テルド領

 テルド領に入ると、キャピレット領ほどではないが、人がたくさんいた。

 商人が、行き来していて、馬車がたくさん通っていた。

「ミシェルの家は、この地図の場所にあるんだけど……」

 そう言って見た地図には、『街→家』としか書いていなかった。

「とりあえず、方位磁針は、北に行けばいいと書いてあるから、それに従いましょう」

「そうですね」

 カインも同意してくれた。

 市場はにぎわっていて、「いっらしゃい」「いらっしゃい」とあちらこちらで声がする。

「皆さん、元気ね」

「ここは、キャピレット領と違って、お金持ち向けの市場じゃないのです。安い物を人にたくさん買ってもらうのが目的なのです」

 確かにキャピレット領では、呼び込みをしなくても、何台も馬車が店の前に止まっていた。

「キャピレット領は、お金持ちがたくさんお金を落とすから、あれでも、儲かるのですよ」

「なるほど」

 市場を歩く人の格好も、ドレスなどではなく、ラフな格好である。

(今着ている服でちょうどいい)

 ジェシカは、心の中で、そう思っていると、ミシェルの屋敷らしきものが見えてきた。

「わ~、大きな家」

 白い壁に囲まれて上の方だけが出ている。

「テルド家も一応大きな貴族ですからね」

「そう」

「ジェシカ様、何個か忠告しておきたいことがあります」

「何?」

「ミシェル様に色々質問されると思いますけど、こう答えて欲しいという質問がございます」

「わかったわ、覚えておくわ」

「一つ目は、どうやってここに来たかです。貴族なら、馬車で来るのが普通です。でも、ジェシカ様は、孤児院出身なので、「孤児院では、森を散策することもあるの」と答えてください。あちらは、孤児院の事に詳しくないようにお見受けしました。次に、格好の事、貴族は、婚約者の前では、着飾るものです。ですので、「孤児院の恋人に会う時は、こういう格好だったから気にしなかった」とわざととぼけてください。三つ目は、私との関係です。騎士と二人旅は、変に思われます。森で、キャピレットの召使い達とはぐれたと嘘をついて探させてください。以上です」

「なんか、難しいけど、がんばる」

「そんなに難しくないですよ、ほぼ当然の答えなのですから」

 ミシェルに会うのに、ドキドキしてきた。

(ちゃんと、ボロが出ない様にできるかしら?)

 緊張していると、カインが。

「もう少し考えるのに、時間がかかりますか?」

「うん、もう少し準備させて」


  ◆ ◆ ◆


 市場にあったベンチで、話を整理していた。

「とにかく、孤児院やキャピレット家のことを言って、それっぽくしてくだされば大丈夫ですから」

「でも、出来るかな?」

(私は、ぐずでのろまなジェシカなのよ)

 そう思っていると、人だかりができていることに気が付いた。

「まあ、ミシェル様だわ」

「!」

「大変よ、ミシェルがいるって」

「……」

 カインは、顔をこわばらせている。

「おお、我が婚約者、ジェシカ・キャピレットではないか?」

 ミシェルが怒ってそう言う。

「ご、ごきげんよう」

「さては、こちらの騎士と、駆け落ちでもしていたのか!」

「いいえ、私は、あなたの婚約者ですよ、あなたに会いに来たに決まっているでしょう」

「ほう、そうか、どうやって来たんだ」

「歩いてです。孤児院にいたころから、散策が趣味でして……」

「この男と二人でかい?」

「いいえ、キャピレット家の召使いと共にです。でも、はぐれてしまって、ミシェル様、探していただけないでしょうか?」

「いいだろう」

 ミシェルは、そう言って、ジェシカの手を取った。

「ここからは、私がエスコートしよう、ひっこめ騎士」

「はい」

 カインは、一歩下がった。

「あの騎士とは、愛人とかなのか?」

「いいえ」

「まあ、いい、だが、関係は持つなよ」

「は、はい」

「それでは、我が婚約者どの、そのみすぼらしい格好では、ダメだな」

「ごめんなさい、孤児院にいるときは、恋人に会う時もこういう格好でしたから、マナーを忘れていたわ」

「我が婚約者は、孤児院の癖が抜けないのだな」

「ええ」

 恥ずかしそうにそういうと、ミシェルは喜び。

「大丈夫だ。キャピレットの血が流れている以上、マナーなど、すぐに覚えられるであろう」

「そうですね」

 固まってそう言った。

「あの、お腹がすいたので、食べ物をもらってもいいですか、あと、カインにも食事を頼みます」

「任せておきなさい」

 ミシェルの住む屋敷は、茶色い屋根に、木目の出ている柱があり、その周りにレンガが置いてある作りになっていた。

 ミシェルは、急いで食卓へ連れて行ってくれた。

「さあ、食べるがいい」

 用意されたのは、いい香りのする鶏肉のワイン煮込みと、新鮮な野菜サラダに焼き立てのクロワッサンだった。

「体力が付くぞ」

「ありがとうございます」

 ナイフで、鶏肉のワイン煮込みを切り分けていると、ミシェルは隣に座った。

「そなたは、美しい人だな」

「えっ!」

 ガチャンと、手が止まる。

「我が婚約者にふさわしい」

 ミシェルが頭に優しく手を置いた。

(ごめんなさい、ミシェルをだますなんて、悪いことよね)

 ジェシカの心の中で、罪悪感がせめぎ合っていた。

 でも、カインは言った。数日しかいられないと。

(どうせ、内事情は、いつかは、ばれるわ)

 ミシェルが、手のひらを反す姿が想像できる。

「どうした、ジェシカ」

「何でもありません」

 鶏肉のワイン煮込みを口に入れた。


  ◆ ◆ ◆


 食事が終わり、ミシェルの部屋に連れていかれた。

「ジェシカ、婚約者の男の部屋にいるとは、どういうことだかわかるか」

「? わからないわ」

「そうか、それでは、手を出しがたい」

 ミシェルが困っている。

「君は、本当に私を婚約者にしてよかったと思っているか?」

「ええ」

「嘘をつくな、カインとやらの方が好きなくせに」

 ミシェルがすねている。

「カインは、騎士だから、そばに置いているだけですよ」

「そうだな、そう言う事にしておこう、だが、カインとやらは、確実にジェシカを手に入れようとしているぞ」

「気のせいですよミシェル様、だって、カインですよ」

「カインだから、危ないのではないか」

 ミシェルの焼きもちを妬く姿はかわいかった。

「ジェシカ様」

 カインがそこに現れた。

「何でしょうか?」

「ミシェル様の部屋に連れ込まれたと聞き、来てみたのです」

「ほう、やはりな、その慌てよう、そなた黒だな」

「何のことでしょうか?」

「お前が来ることはわかっていた。婚約者に愛人がいるのは、許しがたい、だが、好き同士離すのも難しかろう、ジェシカ、家のために別れることも大事なのだぞ」

 ジェシカの手を握ってミシェルが訴えかける。

(あんな家なんて、どうだっていい)

 ジェシカは、心の中でそう思ったが。

「よく考えてみます」

 カインと部屋を出て行った。

「ジェシカ様、深く気にすることは、ございません、キャピレット家とはもう……」

「そうね」

 客間で休むように言われたので、縁が白い金糸の刺繍がしてある赤いソファに座っていた。辺りもマホガニー製のタンスや、ネコアシのテーブルと、とても豪華である。壁には、額に入った果物の絵が飾ってある。

「立派な客間ね」

「客間は、客を呼ぶ部屋です。このくらい当たり前ですよ、キャピレットの家もこんな感じでしたよ」

「そうね」

 もう何にも興味が持てなかった。ミシェルへの罪悪感が重くのしかかる。

(悪いことをしているのよね)

 ソファにぐだっと倒れこむ。

「今は、私だけしかいませんから、力を抜いていていいですよ」

 カインが優しくそう言う。

「うん」

 力なく返事して、うずくまった。


    ◆ ◆ ◆


 そして、しばらくした頃。

「ジェシカ~どこにおられる?」

 ミシェルの陽気な声が聞こえた。急いで体制を整えて。

「ここにいますよ」

 声を出した。

「おお、ジェシカ、また、カインとイチャイチャしておったのなら許したくはないが……」

「いいえ、休んでいただけですわ」

「カインが、膝枕でもしてくれたのだろう」

「まさか、しません」

「そうか、怪しいところだ」

 ミシェルは、ジェシカの腕をつかみ、指を這わせる。

「白くて、きれいな腕だ。やはり、ジェシカそなたはよいものだ」

「!」

「どうした? うれしくないのか?」

「いいえ、うれしいですわ」

「ジェシカが、一人前のレディになるのが楽しみだ」

 胸がズキンと傷んだ。

(ごめんなさい、ミシェル様、そんな日は来ないのよ)

 カインが、見ていられなくなったのか。

「ミシェル様、もうその辺で」

「カインとは、一緒にいていいのに、私とは、一緒にいてはいけないというのか?」

「ジェシカ様も疲れていらっしゃるのですから……」

「ジェシカ、疲れているのか?」

「ええ、まあ」

「すぐ、休みを取らせてあげなさい。姉の部屋が空いている。そこを使うとよい、姉は、とっくに嫁いだ。気兼ねなく使っていいぞ」

「ありがとうございます」

侍女に連れられて、二階にある、ミシェルの姉の部屋に向かった。

着いた部屋は、天蓋付きのピンクのベッドが置いてあり、化粧台、マホガニー製のタンス、クローゼット、ネコアシのテーブル、白い椅子が並んでいる。窓にかかったカーテンは、ピンク色の花が散らされていて、女らしい部屋だった。

「素敵な部屋ね」

「そうでしょうね、アナスタシア様は、とてもきれい好きな方でしたから」

 侍女は、シーツを整えて、ネグリジェに着替えさせてくれた。

「はい、似合いますよ」

「ありがとうございます」

 貴族になると、人に着替えさせてもらうのも普通の事だが、孤児院育ちのジェシカは、慣れない物である。

「どうしました?」

「なんでもないです」

「そうですか、それでは、何かありましたら、ベルを鳴らしてくださいね」

「はい」

 ベッドの横についている、呼び出し用のベル、これは、中々音が響くらしく、隣の部屋までつながっているようだが、ここまで聞こえる。

 久しぶりの柔らかいベッドに、気持ちよく眠っていた。

(しばらく、ミシェルにも会わなくていいのね……)

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