第34話『深緑』

 今日の授業は全て教室で受けた。ただ、僕達のことをジロジロと見てくるクラスメイトが多かったので、あまり授業に集中できなかったけれど。

 そういえば、これから体育のときはどうすればいいかな。僕はこれまで通り教室でかまわないけど、周りに配慮するためにお手洗いの個室で着替えるのが無難だろうか。女子更衣室で着替えるのはさすがにまずいし。


「沖田、これからどうするか?」

「そうだね……」


 まず考えるべきなのは、伊織と瀬戸さんの仲を元通りにすることかな。そのことについては昨日から時折考えていた。土日の間に何かできればいいけれど。瀬戸さんのことだからか、緒方はいつも以上に真剣になっている。


「ここだと他の生徒もいるから、これから茶道室に来ない?」

「いいんですか? 今日は部活の日じゃないですけど」

「大丈夫よ、顧問の私がいるんだし。それに、飲みたいならお抹茶を点ててあげるよ」


 天宮先生はウィンクをする。そういえば、先生がお抹茶を点てている姿はまだ見たことがないな。


「じゃあ、お言葉に甘えて、とりあえず茶道室に行きましょうか。緒方は部活……大丈夫なのか? 2日連続で休んで」

「大丈夫さ。昨日も家に帰ってから陽が沈むまで自主練していたし。それに、部活よりもこっちの方が大切だからな。俺にも何か協力させてほしい」

「……緒方って見かけによらず結構熱い男だよね」

「……お前こそ」


 そう言って、緒方は持ち前の爽やかな笑みを見せてくれる。そんな彼と話していると今までと変わらない感じがして嬉しい。

 僕、伊織、緒方は天宮先生の後をついて行く形で茶道室へと向かう。


「へえ、うちの高校に畳の部屋があるとは。落ち着けて良さそうだ」

「茶道部はここで活動しているのよ。うちの学校、複数の部活に入るのも認められているから緒方君も茶道部に入ってみる?」

「ははっ、どうしましょうかね。きっと、サッカー部の方ばかりになって、幽霊部員になると思いますよ?」

「それでも緒方君が茶道部に入部してくれるように、これから先生が腕によりを掛けてお抹茶を点ててあげるね」


 天宮先生、妙に気合いが入っているような。まさか、緒方を入部させて、より多くの女子生徒の関心を持たせようとか考えてないだろうな。


「何か後に引けなくなってきましたね。でも、お抹茶は楽しみですよ」

「ふふっ。じゃあ、3人とも……私と向かい合うように1列に並んで座りなさい。みんなにお抹茶を点ててあげるから」

「ありがとうございます!」


 伊織、とても嬉しそうだ。僕も先生の点てたお抹茶は飲んだことがないから楽しみ。

 天宮先生の言うように僕らは、先生と向かい合うようにして1列に並んで座った。


「あっ、やっぱり詩織ちゃん達いたよ」

「先生達をお見かけしたので、朱里ちゃんと一緒に来てみたんです」


 入り口のところに浅利部長と三好副部長の姿が。


「なるほどね。せっかくだから、可愛い教え子達に私の点てた抹茶を飲ませてあげようと思ってね」

「そうだったんですか! あと、伊織ちゃん達と一緒にいるそちらのイケメン君は?」

「2人と同じ1年3組の緒方京介です。沖田とは10年来の親友です」

「なるほど! イケメンはイケメンを呼ぶんだね! あたし、3年2組の三好朱里! 茶道部の副部長なんだよ!」

「私は3年1組の浅利千佳と申します。茶道部の部長です。よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします。あなた方が茶道部の先輩なんですね。俺もここ何日かの事情は分かっていて、神岡から茶道部の先輩方に相談したら、少し気分は軽くなったと聞いています」


 緒方、中学からサッカー部でしっかりと活動しているからか、初対面の先輩方に対しても普段とさほど変わりなく接している。


「そうだったのですか。しかし、心なしか伊織さんは大分元気になられたように思いますが」

「全て解決したわけじゃないんですけど、千尋とは今まで通り恋人として付き合っていこうと気持ちを確認し合えたので」

「ふふっ、そうですか。ひとまずは安心ですね」


 浅利部長は美しく笑った。

 緒方と先輩達が自己紹介をし合っている間に、天宮先生はお抹茶を点てる準備を進めていた。


「じゃあ、3人に渾身のお抹茶を点ててあげるわね」


 天宮先生は緒方、伊織、僕という順番でお抹茶を点ててくれる。お抹茶を点てているときの先生は普段と違って凛としており、とても美しく見えた。静かな表情をしながらも、お茶を点てる手つきは情熱に溢れているように思えて。

 茶道の基本的な所作を知っているのか、僕や伊織が何かを言う前に、緒方はお茶菓子として出した金平糖を全て食べてからお抹茶を飲んだ。


「……とても美味しかったです。ありがとうございました」


 緒方は爽やかな笑みを浮かべながらそう言って、ゆっくりと頭を下げた。緒方は昔からコーヒーが大好きなので、お抹茶もいける口なのかな。

 僕と伊織も先生が点ててくれたお抹茶をいただく。浅利部長が点てたときのように苦味とコクが口の中に広がっていく。これは美味しいな。


「美味しいですね、天宮先生」

「初めて飲んだときと比べたら、だいぶ美味しさが分かってきたような気が……します」

「ふふっ、抹茶の良さが分かってきている証拠だね。3人とも美味しく飲んでくれて先生はとても嬉しいよ」


 天宮先生は嬉しそうな笑みを見せてくれる。何だか、これまでの中で一番茶道部の顧問らしいな思った。


「それで、少しは考えがまとまったかな? 特に沖田君は。君が一番考えていたようだから」

「そうですね……」


 全ての原因は伊織が中学時代に受けたいじめにあると考えている。実際に伊織は当時のことに今も囚われ続けていると言っていた。だから、そのことに決着を付けなきゃいけないことは分かっているんだ。


「どうすればいいのかは分かってはいます。ただ、伊織や瀬戸さんがどうしたいのか聞かない限り、僕ら周りの人間は動いてはいけないのだと思います。今は彼女達に寄り添うことが必要じゃないかなって。もちろん、2人の気持ちを聞いたらそれが叶うように協力する。それだけです」

「……なるほどね。周りが盛り上がっても、本人達の意に沿うことじゃなければあまり意味がないってことか」

「ええ。もちろん、伊織に早く気持ちを言えって急かしているわけじゃないから」

「……うん、分かってるよ。でも、あのときのいじめに囚われているから、そこから解放されるには、真澄と決着を付けるしかないと思う。今のままじゃ嫌だよ。1人だったら無理だと思うけれど、千尋達が一緒にいてくれるならできるような気がするの。もちろん、彩音も一緒にいれば」


 伊織も今の状況を変えたいと思っているんだ。そのためには、中学時代に自分をいじめた樋口さんと決着を付けなければならないと。


「そっか。分かったよ、伊織。一緒に頑張ろう」

「……うん!」

「そうと決まれば、さっそく瀬戸に電話を掛けてみよう」


 そう言って、緒方はスマートフォンを取り出して瀬戸さんに電話を掛ける。彼女も少しは気持ちが落ち着いていればいいけれど。


「緒方だ。瀬戸、気分はどうだ? ……そうか、落ち着いてきたか」


 そのとき、緒方はスマートフォンを畳の上に置いて、スピーカーホンにする。


『クラスのみんなはどう? 多分、色々と言っていると思うけれど。あたしのスマートフォンにもそういったメッセージがいくつも来てるし』


 瀬戸さんも同じようなことをされているのか。スマホがあることで友人やクラスメイトといつでも話せるのはいいけれど、こういったときは逆にそれがデメリットになる。


「じゃあ、そういうメッセージを送る人には着信拒否設定にした方がいいね。そうしたら、僕は結構落ち着いたから」

『えっ、そ、その声って……沖田君?』

「ああ。天宮先生や茶道部の先輩方、それに……伊織もいるよ」

『そう、なんだ……』


 そっか……と、瀬戸さんのため息をつく声が聞こえてくる。伊織がいることを知って緊張してしまっているのかな。


「瀬戸。今、こっちで色々と話したんだけど、神岡をいじめた樋口に決着を付けようと思っているんだ。これは神岡の意志でもある」

『伊織の……?』

「ああ。今のような状況になった全ての始まりは、中学時代に神岡が受けたいじめにあると考えている。この状況を変えるには、彼女をいじめた張本人である樋口と決着を付けなきゃいけないって考えにまとまったんだ。そのためには瀬戸の協力が必要なんだ。神岡のために力を貸してくれないか?」


 僕達が瀬戸さんに伝えたいことは、今の緒方の言葉の通りだ。あとは瀬戸さんが僕達の気持ちをどう受け止め、反応してくるか。

 しばらくの間、静かな時間が続いた後、


『あたしには……できないよ。あたしは真澄と同じように、誰かに向けた伊織の好意を貶した。そして、伊織に絶交するって言われたとき、あたしは伊織のためには何もできないって分かったの。あたし、それに納得しているんだ。だって、2人を引き裂いて、伊織を自分の彼女にしたいからっていう身勝手な理由で、沖田君のカミングアウトしたことを漏らしたんだよ? そんなあたしにできることはないんだよ』


 最後には瀬戸さんの声が震えていた。

 どうやら、瀬戸さんは僕のカミングアウトを漏らしたことで、樋口さんと変わらない存在になってしまったと思い込んでいるようだ。伊織からの絶交宣言でそれを受け入れてしまっているように思える。


「確かに、瀬戸さんのやったことは、今まで積み上げてきた伊織との信頼を一瞬にして崩すようなことかもしれない。樋口さんと変わらないと思うのは当然かもしれない」

『そうだよ! だから……』

「でも、そこから変えられるんじゃないかって思ってる。現に、伊織は絶交をすると言った瀬戸さんに助けを借りたいと言っているんだ」

『それは、真澄に決着を付けるために必要な道具として――』

「違うよ!」


 そう叫ぶと、伊織は緒方のスマートフォンを手にとって、


「彩音だから頼んでいるんだよ! 千尋のカミングアウトを漏らしたことは今でも許せないよ。でも、千尋達と話して、気持ちを整理して……真澄と決着を付けるときは彩音にも側にいてほしいと思ったの。都合がいいって思うかもしれないけれど、私は彩音をまた信頼したいんだ……」


 泣きながら瀬戸さんに想いを訴えた。

 瀬戸さんをまた信頼したい……か。その言葉に伊織の正直な気持ちの全てが現れているように思えた。

 よく、素直に気持ちを伝えられたね、伊織。僕は伊織の頭をそっと撫でた。彼女の頭からは確かな温もりが伝わってくる。この温もりは瀬戸さんにも届いているだろうか。


『……何をすればいいかな、あたし』


 瀬戸さんのその一言で、目の前の景色がほんのちょっと違って見えた気がした。ただ、それは大きな一歩のような気がして。


 どうやって樋口さんと決着を付けようか。

 何をもって決着できたと言うのか。

 そうするためには何を準備すればいいのか。


 瀬戸さんを交えて、僕らはたくさん話し合った。

 一通り考えを纏めた結果、明日……僕らは樋口さんと決着を付けることに決めた。

 これは伊織の受けたいじめを終わらせるためだけじゃない。僕らの新しい日々をスタートさせるためにやるんだ。

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