1.新卒サラリーマンに癒しを~いつもの風景2~

「さゆりちゃん、メニューにないものなのにすみません。赤字になっていないでしょうか?」

「正直にいえば、経営はいつも厳しいですけど……みなさんにはかなり売上貢献していただいていますから。このくらいのサービスは当然ですよ」

「経営が厳しいなら、まずは人件費削減からしたほうがええぞ」


 鈴木のおっさんの指摘は悔しいけれどまさにその通りで、まったく言い訳できないと思った。俺が来るまでは、さゆりさんは一人で店を切り盛りしていた。

 四人掛けのテーブル席一組とカウンター四席という小さい店だし、ひっきりなしに客が来ることもない。一人でも十分接客できると思う。


 そもそも、さゆりさんが俺を雇ったのは、俺がしつこいくらいに頼み込んだからだ。「給料はいらないから働かせてほしい」と言ったけれど、「偉い人に怒られちゃうからダメです」と断られて、結局毎月給料をもらっている。給料はもったいなくて使うことが出来ず、【いつかさゆりさんにプレゼントをする貯金】としてコツコツ貯めている。


 長く一緒にいたいという理由でアルバイトという手段を選んだけれど、さゆりさんを苦しめるくらいだったら客として通えばよかった。……と、今になって後悔し始めていた。


「それは出来ません。冬馬くんに来てもらって、すごく助かっているんですもの」

「え……?」


 カウンターで、お皿を拭きながらにこやかに話すさゆりさんは……天使を通り越して、女神に見えた。


「たしかに一人でも回せてしまうけれど、二人だと安心感が違うんですよ。重いものを持ってもらえたり、お留守番を頼めてありがたいです」

「それならまあ、構わんが……」  

「冬馬くんも、みなさんも、喫茶リリィの大切な一員なんですよ。これからもよろしくお願いしますね! あっ、そうだ。昨日新しいケーキを作ってみたんです。ぜひ試食していただけないでしょうか?」

「いいねえ、いただくよ」

「では、さっそくご用意しますね」


 さゆりさんは冷蔵庫からケーキを取り出すと、五つに分けてお皿に載せた。

……五つ、ということは、俺の分もある。


「冬馬くんも、どうぞ」

「ありがとうございます、いただきます!」


 さゆりさんが作ったのは、体に優しそうなニンジンのケーキだ。言われなければ、野菜が入っているなんて気づかないほどにおいしい。添えられている生クリームがまた優しい素朴な味で、なぜかほっとする。


「さゆりさん、このケーキすごくおいしいです!」


 感想を伝えると、さゆりさんはとても嬉しそうに笑っていた。


「ありがとう。もう少し改良を加えてからメニューに追加しますね。せっかくだからもっとヘルシーにしたいなぁと思っているんですよ」


 ああ、なんてこの人は素晴らしい女性なのだろう。美人で、優しくて思いやりがあって、癒し系で、料理が上手だなんて……。完璧なひとだ。早くお嫁さんにしたい。

 さゆりさんの笑顔を目にするたびに、優しくしてもらうたびに、気持ちが高ぶって「結婚してください」と告白したくなる。その都度、仙人のように心を無にしてぐっとこらえる。まだ告白するタイミングではないし、何より、俺はまだ結婚できる年齢じゃないからだ。


「――じゃあ、僕たちはそろそろお店に戻るよ」


 溝口さんは席から立ち上がり、三人分の勘定を俺に手渡した。毎日交代でまとめて支払っているらしい。

 いったい、一か月の喫茶代はいくらになんだろう。


「また午後に来るからねぇ」

「はい、お待ちしております」


 ジジィトリオが店から出ていくとき、さゆりさんはいつも深く頭を下げている。どれだけ常連で仲が良くても、礼儀を忘れることはない。こういうところがまた人を惹きつけるのだと思う。


 ジジィトリオが帰ってようやく二人きりになれると思いきや、すぐに新しいお客さんがやってきた。


「おはようございます」

「おはよう。いつものモーニングセットを頼めるかな?」

「はい、ホットドッグですね」


 さゆりさんはまた、メニューにはないモーニングセットを用意する。もうこの店にはメニューなんて必要がないのではと呆れてしまうほど、お客さんにあわせた接客をしてしまう。

 でも、呆れる以上に、一人一人の好みに合わせようとする彼女のホスピタリティに感動を覚えていた。


 

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