始まりの一歩

「ああ……」


 あの施設を出て、家からは結構離れていた。あそこから拝借した衣服を着てはいるがこのまま人目に触れるのは憚られた。なので遠回りにはなるが人の少ない地域を通り帰ることとなった。

 漸く家についた時に陽は暮れきっていた、あそこを出たのは昼前。この体を持ってしても多少時間がかかった。要らぬ騒ぎを起こさぬため加減してはいたが。

 家のある場所は入り組んでいて家屋も多いが、流石に迷いはしない。だが今日はまた別、家を探すことに苦労はなかった。

 というよりも最初はそれが我が家だと気がつくのに時間を要した。


 火事が起きていた、激しい炎が家屋を焼きその火は近くの家も襲っていた。

 既に消防車が集まり放水を始めている、近づき我も忘れ家に飛び込んだ。静止を求められたが聞かず、力ずくで止まるわけもない。

 全身が炙られる中、見知った場所の変わりきった様子に困惑する。両親を探し回るが直ぐに見つかった、二人は寝室でベッドの上に横たわっていた。既に事切れており、呼んでも揺すっても返事はない。

 余りに綺麗な死に顔、原因は分かりきっている。あいつらは元から俺の親を生かす気など無かったのだ、そうやって多くの者を組織に縛り付けてきたのだろう。

 呼吸も苦しくなってきた、二人を抱えて家を出る。遅れて現れた消防士に手伝われながら救急車に乗せた。

 病院には搬送されたが、直ぐに死亡が確認された。病室の前で立ち尽くす俺。医師や看護師から慰めを受けたが、反応しなかった。

 悲しみは確かにある、だが涙が流れ慟哭することはない。どうやら俺は自分以外に興味が少ないらしい。寧ろ今は溢れる力の行使を体が求めそれを受け昂ぶっている。

 復讐、実にそれらしいお題目だ。力を振るうに十分な理由足りうる。

 問題といえば奴らの居場所がわからぬことか。だが恐らく直ぐに解決できるだろう、俺の所業はもう奴らの仲間の知るところだろう。

 あいつらは横の情報の共有をしておらず、他の組織の情報は得られなかった。


「猛!」

「花楓」


 家の前で花楓に会い、病院までついてきていた。ずっと気を使ってか話しかけてこなかったのだが。


「その、大丈夫」

「うん、少し落ち着いた」


 花楓は一瞬目を伏せ、向き直った。その顔は覚悟を決めたような、強い意志を感じる表情。


「違う、貴方は猛じゃない」

「何故?」


「猛のそんな顔は見たことがない、それに両親が亡くなったのにちっとも悲しそうに見えない」

「俺は猛だとも、それは俺が一番知っている」


「俺?」

「そう、俺。僕は捨てた、いいやこれが本当の俺」


「何を言っているかわからないよ」

「わからなくて結構、もう関係ないことだから」


 花楓の顔を正面から見つめる、それを見た彼女の胸中は計れない。怯えているのか困惑しているのか。今にも泣き出しそうにも見えた。


「関係ないってどういうこと」

「これからは俺だけの為に生きる。俺の望みを叶えるために」


「それは?」

「その内わかることだ。だからわからなくていい」


 踵を返し歩きだす、花楓は追ってくる気配はないが最後に声をかけてきた。


「……さようなら」

「ああ」


 




これでもうこの街に忘れ物はない、僅かな『引っかかり』も今無くなった。

 病院を出て少し行き、真夜中の無人の道を歩いていると暗闇の空から来るものがある、眼を凝らすとなにかわかった。それは俺に気づくとフラフラと落ちてきた。


「鷹科」

「――ちっ、やっぱり生きてたか」


「そういうお前も死んでなかったんだな、まだ」


 鷹科は奴が言った通り奴の仲間に襲われたのだろう、俺が奪った腕もどうにもなっておらず他の場所にも多々負傷が見え、その幾つかは普通なら既に死んでいる程のもの。


「……はっ、あんな奴らに、只の人間に遅れを取るなんてさ」

「それで?どうしたいんだ、介錯でも頼みに来たのか」


「まさか。……ひと目見ておきたかったんだ、俺を負かした奴の顔を最後に」

「そうか、実際に会って感想はあるか」


「ああ、確信した。お前は俺とも、あいつらとも違う。この前殺りあった時思ったんだ、思ってしまったんだ。俺はお前を尊敬してしまった」

「尊敬?」


「俺はこの力を手にして俺のために使ってきた。お前もそうだろう、他のやつもそんなのばっかりだろう。けどお前のは少し、いやかなり違う。お前は戦っていた俺を見てなかった、今も見てない。お前はずっと遠くを見ている、きっとそれは誰にも見えない凄く遠い場所。俺じゃとてもじゃないが見えない世界をお前は見ている、だから尊敬しちゃったんだ」


 もう俺が見えているのか、地面を見つめながらぽつりぽつりと話す鷹科。


「俺んちは酷い貧乏でさ、母ちゃん一人で俺を育ててくれた。それがポックリ逝っちまって、そうしたらあっという間さ。家から追い出されるわ、借金取りに追いかけられるわ。んで気がついたら全員殺してた。だから好きに生きることにしたんだ、昔から虫とか虐めるの好きだったしさ、へへへ……」

「……おい」


 死んだ、言いたいだけ言って最後は何故か満足気に。こいつに後悔はないのだろうか、あるに決まっている。だが最後は死を受け入れた。

 ひょっとしたら最初からこんな終わりを思っていたのかもしれない。それでも自分の生き方を変えられなかった。只の高校生には持て余すほどの力のせいで。

 こいつは紛れもない屑だ、同情はない。だが一人の男の最後を見届けた。これは俺が摘んだ命とも言える。だから目に焼き付ける、そして十分に理解した上で踏みつける。それが俺の生き方だから。けれど俺は後悔だけはしない、する気はない。俺は最後など迎える気はないからだ。俺の道を、果てしない頂きを目指し走り、駆け抜ける。誰も知らない、世界の果てを。そこが俺の場所だから。






 そんなことを考えこの場を立ち去ろうとした時、車の走行音が聞こえた。道の真中だからこのままでは轢かれる。俺ではなく足元の死体が。どうでもいいがせめて脇に退けてやろうと掴み引っ張る。

 だが反対車線を車は通り抜け無かった。黒いバンが次々と現れ俺を取り囲んだ、四方を塞ぎ中から見覚えのある者たちが現れた。

 その多くはガスマスクに作業着。もう現れたのか、俺を追ってかそれとも鷹科を回収しに来たのか。


「お前たちはそれを拾っておけ」

「「了解しました」」


 車の中から出てきた中で、異彩を放つ者。アフロヘアーにタンクトップの恐らく日本人の男。車のライトに照らされたそれの体中にはタトゥーが入っている。

 成る程両方か、こいつらは死体を回収。目の前の男は俺。


「お前が道影猛か」

「そうだけど」


 近づいてきて奴の背丈の大きさが分かる、二メートル近い長身に膨れ上がった筋肉。プロアスリートのような引き締まった筋肉だ。

 それが威圧するようにこちらを睥睨する。


「小せえが、それだけじゃわからんか」

「詳しいようで」


「あたりめえだ、だからここに来たんだよ。ちっとは頭を使えや」

「で、用事は?」


「最終勧告だ、俺達の仲間になるか」

「断ったら?」


「殺す、まあ――」


 男はノーモーションで蹴り上げてきた、まともに喰らい車を飛び越え車道に落ちる。


「どっちにしたってやることは変わらんがな。……お前ら、ちゃっちゃと離れろよ」

「「了解しました」」


「そんじゃ、立てや」


 言われるまでもなく立ち上がる、奴は腕組みしたままこちらを待っている。余裕、自信。これまでにもこういうこと、戦いを経験しているのだろう。腕に過去の戦いで負ったであろう傷跡も見える。


「そういや名乗ってなかったな、俺は海堂重之(かいどうしげゆき)。渋い名前だろ」

「どうだか」


「礼がなってねえな、そういうとこも指導対象だな。ボコった後にみっちり仕込んでやる」

「ははは」


 奴の眉がピクリと動く。車は一台、路上を照らしているもの以外は離れていった。それを待っていたのだろう、海堂が仕掛けてきた。

 鋭い右回し蹴り、仰け反って躱すが体を捻ってもう一撃左の後ろ回し蹴りが来た。今度は左腕でガードする、衝撃を堪えて反撃する。

 懐に入って胸に右のパンチ、少し押し込むが感触がおかしい。音も同様で、まるで鋼板を殴ったような。


「おう、聞いていた通り頑丈だな。けど俺の勝ちだ、腕が砕けたか」

「おっさん硬いな」


「口の利き方に気いつけろ。そうだ俺は硬くて丈夫、それだけだ。だが熱も冷気も効かねえ、それだけでなんでも殺せる」

「そりゃ凄い」


「もういいか、拳も治っただろう。お前の力は把握している、施設にある映像を回収したからな。俺と似たような力、だからガチンコ勝負だ。精々気張れや」


 もう一度かち合う、向こうの突進を迎え撃つ形になったが再び低い衝突音が響く。押し出されるようにやや遅れて後ろに退く。

 だが怯まず三度の衝突。今度はこちらが先じて飛び込んだが、受け止められ低くなった後頭部に肘打ちが落とされる。

 顔面からアスファルトに打ち付けられ呻き声を上げる。


「場数が足りねえな、攻めがお粗末だ。それじゃ俺にゃ勝てん」

「ぐっ」


 ストンプを転がって危うく躱す、立ち上がるが追撃が来る。

 奴は格闘技も経験しているのだろう、的確にこちらの急所を突いてくる。それに対処するだけで手一杯で反撃できない。

 辛うじて打ち返すも奴の体の硬さに打ち負ける、八方塞がりだ技量に天地の差がある。

 倒す手段を模索するが、俺も特別な技はない。不細工な攻撃を繰り返す他ない。






「もういいだろう、諦めろ」


 幾度も挑んだが歯が立たない、俺の成長力でも今こいつを超えるには限界があるのか。

 だが屈しない。心が芯から叫ぶ。目の前の障害を乗り越えろと、その程度も出来なくて何が頂きかと。


「……もう一度だ、行くぞ」

「ふぅ、気合は大したもんだ。だからこれで終わりだ、気絶させて連れていく。正直期待はずれだ、うちのエージェントを一人殺ったと聞いていたんだが」


 愚直な正面からの突撃、俺にはそれしかない。今はそれしか出来ない。

 当たり前の様に跳ね返される、何度も繰り返したやり取り。だが止めない、もう一度。何度でも。

 しかし奴のアッパーカットがまともに入った。目の前が白くなる、意志で堪えるが限度がある。いくら強靭でも構造は人間だ。脳が揺れたら平衡を失う。

 だから無防備の顔面に強烈な一撃を喰らう。

 吹き飛ばすようなことはなく、最大限ダメージが入るような重い一発。

 膝から崩れ落ちるが既の所で持ちこたえる、そこに横蹴りを喰らい無様に転がる。


「ほいじゃ、今から連れて行く。そこで鍛えなおしてやるよ、プログラムを一通りこなしたらな」


 こいつらの言うプログラム、碌でもないことなのは間違いない。

 そんなことよりも今だ、転がってなどいられない。まだ終わっていない、俺は死んでいない。死ぬまでが戦いだ。




 立ち上がった道影を見て海堂は瞠目する、この小僧の意志の強さは尋常ではない。それはこの僅かな時間でよくわかった。

 だがこれだけ打ち負かされてまだ立ち上がるとは、狂気すら感じる。多かれ自分たちは常人とは違う、それは精神にも言える。それでもこいつはおかしい、生き物が持って然るべき死への恐怖が無いのか。

 それとも既に壊れているのか。それでも仕事は仕事だ、意地でも従わないというのであれば答えは一つ。今までの戦いとは違う、命を奪い取る一撃を与える。

 そう決め拳を握り直した。




 口の中が血の味でいっぱいだ、普通であれば不愉快だが今は何故かそれすら心地よい。

 被虐心を楽しんでいるのではない、嘗ての人生では陥ることが有り得え無かった、命が奪われかねない窮地が、心から愛おしい。

 目の前の男はこの世界でどれだけの高さなのか、決して低くはなかろう。だがこれでは俺の思う頂点には程遠い。なればそれよりも下な俺の高さはどこなのか。

 勝てないというその事実が今の自分の立ち位置を教えてくれる、こいつが物差しだ。こいつを殺せば、打ち破ればこいつよりも上に行ける。それは命を賭して挑むに値すること。

 ここまでの攻防で学んだことがある、自分の武器を。

 それは腕力でも速さでもない、『生き汚さ』だ。俺の回復力は、自信が諦めない限りあり続ける。そしてそれだけの覚悟があれば立ち上がれる。

 この戦いで俺はまともに戦いすぎていた、それでは駄目だ。俺のやりかた、戦い方。生き方をこいつに今、見せつけてやる。




 俺が仕掛ける、飛びついての目潰し。流石にこれは防がねばならない、そして腕を掴ませる、掴ませた。敢えてのこと、そこに来る拳が空を切る。海堂の眼が見開く。

 俺は引き剥がしたのではない、離れたのだ。“右腕を置き去りにして”。

 苦痛には耐えられる、そういう風に俺は出来ている。根比べは得意らしい、己の特性を確認しながら戦う。成長とは違う、以前の自分が抑えていた異常性が顕になる、それを知り尽くすことが最初の一歩だ。

 再度踏み込み攻撃、今度は股間。戦いの中であっては人間性を捨てろ、常識を放り投げろ。奴の右蹴りが見舞われるが止まらない、まともにぶち当たったがそれは織り込み済み。寧ろガードしないが故に前に進めた。

 反発するのではなく受けきり無理やり体を捻り込む。懐に入り見よう見まねのアッパー。

 防がれるが先に奴の体を蹴り後方に逃れる、骨の砕けた脇腹。血が滴るが気にも止めない。


「やっぱりぶっ壊れてるな、お前みたいなのは『群れ』にはいらねえ」

「そりゃ有り難い、アンタみたいなむさ苦しいのと同じ飯を食うなんて食欲も失せる」


 同時に踏み込む、奴の右ストレートが来るがこれもガードしない。胸で受けその腕を掴み、手首に歯を立てる。人間の最も強靭な力が一点に集まり、腕から血が滲んだ。


「ぐっ、離れろ!」


 そのまま地面に叩きつけられ踏みつけられ漸く離す。これでいい、これが俺の戦い方。ダメージなど気にしない、攻撃だけを考えろ。常に必殺の覚悟と弛まぬ実行。


「うぐぁ……!この、テメエ!」

「余裕が無いぞおっさん」


 海堂の腕から多量の出血、ややもすれば腱に達したかも知れない。額から汗が滴っている、初めてこの戦いで優位を取った。この好機を逃す訳にはいかない。

 攻めるのは常に俺から見て左側、負傷した腕のアドバンテージを活かす。殴れば拳が砕ける、ならば蹴り次は頭。そうする頃には拳は治っている、だからまた殴る。

 止まらぬ俺に危機感を抱いたのか、顔が強張っている。俺が攻撃しているのは同じところ、右腕の肩辺り。自慢の体だが痣が出来ている、明らかにそこを攻撃されるのを嫌っている。遂に蹴りを入れた時に骨を砕くような手応えがあった、苦痛に歪んだ顔が何よりの証し。


「糞がっ、糞!餓鬼が、調子に乗んな!」


 鳩尾にもらい、隙が出来たところに前蹴りを喰らい引き剥がされた。


「はあ、はあ。巫山戯るなよ」

「巫山戯てなんかいないよ、その右腕もう駄目だろ」


 ダラリと垂れ下がった右腕は動く気配がない、完全に壊されている。


「黙ってろ、片腕が無くたってなぁ!」






 何度も打ち合い、今度は左膝を破壊した。まともに動けなくなった所に更に畳み掛け、とうとう海堂が倒れた。


「糞、なんでだ、気持ち悪い餓鬼が。なんで死なねえんだ、なんで俺が倒れてんだ」

「そりゃ俺の方が強いからだ」


「黙っ、がっ――」


 喉を踏みつける、力を込めるが中々折れない。窒息で海堂の顔が赤紫になる。


「ひゅっ、くひゅっ……。やめ、助け――」


 ゴリッ、という音がして動かなくなった。


 流石に疲れ座り込むが、何時までもこうしてはいられない。

 戦闘中は邪魔が入らなかった、海堂を信頼してか本人が要求してかは分からぬが。

 だが死んだとあっては、連絡が途絶えれば直ぐ増援が来るだろう。連戦は今直ぐは勘弁願いたい、いずれはそれも熟していきたいが。

 一先ずは腹だ、空腹感が酷い。しかし金が無いことを思い出す。


「まあ、いいか」


 金がなくとも調達する方法は幾らでもある、そうするまでだ。法など俺にとって最早意味を持たない。精々好きにやらせてもらうさ。






 この日、道影猛。世界を脅かすことになる者が、自らを縛る鎖から解き放たれた。

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