2.いじめっ子といじめられっ子~ダンディおじさんと少女4~

 

「そうなの?」

「そうですよ。だから、安心してくださいね」

「……ありがとう!」


 さゆりさんの優しさに触れて、あいちゃんは笑顔を取り戻した。俺やジジィトリオはほぼ黙って二人のやりとりを聞いていただけだ。口をはさんではいけない雰囲気だったし、なんとなく、こういうことは男より女の人のほうが向いている気がする。


「あい、そろそろ帰ります。あんまり遅くなるとママが心配すると思うから」

「では、私が車で送っていきましょう。冬馬くんも一緒に来ていただけるとありがたいのですが。さゆりさん、よろしいでしょうか?」

「え、俺っすか?」


 石川さんは、あいちゃんのお供に俺を指名した。いったいなぜだろう。さゆりさんは笑顔で「もちろん大丈夫ですよ」と答えた。


「冬馬くんがいてくれれば誘拐犯と間違われることはないと思いますので」

「……なんか、ごめんなさい」


 ”誘拐犯じゃないっすか”口にはしなかったけど、石川さんには伝わっていたらしい。俺はエプロンを外して、あいちゃんと一緒に石川さんのお店まで向かった。


 店の裏まで回ると、ネイビー色の車が一台停めてあった。丸みを帯びた、レトロでかわいらしい形をしていて、ダンディな石川さんにぴったりだと思った。


「二人は後部座席にどうぞ」

「わかりました。……先に乗っていいよ」

「……ありがとう」 


 よく考えたら、俺はあいちゃんと直接会話していなかった。一人っ子だから子供の扱いには慣れていないし、隣に座るのはちょっと気まずい。あいちゃんも同じだったのか、ずっと窓の外の景色を眺めていた。


 気まずい空気を察してくれたのか、車で移動している間は、ずっと石川さんが話をしてくれた。


「いじめが原因で自殺をする子供のニュースをよく見ますが、最初は不思議に感じていたんです。どうして一番大事なものを投げ出してしまうのだろう、学校に行かないという選択肢はなかったのかって。でも、数十年前の子供の頃を思い返してみると納得できたんです。あの頃は、学校が世界の全てだと思っていた。ここで失敗をすれば、人生終わり、くらいに」


 「それは、俺もわかる気がします」


 あの試合で失敗したとき、俺の人生はお先真っ暗と思うほど沈んでいた。昨日友達とささいな喧嘩をしただけでもずっともやもやしている。


「でも、実際はそうではないのです。世界は、驚くほど果てしなく広いんですよ。君たちの世界は学校だけじゃないのです。例えば、あの喫茶店だって新しい世界の一つ。これからいろんな世界に足を踏み入れて、たくさんの人たちと出会い、刺激を受け、成長していく未来が待っています。そのことは忘れないでくださいね」

「……おじさん、ありがとう」


 石川さんの話は抽象的でわかりにくいところもあったかもしれない。でも、あいちゃんの心には間違いなく響いたようだ。そして、俺の心にも。学校関係で失敗しても、それで人生終わりじゃない。 家族や違う場所で出会った人たちが、必ず支えてくれるはずだ。俺たちは一人じゃないということを、絶対に忘れないようにしたいと思った。


「老人のたわごとだと思って、軽く聞き流してください。そろそろ着くころじゃないでしょうか」

「うん、あの信号を渡ったところなの」


「うわ、すげー家……」


 あいちゃんの家は三建ての一軒屋だった。スタイリッシュなデザインで、バーベキューできるほもに庭が広い。駐車スペースに止まっている車は外国車だった。屋根にはソーラーパネルがついている。何から何まですべてイマドキだ。お嬢様みたいだなと思っていたけど、本当に金持ちだったらしい。


「お家まで送ってくれてどうもありがとう! またあの喫茶店にいってもいい?」

「もちろんですよ。いつでもお待ちしております。それでは、おやすみなさい」


 あいちゃんは元気よく手を振って、家へと入っていった。


「さて、私たちも戻りますか」

「うす」


 あいちゃんを送ったあと、俺と石川さんは来た道を引き返した。再び石川さんの店の裏までいき、車を降りる。

 石川さんは店に顔を出してから行くということで、ひとりで商店街を歩くことになった。賑わっているこの場所をひとりで歩くのはすこし寂しい。いつも喫茶リリィに向かうときはひとりで平気なのに、どうしてだろう。


  あいちゃんは、どんな気持ちでこの道を歩いていたのか。友達に意地悪されて、ショックで泣きながら、頑張って一歩一歩進んでいたのだろう。去年、部活の大事な試合で失敗し、うちひしがれていたときの気持ちと似ているのかもしれない。まるで、出口のないトンネルを永遠に歩いているようなあの絶望感、もう二度と経験したくない。


 結局、部活の仲間たちは俺のことを責めたりしなかったし、引退後も仲良くしている。今考えれば、あんなに落ち込む必要はなかったかもしれない。でもあの時は、人生終わったくらいに思ってたよな。……奇跡的に天使のような存在と出会えて、立ち直れた俺は幸運だったかもしれない。


 だんだんと日が沈み、グラデーションの空が俺たちを見下ろしていた。いつもならきれいな空の色だと感じるのにそう思えないのは、きっと、まだなにも解決していないからだと思う。

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