第20話『カミングアウト』
4月18日、火曜日。
今日はずっと伊織に今日の放課後のことを感付かれないように努めた。緒方も瀬戸さんも天宮先生も、普段通りに僕らに接してきてくれた。
放課後になり、僕は天宮先生と勉強のことで相談があるから遅れると伊織に嘘を付き、彼女には1人で茶道室に行ってもらった。
僕は天宮先生と一緒に個別自習室に向かう。
中には机と2つの椅子、勉強を教えるためなのかホワイトボードが壁に備え付けられている。ここなら勉強に集中できそうだ。
「4時半まではあと少しあるね。せっかくだから、先生と2人きりで話そうか」
「……ええ」
僕と天宮先生は机を挟んで向かい合うようにして椅子に座った。
「実は昨日の夜、伊織ちゃんからメッセージが来てね。沖田君が元気ないから、いつもよりも気に掛けてくれませんかって」
「そうですか」
やっぱり、伊織は僕の様子が普段と違うことをかなり気にしているようだ。瀬戸さんからも、伊織から僕のことで相談されたとメッセージが来ていた。
「確かに、彼女の言うように、沖田君はいつもより元気がないね。ただ、伊織ちゃんと喧嘩をしているようには見えない。でも、君には伊織ちゃんには隠しながら、私や緒方君、彩音ちゃんに話したいことがある。もし良ければ……私だけにも先に話してくれるかな? そうすれば、2人にも話しやすくなるかもしれないし」
「……いえ、その必要はありません。とても緊張していますが、この場で3人に話すと覚悟を決めていますので」
「……そっか。なら、そのときを待つことにするわ」
僕はその気持ちに甘えるようにして、それ以降、天宮先生とは一言も言葉を交わさなかった。
そして、約束の午後4時半。
「お待たせ、沖田君」
「すまない。キリ良く終われなくてちょっと遅れてしまった」
時間ピッタリに瀬戸さんがやってきて、それから2、3分後に緒方がやってきた。緒方の方は急いでここに来たのか、ちょっと息を切らしていた。
「緒方、座って」
「……ああ、すまない」
「彩音ちゃんもこっちの椅子に座って」
「はい。ありがとうございます」
ついに、この時間が来てしまったか。
3人に話したいことがあると言ってから、色々なことを考えてきたけれど、もう言わなきゃいけない。ううん、言いたい。ここで言わないと何も進まない気がするから。
「それで、沖田君。あたし達に話したいことって何なの? 伊織には絶対にバレないようにしてほしいっていうのも気になるけれど、それが関係しているの?」
「……うん」
昨日、僕が送ったメッセージの中の「伊織には気付かれないようにしてほしい」という一言が気に障るのか、瀬戸さんは不機嫌そうな様子を見せていた。もちろん、今のような表情を見るのはこれが初めてだ。
「瀬戸、落ち着いて。昨日から、沖田は色々悩んでいるみたいだし、まずは沖田の言葉を聞こう」
「……分かってるよ、緒方君」
きっと、瀬戸さんは伊織の辛い過去を知っているから、伊織に何かを隠しておく僕の態度が気に入らないのかもしれない。
「緒方君こそ大丈夫? さっきは息を切らしていたけれど」
「ああ、もう大丈夫だ」
「……じゃあ、沖田君。さっそく本題に入ろうか。私達に話したいことって何なのかな?」
天宮先生がそう言った途端、真剣な表情で3人から見つめられているからか、急に息苦しくなってきた。
3人のことは信頼している。ただ、ここでカミングアウトしたら、これから何が起こるか分からない。
でも、言わなければ何も始まらない。だから、勇気を出して言おう。
「実は、僕……体は男性だけれど、心は……女性なんです」
これが生まれて初めてのカミングアウトだった。
僕は3人がどんな反応をするのかが恐くて、しばらくの間は俯き続けた。凄く息苦しい。生きた心地がしない。
ただ、僕がそういう態度を取っているからなのか、無言の時間が流れていく。
さすがにこのままではまずいと思い、ゆっくりと顔を上げようとしたときだった。
「なるほどなぁ……」
という緒方の声が自習室内に響き渡る。本人はそこまで大きい声で言っていないと思うけれど、これまで静かだったので彼の声が体の奥まで響いてきた。
「……沖田。そのことに気付いたのはいつだったんだ?」
そう問いかける緒方の見ると、彼は真剣な表情をしながら僕を見ていた。普段と変わらない様子だけれど、僕のことをどう思っているんだ?
「幼稚園のときかな。正確には七五三のとき、男の子は5歳で式典に参加して、そのときに袴を着るっていうのがおかしいなって思って。小学校に入学するときに、体は男で心は女なんだって思ったらすっと違和感がなくなって。女の子が着物を着て7歳の七五三の式典に参加しているのは羨ましいって思ってた。でも、心は女なんだとカミングアウトすることで、周りからどういう反応をされるのが恐くて。だから、心は女であることを隠し続けて男として生きてる」
「……そうか。七五三は男女別だから、自分の性別の違いに気付くきっかけになるか。ということは、俺と出会ったときには、体と心の性別に違いがあると分かっていたんだな」
「……そうだね」
「まあ、沖田は昔からお菓子や可愛いぬいぐるみが大好きで、少女漫画も満遍なく読んでいるから、女性らしいところもあるんだなと思っていたよ。ただ、本当に女の子だったんだな。そういや、最近は神岡と一緒にワンピースも着ていたし……」
ということは、緒方は薄々そんな気がしていたと。さすがに10年近くも一緒にいる親友だけのことはあるな。
「ねえ、沖田君」
「何ですか? 先生」
「……このことを御両親は知っているの?」
「……いいえ。今、3人に話したのが初めてです」
「……そっか」
でも、いずれは両親にもこのことをカミングアウトしないといけない。ただ、幼い頃に母の友人からもらった女の子の服をたくさん着せたほどだから、意外にあっさりとこの事実を受け入れてくれるかもしれない。
「デリケートな内容だから、このことは誰にも言わないようにしましょう。あと、沖田君に質問だけれど、今は男の子として生活している。それが嫌だったり、苦しかったりすることはある?」
「今まで、特に嫌だと思ったことはありませんでした。水泳の授業や修学旅行とかで自分の体を見せるときはちょっと恥ずかしかったですけど、嫌だとは思いませんでした」
「そっか。それなら、とりあえずはこのまま学校生活を送ることにしようか」
「はい」
白花高校には水泳の授業はないし、修学旅行は2年生になってからなので、当分の間は大丈夫だと思う。
「小学校のときは何度かお互いの家に泊まりに行って、風呂も一緒に入っていたけれど……そのときは大丈夫だったのか、沖田は」
「もうすっかり慣れた」
「ははっ、そうか。でも、お前……元々、見た目が凄く綺麗だから、心は女性だってカミングアウトされてもそんなに違和感がないな。これまで通りの付き合いも難なくできそうだ」
「そうしてくれると嬉しい。そう言ってくれると思って、緒方にはカミングアウトしようと思ったんだ」
「……そうか。教えてくれてありがとう」
とりあえず、緒方と天宮先生にはすんなりと事実を受け入れてもらえたようで安心した。ちょっと心が軽くなった。
しかし、そんな2人とは対照的に、瀬戸さんは複雑な表情を浮かべたまま黙り込んでいる。2人もその雰囲気に飲まれたのか、再び静かな時間が訪れる。
「……だから、伊織には話さないでって言ったんだね」
ようやく、瀬戸さんの口が開いた。やっぱり、瀬戸さんは伊織のことを絡めて僕のカミングアウトについて考えていたようだ。
「だから、ってどういうことなんだ? 瀬戸、もしかして……神岡のことについて何か知っているのか?」
「うん。あたしと伊織は中学時代からの親友だから。ただ、伊織のために敢えてあたし達はそのことを伏せておいたんだよ」
「そうだったのか……」
おそらく、伊織が中学時代に虐められていたことを知られないために、入学以前から親友だったことを伏せておいたんだと思う。
「そういえば、彩音ちゃんと伊織ちゃんは同じ中学校出身だったね。でも、うちの高校は寮もあるし、遠方出身の子がうちに来るから気にしていなかったよ」
「そうですか。沖田君は伊織から聞いているかもしれないけど、彼女は去年、クラスメイトの女子を中心に酷いいじめに遭っていたんです。女の子への恋愛感情を口実に。いじめの中心となった女の子と付き合っていましたけど、相手の子は伊織に対して恋愛感情は全く無かった。そのいじめがあってから、伊織は女の子と友情では繋がるけれど、恋愛感情を抱くことを恐れているんです」
「そんなことがあったのね……」
日曜日に伊織から聞いた話と変わらないな。
「だから、沖田君に一目惚れをしたって聞いたとき、伊織にしつこく訊いた。本当に沖田君のことが大好きなのかって。それでも、伊織は沖田君が好きだって言ってくれた。そのときの彼女の眼は本気だった。あたしから見ても、沖田君もいい人だと思えたし。だから、沖田君に告白してみようかってアドバイスしたの」
恋愛感情を口実にいじめられたからこそ、瀬戸さんは伊織に僕に対する恋愛感情が揺るぎないものなのかを何度も訊いたんだ。伊織の気持ちを信じて告白するようにアドバイスした。ただ、それは伊織が恋心を抱いた相手が「男」である僕だったから。
「緒方君が言ったように、見た目がとても綺麗で……ワンピース姿がとても似合っていて女の子みたいなところもあるんだなと思ったのに、まさか本当に女の子だったなんて」
瀬戸さんは力強い目つきで僕のことをじっと見て、
「そのことを伊織に隠し通すつもりなの? 沖田君の考えを聞かせて」
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