逃亡

 夜は明け、明かりが全体に差し込んできた。森には、人が一人もいなかった。

「カイン、大丈夫かな?」

「大丈夫ですよ、この森を抜けると、テルド領です。テルド家には、まだ、キャピレット家の事は、伝わっていません。数日休めるでしょう」

「そう、数日ね……」

逃げると言う事は、そう言う事なのだろう。

(なんでこんなことになっちゃったんだろう)

 ズテッと転んでしまった。

「大丈夫ですか? 傷はできていませんか?」

 カインが必死に心配するので、笑いたくなってしまった。

「大丈夫、擦り傷や切り傷はいつものことだもの」

「でも、ばい菌が入ってしまったら、化膿してしまいます。今までは、すぐ処置していたから大丈夫だったのかもしれませんよ」

「じゃあ、川があるから、あそこで洗います」

 ちょうど沢が見えてきたところだった。

「ああ、なるほど、沢が近かったので、苔が生えていたのですね。それで、滑ってしまったのですか」

「そうみたいね」

 川で水分を取って、傷を洗った。カインを見ると上着を脱いでいた。

「ちょっと、カイン!」

 厚い胸板につい目をそらしてしまった。

「服が濡れてしまったので、乾かそうかと思いまして」

「そ、そうだよね、ごめん」

(何を謝っているんだ、私)

「ジェシカ様は、大丈夫ですか?」

「もちろん大丈夫よ」

 声が上ずっている。

(ど、ど、ど、どうしよう)

 赤面した顔を隠す。カインは気づかず魚を捕まえているようだ。

(ま、まぶしい)

 水しぶきが上がる。

「ジェシカ様、昼食は、魚ですけど、大丈夫ですか?」

「もちろん大丈夫よ」

 昼食の時、カインは上着を着ていた。

(よかった)

 ジェシカは、心の中で安堵して、火の中の魚を取ろうとした。

「あつっ」

「大丈夫ですか?」

「あっ、沢で冷やしてくる」

 たったったっと駆け出して行った。辺りは大きく育った木ばかりで、辺りも苔生している。森の中なのだと改めて思った。

(私、何をしているんだろう)

 たとえ生き延びても、キャピレット家の追手はジェシカを探し続けるのだろう、そこまでして生きる理由があるのだろうか?

(カインは、優しい、でも、それは、騎士だからなのだ)

「ジェシカ様」

「カイン、私を捨てたくなったら、いつでも言って」

「なぜですか?」

「だって、私は、生きている意味なんてないじゃない」

「ジェシカ様、そんなことを言うのは、間違っています」

「どこがよ、キャピレット家から追われる身で、財産も地位もない、そんな人間に生きる価値があるの?」

「ありますよ、生きていてほしいと思っている人がいるでしょう、ジュリエット孤児院のみんなと、あと、私だ。せっかく救った命に、死なれては困る」

「カイン……」

(カインは、なんて優しいのだろう、騎士ってみんなこうなのかしら?)

「さあ、行きましょう」

 カインは、何事もなかったように立ち上がった。

「テルド領は、もうすぐですよ」

「うん」

 少しだけ差す光を頼りに森の中を歩いた。段差がある度、カインは、優しく支えてくれた。

その日は、テルド領に着けなかったので、野宿となった。

「カ、カイン、あの、虫がいたらいやだなあっと思って」

「そうですね、木の上も下も虫がいる」

 だら~んと垂れているはっぱを見ると、虫だらけだ。

「仕方ない、私が、ジェシカ様を守るしかなさそうですね」

「えっと、それって」

「はい、私が抱きしめていれば、虫も寄ってこないでしょう」

「だ、抱きしめる!」

「あっ、もちろん、何もするつもりはないですよ」

「で、でも……」

「さあ、おいで」

「……」

 言われるままに抱き着いた。

(はずかしい)

 きたえられた胸板は、とても固く、カインを近くに感じる。

「おやすみ」

「お、おやすみ」

(と言ったものの、眠れるわけがないじゃない)

 ジェシカは、心の中でそう叫んでいた。

「ジェシーごめんね」

(ジェシー?)

ジェシカは、ジェシーと呼ばれることは多々あった。でも、カインは、ジェシカ様としか呼ばないのだから違う人の事だろう。

(ジェシーって、男の人の名前の可能性だってあるわ)

 そのくらい、ありふれた名前なのだ。

(聞かなかったことにしてあげよう)

 その時、カインの腕に力が入った。

(えっ、何?)

 ぎゅっと強く抱きしめられる。

(こんなに近くにカインの顔が……)

 わたわたしていると、カインの腕の力が弱まった。

(寝ぼけているのね)

 ため息をついて、気が付いたら一人で寝ていた。

「ジェシカ様、お目覚めですか?」

 カインは、色とりどりの果物を持ってそう言う。

「少しばかり、外を散歩していたのですよ」

「そ、そう」

「そうしたら、果物が見つかりました」

 李や木苺を見つけてきたようだ。

「甘い物も必要ですよね」

「そうだね」

「ジェシカ様、顔つきが良くなって来ましたね」

「えっ? そう?」

「ええ、森に入ったばかりの時は、不安そうでした。沢にいた時だって、不安そうで、心配だったのです」

「カインが、元気にしてくれたんじゃない」

「やはり、昨日の、抱きしめて寝ると言うジョークが効いたのでしょうか?」

「ジョーク?」

「はい、断られると思ったのですが、私には、なぐさめ方が分からなかったもので、子供は、抱きしめられると安心するというじゃないですか」

「子供は……?」

(それって、子ども扱いしているって事?)

「あの後、すぐに離れたので、怒らないでくださいね」

「あっ、そうね」

 目が怒りに燃えていた。

(子ども扱いするなんて、私と同い年くらいのくせに……)

「ジェシカ様、森の中で安心して眠るのにもあの方法がいいと思ったのですよ」

「カイン、私は、あなたのそう言う所が、あまり好きじゃないわ」

 カインは、ショックを受けた顔をしていた。

(カインのバカ)

 二人は、少し離れて、歩き出した。

 ところが、しばらくすると段差があった。

「ジェシカ様、一人で登るのは、無理ですよ」

「子ども扱いしないで」

「子ども扱いだとか言っている場合ですか? ジェシカ様がけがをしてしまいますよ」

 カインは、さっと手を伸ばした。

「つかまってください」

「はい」

 上に登らせてもらった。

「こう言う時に意地を張らないでください。あなたは非力なレディなのですから」

「非力な子供だと思っているんでしょう!」

「待ってください、なぜそうなるんですか? 私は、あなたが大事だから守っているのですよ」

「子供一人助けるのは、大人の役目よね」

「子供、子供って、私がいつあなたを子ども扱いしたというのですか?」

「カインは、私を子供だと思っていないの?」

「ええ、もちろんです」

「……だって、子供は、抱きしめられると安心するって言ったじゃない」

「そう言わなければ、まるで、ジェシカ様を抱きしめたいと思っている不浄な男になってしまうじゃないですか」

「あっ、そうね、騎士の心が許さないのね、主とそうなったら」

「はい」

「ごめんね、怒ったりして」

「いいえ、いいのです。私の説明が足りなかったのでしょうから」

 カインは、優しく頭を撫でてくれた。真っ赤な顔をして。

(カインも照れることがあるんだな)

 そのまま、森の道を進んでいくと、テルド領と言う札があった。

「やっと着いた~」

「よかったですね」

 カインは優しく微笑む。

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