第9話『お家デート-後編-』

 ホットココアを飲みながら、僕は伊織と昨日買った2冊の漫画について語り合った。このシーンが良かったとか、あのシーンでキュンとしたとか。実際に漫画を見ながら、ここの表情がかわいいと話したりして盛り上がった。


「こんなに漫画のことで盛り上がったの、小学生のとき以来だよ」

「そっか。少年漫画だったら緒方と学校でちょくちょく話したりするけど、ガールズラブの漫画で盛り上がったのは初めてだよ」

「そうなんだ。1人で楽しむのもいいけれど、好きなことを誰かと語り合うのもいいね」

「そうだな。楽しいし、時間があっという間に過ぎていくよ」


 気付けば、午前11時半過ぎになっていた。誰かと一緒にいてこんなにも早く時間が過ぎていったことは、伊織と恋人になるまであまりなかった。それだけ伊織と一緒にいることが楽しい証拠なんだと思う。


「ねえ、千尋」

「うん?」

「……昨日買った漫画でさ。特に『citrus flavor』の方なんだけど、読んでいるときに、もし私と千尋だったらって思っちゃったんだ。千尋は男の子なのにね」


 心は女の子だけれどね。

 『ゆるいゆり』の方は部活コメディなので笑える話が多いけれど、『citrus flavor』は正統派なガールズラブストーリー。キスシーンなどの性的な描写もしっかりと描かれている。


「主人公の恋人の女の子がクールだよね。もちろん、僕はクールじゃないし、彼女みたいな格好良さはないけれど」


 でも、恋人の女の子は学校では美しいってよく言われていたっけ。だから、僕と似ている部分はあるか。


「僕はこの主人公の女の子が伊織と重ねていたよ」

「えっ、そ、そうかな?」

「うん。その……元気なところとか、優しいところとか。顔が赤くなるのが多いところとか」


 この『citrus flavor』の主人公は髪の毛が金髪だけれど、それ以外は伊織にそっくりな気がする。だから、自然と伊織と重ねちゃったのかな。


「……そういうことを言われると恥ずかしい」


 伊織は顔を真っ赤にして、視線をちらつかせている。


「でもね。漫画を読んでいるときも、私のことを思い出してくれるのはとても嬉しいな」

「僕だって嬉しいよ」


 伊織は嬉しそうな笑みを浮かべている。しかし、依然として視線は定まっていないけれど。


「……あのさ、この巻の最後の方にキスシーンがあったじゃない」

「ああ、あそこはいいよね。何度も見返したよ」


 伊織と話していたら、例のキスシーンのページを見たくなってきた。『citrus flavor』を手にとって、キスシーンのページを開く。そこには主人公とヒロインがキスを交わし、舌を絡ませているシーンが描かれている。頬を赤く染めているところや、「んっ」という漏らした声がよりドキドキさせてくれる。


「このページだよね。僕、個人的にはこの巻のペストシーンはここだと思ってるよ」

「……私も同じ」


 嬉しいな。お気に入りのシーンが一緒だなんて。ただ、そのシーンが女の子同士のディープなキスシーンなので、きっと、恋人である僕だからこそ教えてくれたんだと思う。今の伊織を見る限り、他の人にはきっと恥ずかしすぎて言えないだろう。


「このキスシーンを見て、もし自分と千尋だったら……って妄想ばかりしてた」

「……僕も」


 主人公が伊織に似ていたこともあり、今までに何度か伊織とキスをしたこともあったからか、このキスシーンを見返す度に目を瞑る伊織の顔が思い浮かんだ。


「それなら、このキスシーンみたいに……私達もキスしてみない? 私達で再現してみようよ」


 そう言うと、伊織は僕のことをじっと見てくる。気のせいかもしれないけれど、瞬きをする度に彼女の顔が僕に近づいてきているような。


「……キスしていいよ。だから、一度落ち着こうか」

「これからキスをしようとしているのに、落ち着けるわけがないでしょ?」

「……確かに、僕もドキドキしてきているよ」


 伊織の言う通り、これからキスをする状況で落ち着いてはいられないか。しかも、僕と伊織は一度もしたことのないディープなキスをしようとしているんだから。


「じゃあ、この漫画みたいに熱いキスしようか」

「……うん。今までずっと私の方からキスをしてきたから、今回は千尋の方からキスをしてくれない? 例のキスシーンだって、恋人の女の子の方からキスしてきたじゃない。だから、千尋からしてほしいなって……」

「……分かった」


 と言いつつも、いざ僕から口づけをするとなると緊張するな。これまで、伊織はこういう気持ちを抱いて僕にキスをしてくれていたのかな。

 これまでのキスはとても心地よかったから、伊織に心地よいと思ってもらえるようなキスをしないと。


「何でだろうね。前よりも、伊織を見ているとドキドキしてくるよ」


 漫画の台詞に似たようなことを言って、僕は伊織にキスをする。やっぱり、伊織の唇の柔らかさと温かさに触れると心地よくなるな。

 僕の方から伊織の口の中に舌を入れ込み……彼女の舌と絡ませていく。僕も伊織もココアを飲んでいたけれど、伊織の口から感じられるココア味の唾液の方が心なしか美味しく思える。


「んっ、んっ……」


 厭らしい音がするのと同時に、伊織の可愛らしい声が漏れてくる。


「……千尋、漫画みたいに私のことを押し倒して……」

「……分かった」


 キスをしながら伊織を絨毯の上に押し倒すと、伊織は僕をぎゅっと抱きしめてくる。そのことで、全身で伊織からの温もりを感じるようになり、胸のあたりには柔らかな感触が。

 今の僕は伊織に包まれている。一昨日、彼女から告白されたときに比べると、伊織のことがだいぶ好きになってきていると思う。


「伊織、とっても可愛いよ」

「……そういうこと、漫画の彼女は言わないよ?」

「確かに彼女は言わない子だね。でも、僕は言う。だって、今の伊織が可愛いのは本当のことだから。それをきちんと言葉にして伝えたいんだ」

「こ、この状況で真剣にそんなことを言わないでよ。嬉しすぎて、見られたらきっと恥ずかしい表情にしかならないから……」

「そういった表情がまた可愛いと思うけれど。ほら、今もどんどん可愛くなってる」


 伊織は顔を赤くしながらニヤニヤしっぱなし。自分の部屋で僕と2人きり、そして僕から舌を絡ませるほどの口づけをしながら押し倒され、可愛いと言われたからきっと嬉しくて仕方ないんだろう。


「今まで、千尋が誰とも付き合っていないのが嘘に思えてくるよ。こんなことを自然と言えるんだから……」

「……それは、伊織に向けてだからだと思うけれど」

「調子がいいんだから。でも、とっても嬉しいよ」


 そう言うと、伊織は今一度、僕のことをぎゅっと抱きしめる。


「……今はこのくらいでいい? これ以上幸せになりそうにないから……」

「……分かった」


 これ以上幸せになりそうにないか。


「ただ、もうちょっと抱きしめていてもいいかな、千尋」

「もちろんだよ」


 伊織は俺への抱擁を強くさせる。


「……まさか、こんなにも幸せな気持ちになれるなんて。あの漫画の2人が熱いキスをする理由が分かる気がする」

「……確かに。キスするのに夢中になるよね」


 でも、きっと……漫画に描かれていたキスシーンよりも、僕と伊織のキスの方が情熱的だったんじゃないかな。


「……千尋のこと、もっと好きになっちゃった。千尋の方はどうかな?」

「一昨日に比べたらだいぶ好きになっていると思うよ。もう、僕にとって伊織は近所に住んでいるただのクラスメイトじゃなくなってる」

「……そっか。私の想像以上だ。もっと好きになってもらえるように頑張るよ」

「……うん」


 伊織はより強く僕を抱きしめてくる。

 僕にとって伊織という女の子がなくてはならない存在になり始めている。それが、伊織の笑顔や言葉、温もり、匂いによって加速し続ける。

 少しの間、僕と伊織はぎゅっと抱きしめ合い続ける。

 お昼ご飯は伊織の作ったハンバーグを食べて、それから夕方まで僕は伊織と一緒に録画したアニメを観るのであった。

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