内なる意志の鼓動

 猛は丘にいた、そこから辺りを見渡している。

 先には灰色の景色、人も音も、建物一つとてない虚無の光景。

 そこを無感情に眺めているだけの自分。

 不思議はなかった。当たり前の光景、当然の帰結。そう思え、疑問はない。

 おもむろに自分の掌を見た、血に塗れた両手。しかし心は動かない、それが人の物だと知っていても。

 それもそうだろう。この地獄は自分自身で創り出したのだから。

 猛は歩きだす。だが妙に柔らかい感触が足元から。

 地面は、この丘は死体の山だった。そうらしい。

 気づけば、思い出せばどうでもよくなる。それも自分で作ったのだろうから。

 なにともなく足元の死体、その一つ一つを見ながら歩く。

 ふと一つ見慣れたもの、顔。

 花楓。

 苦しみが顔を大きく歪めている、“普段”からは想像もつかないその表情。

 しかし『俺』は意に介せず踏みにじる。わざとではない、ただそこが通り道だったから。

 それは彼女にしてみれば尚の事屈辱であろう。彼は一切の痛痒も抱いてはいないのだから。

 その先には真司、神鳴。鷹科。

 縁や因縁があるはずの三者共々、三つとも。只管、道の途中と思う以外の気持ちはない。

 丘を降った先にはいつのまにか多くの人間。全員が自分を憎悪の表情で睨んでいる。

 けれども俺は歩みを止めずに先へ。拳を握り直して。

 戦場、惨状。歓喜、悲鳴。泣き顔、憤怒。憎悪軽蔑、尊敬。

 あらゆる感情や出来事が体を貫いていく、だが体は空虚のままで、何時しか心は凍りつき――。




 見慣れぬ、いやどこか見覚えのある景色。無機質な天井と照明。

 既視感のある部屋に親が覗き込む様子。

 ぼうっとしながら記憶を反芻する。じょじょに思い出す、学校での担任の報告。花楓と一緒に下校、そしてあいつ。

 勢い良く上半身を起こす。母親が驚き後ろに下がる。

 僕はそれも目に入らず、叫ぶように言葉を発した。


「花楓は?」

「猛、大丈夫?」


 驚く顔の母を見て冷静さが戻る。

 母、道影倫子(みちかげりんこ)は世間では美人だと言われることの多い。スタイルが良く昔ミスなんたらに選ばれたとか選ばれかけたとか。

 僕の顔は、整った部類の母に似た顔立ちらしいが、当の本人の顔は少しやつれていた。


「えーと、ここは」

「病院、この間と同じ所だよ。それで、どうだい?体はなんともないかい」


「うん、それで……。ぁ痛っ!」

「この、また心配かけて!心配したよ、そんで安心したよ!」


 強く背中を叩かれた、無茶苦茶な台詞。けれどもそれが実に我が母らしく僕も安心する。

 本来気が強い人だ、この間はそれが失われるくらい動揺していたということか。

 今回はそれ程でも、まあ泣いたような痕は見えるけれど。二回目とも慣れば少しは耐性が、そんなもの必要ないとは思うのだが。


「ごめん、それで花楓は?と言うよりもあの後――」


 そこまで言って記憶を掘り起こす、最後の記憶はあいつ、鷹科に吹き飛ばされ腹が焼けるように痛んだこと。

 花楓は、無事なのか。


「あんたが謝ること無いよ、花楓ちゃんってのはあたしがここに来た時にいた娘でしょ?髪を後ろで結んだ可愛い」

「あー、多分それ。ってことは無事だったの?」


「そうだけど、先ずは自分を気にかけな。本当になんともないのかい?心底肝が冷えたよ、ここに運び込まれたあんたを見た時は」

「それってどういう?」


「全身血だらけ、制服はボロボロ。正直最悪の想像もしたよ」


 一瞬暗い顔を覗かせる母、だがすぐ切り替えたようで顔を上げる。


「なんともないけど、本当にそんな大怪我したの?」

「大怪我していたら三日眠りっぱなし位で済む訳無いでしょ、どうやったらあんなことになるのさ」


「三日って。後その怪我は鷹科って奴に……」


 前回の入院は二日、今回は三日。人生で病院に担ぎ込まれたのがこの間ので初めてだったのに、舌の根も乾かぬ内にもう二回目。最悪の二週間だ。

 そして記憶の残っている限りを母に話す。

 しかしそれを聞いた母は怪訝な、訝しむような顔。


「うん?あたしはその娘から聞いた話だとその鷹科ってやつをあんたが追っ払ったってことなんだけど」

「え?」


 お互いが見つめ合って黙り込む。話が合わない。記憶がないのはそうだが、あの傷でどうやってあいつを、妙な力を使うような。

 けれども確かに疑問、あの時受けた攻撃、傷は控えめに言っても重傷。命に関わるようなものに思えた。だのにそれが完治、それも三日で?

 おかしいのはこちらのような気がする。


「まあ、追っ払ったって言っても、騒ぎに気がついた人が警察を呼んで、それを見て逃げたって言っていたから。気絶するぐらい気張ったんだ、それに三日も寝てたんだから記憶が曖昧なのも仕方ないかもね」


 格好はつかないけどねと笑う母、確かにと思いこちらもクスリとした。


「それで、その鷹科は?」

「まだ捕まってないってさ、ニュースでも大騒ぎだよ。でも恐らくこの街をでたようだから、他の街の人には悪いけどあたしたちは一安心かもね。まあその内捕まるさ」


「そうだね」


 ただ僕にはそうは思えなかった。あれだけの超常的な力の持ち主が、普通の人間の警察に捕まえられるか。不安が拭えない。

 そして夜更けだと言うので無理やり寝直し、翌日。日曜日だが朝から警察の人に話を聞かれた。

 こんなこともこの間したなと思いながら、あるだけ伝える。反応も心配の度合いを除けば大体母と同じ。全身の出血は向こうの返り血が僕についただけだろうと言われた。

 それ以外に説明はつかないが、僕は内心違うのではと、『治った』のではと思っていた。

 ありえないとは思いつつも、それに近いような異常なことが実際に目の前で起きたのだから。

 警察も実際の被害者だからと、少しだけ内情。鷹科の行方について教えてくれた。

 僕が倒れて直ぐ後に追ったが見つけられず、今までも苦労していたがやっと尻尾を捕まえたらしく、近日中にも捕まえられるかもと言っていた。

 不安だったのでどうか気をつけてと言ったが、恐らく僕が思うほどは強く心に刻んでいないだろう。


 その日の午前に改めて精密検査を受け、問題なしと判断されたので午後には自宅に帰ることが出来た。

 そして翌日、また月曜日から出直しとなった。

 これで病院での休みは計7日、学校は丸3日出ていない。色々と問題はあるが、とにかく授業についていけなくならないか。まだ4月だが、だからこそ基礎を習いがちなここで出遅れると挽回が難しくなる。

 色々な問題、相変わらず体の調子が良い。この間、入院する前よりも良い気がする。

 それはきっと気のせいではないのだろう。それがまた不安、もしかしたらその内普通の人のような暮らしが出来なくなるのでは。

 今日は誰とも、花楓とも真司とも会わずに学校に着いた。

 だからと言う訳でもないが、なにも起きず無事学校まで辿り着けたことに安堵してしまう。

 教室に入ると少しのざわめきと、こちらを気遣うような言葉を送られた。何人かは死んだとも思っていたらしく、大して話したこともない女子がなぜか泣いていた。

 奥にいた真司に声をかけた、花楓さんはこちらを見たが、他の女子と話していた。

 いつもならこっちに来てまで挨拶してくれるのだが。


「おい、本当に大丈夫だったのか?」

「まあなんとか」


「なんか酷い有様だったって聞いたけど」

「そう、だったらしいね」


 制服がズタズタになってしまったため、新しいものを用意できるまでは下は私服のズボンに、上はいつもの制服の下に着るワイシャツだ。

 基本的に校則などは緩いので、この辺もかなり融通が効く。我が家は決して貧乏ではないが、制服一式はそれなりの値がするので有り難い。


「花楓は……」

「そのことなんだけどな、ちょっと変なんだよ」


「変って?」

「お前が病院に運ばれたって聞いた日も花楓さんは学校に来てた訳なんだけどな、お前のこと、事件のことを聞いても答えてくれないんだよ。その時なにかあったのか?」


「わからない、僕も記憶が曖昧で」


 僕は兎も角、彼女は物理的な被害は受けていない筈だが。ショックでトラウマになっているのだろうか。だとしたら真司のデリカシーがなかったということだが、真司も一度聞いたきりそのことには触れていないらしい。

 そして結局花楓は朝にはこちらに話に来なかった。

 だが昼休み、教室を出てトイレに行った帰りにふと呼び止められた。


「ねえ、ちょっといい?」

「え、いいけど……」


 すすっと近づいてきた花楓が小声で話しかけてきた。こんな時でなければもしやと期待しそうな言葉だが、彼女の顔はそういった浮いたような様子はなかった。

 呼び出されたのは放課後、駅前のカフェ。小洒落た店内で、一人では絶対に入らないであろう場所。

 周りからはどう見えるのか結構気になるが、彼女はまるで気にかけていない。

 たどたどしい注文をこなし、向かい合って座る。こうして向かい合うのは珍しくもないが、今日はいつもと違う。

 花楓が酷く大人しい。平時の半分以下、というよりも学校からここに来るまで話さなかった。

 一部の男子の間では『黙っていれば可愛い』との評価だが、僕にしてみればこちらの方が嫌だ。

 いつも明るい彼女がこうまで変だとこちらも否応なしに緊張してしまう。

 出されたコーヒーにも手を付けず、テーブルの真ん中あたりを見つめている。

 無言が続く、もう5分以上何も話していない。

 堪らず話しかけることにした。


「どうしたのさ、そんなに黙ってて。話があったんじゃないの?」


 すると目線を上げ、こちらを見た。見たことがないほどに真剣な顔。


「……猛、は。猛だよね」

「うん?」


 哲学的な質問、しかしそれは多分言葉通りの意味なのだろう。


「どういうことか聞いても良い」

「あの時、私が見たのは現実だよね」


「……そうだね」

「なら『あの猛』は今私の前にいる『あなた』だよね」


 あなたという呼び方。それが彼女の心中、僕に対する恐怖を知らせた。


「なんでそんなこと聞くのさ。どうみたって僕だよ」

「そう、だよね。そう。けど私が見たのは知らない人、見たこともない猛」


「その、悪いんだけど。僕、あいつに吹っ飛ばされてからその後覚えてないんだけど」

「え?」


 ハッと顔を上げ、驚いた花楓。そして僕の顔をまじまじと見る。嘘を言ったと思ったのか、しかしやがて落ち着き、口に手を当て考えだした。


「あの、あいつ。鷹科が猛にしたことは覚えてる?」

「うん、なにか、超能力みたいので腹が捻じれて」


「そう、あれは超能力だよ。きっとそういう力のある人。そして猛、あなたもきっと似たような」

「は?」


 なんだって。僕が、あいつと同類?


「あぁ、違う!違うの、似たようなっていうのは力のこと。中身はぜんぜん違うよ」

「そ、そうだよね。けど、力ってなに?」


「……本当に覚えてないんだ」

「うん、全く。あの大怪我を見たのが最後で」


「大怪我ってお腹の?」

「それ、螺旋みたいに捻じれたの。とんでもなく痛くて、気を失ったんだ」


 花楓が珍しい顔、今日は色々と目にするが。これも珍しい、苦笑い。内心で嘲笑うような。『こいつ何言っているんだ』みたいな顔。

 それをみてムッとするが、次の台詞でそんな思いは消え去った。


「気を失ってなんか無かったよ」

「……なんだって」


「確かにあれは酷い怪我だった、私は死んじゃうと思った。そして私も殺されそうになって、悔しいから少しくらい反撃してやるって思ったんだ」

「へ、へぇー」


 あの状況で立ち向かうのだから彼女の胆力にはよくよく驚かされる。


「けどあいつは私じゃなくて私の後ろ。死んじゃいそうな猛を見たの。そして私も見たら、猛は立ち上がっていたの」

「……気を失ったはずじゃ」


「それはわからない。けど立ち上がったのは紛れもない事実。その後も何度も、普通なら死んでしまうような攻撃を受けたのに倒れなかった」


「そうしたらあいつも段々むきになって、最後は猛があいつを殴りとばしたの。その音で人が集まって鷹科は逃げたの」

「そんな……」


 有り得ない、どう考えても。彼女も言ったろうに、瀕死の重傷だと。

 それが立ち上がり、剰え殴りかかれる訳がない。


「冗談みたいだよね、けど本当。この目で、間違いなんかじゃない。だから猛が怖かったんだ、次に会ったらあいつみたいになっているんじゃないかって」

「まさか――」


 ……痛っ。


「どうしたの?」

「何でもない、ちょっと頭痛。飲み物が冷たすぎたかも?」


 なんだろう。今のは。

 否定した途端に頭に電気が奔るような痛みが。そして一瞬過ぎった気持ち。

 これは……。

 …………いいや、これは違う。『僕』の気持ちじゃない、そうだ。花楓の話で動揺しすぎたんだ。


「大丈夫?」

「……うん、もう大丈夫。そんなに痛そうだった?」


「そこまでじゃないけど、話の流れ的にね」

「確かに、でもあり得ないよ」


「そうだよね、猛だもんね。変人の『フリ』は得意だけどね」

「ブッ!?――ゲホッ!ゲホォ!」


 飲み物が逆流しかける、堪えたせいで盛大に咽てしまった。

 唐突に古傷を抉られてしまった、構えていなかったせいで大ダメージだ。


「あはは!ごめんごめん」

「いやいや、勘弁してよ。もう忘れたいんだよ」


「ごめんって、でも良かった。こうして話して」

「それはよかった」


「うん、私そういうちょっと残念な猛が良いと思うもん」

「残念て」


 文句の一つでも言いたいが、花楓の晴れやかな笑みを見たら何も言えなくなってしまった。

 知らぬところで随分心配かけたらしい。


「じゃあ帰ろっか、私ゲーセン寄りたい、付いてきて!」

「拒否って選択肢はないんだね」


 立ち上がり揚々と歩き出した花楓、精算を済ませ店に出たところで振り返り一言。 

 再び真剣な顔にドキッとする。


「一つ良い忘れてた」

「なに」


「あいつはまだ生きてる、そして逃げる前に言ったの『次は殺す』って」


 背筋が冷える、その言葉は間違いなくハッタリではない。

 あいつはまた必ず戻ってくる。

 その時どうすればいいのだろう、周りの人は。僕はどうなるんだろう。

 僕のこれからは。


「……ごめん、不安にさせて」

「花楓が謝ることじゃないよ、悪いのは鷹科なんだから」


 気まずい沈黙、だが切り替えないと。


「さ、ゲーセン行くんでしょ?早くしないと日が暮れちゃう」

「そうだね、行こ!」


 未来は分からない。なればこそ今を楽しまなくては。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







 猛は塔の上にいた、高い塔。世界全てが見渡せるのではと思うほど。

 そこから『俺』は空を見上げていた。下には目もくれない、そこには何もないからだ。語弊はあるか、俺にとっては。という意味だ。

 何故か、それは俺のいる場所が高すぎるから。天の果てへと伸びる塔は、他の何者をも寄せ付けぬ堅牢さと、全ての者を畏怖させる迫力を持っていた。

 皆それぞれが自らの塔を建てている、しかしそれに敵うわけもないと手を止めた。追いつこうとした者も終ぞ自分の限界に気づき諦めた。だから俺は空を見る、下にはなにもないのだから。見るのはそこだけ、ではそこには何かがあるのか。

 それは俺にも分からない、けれど望む。更なる高みを、そして自分と競える存在を。

 俺はそれを更に上回る、そして空の端を見に。






 今日はやけに目覚めがいい。5時、学校に間に合うには十分過ぎる。寧ろ早すぎる、もう一眠りといきたいが、この目の冴え様では寝付けなさそうだ。

 仕方なく体を起こし、階段を降り居間へ行く。

 母の念願だったマイホーム、引っ越したここには居着くことになりそうだからと思い切って購入した新築。

 三ヶ月前に入居したばかりで、僕自身未だに新鮮な気分になることもあるが、もうだいぶ慣れてきた。

 居間にはもう母が起きており、朝食を作っていた。父も出かけるのが早いので着替え終わり、ソファで寛いでいる。

 僕を見ると少し驚いたように声をかけてきた。


「あら、おはよう」

「おはよう」

「どうした、随分早いな」


 父、道影康(みちかげやすし)は母と対象的に大人しい性格、そこは僕が受け継いだ部分だろう。けれどこの間の入院騒ぎの時は驚くほど感情的に声をあげていた。


「一昨日まで随分寝てたから、これで帳尻が合うんじゃないかな」

「そうかもな」

「朝はどうする?もう食べるかい」


「そうする、けど先に顔を洗ってくるよ」


 洗顔を終え居間に戻り食卓につく。ふと目覚める直前、なにか夢を、気になる夢。を見た気がするが思い出せない。夢とは往々にしてそういうものだが、今回は特に気持ちが悪い。夢ではあるのだが、それは僕にとってなにか大きな意味が。


「ほら、自分で取りに来な!黙ってても食べられないよ」

「はいはい」


 朝食、白米と味噌汁。父はパン派なのだが、ヒエラルキーの都合のため米が多い。

 それを順番に取り、戻ると父がテレビを立って凝視していた。近づき僕も見ると、なにやら事件のようで物々しい感じ。中継が行われており、アナウンサーが緊張の面持ちで話している。


『――ですので現場は今現在大変危険となっており、警察からは付近の住民は外出を控えるように注意喚起しています。繰り返します――』


「なんだい、一体なんのニュースだい。災害でも……」

「鷹科……」


「え?」

「鷹科が、出たんだ」


 ニュースの右上のテロップ、ここから遠くない数キロ離れた街の大通りからの中継。

 『連続殺人犯が警官を殺害し再び逃走』


「まさかこれって猛が襲われた」


 被害者の警官の顔。見覚えがある。ついこの間病院で出会った人。そしてカメラが切り替わり別の場所を写した。


『犯人が警官の血液で書いたメッセージ、大変残酷な光景ですので視聴には十分注意して下さい――』


 メッセージは二言。



 『準備完了、待っていろ』



「どういう意味……、猛!?」


 考える余裕は無い、ここで只ボウッとしている訳にはいかない。今直ぐここを出ないと。そうしないと父が、母が。この辺りの人達が。

 寝間着のシャツのまま、靴も履かずに家を飛び出した、あいつは今どこにいるのか。入れ違いだけは避けたい。となると大通りを、出来るだけ早く。そしてこちらが先に見つけたい。

 家から離れ、件の街まで後半分ほど。前に歩道橋がある、それに警戒しながら潜るが何もなかった。だが潜り抜けた先、背筋に電気が奔ったような。これは恐らく直感、危機感。

 それの指示に従い右に横っ飛びして車道に転がる。するとけたたましい破壊音と同時に今いた歩道のアスファルトが円状の、クレーターのように抉れた。

 車が来ていなくてよかったが、驚いた逆の車道の車が歩道に寄って急停車した。

 上を、ビルの上を見る。三階建の小さめの建物の上に鷹科が立っている。


「あーあ、躱された。お前も前より成長してるのな」

「鷹科……」


 奴は飛び降りた、けれど着地の直前に一瞬浮き静かに接地した。明らかに異常な仕業。


「俺の名前覚えてたんだ、まあ俺も覚えてるし。調べたよ、柄にもなく。道影猛、17歳。最近引っ越してきたんだってね、中々いい家に住んでるな。羨ましいね、家は結構貧乏だったから」


 冷や汗が出る、こいつは一度家の前まで来ていたのだ。


「けどうっかりしたよ、聞いた奴を殺したら見つかっちゃってさ。だから朝の騒ぎ、嫌になるね。無駄に体力使うのは、殺す相手は自分で選びたいのに」

「なんでこんなこと」


「するでしょ、普通。こんな力持ったら。お前はならないのか?嫌いなやつ居るだろ、簡単に出来るだろ殺すぐらい」

「する訳無いだろ、普通の人なら」


「だから、だろ。俺もお前も普通じゃないんだから。まさかお前自分が普通だと思っているのか」


 言葉に詰まる、けど体は確かに人間離れし始めている。だが。


「でも僕はお前と違う、無暗に人を殺したりしない」

「それは俺だって相手は選ぶさ……、まあいい。こんなこと話してたらまた邪魔が入る。ああ、お前がいいならここでもいいけど。今日はマジだから」


 周りを見る、まだ行き来は少ないが、通る車は僕を躱して走っているが通行者や異常に気がついた人が集まりだしている。


「こっち、来てね。来なかったらわかるよな」


 頷く、脅しだがこいつは本当にやる。反論なんて出来るわけがない。

 着いたのは市営の屋内運動場、入り口を簡単に破壊し中に行く。球技が出来る広場に付いたところで向き合う。


「じゃ、やるけど。俺は殺す気だから、お前もそのつもりで」


 顔は振らない、わからないから。殺す自分も死ぬ自分も。そして何故だろう、負ける気がしない。

 家を飛び出した時も思ったことだ、家族を無関係の人間を守りたい気持ちの横にあった別の気持ち。

 前もあった、こいつと対峙した時に感じたこと。


「行くぞ」


 鷹科が手を軽く縦に振る、今回は前と違い何が起きるかわかっている。

 横に回避する、しかし今度は手が横に振られた。

 ジャンプして躱す、思いの外高く跳んでしまった。バスケのゴールと同じ目線。

 だが足の僅かにしたが揺らぐ、バランスを崩し転げ落ちる。碌に受け身も取れず肩を強打する。

 想像よりは痛くないが立ち上がるのに少し時間がかかる。

 すると目の前に奴が飛び込んできた。


「はっ!」


 屈んだ状態の僕に前蹴り、手で防ぐが想像していない大きな衝撃。ミシミシと骨が折れる音がして壁まで吹き飛ばされる。


「がはっ」


 膝が落ちるが再び接近してきた鷹科の横蹴りをまた左腕でガード。繰り返しのように吹き飛び腕に刺すような痛み。

 だが今度は前ほど飛ばなかった、多少は踏ん張れたお陰だ。


「やっぱりお前異常だよ、特にその再生速度。もう治っているんじゃないか?腕」


 確かに、最早痛みが薄れている。両手ともちゃんと動いてくれそうだ。

 そして鼓動が早くなると同時に頭に靄がかかるような感覚、景色が赤くなる。

 頭を振り今度はこちらから突っ込む。喧嘩などしたことがないが故の不格好な体当たり。

 けれどその速さは人の域を超え、迎撃の衝撃波も打ち破りまともにぶつかる。

 鷹科にしてみればまるで大型の動物にぶつかったような威力。体当たりの衝撃を自らの衝撃波で和らげるが、それでも吹き飛ぶ。

 低く構えたため地べたを跳ねるように転げた。

 立ち上がり口元を拭う、黒いジャケットに付く血。


「糞、正面からじゃ撃ち負けるのかよ。仕方ない」


 鷹科は今度は接近してこない、つま先立ちで深く構えずこちらに向かう。

 そして音楽の指揮者のように腕を軽く素早く何度も振る。数々の強力な衝撃が襲う。それだけでなくまるで鞭のように体に這う感触。

 シャツが破け刃物で斬られたような傷ができ献血が舞う、歯を食いしばり堪えて向かうが既に移動をしている鷹科は二階のランナー用の通路の上にいた。

 そこから同じような攻撃。それから幾度も移動と攻撃が繰り返され、足元には血溜まりが出来ていた。

 もう嫌だ、この場で膝を付いて降参したい。情けない命乞いも構わない。死にたくない。

 けれどその一言が喉から出ない、心がそのたった一言『参った』を許してくれない。

 頭に血がのぼる、体が熱を持つ。呼吸が乱れる、痛みじゃない。心の中から溢れる激情が鼓動を昂ぶらせている。


「はあ、なんなんだよ。不死身かよお前、なんでその様で死なない。倒れないんだよ、わかっただろ、勝てっこねえって。とっとと諦めろよ」

「……嫌だ」


「あ?」


 無意識に出た言葉、自分がこんなに負けず嫌いだとは。そんな筈はない、スポーツでも勉強でもそんなことを思ったことはない。じゃあなんで今命が掛かった状況で諦められないんだ。

 ……命が掛かっているからこそ?


「死んだら終わりなんだ」

「は?なに当たり前のこと」


 そうだ、わかった。『死』は終わりだ、けれど『負け』は終わりじゃない。

 そして『俺』は勝ちたいんじゃない。俺は。


「だから俺は死なない、それが俺の進む道に繋がっているから」

「なんだ急に――」


 腰を落とし、上にいる鷹科に飛びかかる、既のところで躱され空を描いた拳が壁を砕く。着地するや遠くへと回避した鷹科へ飛び蹴りをする、まるで見えていなかったのにも関わらず正確に鷹科の方へと。


「糞っ、なんだ突然!」


 これも躱されるが再び壁が砕ける、今度は大きく回避できなかった所に続けざまに後ろ回し蹴り。危うく躱され手すりが吹き飛ぶ。それを受け1階へと落ちた鷹科。

 受け身を取り体勢を立て直したが上から殴りかかってきた、転がり躱す。先程までとまるで別人の動き、キレ。攻撃も正確。まるで、どうすれば致命傷を与えられるか知っているよう。

 猛自身不思議だった、体が勝手に動く。実際には強固な意志で動いているが、今俺は相手を、鷹科を殺す為に生まれたが如き。だから常に先手、常に必殺の一撃。今はまだ対応されているが徐々に鷹科の余裕がなくなってきた。


「ちくしょうが、これでも……」


 衝撃波で相手を止め距離を取りたい鷹科、しかし猛は最早ただの衝撃波では、一撃では止まらない。顔面に迫った拳、死を覚悟した圧縮された一瞬。それを阻止しようと鷹科の全神経が緊張する。その生への渇望は成就した。

 手を振らずとも猛が横に吹き飛んだ。

 鷹科は理解した、自分の衝撃波は『空気』を動かしているのだと。つまりこの空間全てが自分の武器であると。

 気分が高揚し全能感が生まれる、一人悦に浸る鷹科。だが今の猛にして、その油断は致命的だった。

 僅かな時間目を離した、意識を遠ざけただけで猛が消えた。探す間もなくどこにいるか、左からの接近に気がつく。

 手振り無く攻撃はできることに気がついたが、それでも意志を働かせる必要はある。それが間に合うこと無く猛は神速の蹴りを放った。


「ああぁ!」


 鮮血は舞ったが、鷹科はまだ死んでいない。獲ったのは命ではなく右腕。二の腕の中頃から先が無くなった。

 しかし鷹科の判断は早かった、彼はまた撤退を決断した。未だ成長の余地があることを再認識した。そして今は勝てないことを受け入れた。それには十分過ぎる、時間にして5分足らずの戦い。

 簡単には逃げることを許さない猛だが今日一番の分厚い衝撃、危うく退けたが掠っただけで大きく飛ばされた。

 そして持ち直した時既に鷹科は居なかった、上。天井を打ち抜き大穴が空いていた。そこから飛んでいった。

 諦めるしか無い、そう思った途端に全身から力が抜けた。


 そして急激に襲い来る恐怖、それは自分自身に対してのもの。

 戦闘中には、瀕死の時でさえしなかった、自分の意志で膝をつく。顔を両手で覆い涙を流す。思う、自分が人間から離れていっていることを。

 心の整理はつかぬまま、逃げるようにその場を去った。

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