出発

 あれから一体どれだけの年月を過ごしたのか、あの日。力に目覚め、自分の心に気がついた日からどれだけ。

 十数年、けれど理には永劫にも等しく感じられた。


 理は宮殿にいた、彼のために誂えられた物。

 本人が望んだのではない、彼以外の人類が望んだこと。彼は人類を滅ぼしかねない災厄だと思われたのだ。

 善もなく悪もない。彼の行動理念を理解できる者はいなかった、気まぐれに現れては人智を超える暴力を解き放しまた居なくなる。それは人々にとって災害のようなものだった。

 悪人も彼を嫌い怯えた、特に暴力を生業にしている者ほど恐れた。

 理は常に強者を求めて歩いていた、中には進んで力を行使しない者もいる。そうした者を奮い立たせる為に彼は暴虐を行使した。そして已む無く挑む相手を打ち破る。

 そうでもしないと最早彼に挑むものはいなかったのだ。


 ルートマンという男を殺したこと、これが決定打であった。彼の力を知る者は多かった、皆が恐れたその人間を上回る理。これに立ち向かうのは狂人の行いだと認知された。

 

 この宮殿にはあらゆる物が揃っている、だが金はない。使う必要がないからだ。彼のことを恐れるものはその行動を封じるためになんでも捧げた。

 現代にあって人身御供すら提案された、しかしそれは理が断った。

 そも恐れ知らずにも、または圧倒的な力に惹かれてか、寄り付く人間も一定数存在した。多くは実際に目の当たりにした時点で逃げ出すのだが。

 しかしそれらは理が求めるものには程遠かった。食欲も、性欲もあるが意外にもそれらは人並み。一度の食事量は膨大だが、それはあくまでも肉体の維持の為。

 そして理はいつの日か、諦めた。この地球には最早自らに敵うものはいないと。後は只管待つだけ。自らを超えるものの誕生か、命じている宇宙船の開発が先か。後者には少なくとも近い内の実現はないものと思っている。だから待つだけ。この世で最も優れた生命はその意義を見失いかけていた。

 彼が今縋ることはただ一つ、常に己に語りかけてきた――。


「理様、ご来客です」

「……ああ?誰だ、まあ誰だっていい。通せ」


 挑戦者でも、暗殺者でもいい。なんでもいいからこの怠惰を紛らわせる事が今欲しいもの。


「久しぶりだね」

「お前、どこかで……」


 現れたのは大人の女、年の頃三十程の日本人。

 能力者に見た目は関係ない、だがこれは全く力を感じられない。なのに何故か見覚えがある、そう。遠い昔の記憶。


「猛君、私のこと忘れちゃった?」

「……花楓、そう。秋葉花楓、なんで現れた」


 面影がある。最早消えかかった記憶、不要な思い出。その中で数少ない、残っているもの。それが目の前にいた。


「なんで、って聞く?普通。当たり前でしょ。友達、だったんだから」

「友達……、そうだな。確かに、君とは友達だった」


「本当はもっと前に会いたかったんだけどね、中々難しかったから。猛、あちこちに飛び回っていたから」

「それはそれは、苦労だったろうに」


 突然彼女がクスクスと笑い始めた、俺の横にいる侍女のような者が青ざめている。

 よく勘違いされるが、俺は無駄な暴力。自らの糧に成り得ない時に暴れる輩ではない。


「どうした」

「だって、なんなのその喋り方。思い出すなぁ、初めて会った時の頃」


 海馬を揺り動かし記憶を手繰る、漸く行き着いた時。自分も笑ってしまった。


「そうだな、そんなこともあった」

「けど今は違うね、……そうだな。うん、様になっている。かな」




 花楓は懐古する。あの時あの日々。そして実感する、この人は『あの』猛ではないと。

 なので積もる話、そんなこともする気は無くなってしまった。彼にとってそれは無意味なことだろうから。




「それで、何の用だ」

「一つ、どうしても聞きたいことがあって」


 微笑む花楓、思い出す。この笑顔、その時の記憶。全てが色あせた無価値な物に成り果ててしまったが。


「あの時の答え、知りたくて」

「あの時?」


「うん、猛、……今は理だっけ。と最後に会った病院の廊下で理が言ったこと」


 思い出せない。


「『僕でなく俺になった』はわかるんだ、特に直接見た今はね。聞きたいのはもう一つ、『猛の望み』ってなに?」

「それは」


 答えるのは簡単だ、だが言えない。何故ならそれはまだ『叶っていない』から。


「ここ、凄い建物だった。何から何までめちゃくちゃ高そうだったし、歩くの緊張したよ。……これが欲しかったの?」

「違う」


「じゃあ、なに?」

「それ、は――ぐあぁっ!」


 突然脳に激しい痛み、今まで感じたことがないほど。脳が焼けるような感覚。

 彼女の言葉に反応したのではない、これはあの声――。


「どうしたの!?」

「俺が欲しいものは、もう……。うぐぅ、ここ地球には、この世界には。あがぁ!」


 言葉を絞り出すので精一杯。脳に訴えかけてくるもの、何時の日からか、脳に囁くような声があった。

 最初は声だと分からなかった、余りにか細かったから。だが徐々に、力が増すごとにそれは明瞭になっていた。

 言っていることはまるで分からない、知らない言葉。今まで聞いたことが無い、まるで別の世界の言葉。

 けれど感じた、それは俺を呼んでいるのだと。


「だか、ら。俺は待っていた、この声が、こいつが、俺を、呼ぶのを!」

「こいつって、誰!」


「そ、れは!」


 頭が割れるような感覚。そして骨が、肉が軋む。思い出した、これはまるで初めて力に目覚めた時の――。


 膝から崩れ落ちた、何とか腕で体を支え花楓に顔を向ける。


「この先に、道が、ある筈だ。それを進みきった時、俺は、世界の果てへ!」

「それがこ、猛の?」


「そうだ!俺はこの世の、世界の!神の頂きまで上り詰める!それが俺の望みだ!」


 体が熱を帯びる、視界が赤く染まる。きっとこれがこの世界との別れ。そしてこれが俺の見る最後の――。


「猛、私ね君のこと――」


 見えた顔は二つ、対象的な物だった。


 一つは横にいた女、涙を流しているが顔は喜悦に歪んでいる。


 そしてもう一つ。俺の最後を、二度見た彼女の顔は。






 ――悲しそうに、笑っていた。

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