第13話『お抹茶に愛を込めて』
――沖田君へ愛情を込めてお抹茶を点てましょう。
そう言って、浅利先輩は僕のお抹茶を点て始める。
愛情を込めるというのは、相手に美味しいと思ってもらえるよう、心を込めてお抹茶を点てるという意味だろうか。料理も食べてくれる人のことを想いながら作ると美味しくなるし、きっとそんな感じだろう。
「とても綺麗だよね」
「そうだね。素人目で見ても、慣れている手つきだなって思うよ」
お抹茶を点てている浅利先輩の姿はとても美しい。茶筅を持つ右手から、ゆっくりと顔まで視線を移すけれど、どこを切り取っても美しいという一言に尽きる。お抹茶が主役であることは分かっているけど、浅利先輩の今の姿を見たら、お抹茶の色、匂いなどが彼女の魅力を引き立たせるための道具に過ぎないと思えるのだ。
新入生歓迎会のときにはお茶を点てることはなかったけど、この姿を見たら茶道部に興味を抱く生徒が何人かいたんじゃないだろうか。
「沖田君、どうぞ。ただ、お茶をいただく前に、お菓子として出した金平糖を全て食べてください。それが茶道のマナーなのです」
「そうなんですか。面白いですね。では、金平糖をいただきます」
金平糖を食べると、砂糖の優しい甘味が口の中に広がっていく。そういえば、金平糖を食べるのは久しぶりだな。小さい頃、家の近所に駄菓子屋さんがあって、そこでたまに金平糖を買っていたっけ。
「全部食べました。これでお抹茶を飲めばいいんですね」
「はい、そうです。愛情を込めて点てた抹茶をどうぞ召し上がってください」
ほんのりと頬を赤く染めた浅利先輩からの視線がとても熱い。
僕は抹茶の茶碗を持って、抹茶をゆっくりと口に含んだ。
「あぁ……苦味があって、コクがあるといいいますか。でも、金平糖を食べていたこともあってか、このくらいの苦味がちょうどいいですね。美味しいです」
「……良かったです。美味しいと言ってもらえてとても嬉しいです」
とても嬉しそうな笑顔を見せる浅利先輩。愛情を込めて点てた抹茶を美味しく飲んでくれたら嬉しいよなぁ。ただ、ここまで嬉しそうな笑みを浮かべているのは抹茶だけが理由じゃないような気もする。
深い苦味はあるものの美味しかったので、全部飲むことができた。
「美味しくいただきました。ありがとうございました」
僕は浅利先輩に向かって頭を下げる。
「では、次に伊織さんにお抹茶を点てましょう」
「よろしくお願いします!」
僕のときと同じように、浅利先輩は美しい手つきでお抹茶を点てている。きっと、愛情を込めて。
浅利先輩が抹茶を点てると、伊織は金平糖を食べて抹茶を飲んだ。
「に、苦いですね……」
おいおい、伊織……引きつった笑みを浮かべているぞ。伊織はコーヒーも苦手みたいだし、深い苦味がある抹茶も得意じゃないかも。
「ふふっ、慣れていないと全て飲むのは辛いですよね。特に女性は」
「でも、金平糖のおかげで飲みやすいとは思いました!」
「事前にお茶菓子で口の中を甘くしておくと、抹茶がより美味しく感じられるのですよ。物凄く嫌いだということでなければ、抹茶の苦味も徐々に慣れてきて、全て飲めるようになるでしょう」
苦味の慣れか。
そういえば、コーヒーを初めて飲んだときはとても苦くてダメだったけど、カフェオレ、微糖と少しずつ甘さを減らしていったら、いつしかブラックコーヒーを普通に飲めるようになっていた。きっと、苦味に慣れていったのだと思う。
「……全て飲みました。ありがとうございました」
「ふふっ、こちらこそありがとうございました」
伊織、頑張って最後まで飲んだんだな。だからか、顔色があまり良くないけど。
「ところで、沖田君。一つ気になっていることがあるのですが」
「はい、何ですか?」
「私が滑って転びそうになって、沖田君に抱き留められたとき……沖田君から女性の匂いがしたのですが。沖田君って実は男装をした女性……なのですか?」
恥ずかしそうな様子で浅利先輩はそんなことを訊いてくる。ドキッとした。
男装をした女性か。まあ、心は女性だから、男性の体を持ち、男子生徒としての制服を着ている今の僕は、ある意味で究極の男装をしているとも言えそうだ。
「もう、千佳先輩ったら。何を言っているんですか。千尋は美しくて、たまに可愛らしいところもありますけど、彼は立派な男の子ですよ。あと、先輩を抱き留めたときに感じた女性の匂いというのは私の匂いだと思います。実は私達……付き合っていまして。制服を着ているときに何度も抱きしめ合っていますし」
「そ、そういうことでしたか……なるほど」
はあっ、と浅利先輩はため息をつく。まさか……ね。
「あの匂いはとても好みです。伊織さん、あなたのことを抱きしめてもいいですか?」
「もちろんです!」
伊織、嬉しそうだな。
浅利先輩が立ち上がって伊織の前まで行くと、お互いに立ち上がった方が抱きしめやすいと思ったのか、伊織もすっと立ち上がる。
「では……失礼しますね」
「はい」
浅利先輩は伊織のことをそっと抱きしめる。
「……千佳先輩、あったかいですね」
「ふふっ、そうですか?」
浅利先輩は伊織の首や胸元の匂いを嗅ぎ始める。
「んっ……」
浅利先輩の吐息がくすぐったいのか、伊織はそんな可愛らしい声を出す。僕ら以外、誰もいなくてよかったな。
「……さっき、沖田君の制服から感じた匂いと、伊織さんの匂いは似ていますね。伊織さんの言うとおり、沖田君を抱きしめたときについたあなたの匂いを感じたのでしょうね。抹茶の香りと同じくらいに好きですよ」
「千佳先輩……」
2人で見つめ合っている。伊織の方は顔が赤くなっているし……な、何だろう。2人だけの世界ができているような。僕、ここにいていいのかな?
「千佳ちゃん。今日は誰か新入生が……って、どうしたの?」
気付けば、入り口の所に天宮先生が立っていた。抱きしめ合っている伊織と浅利先輩を見て興奮しているように見えるのは気のせいだろうか。
「まさか……略奪愛?」
この場を見てそう言いたくなるのは分かるけど、教師として別の言葉を使ってほしかったな。
「そんなわけないですよ! 私は千尋の彼女です! これはその……千佳先輩が私の匂いを感じてみたいと言ったからで。ですよね、先輩」
「ええ、そうですよ。まったく……新入生がいますのに略奪愛なんて言葉を言わないでください」
僕が言いたかったことを浅利先輩が代わりに言ってくれた。
「実は、詩織先生は私と千尋のクラスの担任なんです」
「そうなのですか。……実は、天宮先生は茶道部の顧問でもあるのですよ」
「そうだったんですか! 初めて知りました……」
へえ、天宮先生は茶道部の顧問だったのか。新入生歓迎会の部活紹介も生徒だけでやっていたから僕も今まで知らなかった。
「まさか、うちのクラスの生徒が見学しに来るなんてね。教室ではなかなか茶道部に来てほしいって言えないけれど、ここは茶道部のホームグラウンド。沖田君、伊織ちゃん……茶道部に入っちゃおうか!」
天宮先生、心なしか教室にいるときよりも元気な気がする。もしかしたら、先生としてもこの茶道室がホームグラウンドなのかもしれない。
あと、教室でも堂々と茶道部に来てみてと言えばいいのでは。教室だって先生のホームグラウンドの1つだし、相手も生徒なんだし。
「私は茶道部に入るつもりです! 千尋は考え中です」
「そっか! 今年も1人は入部するから安心したよ。しかも、女子生徒。もちろん、男子生徒も大歓迎だよ」
天宮先生、そういえばレズビアンを公言しているんだっけ。だからなのかもしれないけれど、女子が入部することがとても嬉しいのかな。
「天宮先生は女子生徒同志が仲良くしているところを見ると、たまに妄想をすることがあるんのすよ。おそらく、先ほど……私が伊織さんを抱きしめているときも妄想していたのだと思います」
「なるほど。そして、2人の近くに僕がいるから略奪愛だと思ったと」
「おそらく」
なかなか面白い先生が担任になったものだ。もちろん、悪い先生ではないことは分かっているけれど。
「百合は素晴らしいよ! こう見えても、学生時代にはオリジナルのガールズラブ漫画を描いて即売会に参加したことだってあるんだよ!」
「……それだけ百合に情熱があるということですね」
同性愛に肯定的なのはいいことだけれど。
そういえば、確か……この学校には文芸部もあったはず。天宮先生は現代文を教えているし、そっちの顧問もやっているのかな?
「話を戻しましょう。沖田君も茶道部に入部してくれると顧問として嬉しいよ。沖田君はワンピース姿がとても似合うし」
「……理由がおかしすぎですよ」
和服が似合いそうだという理由ならまだ分かるけど。
「あの、先生はどうして沖田君がワンピース姿が似合うと分かるのですか?」
「実際に見たから。土曜日に駅前のショッピングモールの洋服屋さんで沖田君と伊織ちゃんに会ったからね。そういえば、2人は店員さんに写真を撮ってもらってなかった?」
「スマートフォンにありますよ! 千佳先輩に見せますね!」
あの写真はあまり他の人には見せないでと言ったのに。まあ、浅利先輩ならまだいいかな。
「……なるほど。沖田君のことを知らない方なら、伊織さんと一緒に写っているこの方が男性だとは思わないでしょうね。とても美しく、そして似合っていると思います」
「あ、ありがとうございます……」
ここまで真面目に僕のワンピース姿について感想を言ってもらうと、あまり返す言葉が見つからないな。
そういえば、昼休みに緒方と瀬戸さんにも、例のワンピース写真を伊織が見せたけれど、緒方からは未知なるポテンシャルがあったのかと感心され、瀬戸さんにはひたすら可愛いと喜ばれてしまった。
「また、話が逸れてしまいましたね。うちの学校には指定されている入部届のプリントがありますから、伊織さんは天宮先生からもらって、必要事項を書いて先生に提出してください。先生が顧問ですから、それで正式に入部したことになりますので」
「分かりました!」
「さっき説明したとおり、うちの部は毎週火曜日と木曜日が正式な活動日です。今週は仮入部期間ですから参加は自由ということで。沖田君も入部しようと思ったら私や天宮先生に声を掛けてください」
「分かりました」
部長から入部の説明を受け、担任が顧問で、付き合っている彼女が入部を決めている状況だと、僕だけ入部を断るのは気が引けるな。ただ、そういう流れで入部を決めてしまうのもあまり良くないだろう。他の部活も見学してみたいし、明日またゆっくりと考えることにしよう。
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