第35話『シロツメクサ-前編-』

 4月22日、土曜日。

 今日の空は雲一つない快晴だ。天気予報によると、今日は雨の心配はなく、絶好の行楽日和だという。

 正午前。僕は伊織と瀬戸さんの故郷である黒川市というところにやってきている。僕が住んでいる白花市からは車でおよそ2時間半かかる地方都市だ。中心街である黒川駅周辺には多くの建物があるけれど、かなり近くに新緑の山がはっきりと見えるあたり地方っぽさを感じることができる。

 僕が今日、黒川市へとはるばる来た理由はとある人に会うためだった。


「すみません、樋口真澄さんですか?」

「は、はい! 樋口真澄です、初めまして」

「初めまして、沖田千尋です。昨日、突然のお誘いだったのに、僕のために時間を作ってくださってありがとうございます」

「そんなことないですよ。それに、あたし達は同い年なんだし、タメ口でいいんじゃない?」

「樋口さんはタメ口でいいですよ。ただ、僕は敬語の方が気が楽なので」


 そう、僕が会いたい人は樋口真澄さん。金髪のポニーテールが印象的で、瀬戸さんと引けを取らないスタイルの良さだ。可愛らしい雰囲気を醸し出しており、伊織が好意を抱くのも納得かな。

 黒川駅のすぐ近くに黒川自然公園というところがあるので、公園の入り口近くで今日の正午に彼女と待ち合わせしていた。樋口さんに興味を持ったから一度、ゆっくりとお話としてみたいという理由で。


「そこにベンチがあるから、そこでゆっくりと話そうか」

「ええ」


 僕は樋口さんと一緒にすぐ近くのベンチまで向かう。


「……あっ、樋口さん。出会いの記念に」


 僕は樋口さんに一輪のシロツメクサの花を手渡した。黒川駅の近くにお花屋さんがあったので、彼女にプレゼントしようと買ったのだ。


「ありがとう。あたしと同い年とは思えないくらいに大人なのね、沖田君は」

「いえいえ。クラスメイトの瀬戸さんにアルバムを見せてもらって、樋口さんの写真を見たとき、直感でこのシロツメクサの花がお似合いだと思いました。この花には『幸福』という花言葉がありますので」

「そうなんだ。花をプレゼントされるとは思わなかったから、凄く嬉しいよ」

「それは良かったです」


 僕と樋口さんは隣同士でベンチに腰を下ろす。

 市の中心部ではあるものの、お昼ご飯の時間帯だからか人はあまりいなかった。これなら彼女とゆっくりと話すことができるかな。


「ねえ、沖田君」

「はい、何でしょう?」

「どうして、あたしと会おうとしてくれたの? 彩音からの電話だと、あたしに興味を持ったからって言っていたけれど」

「大正解です。さっきも言ったんですけど、瀬戸さんの出身中学の卒業アルバムを見させてもらって。クラスの集合写真があるじゃないですか。黒い髪の子や瀬戸さんのような茶髪の子が多い中、あなたの綺麗な金色の髪に惹かれまして。顔を見たらとても可愛らしくて。これは一度、会ってみたいなと思って」

「本当ですかぁ?」

「本当ですよ。実際に見たら、やっぱり写真よりも可愛いと思いました。白花ってところから何時間もかけて来てみて正解でした」


 可愛らしいと思ったのは本当だし、そのことで嘘をついても意味がないだろう。


「……そんな風に煽てても何も出ないよ」


 と言いながらも、樋口さんは顔を赤くしながら嬉しそうに笑っている。


「彩音から沖田君の写真を見せてもらって、君って草食系イケメンだと思ったけど、意外と肉食系なんだね。そういうギャップがある子、あたしは好きだよ」

「好きですか? 本気で考えちゃいますよ?」

「ダメダメ! あたしには同じ高校に通っている彼氏がいるから」

「ははっ、そうですか。それは残念」

「彩音から聞いてなかったの?」

「言っていたかもしれませんけど、写真に写っているあなたを集中して見ていたので、何も聞こえなかったんでしょうね」

「……口が上手いんだね、沖田君は。浮気しないように気を付けなきゃ」


 えへへっ、と樋口さんは頬を緩ませている。こうして見てみると、普通の可愛らしい女子高生にしか見えないな。


「彼氏さんがいるってことは、もちろん馴れ初めがあるじゃないですか。どこで知り合って、付き合い始めるまでの話が僕は凄く好きで」

「えっと、それは……」


 すると、さっきまでの明るい笑みがどんどん淀んでいく。きっと、彼女のことを思い出しているのだろう。当たり前だよね。

 さてと、これから本題に入ろうか。


「神岡伊織。あなたはきっと彼女のことを思い出していますよね。瀬戸彩音さんと同じ高校に通っている女子生徒です」

「……伊織のことを知っているだね」

「ええ。何せ、伊織は……僕の恋人なんですから」

「な、何ですって!」


 その事実を告げた瞬間、樋口さんの笑みからは完全に消えた。驚きの眼をした後、僕が伊織の恋人であることを鋭い目つきで僕のことを見るようになる。それが、伊織に対する現在の樋口さんの想いってことか。


「樋口さん。シロツメクサの花言葉は幸福だけじゃないんです。幸福とは真逆に位置する言葉……そう、復讐ですよ」


 僕がそう言うと、樋口さんは僕がプレゼントしたシロツメクサの花をその場に投げ捨て、思いっきり踏みつけた。僕に向けて怒りの表情を露わにする。


「今みたいに、あなたは中学時代、伊織のことをいじめ、踏みにじった。そんな伊織といつも一緒にいた瀬戸彩音という名前が出た瞬間に、僕があなたの中学時代について知っている可能性を疑わなかったんですか?」

「疑わなかったわよ! 伊織は何にも反抗してこなかったし、自分の黒歴史を高校で出会った友人に、ましてや恋人のあなたに話せるわけがないってね」

「反抗しなかったということは、あなたが伊織をいじめていたことを認めると受け取っていいですね?」

「好きにすれば? なぁに? 伊織は高校生になった今になって、彼氏まで使ってあたしに復讐してしようとしているの? 馬鹿馬鹿しい! 弱い女は時間が経っても弱いままなのね!」


 あははっ、と樋口さんは高笑いする。

 伊織をいじめて、今も花園君と付き合っているから自分は勝ち組だと思っているのだろうか。それとも、今さら何をやっても無駄だという余裕の笑みなのか。


「伊織は弱い女の子なのかもしれません。ただ、花園夏樹という男子生徒が伊織に好意を持っていると知っていただけで、伊織をいじめるなんて。伊織は彼と関わりはない。あなたはとても卑劣な人間ですよ」

「どうかしら? あなたを使って復讐をするのも卑劣なんじゃない?」

「復讐というのは大げさですが、あなたが伊織に与えた痛みをちゃんとお返ししようとしているだけですよ。ほら、人を殴ったり、壁を叩いたりしたら自分に痛みが帰ってくるでしょう? それと同じですよ」

「滅茶苦茶よ!」


 そう言って、樋口さんはベンチを思い切り叩いた。そこまでいい音がでるほどに叩けば、きっと手が痛いだろうなぁ。


「……まあ、今の話は例えです。ただ、あなたが伊織をいじめた理由は滅茶苦茶だと思います。伊織は普通に中学校の生活を送っていました。ある日、あなたは花園君が伊織を好きだと知りました。2人に接点はありませんでした。伊織が花園君に関心を向けている様子もありませんでした。それなのに、あなたは伊織をいじめました。ほら、滅茶苦茶で自分勝手じゃないですか」

「大切な内容が抜けているよ。あたしが花園君に好意を向けていること! その花園君が伊織に好意を抱いている。それ自体が伊織の罪なの。あたしにとって危険な存在を花園君の前から排除するのは当然のことなの」

「……なるほど。では、仮に花園君が好意を抱いた相手が瀬戸さんだったら、あなたは瀬戸さんを排除するために動いていたと」

「その通りよ。好きな人をあたしのものにするために、危険な人間を排除していくのがルールだから」


 樋口さんは迷いなくそう言った。花園君を自分の彼氏にするためには手段を選ばないということか。やっぱり自分勝手で卑劣な人間だ。


「あぁ、それにしても彩音を放っておいたのは失敗だったな。伊織の側にいて、遠くの学校に進学するために受験勉強をしていることは知ってた。まあ、彩音とは普通に話していたから、伊織のことを探るには最適な女だと思ってね。まあ、向こうはあたしのことを良く思っていないと思うけれど。じゃあ、今度はあの女を壊しちゃおっかなぁ。そうすれば、あなたの恋人の伊織もまた壊せるかもしれないし……」


 樋口さん、とても嫌らしい笑みを浮かべている。伊織をいじめているときもこういった表情を見せていたのかな。

 どうやら、中学生のときに伊織をいじめたことについて全く反省しないようだ。


「そんなことは俺がさせないぞ、樋口真澄」


 そう言って緒方が姿を現した。彼の後ろには伊織、瀬戸さん、天宮先生、浅利部長、三好副部長がいる。今日の伊織は初デートのときに買ったワンピースを着ている。

 そう、黒川市に来たのは僕1人だけじゃない。天宮先生が借りたレンタカーに乗って7人で一緒にやってきたのだ。樋口さんと決着を付けるために。

 僕と緒方のスマートフォンを通話状態にして、伊織達はここから見えないところで僕と樋口さんの会話を聞いてもらっていた。もう、みんながここにいるから通話は切っておくか。


「あら、イケメンにはイケメンの友達がいるようね。そして、伊織……久しぶり。ここからとても遠いところの高校に進学して、さっそく卑怯なことを考えたのね」

「……真澄は相変わらず卑劣な考えを持っているんだね」


 伊織がそう言うと、樋口さんは声に出して笑う。


「へえ、そういうことを言えるようになんてね。少しは成長したじゃない。まあ、あたしに歯向かうなんてことは許されないけれど。今度はどんな罰がいいかなぁ」

「……許さないのはこっちの方。それに、私にはこんなにも多くの仲間がいるからね。大好きな恋人の千尋が側にいてくれるから。いつまでも黙ったままの私じゃない!」


 伊織は真剣な表情をして、力強くそう言った。


「それで? あたしを謝らせたいの? ざーんねんでしたっ!」


 あははっ、と樋口さんの笑い声が響き渡る。

 樋口さんは腕や足を組んで余裕の態度を見せる。彼女の笑みからして、僕らのことを何とも思っていないんだろう。


「あたしは目の前にあんたの仲間が何人いても、謝る気なんて全然ないから! ていうか、謝る必要がないから! 花園君が好意を持っちゃうような伊織が存在していること自体が悪いんだから! あんな目に遭った自分自身を恨みなさいよね」

「そんな暴論は通用しないわ! 真澄のせいで伊織がどれだけ苦しんだのか分かっているの?」

「それはこっちのセリフよ、彩音。伊織が存在していたせいで、あたしがどれだけ苦しんだのか分かっているの? あたしの苦しみを無くすには、あのくらいのことはしなきゃいけなかったんだよ!」


 どうやら、樋口さんは伊織にしたことを正しいと思っているようだ。彼女の言葉を借りれば、自分のルールに則っただけなのかな。その考えは誰から何を言われても曲げるつもりはないようだ。


「そもそも、女同士の恋愛なんて気持ち悪い。あたしが嘘ついて告白したら、伊織は本気になっちゃって。えっちされそうになったときは本当に吐きそうになった。伊織のような女はみんな消えればいいんだよ!」

「あなた……どれだけ伊織のことを馬鹿にすれば気が済むの!」

「落ち着きなさい、彩音ちゃん」

「気持ちは分かるけど、彼女を叩くのは心の中だけにしておきな」


 天宮先生と三好副部長が瀬戸さんを落ち着かせようとする。ただ、瀬戸さんの怒りに満ちた表情が収まる気配はない。


「樋口さん。女性同士の恋愛を気持ち悪いと思ってしまうこともあるでしょう。それ事態は非難しません。ただ、1つの恋愛の形であり、とても素敵なことなのです。そういう恋愛もあるのだと認めることはできないのですか。馬鹿にするあなたの考えを変えなければ、きっと……今も続く花園君との恋はいつか破綻してしまいますよ」


 浅利部長は落ち着いた雰囲気で樋口さんに伝える。


「誰かは知らないけれど、綺麗事言わないでくれる? それに、碌に知らない人達にあたしのことをとやかく言う権利はない! ここにいる奴らはみんな伊織と同罪。覚えておきなさいよ……」


 どうやら、樋口さんの怒りを増幅させるだけになってしまったようだ。彼女はよほど、自分の考えの正しさに自信があるみたいだな。

 すると、瀬戸さんはニヤリと笑う。


「……そういう態度でいられるのもここまでだよ、真澄」

「えっ?」

「あなたと決着を付けるために、みんなで白花市からここにやってきたよ。でもね、伊織の仲間はここにいる6人だけじゃないの。もういいよね、沖田君」

「そうだね、瀬戸さん」


 彼には見守ってもらうだけで、基本的には僕達だけで決着を付けるつもりだったけれど……しょうがない。彼にも登場してもらおうか。


「もう姿を現していいですよ。樋口さんの恋人である……花園夏樹君」

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