1.新卒サラリーマンに癒しを~いつもの風景1~

――あれから一年後、俺は念願通りに喫茶リリィでアルバイトをしている。 


 昨日から夏休みに入ったので、モーニングの時間帯から手伝うことにした。

 さゆりさんと朝から夜まで一緒に過ごすことができるようになり、テンションもうなぎのぼりだ。


「いらっしゃいませー。って、なんだジジィか」

「なんじゃその態度は。さゆりちゃん、早くこんな小僧解雇してやれ」


 開店してすぐにやってきたのは、コロッケ屋の鈴木のおっさん、たい焼き屋の溝口さん、和菓子屋の石川さんだ。 この三人は、いつも一緒に朝と午後の二回やってくるらしい。


 鈴木のおっさん――鈴木次郎(すずきじろう)はいわゆる頑固オヤジって感じで、いつも威圧的な態度で話しかけてくる。

 ガタイも良くて、土日は少年野球チームのコーチをしているらしい。

 溝口博(みぞぐちひろし)さんは、鈴木のおっさんとは対照的。いつも優しくて、にこにこ笑っている。

 背が低くてつるつるした頭がお地蔵さんに似ている。

 石川陽司(いしかわようじ)さんは、すらりとした長身で紳士的な人だ。もうおじいちゃんなのに、若い女の子のファンもいるらしい。

 若い頃は相当なイケメンだったんじゃないかと思う。

 このジジィトリオがなぜ仲良しかというと、単純に幼なじみだかららしい。


 そして、なぜ毎日喫茶リリィに通っているかというと、もちろんこの人目当てである。


「冬馬(とうま)くん、お客様に乱暴な発言をしてはいけませんよ」

「……ごめんなさい」

「鈴木さんも、若い子を脅かすようなことはしないでくださいね」

「まったく、さゆりちゃんは甘いのう」


 鈴木のおっさんはぶつぶつ文句を言いながら、壁側の席に座った。その隣には溝口さん、石川さんはカウンター側の席に座る。これが三人の定位置だ。


「さゆりちゃん、いつもの頼むよ」

「僕も」

「私もいつもので」

「はい、かしこまりました。冬馬くん、おしぼりとお水をお願いしますね」


 トレイにおしぼりとグラスを載せてテーブルまで運ぶと、鈴木のおっさんに睨みつけられた。


「さゆりちゃんに何かしてみろ。絶対に許さんからな!」

「……何もいたしませんので、ご安心くださいませです」

「なんだその話し方は! 気持ちが悪いのう!」

「ジロちゃん、落ち着いて。冬馬くんが悪い子だったら、さゆりちゃんがすぐに追い出してると思うよ」


 穏やかな溝口さんにたしなめられ、鈴木のおっさんは気まずそうな顔で水を飲んでいた。


「まあ、それだけさゆりちゃんが魅力的だという証拠でしょう。冬馬くんのような年下の男性にさえも愛されてしまうのですから」

「あ、愛って! 俺はそんな……」


 ダンディーな石川さんの口からとんでもない言葉が飛び出してきて、焦ってトレイを落としそうになった。コップをテーブルに置いた後でよかったと思う。


「こんな小僧にさゆりちゃんは任せられんわ。まだ竹内のほうが似合っとる」

「そんなん、ただ社会人ってだけじゃないすか。俺だって、あと十年経てば立派に働いてるし!」


 溝口さんたちが間に入ってくれても、俺と鈴木のおっさんの口論は止まらない。

――止められるのはさゆりさんと、彼女の淹れるコーヒーの香りだけだ。

「本当に落ち着くかおりだよねえ」

「さゆりちゃんのコーヒーを飲まないと、一日が始まりませんよね」


 石川さんと溝口さんは、目を閉じてこの芳醇な香りを楽しんでいる。

 店にこの香りが充満すると、鈴木のおっさんまでも何も話さなくなる。コーヒーそのものがすごいのか、さゆりさんが淹れるコーヒーが特別なのかはよくわからない。

 ちなみに喫茶リリィではサイフォンという器具を使って抽出している。カウンターに並べられたその器具を見ると、なぜか俺は理科の実験を思い出す。


「冬馬くん、テーブルまで運んでもらえますか?」

「はーい」

「このサンドウィッチが溝口さん、エッグベネディクトは石川さん、肉じゃが定食は鈴木さんです」


 俺は言われた通りに、料理とコーヒーをそれぞれの前に運んだ。

 ちなみに、この中でメニュー表に載っているのはサンドウィッチだけ。

 さゆりさんはメニューにないものでも、リクエストに応えて作ることがある。去年の俺の時みたく、売上度外視したサービスをしてしまうこともしばしばだ。


 お客さんが全くいないという状況はあまりないけれど、繁盛しているとはいえないこの店。サービスばっかりして赤字にならないのか、とアルバイトの俺ですら心配してしまう。

 でも、俺はこの心配事を本人に聞くことができない。自分の首を絞めることになるからだ。

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