第21話『羨ましいくらいの恋』

 ――伊織に隠し通すつもりなの?


 伊織よりも自分や緒方、天宮先生に心と体の性別の違いをカミングアウトしたんだ。当然、そのことを僕の恋人である伊織にも伝えるかどうか知りたいだろう。瀬戸さんは伊織の親友なのだから。


「ねえ、教えてくれないかな、沖田君。あなたはとても大切なことについて、あたし達に話してくれた。でも、伊織には話さないでほしいと忠告している。ということは、沖田君がこのことを話すの?」

「それは……」

「……隠せば隠すほど伊織にも、沖田君にも深い傷を負うことになると思うよ。できるだけ早く言った方がいいと思うけれどね、あたしは」


 真剣な表情でそう言う瀬戸さんの言葉が、胸に深く刺さる。


「あまり沖田を焦らせるな。瀬戸の言うことも分かるけれど、沖田はきっと俺達に話すことでさえも凄く勇気が必要だったんだと思うぞ。今日のことを神岡に話すなって言ったのは、事の重大さを分かっているからじゃないのか?」

「それも分かるけれど……」

「……沖田の気持ちも少しは考えてほしい」


 緒方と瀬戸さん……意見が対立している。2人の今の言葉からして、おそらく瀬戸さんは少しでも早く伊織にカミングアウトの内容を話し、緒方は気持ちを落ち着いてから話してもいいんじゃないかと考えているんだろう。


「でも、伊織に隠し事なんて。それも、こんなに重要なことを……」


 そう、僕がこのことを隠すということは、3人にも同じように隠してもらわなければいけないのだ。瀬戸さんが心苦しそうな表情をするのは仕方ない。


「2人とも、落ち着きなさい。……沖田君のことも、伊織ちゃんのことも把握した。彩音ちゃんの言うように隠し事……っていう言葉はあまり良くないけれど、伊織ちゃんに教えていないことがあると辛い。ただ、心は女性なのを私達にカミングアウトするのも相当な勇気が必要だったんじゃないかっていう緒方君の意見にも一理ある。ただ、一番大事なのは、沖田君が伊織ちゃんにどうしたいかなんじゃない?」


 僕が伊織にどうしたいか。

 つまり、僕の体は男だけれど、心は女であることを伊織に伝えるかどうか……だよな。


「沖田君。まずはそれを考えてみるのはどうかな? もちろん、ゆっくりと考えていいからね」

「……分かりました。考えてみます」

「うん、分かった。じゃあ、考えがまとまるまでは、とりあえずこのことは4人だけの秘密にしましょう。いつでも先生に相談しにきていいからね。電話やメッセージでもいいから」

「俺も相談に乗るからな」

「……ありがとうございます」


 緒方や天宮先生が僕のサポートをしてくれるのは嬉しい。

 ただ、瀬戸さんが複雑な表情で無言なのは仕方ないと思う。きっと、とても大切なことを伊織に隠し続けるのが辛くて、伊織に打ち明けない僕に対して嫌悪感を抱いているのかもしれない。


「伊織がこのことを聞いたらどう思うだろう……」


 瀬戸さんはぽつりとそう呟いた。

 彼女はもしかしたら僕のことを、かつて伊織をいじめていた女の子と重ねているのかも。いじめた女の子は伊織が好きだと嘘を付いた。僕は伊織に男性であると嘘をついたのだ。


「彩音ちゃんが伊織ちゃんをとても大切に想っているのはよく分かるよ。でも、沖田君が教えてくれたことは、とてもデリケートなことだから、まずは4人だけの秘密にしておこう。隠し続けるのは辛いとは思うけれど。ね? 彩音ちゃん」

「……伊織にまた、あのときのような悲しい想いをさせたくないんです。伊織を見守るために白花高校に進学したのに……」

「……友達想いなんだな、瀬戸は」

「だって、伊織は大切な親友だもん。できるだけのことはしたいの」

「……そうか」


 すっかりと緒方はいつもの笑みを見せてくれるようになったけれど、瀬戸さんは依然として浮かない表情のままだ。

 瀬戸さんの言うように、できるだけ早く話した方が、伊織の傷を広げずに済むかもしれない。でも、それを考えて焦ってしまったら、伊織に対して本来なら伝えられることが伝えられなくなってしまうかもしれない。


「沖田君、他に話したいことはある?」

「いえ、ありません」

「分かったわ。じゃあ、それぞれの部活に戻りましょうか。何度も言っているけれど、ここで沖田君から聞いたことは内緒にしましょう。特に伊織ちゃんには」


 緒方と瀬戸さんは自習室を後にした。

 緒方は大丈夫だと思うけれど、瀬戸さんは……相当ショックだったんだろうな。自習室を出るときまで僕らに笑顔を見せることはなかった。


「沖田君、私達に話したことで少しは気持ちが軽くなったかな?」

「……まあ、少しは。真っ暗で何にも見えなかった状況だったのが、ほんのちょっとだけ……視界が広がったというか」

「そっか、なら良かった」

「でも、瀬戸さんの反応を見ると……正直、恐いですね。伊織に僕のこと話しても、話さなくても……伊織が笑顔になれなくなるような気がするんです」


 伊織が中学時代のいじめを話す前にカミングアウトしていれば、何かが違っていたのかもしれない。そう思うと後悔してしまう。


「確かに、彩音ちゃんは親友だけあって、中学時代の伊織ちゃんをよく知っている。だからこそ、当時、伊織ちゃんをいじめていた女の子と沖田君を重ねていたのかもしれない。もちろん、沖田君が悪いって言っているわけじゃないよ」

「……いえ、僕も思っていました。瀬戸さんは中学時代に伊織をいじめていた女の子と僕を重ねていたんじゃないかと」


 本当のことを隠しながら、恋人として伊織と付き合っていること。伊織はそんな恋人が大好きであること。それが分かったから、瀬戸さんは僕のカミングアウトを聞いてから笑みを見せなくなったんだ。


「僕の場合は生まれつきのことです。それでも、本当のことを隠した方が平穏に過ごせると思って、16年近く生きてきました。隠すことで自分にとっての利益を得る。それは伊織をいじめた女の子とさほど変わらないと思います」

「そんなことないと思うよ。その女の子は伊織ちゃんをいじめるのを目的に、好きだと偽って伊織ちゃんと付き合っていたんでしょう? でも、沖田君は違う。伊織ちゃんを傷つけるために付き合い始めたわけじゃないんでしょう?」


 天宮先生のその言葉に心が揺さぶられた。


「……ええ。最初はいい子だなと思うくらいでしたけど、彼女と一緒にいる中で、僕は彼女のことが本当に好きになりました。ずっと一緒にいたいくらいに好きだからこそ、こんなにも悩んでしまうんです」


 だから、過去に女性への恋愛感情を口実にいじめられた伊織に対して、僕の心が女性であると伝えるのがとても恐いんだ。


「……悩めるくらいの恋をしているんだね、沖田君は。羨ましいな」

「先生……」

「前に話したでしょう? 私は学生時代に付き合っていた女の子がいたけれど、就職を機に離ればなれになって、結局別れたこと」

「……話していましたね。確か、それを話してくれたのはショッピングモールで、僕のワンピース姿を見たときでしたっけ」

「そうだね。……別れようって言われたときは悲しかった。でも、卒業を機に彼女と離れることになったとき、離れちゃうんだなとしか思わなかったんだ。ずっと一緒にはいられなくて、彼女とはここで終わりなんだって悟ったの。だから、別れることになって泣いたけれど、すぐに吹っ切れたんだよね」

「そうだったんですね」


 もし、僕と伊織だったら……と一瞬考えたけれど、気持ちが潰れてしまいそうなので止めておこう。


「思い返せば、付き合っていたときも……彼女と一緒にいるとき、寝るとき、キスするとき、えっちするとき……それぞれの瞬間が楽しければいいと思ってた。彼女とずっと一緒にいたいって考えたりすることは全然なかったんだ。だから、ずっと一緒にいたいくらいに好きだってはっきり言える恋をしているのは凄いなって思うよ」

「……そう想ったのはつい最近なんですけどね」

「それでも凄いよ。高校1年生になったばっかりで。……って、こんなことを言っていると本当に歳を取った感じがする。そうだよね、君達とは10個くらい違うし、四捨五入すれば30だし」


 はあっ、と天宮先生はげんなりしている。そういえば、先生の年齢っていくつだったのか訊いたことなかったな。今の話で20代後半であると分かったけれど。


「さっきも言ったけど、家に帰ってからも電話やメッセージで私に相談してくれていいからね」

「……分かりました」

「じゃあ、まだ時間的にも茶道部の活動をしているから……行こうか。伊織ちゃんがいるけれど大丈夫?」


 今日は火曜日だから茶道部の活動があるんだよな。ということは、今は茶道室で伊織は先輩方と部活をやっているんだ。彼女のいるところに今から向かおうとしている。


「……とても緊張しますけど、先生がいれば大丈夫だと思います」

「ふふっ、そっか。じゃあ、一緒に行こうか」

「はい」


 僕は天宮先生と一緒に自習室を離れ、伊織の待つ茶道室に向かってゆっくりと歩き始める。

 茶道室に着くまでの間、伊織に対してどうしたいかずっと考え続けた。そのときに浮かぶ伊織の表情は悲しげな顔ばかりなのであった。

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