあちこちが引く付く。これが話に聞く武者震いというやつか。


「ははは!すっげえ、驚かせてくれたな海食い!次はおれの番だ、行くぞ!」


 駆け出す、全速力だ。最初から全力で当たる、それだけの威圧感。期待が胸を駆け巡っていた。

 太く長い触手の合間を縫って走る。触手だというのに一本が小山のように大きい。遠目に見たから、先端だったからそれだとわかったが最初から露出していたらわからなかっただろう。

 それに見合った本体の大きさ。岩だと思ったが、それも山の如き大きさ。成る程、神と思うのも無理はない。

 だが触れる、存在する。つまり神を『殴れる』。それだけでも心が躍る。


 しかし途中で触手が動いた。僅かに横に動いただけで地鳴りのような音がする。大きさのあまり測り間違えそうになるが恐ろしく早い。体に衝突したが正に山にぶち当たったような衝撃。

 触手の間は影が多く暗い。その地べたを転げた。海鳴りはこちらに気が付いてもいないだろう。ただ普通に身じろぎしただけ、相手にされるとかそういう次元ではない。


「おっかしいなあ、俺が羽虫のようだ」


 触手の上に跳び乗る、とは言っても一飛びとはいかないのでよじ登る。登りきると流石に見晴らしが良い。元は湖というだけ有って中央に向けて深くなっている。だのに胴体が一番高い場所にあるのだから可笑しな話だ。

 上にいれば触手に邪魔されることもない。ここに来るまでは水中戦を覚悟していたがこれは僥倖。

 中央の本体に辿り着いたので飛び掛かり殴りつけた。クレーターの様に拳を中心に凹む。しかし跳ね返される、硬いゴムを叩いたような感触。胴は山のよう、つまり饅頭のような形なので走って登る。ヒトデに近いザラザラした表皮、これを闇雲に叩いても日が暮れるばかりだろう。

 山を登りかけた途中で腰を落として手刀の形で手を突き刺す。そこから引き裂こうと両腕に力を入れる、筋肉が強張り震え、海食いの肉がミチミチと音を立て徐々に広がる。全体から見れば僅かな穴に過ぎないがここから内部に攻撃を加えればマシなダメージを与えられるだろう。内蔵を見つけられれば勝ちも見えてくる。

 その時穴の奥から音がした気がした、呼吸したような空気の出入りを感じる。まさかと思った瞬間に目の前が闇に覆われ、次の瞬間俺は宙を舞っていた。

 体液、黒い液体が噴射され吹き飛ばされた。酸性の体液が皮膚を焼く、それ自体は大したものではない。少しすれば回復する……がとにかく離された。そしてこれが有っては体内への侵入は困難といえる。

 触手の上に着地し考える、次の手を。そして思いついた、その為に一度戻る必要がある。




 デードル他二人はぼうっと見つめていた。触手の間に入っていく理を見送った後少し離れた場所。見下ろせる場所で戦いを見守っていた。

 やはりと言うべきか、あまりの大きさに何も出来ないでいる理。デードルが鼻を鳴らす。


「そりゃそうだ、こうなるに決まっている」

「嬉しそうだね、デードル」


 取り繕うかのように捲し立てるデードル。


「違う、ただ事実を言っただけだ。あれはやはり人智の及ぶものではない、それを再確認しただけに過ぎない。あいつは確かに途轍もない強さだ、だがそれも生き物の範疇。神には敵わない」

「神ね、メーディ。君はどう思う」


「神の如き威容。ですがあれは生命です、信じられませんが……」

「コトワリ殿は勝てると思うかね」


 サーディナはデードルではなくメーディに聞いた。


「無理です。神そのものではなくともそう思わせるだけの存在には違いありません。デードル様の仰る通り人智の及ぶところではないかと」

「そうかい」


「あんたは違うと?」

「ふふ、お前は気を抜くとすぐに地が出るね。さて、どうだか。けれどあの男はこのままでは終わらないだろうとは思っているよ」


 そう話していると理が逆走、こちらに向かってきた。


「諦めたか、やはり……」


 しかし理は彼らを通り過ぎ、走り去っていく。


「な、おい待て!どこに……!」


 すっかり見えなくなり、どうしたものかと顔を見合わせた三人だがやや暫くすると森の方から轟音が響いた。

 枯れた木の折れる音、それが無数に響き小動物が逃げ出してきた。


「あいつは何をしている……!」

「森が!」


 メーディも悲鳴を上げる。

 やがて音が止むと再び現れた理は丸太を持ってきた、行ったり来たりを繰り返し数十の丸太が積み上げられた。


「よし」

『よし、ではない!森をどうしてくれる』


「いいじゃねえかどうせ後は枯れるだけだろう」

『それはそうかもしれないが……!』


「でもいい木だ。枯れてるってのにしっかりしてる、これなら充分保つだろう」

『保つ?それで何をする気だ、まさかとは思うが』


 理は一本を小脇に抱えた。サイズで言うと収まってはいないが、殆ど握力で持っている。

 質問を受けたが、キョトンとして答える。


「見りゃ分かるだろ。まあ、これからやれば更にはっきりするだろうさ」


 そう言い残し走り出す、目指すは当然海食いの方向。最初と同じく楽しげに駆ける理。


「よっしゃあ、待っていろ。先ずは一本目!」


 両手に抱え、跳躍する。今いる場所は触手の根本付近。そのまま落下しその速度に腕力を加え、触手に突き刺した。深々と突き刺さり、隙間から黒い液体が漏れ出す。直ぐに木は溶け出した。


「いかんいかん、急がないと」


Uターンして戻り、次の一本を取りに行く。そして着いたら再び丸太を手に取るとまた駆け出す。今度は両手に一本ずつ持っていく。

そして先程刺した木は溶けているが、穴は塞がっていない。その穴を広げるように二本とも差し込んだ。そのまま梃子を利用し穴を広げる。溶けるよりも先に肉が裂ける、溶解液によりどんどん細くなるのでまた戻り追加の丸太を用意する。

 その様子を三人はただ見ていた、驚愕に目を見開きながら。


「そんな乱暴な方法で、海食いが倒せると思っているのか!?」

「けれど彼は出来ると確信しているようだね」

「愚かです、足を一本取っただけでどうなると……」


「足一本、それだけでも驚嘆すべきことではあると私は思うけれどね」

「それは、そうですが……」


 そうして繰り返すこと十数回目、感覚を開けて差し込まれた丸太により割れ目は確実に広がっていた。理は丸太の中でも特に太い一本を持ってきて、それを突き刺し飛び上がった。


「どおりゃ!」


 上から乗っかるように踏みつける。ほぼ埋まるように刺さった丸太、そこに更に跳び乗る。体ごとめり込み、そのまま両手で肉を押し開いた。

 締まった肉は千切れること無く割れていく、体液により全身、特に腕が焼き付くが気にもせず押し続ける。小山の如き触手に大きな裂け目が現れた。

 そこで抜け出し、触手の先へと向かう。先端を両腕でしっかりと抱え引っ張る。


「馬鹿な!あの巨大な足を、まさか!」

「とんでもない、わかっていたけれどここまでとはね」

「……そんな」


 触手は持ち上がり、徐々に理の足が下がる。手には変わらず握りしめたまま、つまり触手は千切れそうになっているのだ。


「んぐぐ……、んぐああ!」


 ゴゴゴと、生き物が出したとは思えない音がし触手が大きく跳ねた。そのまま後ろに振りかぶった理に合わせて触手が宙に浮いた。


「おりゃああ!」


 逆方向に傾いた触手が降り注ぐ。大地を割るかのように地面を砕きながら打ち付けられた。地震が起きデードル達がたじろぐ。


「まさか……、まさか!信じられん!」

「夢じゃない、本当にとんでもないね」




 理が笑いながら咆えた。


「おっしゃあ!“先ずは”一本!次行くぞおおぁ!」


 デードルが膝をついた。


「ははは、なんてことだよ」

「どうするのだい、デードル」


 サーディナの言葉に顔を上げるデードル。


「どういうことだ」

「ここでこのまま見ていていいのかい、と聞いたのさ」


 唖然とした後、顔を下げたデードル。


「馬鹿な、あんなこと俺には……」

「そうだね、あれは出来ないだろうよ。けれどそれでいいのかい?お前の戦士の誇りはそんなものだと?」

「どうしろと!俺に!」


「それはお前が考えるべきことさ」

「俺に……、なにが?」

「デードル様……」




 デードルが考え耽る中、理が二本目の触手を引き千切った。その時海食いの胴体にぐるりと付いている黒光りした丸い部分。

 理はそれと『目が合った』のを感じた。


「……漸く、お前との戦いが始められるってことかな?」






 あれ程の巨躯を駆る海食い。見た目こそヒトデのような生物ではあるが、それは『知能』は宿しているのだろうか。それを理はここから知ることになる。


「それじゃあいよいよ……、行くぞ!」


 走り出す理、触手を二本千切ったことで視界は良好。千切れた部分からは体液が漏れ出し地面に溜まっている。

 マグマがあるようにグツグツと泡を立てているが、それ以上は何もない。

 武器は変わらず丸太。刺した部分を中心に体内の致命的な部分を目指す。場合によっては侵入も試みるつもりだ。あれだけの巨体、内臓も見合った大きさなれば人一人が入るなど容易。寧ろそれなりに大きな部屋があることも予想できる。

 当然そこにはあの体液も満ちているだろうが。


 走りやすい分足取りも速い。しかし……。


「むっ!」


 横にステップする。今までいた場所の土が弾けた、数十センチ円状に穴が空いていた。原因は明らか、そこもまたマグマのように沸騰していたのだから。つまり海食いの体液が飛んできたのだ。

 しかしその飛んできた液体を理は見切ったわけではない、直感。危機感を信じて動いたのだ、こういう一瞬の判断が求められる局面において直感ほど頼りになるものはない。だから無事に躱せただけであって、それを見れてはいない。

 つまりその速度は理にも見えないほど。脅威でしか無い。


「あそこか」


 目と同様に体の周囲に付いている穴。吸気口にも見えるが、そこからは体液が垂れている。それは全て僅かに動いている、何時でも飛ばせるということか。


「だが止まっていてもしょうがねえ」


 走るのを再開した、頭部を丸太で隠し進む。一応左右に曲がりながら走る。だがまた液体が、今度はバシュッという音も聞こえた。丸太に力を込める、先の方。横に抱えている丸太の右先に衝撃が奔った。

 その衝撃自体も中々のもので動きが止まる、そこにもう一度発射音が。


「拙い!」


 丸太を捨てて潜るように前に跳ぶ、二回丸太に連続で当たる音がして独特の刺激臭が漂った。だがまた止まっては同じことの繰り返し、しかも今は盾になるものもない。

 射角の取れない間近まで行かなくては、まだ距離はあるが丸太を抱えない分先よりは幾分速い。

 全力の走り、音速に近づこうかというスピードだが液体の射出音と共に地面を焼く音がする。躱しているという気もしないが運がいいのか、または勘が当たっているのか。

 ともかく何とか接近に成功した、撥ねた液で少々火傷もしたがそれはすでに治りかけている。とはいえ武器は失った、しかし再び取りに行くのは難しい。

 こうなれば予定を変更し、中には入れるような部分。つまり口などに当たる器官を探す。

 そうなるとまた跳び乗ることになる、今度は迂闊に手を出さなければ良いだろう。そうして側面に手を掛けて這い登る。山の如き斜面を歩く、すると目と思われる黒い部分を見つけた。通り過ぎようとした時にギョロリと目が動き、こちらを見た。

 拙いと思い離れようとした時に上の方から液体が滲んでいるのが見えた。それは体を流れ落ち、津波のように襲ってきた。跳躍して逃れた所に体液の発射口、それは上方にも付いておりそこから飛んできた。


「づあっ」


 避けられない状態で、体を覆う腕に掛かった。焼け爛れるが、一度なら耐えられる。しかしそれは淡い期待でしか無い。着地した場所からも体液が滲む、最早猶予はない。一刻も早く口を見つけなくては。最悪は見つからない、つまり『裏側』に付いていることだが。

 考えても仕方がない、今はその時間も惜しい。

 目を凝らして探し回る。その間も体液に見舞われるがダメージ覚悟で突き進む、それが却って被害を抑えることになった。そしてこれまでと違う部分を見つけた。


「排水口、というか吐出口?」


 今まで酸液が出ていた穴は30センチ程であったがこれは一メートル以上もある。そこからは泥や草木、要するにゴミが垂れていた。

 中は暗いが奥に入れそうだ、そこが何に繋がっているかはわからないがこれに賭けるしか無い。

 中に入ると足元にはそのゴミが堆積しており走り辛い、だが屈めば走れるだけの大きさだったのは幸いである。そして曲りくねってはいるが構造は単純で一本道と迷うこともない。

 しかし走れば走るほど、つまり奥に行くほどに悪臭が漂う。光は少なく見通しは悪い、だがそれはまだ良い。夜目は人間離れしている。けれどもこの臭いは堪える。

 先が広くなり、そこから更に進むと広い空間に出た。


「とんでもない広さだな、あの村が丸ごと入りそうだ」


 中は広大という言葉では足りない、凡そ生き物の中とは思えない。言った通り街が丸ごと入りそうな広さ、そこには海食いが摂取した、食べた生き物や水が溢れかえっていた。


「うぐっ、この臭い……。息をするのも厳しいな。早いとこ何か、弱点でも見つけねえと……」


 海食いの『ゲロ』とでも言うべきか。それは中央の下にある大きな穴から湧き上がっている、地面から吸い上げているのだろう。しかし内臓というような器官、部分は見当たらない。簡易な構造、故に弱点らしいものは無いようだ。


「そうなると、正攻法しかないって訳な……。いいさ、それも。気長にやってやるよ」


 飛び上がり反対側の体壁に殴り掛かる。外側と同じゴム質だがそれよりもやや柔らかい、殴った場所から液体を噴出させて肉が抉れた。だが有効な攻撃とは思えない、その時下に、ゲロが溜まっている辺りの横面に管が見えた。あれは栄養を送り届けるものだろうか。

 下に落ちないようにしながら飛びついた、横面にしがみつき片手で管を千切った。そこからも液体が溢れ出し、同時に中が大きく揺れた。

 危うく飛び退き、また排気口に戻る。


「おお、痛がってやがるな。こりゃあいい」


 しかし、それとは別にある穴から突如として大量の液体。酸液が流れ出した、それは内蔵物を瞬時に溶かしながら迫り上がってくる。


「はは、焦ってやがんのか?ならこれはどうだよ」


 爪を立てて側面に飛び掛かり思い切り腕を振る。爪の数と同じだけ切り傷が出来た、それは爪の大きさとは大きく離れた広い切り口。理の腕力を持ってすればの威力だ。そこに酸液が触れた時肉が焼ける音と悪臭があがった。

 再び大きく揺れた、先程よりも大きな揺れ。肉が締まる音が、ミチミチという音。大きすぎて唸り声にすら聞こえる。

 痛々しくなった傷口を更に抉る。どんどん傷は広がりその度に自分の体液で傷を広げる海食い。


「これだけ弱ればいけるだろ……。ほっ!」


 一度後ろに飛び、そこにあった体壁を蹴ってまた傷口に。今度は殴り掛かる。全力の殴打、壁を吹き飛ばすほどの。

 破裂音、ブアアという音とともに一瞬外の景色が見えた。僅かな時間だが新鮮な空気が入り込み、隙かさず吸い込む。またすぐ塞がるが、拳大ほどの小さな穴は残った。


「ここだ、ここから抉る!」


 縦に入った大きな傷口を下方向に引き裂く、内側には体液は然程多くない。身を守るものだからか、ともかくメリメリと肉が裂ける。しかし理の背後から迫るものがある。


「なっ!」


 躱したが躱しきれず、右腕を『喰われた』。長い管の先に歯がついている、丸い管の中を巻いて付いている歯は棘が多くまた口も広い。人間を一飲に出来そうなサイズだ。太さもそれに見合った、外の触手よりは随分と小さいがそれでも太さは数メートル以上ある。

 それは下から幾本も登ってきてその全てがこちらを向いている。推測だがこれは海食いの巨体ゆえに生じる『内害』――つまり俺のような者――へ対処する機能ではないか。だとしたらこれは高度に操られている。明らかにこちらを観察し、柔軟に反応している。ただ反射で動いているようには見えない。

 海食いの脳、或いは内蔵自体に思考能力があるか。それでコントロールしているのかもしれない。

 ここにきてそういった対応をし始めたということは……。


「ははは!奴さんも焦ってやがんのかな?いいぜ、来やがれ!」


 別の一本が襲いかかるのを跳んで躱した所にもう一本、まだ右腕は回復していない。左手一本で端を掴んで受け止めるが勢いを殺せず壁に叩きつけられる。


「がっ!」


 足を口の下部に掛けて縦に開く。ブチブチと切れていく触手、その上からまた触手が迫りくる。逃げ回る中であることに気がつく。


「なんで急に焦りだしたんだ、こいつ?」


 なんとか攻撃を潜り抜けながら、先程の傷口をよく観察する。そして一つ他と違う事に気がつく。


「あそこ……、下から亀裂が入っている?」


 その割れた傷からやや下の方から枝分かれするように溝が見て取れた。明らかに他と違う。生物の構造的欠陥?この海食いの弱点か?

 賭けるだけの価値はあるかもしれない。そう決心した理がそちらに向かうと明らかに触手が先程よりも速く動き出した。

 傷口に体を埋め込むように乗っかると、そのまましゃがみ込んで割れた肉を再生した両腕で掴んで左右に引っ張る。後ろから触手が食いつくが、狭いのも有って表面にしか食いつけない。理も痛みを堪え全身に力を込める、触手も簡単には食い千切れぬほど収縮した筋肉。

 それは腕にも込められており傷口が大きく広がる。勢い良く左右に腕を開くと下の亀裂に沿って大きく割れた。

 手応えが変わる、スムーズに肉が開く。古傷の類にも思える、それがどういったことを意味するか。今は考えている余裕はない。

 相当広がった傷口、そこでトドメに上から殴りつけたい。その為には触手が邪魔だ。


「おおし!ここが勝負どころだ、気合入れろよ海食いぃ!」


 触手に向かって走る理、当然襲いかかる触手の近くにある一本を受け止める。そのまま引っ張る。海食いの足を千切れる力だ。それよりも遥かに小さい――それでも充分大きいが――を千切るなど理には余裕でできる。

 千切って投げ捨てた所に今度は二本同時に掛かってくる。腕を一本ずつ器用に食いつかれるが今度は容易く食い千切らせない。四肢を踏ん張り耐える。


「力比べだ……!行くぞおぉ!」


 決して離さない触手をそのまま引き寄せ本体と引き離すことに成功する。

 そうして時に五体を裂かれながらも全ての触手を壊し尽くす理、それも容易いことではない。彼の今できるありったけを振り絞り漸く可能なこと。

 しかしそれが嬉しい、全力を奮える相手がいることが楽しくて仕方がない。

 

触手を全滅させる頃には外の日は暮れ、次の日になっていた。






 デードル達は海食いを遠巻きに見られる所で一晩を明かし、また見つめていた。デードルとサーディナは理が死んだのではと思ったが、メーディが生きていると言い張るので様子を見続けることになった。

 触手が千切れて以来ずっと変化の無かった海食いだが、夜半に二度、大きく唸り声のような音を出した。それ以降はまたトンと黙りこくっていたのだが、また変化が。今度は前よりも更に大きく唸り、触手をバタつかせ始めた。

 それは地面を大きく唸らせ大地震を起こす。木々はざわめき生き物は騒ぎ立てる。地面は大きく隆起する場所もある。


「なんと……!」

「なんだ!なにが起こっている!?」

「海食いが……!叫んでいます!『恐怖』によって!」


 メーディの言葉にデードルとサーディナが驚愕する。


「恐怖!?恐怖と言ったのか!何に、まさかあの男にだと!?」

「神を恐怖させるというのか、あの理という者は……」

「私にも、信じられません……。でも確かに」


 デードルがあることに気がつく。


「あっちだ!向こうから声がする!」


 今いる場所の向こう。湖の反対側を指差すデードル、そこに走り出した。二人も追って走り出す。

 湖の外周は長く、地球人と比べ高い身体能力を持っている彼らであっても、ニ時間はかかった。凡そ四、五十キロ。漸く辿り着くと、そこには海食いの体に大きな割れ目が空いていた。


「これをあの男がやったと言うのか!」

「まさかと思うが、それしか考えられないだろうよ」


 そう言うサーディナも信じられないと言った風に狼狽えて、震えている。

 その時、割れ目から再び。今度は他の二人にも聞こえるほどの大声、それは理の雄叫びだった。

 それと呼応するように海食いもまた更に大きく暴れる。


「いかん!これでは村も……!」

「なんだと!」


 サーディナが叫んだ。言葉、村が危うい。だが今のデードルに出来ることなど……。

 拳を握りまた俯くデードル。


「デードル様……」

「メーディ……、俺は。今の俺はなにを……。今の俺はお前にどう映る?」


 その質問にメーディは迷いなく答えた。


「貴方は何時でも、何時までも私達の誇りです。どうかそのような顔をなさらず、いつも通りのデードル様でお有り下さい」

「いつもの、俺。いつもの俺ならば、今……!」


「デードル!」


 駆け出すデードル、先には海食い。






 理が裂け目を下まで伸ばした時、そこには夥しい管。海食いの内蔵全てが密集していた。

 そこは本来別の場所よりも更に分厚い肉と、外は触手によって守られ。更に地面にめり込む形であった部分だ。

 それが今表出している。間違いなくここが海食いの弱点。


「そうかよ!これが!」


 喜々としてその管を引きちぎる理、そこからは多くの液体が、体液が漏れ出す。その奥に白い大きな臓器。管の発信地ともなっているものを見つけた。

 主要な、重要な臓器であろう。地面から栄養を吸い上げる部分を丸く囲むようにあり、上下を肉で覆いそこを管が塞いでいるが、剥き出しの今はそれに手が届く。

 真上には先の場所。胃液のような液体がある。迂闊に触ればそれに飲まれかねない。

 しかし怯んではいられない、これが千載一遇の好機。これを攻めなければ海食いを倒すことは不可能、そうでなければまた再生するだけだろう。先の触手はどんどん再生し始めていた。あの大きな傷も取り敢えずは塞がっていくのだろう。

 管が渦巻いているが、それぞれが例によって巨大なので隙間は多い。そこに飛び込み奥へと。近づいて白い臓器に手を伸ばす、だが最後の抵抗とばかりに大きく唸りそして暴れだした。揺れによって力を込められない。

 そして地面から、上の肉から長い棘が現れ体を刺し抜き動きが封じられる。強靭な棘は槍のようで砕けない。


「あと少し……、つってんのによお!」


 痛みなら堪えられる、揺れも耐えられる。だが桁が違う、天変地異と見紛う程の暴れっぷり。遂に体が棘から抜けたがその御蔭で体が浮き、地面に上に、肉壁に全身が打ち付けられる。


「がはっ!」


 意識が失われかける、もう手に海食いの命が掛かっているというのに。それが零れ落ちそうになっている。

 その時後ろから声がして、同時に体の横に一振りの槍が飛んできた。






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 走り出したデードルだが、直ぐに海食いの歓迎を受けた。理に集中しているが多くの眼はデードルを見逃しはしなかった。

 理にも見きれぬ体液の投擲をデードルに見られる訳がない。出来ることと言えばとにかく体勢を低くして走るだけだ。


「これだけ……!たったこれだけの距離が、遠い……!」


 こちら側の触手は感覚が広く、まだ走りやすい方だが如何せん迎撃をくぐり抜けるのが至難である。

 とうとう右の肩口に被弾してしまった、即座に腕が焼けただれ激痛が襲う。


「あぐあぁ……!こんなものをあの男は耐えて……、それを俺が!このデードルが耐えれぬ訳があるか!」


 自分が海食いに勝てるとは思ってはいない、だがこれだけの生物を相手に理といえど勝つのは困難。事実先の雄叫びは苦しさを滲ませたものだった。

 だからこうして走っている、なにか少しでも助けとなるために。村を救うために出来ることはなんでもする。

 痛む右腕を引き千切った。彼らは自分の腕の植物を操り刃として戦う。それを今は、最後の手段として一本の槍へと変えた。決して換えの聞かぬ、右腕全部を練り上げたそれはデードルの戦士としての総力に等しい。腕を失うだけの価値がある、戦士の覚悟の表れだ。

 割れ目が間近へと迫った、奥に理が見える。あの男も苦境にあるようだ、ならばこの槍も役に立つだろう。

 しかと槍を握りしめると理の元へと投げた――。






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『使え!』

「お前……!」


 デードルがいた。海食いの攻撃を潜り抜けてここまで来たのだろう。全身に火傷を負い煙が上がっている、そして片腕が無くなっている。


『俺の渾身の槍、『腕』を練り上げたものだ、容易くは折れん』

「こりゃあいい!」


 掴み取るとそのまま内臓へと飛びかかる。再び揺れて弾き飛ばされたが、壁に槍を刺し体制を整えた。そした今度こそ白い臓器目掛けて跳んだ。


「っりゃああ!」


 突き刺さりどす黒い体液が吹き出る、それ自体に害は受けないがそれを期に更に、最早天地が反るばかりの藻掻き様。全力でしがみつき腕に力を込める。

 そしてより深く差し込んで中を掻き回す、槍を支えに腕を突っ込み奥の肉をしっかりと握る。渾身の力で手に掴んだ海食いの『命』を引き千切りにかかる。


「最後だ、最後の勝負だ!海食い!――だああぁあ!」

『やれ!コトワリ!』


 管だとか胃液だとかに気を使うのは止めた、ただただ全力で引っ張り、激しい断裂音が起きた。

 いよいよ勝負が決する。そう思った瞬間、海食いが命がけの行動に出た。海食いの体が潰れた、直感が告げる。飛び上がる気だ。理は槍を支えに堪えるが後のデードルはそうもいかない。


「もういい!お前は逃げろ!」

『しかし!』


「言葉はわからん!だがここまでだ、お前の槍で、決着をつけてやる!」

『ぐっ……!わかった、生きて戻れよ、コトワリ!』


 飛び退くデードル。やや溜めがあった後に上昇感、急速に海食いが飛び上がった。巨体に見合わぬロケットのような飛び上がり。それがある地点で止み、重力に従い落下し始めた。

 このままではこの巨体に潰される、そうなれば脱出も難しくなる。だが何よりもこの臓器を……。

 千切れかけの内蔵を最後の力で引き千切った、無理やりの行いで上の胃液がなだれ込んでくる。危うく後ろに下がる、海食いの絶叫にも似た全身の脈動が響く。

 猶予はごく僅か、このまま中に逃げられるものか。

 しかし理は真逆の行動、“上に跳んだ”。

 槍を突き上げ胃液の中を飛び抜ける、体を焼き尽くされるよりも先に脱出をした。それでも全身に激しい損傷。息をするのも辛い。

 だが勢いは死んでいない。そのまま海食いの頭を突き破る、デードルの槍の鋭さは驚くべきものであった。

 空中に投げ出された理、その直後に海食いが地面に叩きつけられ、その上に落ちた。ゴム質の海食いの体がクッションとなり理は死なずに死んだ。

 地を割り、海食いは地面にめり込んだが、それ以上動く気配はない。つまり死んだのだ。


「へへ、どうだ。俺の……、勝ちだ……」


 理は神が如き生き物の亡骸の上で勝利を味わい、倒れ込んだ。

 その様を見たデードル達は、あの男が神すら倒せる存在だと認め、敬意を込めた眼差しで見つめていた。

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