第13話 オーク戦②

 


 《副軸――定谷充輝[ていや みつてる]》



 僕は子どもの頃から、特に何の取り柄もない平凡な人間だった。

 見た目も、運動も、勉強も、何もかもが普通で。将来はきっと普通の大人になって、普通に結婚して、普通に子どもを二人ぐらい授かって、普通に八十歳ぐらいで死ぬんだろうなと、そう思っていたのだ。

 そんな僕は、少しでも他人と違う仕事に就きたくて、小学校の先生になった。それは、僕にとっては冒険で。両親は、僕が普通の市役所の公務員になることを望んだが、それでも小学校の先生になることにした。

 実際にやってみると、教師の仕事は普通の僕に向いていたようで。もちろん腹の立つことや落ち込むことも多かったが、それでも子どもたちの笑顔を見ていると、『頑張ろう』という気持ちになった。彼女は相変わらずできなかったが、それでも幸せだったのだ。


「残念ですが……余命は、あと二年です」


 そんな僕にガンが見つかったのは、三十歳の誕生日を迎えたすぐ後だった。

 大腸ガンは、他の多くのガンにも言えることだが、末期になるまで症状がわかり辛くて。僕はもともとお腹が弱かったこともあり、その多くのサインを『いつものことだ』『放っておけばすぐに治るだろう』と、見落としていたのだが。病院で検査を受けたときには、もう遅かった。もう手遅れになっていた。


「もっと早く見つかっていれば、良かったんですけど――」


 目の前が、急に暗くなったような気がする。蛍光灯が切れたように。

 僕が絶望に目眩さえ起こしていると、医者は実に残念そうな顔でそう言った。転移さえしていなければ、全摘することもできたのに――と。

 僕は『せめて、最後まで教師を続けたいです』とお願いしたが、医者は――


「そんな、ドラマや小説じゃないんだから。余命宣告されたような患者が、普通に仕事なんて続けられるわけないでしょうが。長生きしたければ、入院してください」


 と、諭した。どうやら、今後の僕の体調は、とてもまともな生活が送れるようなものではないらしい。加えて、学校の校長と教頭も僕が末期ガンであることを知ると、やんわりではあるが『生徒たちのためにも、速やかに辞めて欲しい』と伝えてきた。有無を言わせぬ様子で。『癌ハラスメント』という言葉を生まれて初めて知ったのは、そのときである。

 僕は、まるですべてから見放されたような気がした。いや、実際に見放されていた。大切な生徒たちには、ガンの事実を伝えることさえ許されず、僕は急な転勤という建前で学校を去らなければいけなかった。

 それからのことは、正直思い出したくもない。

 入院して、大量の抗ガン剤と痛み止めを注射され。点滴で腕がボロボロになると、今度は足から薬を入れられた。毎日。毎日。毎日。毎日。とにかく副作用が苦しくて、医者や看護師に『殺す気か!』と怒鳴って。そんな自分が信じられなくて。惨めで。だって、僕はこれまでそんな人間ではなかったのだ。誰かに対して、理不尽に感情をぶつけるような人間ではなかったのだ。子どもたちにも、いつも柔和な笑顔でポジティブに接する教師だったのだ。そうだ。僕はみんなから愛される、普通の教師だったのだ。


 普通の。普通の。普通の。普通の。普通の。普通の。普通の。普通の。普通の。

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「ああ、普通って――何てありがたいことなんだろう」


 僕は、もう普通の人間には戻れない。普通の、幸せな人生には戻れない。

 両親が、無理に明るく振る舞っているのが辛かった。何も悪いことなんてしていないのに、僕は泣きながら謝ることしかできなくて。お父さんとお母さんも、泣きながら謝ることしかできなかった。友だちに感謝する? 家族に感謝する? 恋人に感謝する? とんでもない。そうして――僕はたった独りで、惨めに死んでいったのだ。神様を呪いながら。


「………」


 しかし、次の瞬間には、僕はすべての苦痛から解放されていた。

 見知らぬ遺跡のような、廃墟のような場所に立っていて。髪の毛もフサフサに戻っていて。もちろんガンの痛みなんてなくて、完全に消え去っていて。

 目の前に現れた天使は『残念なことですが』と、言った。『こんなんことになって、申し訳ない』と、言った。『死にたくなければ魔物と戦え』と、言った。


 と、ん、で、も、な、い、


 こんな僕に、もう一度チャンスを与えてくれるなんて。人生をやり直す、チャンスを与えてくれるなんて。その説明を聞きながら、僕は嬉しくて。嬉しくて。嬉しくて。嬉しくて。その場で飛び回りたい気分だった。目の前の天使に跪き、その足にキスしても良かった。この人生をもう一度やり直せるのなら、嫌いになった神様のことだって、掛け値なしに好きになってもいいとさえ思えた。

 感謝。感謝。感謝。感謝。

 圧倒的な、感謝の気持ちが全身から湧き上がってくる。しかも、この異世界で運良く出会った匡太君やアキラちゃんは、とても親切で。僕なんかの面倒を見てくれて。おまけに、信じられないぐらい美しくて。僕はまるで、女神に祝福されたような気持ちになった。この世界こそが、天国なのではないかと半ば確信的に夢想した。


 ――ああ、お父さん。お母さん。僕は今、生きています。


 この世界で。この死後の世界で。それでも、力一杯『幸せ』を噛み締めながら。



 《主軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》⑬



「見事な剣技だったわね、匡太! 本当に……驚いたわ!」


 オークとの戦闘を終えた後で、レスティが俺の戦いぶりを称賛した。

 離れた場所で見守っていた定谷さんも、「本当にすごかったよ!」と驚いている。

 まあ、俺がこうして強敵とまともに戦えているのも、すべて祠堂頸木の規格外な身体能力のお蔭なのだが。説明が色々と面倒なので、とりあえず笑顔で聞き流しておいた方がいいのだろう。


「いや、レスティのお蔭って言うか。レスティが『オークを倒すための作戦』を立ててくれたお蔭で、無傷で片付けることができたんだよ。あの最初の一撃があったから、負傷したオークは動きも鈍くなってたし。もし向こうが万全の状態だったら、きっとかなりの被害が出ていたと思う」

「た、確かに……レスティさんもすごかったです。弓矢に風の魔法を加えることで、威力を高めるなんて」

「い、いえ、私は何も……」


 遠慮がちに、エルフの戦士長が首を振った。

 戦闘が終わった後で、気を取り直して視線を巡らせる。


「ギギギ……ギギ……ギギギギッギ……」


 今回の作戦で召喚した四匹のゴブリンは、全員がオークの破城槌のような攻撃によって重傷を負っており、そのうちの一匹は完全に動かなくなっているようだった。


「アキラ、とりあえず……ゴブリンたちを戻そうか? このまま放っておいたら、死んでしまうかもしれないし」

「そ、そうですね。生きているうちに回収できれば、このクエストが終わった後に、全回復するはずですもんね」


 頷いた後で、アキラがアプリを使って自分のゴブリンを回収する。

 予想していたとおり、俺の方のゴブリンは一匹が死んでいるらしく、戻すことはできなかった。まあ、あれだけの戦闘を繰り広げて二匹生き残ったのだから、十分過ぎるほどの戦果だったわけだが。


「あ、ごめん……ちょっと試したいことがあるんだけど、いいかな?」


 地図データを起動して、次のターゲットの場所へと向かおうとする面々に、俺はふと呼び掛けた。了承を得た後でアプリを操作――。太った野獣の死体の前で、先ほどテイムしたオークの召喚を試みる。


「………」


 体長は約二メートル。豚のような醜い顔をした、灰色の太った魔物だ。

 瞬間、目の前に先ほどとまったく同じ姿をしたオークが現れる。首のない死体は、確かにそこに転がっていると言うのに。


「オークが……二匹になった」目を見開いて、定谷さんが驚きの声を上げた。

「えーと、どういうことなんでしょうか。こ、これって……」

「俺も、よくわからないが。俺たちがテイムしている魔物は、本物とは別の……おそらくは、コピーのようなものなんだろうな。見てのとおり本物はちゃんと死んでいて、でもまったく同じ個体が、元気な状態でテイムされているわけだし」


 紅髪の美少女に向けて、目の前の光景を視認しながら推測を述べる。

 どうやらテイムとは、実際にその魔物を捕まえているわけではなく、単なる複製を隷属化しているだけらしい。


「それにしても、あなたたちは本当に……魔物をまるで、道具のように扱うことができるのね。プリズナーを『魔物使い』だなんて呼びたくなる気持ちも、わかった気がするわ」


 その異様な光景を前にして、白銀の美少女が目をしばたたかせた。

 そんな会話をしていると、何気なくアプリを操作していたジャージの巨乳少女が、「匡太さん。こ、これ、見てください」と、不意に手の届く距離まで近づいて来る。


「ん? いったいどうしたんだよ、アキラ」

「こ、この画面なんですけど……」


 それは、『グランヘイム・オンライン』のフレンド登録画面だった。

 そして、その画面には、レスティの名前とアイコンが表示されていたのだ。


「えーと……これってつまり、近くにいる異世界人のことも、フレンド登録できるってわけか? プリズナーだけじゃなくて」

「そ、そうみたいですね」アキラが動揺しながらも、答える。「もし異世界人のフレンド登録が可能なら、例えばその人の居場所を突き止めたり、離れた場所からアイテムを使うことができます。フレンドに登録した異世界人が、もし仮に死んだとしても……」

「そうだな。……とりあえず、レスティのことも登録しておくか。これからの戦いで怪我を負って、離れた場所から、アイテムを使わなければいけなくなるかもしれないし」

「そ、そうですね。クロエちゃんも、いつでも居場所がわかるように今度、登録しておきましょう。あ、でも……レスティさんはいいんですか? プリズナーのアイテムは、この世界では、よ、『妖術』だなんて呼ばれていたりもしますが」


 フレンド登録をしながら、紅髪の美少女が遠慮がちに小首を傾げた。

 それを受けて、レスティが妖艶な笑みを浮かべる。


「私はすでに、二百歳を超えているから。数十年しか生きていない、普通の人間たちのように、いちいちプリズナーの妖術に恐れおののくことはないわ。彼らがアイテムを使う姿も、これまで何度か見たことがあるし」

「そ、そうですか……良かった」


 ジャージの巨乳少女が、安堵したように息を付いた。よほどクロエがポスタ村で差別されていたことを、気に病んでいたらしい。

 ともあれ、エルフの少女に対するフレンド登録を無事に終えた俺たちは、地図データをもとに次のターゲットの居所へと歩き始めた。残りの二匹は、どうやらこの場所から比較的離れたところにいるようだ。


「ちょ、ちょっとした疑問なんですけど」歩きながら、アキラが小首を傾げる。「どうしてエルフの方々は、森に住んでるんですか? どうしてガルシア帝国に対抗するために、七聖連合国に加わらないんですか?」

「どうしたの、アキラ。アキラは異世界人なのに、こちらの世界の情勢についても、勉強しているの?」

「い、いえ、別に詳しくはないんですけど。ちょっと気になって……」


 紅髪の美少女が、遠慮がちに首を振る。

 レスティは優しく微笑んだ後で、


「そうね。確かに帝国の蛮行は、見逃せないところがあるわ。彼らは侵略した国の人々を、次々と奴隷にしているから。帝国領内にあるいくつかの森もその対象で。向こうの国では、エルフも大量に奴隷として扱われているらしいの。特にエルフとセイレーンは、平均的に美しい容姿をした者が多いから。中には、高価な性奴隷として扱われている少女たちも、存在するらしいし。そう言う話を聞けば……もちろん私だって、心情的に何とかしたいとは思うわ」

「だ、だったら……」

「でも、エルフたちは七聖連合国には加わらない。それは、もちろん『森に生き、森に死ぬ』という、深緑神グリーンヘラの教えもあるのだけど。宗教的な実情以外にも二つ……私たちエルフが、連合国に加われない理由があるの」

「二つ……と、言うと?」首を傾いで、話の続きを促す。

「まず一つ目の理由は、エルフは伝統的にドワーフと仲が悪いの。神代の時代からね。だから、ドワーフが七聖連合国に加わっている以上、私たちがそれに加担することはできないわ。そして、二つ目の理由は『獣人たち』のことなのだけど」


 そこで、エルフの戦士長が唇を噛み締めた。

 その表情には、隠しきれない嫌悪感が宿っている。


「じゅ、獣人が……どうかしたんですか?」不思議そうに、アキラが尋ねた。

「いえ、エルフたちは基本的に、獣人たちのことを嫌悪しているのよ。別に『差別している』というわけではなくて、本能的に――と言うか。彼らは、何か重大な秘密を隠し持っている。だから、信用して命を預けることなんてできないのよ」

「そう、なのか……」


 その話を聞いて、とりあえず納得する。

 ガルシア帝国の『人間絶対主義』もそうだが。この世界の人々は、そう言った他種族間の問題を抱えているらしい。まあ、肌の色や生まれた場所が違うだけで、俺たちの世界でも差別が横行しているのだから。きっと、見た目が明確に違う者同士の『選民思想』や『純血主義』は、それ以上に根が深いのだろう。


「ブヒ……ブヒ……」


 そんなことを考えていると、ようやく二匹目のオークのもとへと辿り着いた。


「何か、さっきのヤツよりも随分と小さいな」

「おそらくは、まだ子どもなのでしょうね」


 建物の影に隠れて、その太った野獣の姿を視認する。

 オークの子どもは、木で作られた無骨な玩具のようなものを掲げ持ち、それと一緒に自身も走り回っているようだった。人間が作ったものにしてはあまりにも稚拙なので、おそらくは、オークたちが作った不器用な玩具なのだろう。


「ま、まるで僕が務めていた小学校の、低学年生みたいだ」

「遊んで……いるんでしょうか」眉を顰めて、アキラが問い掛ける。

「そうみたいね。ちょっと動きが読めないけど、とりあえず狙ってみるわ」


 頷いた後で、レスティは先ほどと同じく呪文の詠唱を開始――。弓を構えて、オークの子どもに狙いを定める。

 そして、いっぱいまで弦を引き絞って――矢を放った。


 ビシュ!


 矢は風の力で驚異的なまでに加速し、加速し、オークの心臓を捉える。


「ブヒィイイイイ! フヒィイイイイイイイイイイ!」


 しかし――矢が貫く前に、オークの子どもが予想外な『遊び』の動きをしたため、その一撃は横腹を鋭く抉っただけだった。致命傷には至っていない。


「――来い、錆鉄!」


 その様子を視認した後で、俺は魂装を顕在化しながら太った野獣に斬り掛かった。

 オークの子どもは戦闘経験自体に乏しいのか、その場に硬直してしまい、次々とアキラとレスティの矢に貫かれている。


「ブヒィ……ブヒィイイ……」


 ズバッ――


 そんな血塗れのオークを、両手を振り回して必死に抗おうとする魔物を、俺は横薙ぎの一閃で斬り伏せた。放っておいても死ぬであろう致命傷だが、倒れたところをさらに追撃し、その首に錆鉄を突き立てる。


「………」


 その頃には、オークの子どもは悲鳴すら上げることができなくなっていた。

 どうやら、相手が弱かったお蔭もあり、簡単に倒すことができたようだ。


「これで……二匹目だな」


 汗を拭った後で、魂装を引き抜く。二人のもとへと戻っていく。


「それにしても。あなたたちが使う魂装というのは、随分と威力にばらつきがあるのね。匡太の使う錆鉄にしても。ほとんど斬れないこともあれば、今みたいにスッパリ切れ味が増すこともあるようだし。何か、精神的なことが関係しているのかしら」

「そうですね。わ、私もこの白大弓で矢を放っていて、すごく威力に『ばらつき』があるのを感じます。やはり、『魂の在り方によって形や性能が変化する』からなのでしょうか」

「……だろうな。なんか、気合って言うか……決意って言うか。そういうのが、関係あるような気がするんだが」

「匡太君……後ろ……後ろを……」


 そんな話をしている。と、定谷さんが突然、喘ぐような声を上げた。

 何事だろうかと、振り返る。視線を向ける。


「ブヒッ……ブヒッ……」


 そこに立っていたのは、最後の一匹――胸の膨らんだ巨大な、最初に見たものよりも巨大な、メスのオークだった。そして――


「ブヒッ……ブヒイイイイ……フビイイイイイイイイ……」


 最後の一匹は、小さなオークの亡骸の前に跪くと、声にならない声を上げながら滂沱の涙を流しているようだった。

 俺たちは、すぐさま武器を構えて臨戦態勢を整える。


「まさか、メスがいたとは思わなかったわ」

「匡太さん、気を付けてください! お、大きいです!」


 言いながら、紅髪の美少女が矢を放つ。矢継ぎ早に。

 しかし、二人の射撃攻撃を、そのオークは棍棒を振り回して防いでいるようだった。


「――うおおおおおおおおおおお!」


 俺は錆鉄を握り締めると、気合を入れて敵に飛び掛かる。その脂肪塗れの腹に向けて、横一文字をお見舞いする。接近。――肉薄。しかし、腹を斬られたにも関わらず、メスのオークは小揺るぎもしなかった。少しも怯まなかった。まるで怒りに身を任せた一撃――。その会心の一撃を、俺は錆鉄を盾にして辛うじて防ぐ。


 ドゴ――


 しかし、気が付くと――俺の身体は弾き飛ばされていた。

 右腕の肉と骨が、激痛とともに、激痛とともに砕け散るのを自覚する。


「ぐ……あ……」

「――匡太さん!」


 そのまま殴り飛ばされた俺は、建物の壁に激突して、腰から崩れ落ちた。

 視界が明滅する。気を抜いたら、意識まで持って行かれそうだ。


「こいつ……強いわ!」


 次いで、オークが狙撃手たちへと狙いを定める。その野獣の意思を察知して、エルフの戦士長が腰から鉈を引き抜いた。

 レスティが、弓矢を捨てて鉈を構える。おそらくは、自分が囮になることで隙を作り、アキラに白大弓を撃たせるつもりなのだろう。


「――レスティさん!」

「レス……ティ……」

「はあああああああああああああああ!」


 白銀の美少女が、気合を込めてメスのオークに猛進する。その巨体に躍り掛かる。

 一合。二合。三合。四合。

 レスティは風魔法を使って中空を飛び回り、ターゲットに斬り掛かっているようだった。その鮮やかな剣技により、次々とオークの巨体が斬り刻まれていく。しかし――


「ブヒィイイイイ! ブヒィイイイイイイイイイイ!」


 頭に完全に血が上った魔物は、止まらなかった。血塗れになりながらも強引にエルフの戦士長の身体を掴み、力任せに地面に叩き付ける。


「く……あっ!」

「――レスティさん!」


 そのあまりに乱暴で、荒々しい攻撃を受けて、レスティは血の塊を吐きながら転がった。意識は保てているようだが、遠目からでも重症であることがわかる。おそらくは、もう立ち上がることすらできないのだろう。


「ブヒィ……ブヒィイイイ……」


 二匹の獲物を仕留めた暴君が、その怒りに満ち満ちた瞳で最後の獲物を――アキラの姿を、残酷に捉える。


「ア、アキラ……逃げろ……」


 俺は混濁する意識の中で、精一杯に言葉を吐き出した。


 ――せめて……せめて、アイテムが使えれば……


 そう思い、唯一動かせる左手でケータイを操作するも、上手くいかない。そもそも、俺は今、十万ギルすら持っていないのだ。『傷薬D』を使うにしても、まずは魔物を売却しなければならない。とてもじゃないが、そんな手順を踏んでいる余裕なんて……


「きょ、匡太さん、アプリは使えますか!」


 ジリジリと、メスのオークが棍棒を手に近づいて来る。近づいて来る。そんな状況の中で、紅髪の美少女が声を張り上げた。


「い、一応は使えるが……もうギルが……」

「いえ、もし可能なら――オークを召喚してください! さっきテイムした二匹のオークを! お、お願いします!」

「で、でも、召喚したところで……とても操作することなんて……」


 アキラの言葉を聞きながら、絶望的な気持ちが込み上げてくる。

 確かに二匹のオークが使えれば、この危機的状況を打開できるかもしれない。しかし、激痛のせいで意識がまだ混濁しており、とても魔物を操って戦うことなどできないのだ。


「出すだけで、構いません! お願いします、匡太さん!」

「………」


 それでも、狙撃手の少女は叫んだ。ギリギリまで追い詰められながら。

 俺は、半ばヤケクソになりながらもアプリを操作――。言われたとおり、先ほど倒した二匹のオークを召喚する。


「ブヒ……ブヒ……」


 俺の目の前に、成人のオークと子どものオークが二匹、現れた。それを受けて、ずっとアキラのことを睨み付けていたメスのオークが、視線を逸らす。


「ブヒッ! ブヒィイイイイイイ! ブヒィイイイイイイイイイイイ!」


 最後の一匹は、その二匹の姿を見て泣いているようだった。さっき見せた怨恨と憤怒の涙ではない。それは家族との再会を喜ぶ、歓喜と感動の涙だった。そして――


 ビシュ!


 家族の復活を心から喜んでいたオークに向けて、紅髪の美少女が矢を放った。

 狙いは必中――。それは、必殺の一撃だ。

 頭を貫かれたオークのメスは、悲鳴を上げる暇さえ与えられずに、紫色の血を撒き散らしながらその場に崩れ落ちた。確認するまでもなく、絶命しているのだろう。


「アキラ……」

「よくやったわ、アキラ。まさかあんな作戦を思い付くなんて」


 負傷からようやく立ち直ったレスティが、感嘆の声を上げる。

 俺も痛みに堪えながらも立ち上がり、二人のもとへと歩いた。歩いた。

 遠くから戦いの様子を見守っていた眼鏡の青年も、「すごい! 本当にすごかった!」と、興奮に満ちた声を上げている。


「い、いえ、たまたまですよ」


 その勝利を喜ぶでもなく、誇るでもなく、むしろ後味の悪そうな顔でアキラが謙遜した。

 あの三匹は、おそらく家族だったのだろう。そんな事情を即座に見抜き、母親のオークを動揺させるために夫と息子を召喚させた少女の手管は、実に見事だった。まあ、人道的に正しいかどうかは別として。


「お疲れ様です、プリズナーの皆様」


 ようやくクエストを完了し、アプリのタイムカウントがすでに停止していることを確認している。と、どこからともなく、唐突に黄緑色の髪をした少女が現れた。

 温和な笑顔を浮かべた、眼鏡の天使――イチエルだ。その手には、相変わらず何に使うのかよくわからない工事用ドリルが、当たり前のように装備されていた。


「イチエル……か?」

「はい、匡太さん」眼鏡の天使が鷹揚に頷いて見せる。「実はあなたと頸木さんの入れ替わり問題について、あれから調査を続けていたのですが。ある重大な事実がわかりまして」

「じゅ、重大な事実……だと?」

「はい。このまま、お二人が元の身体に戻られなかった場合、魂が今いる身体に定着してしまい……その、大変言いにくいのですが。お二人は、死ぬまで元の身体に戻れなくなることがわかりました。ですので、どうか一日でも早くお互いに同意して、元の身体に戻ってください。戻れなくなると、一生他人として生きていかなければいけなくなりますから」

「そ、そんな……」


 その言葉を聞いて、頭が真っ白になるのを自覚した。

 このままでは、自分の身体に戻れない。自分を取り戻すことができない。それは、俺にとって死よりも恐ろしい絶望だった。


「きょ、匡太……何の話かは知らないが、大丈夫か? 真っ青だぞ」

「匡太さん……」


 レスティとアキラが、心配そうに俺の顔を見つめている。見つめている。

 しかし俺は「大丈夫だから」と、卑屈な笑顔を返すことしかできなかった。


「……そ、それより、レスティの怪我を何とかしないとな。俺たちプリズナーは、クエストが終わった後でどんな大怪我も治るけど、レスティはそうもいかないだろうし。待っていてくれ、今参加報酬で『傷薬D』を使うから」

「あ、ありがとう匡太。でも、いいの? ギルはあなたたちプリズナーにとって、とても貴重なものなのでしょ?」

「これぐらいなら、大丈夫だ。魔物を売れば手に入るし。それに、レスティには今回、本当に世話になったから」

「匡太さん……」


 紅髪の美少女が、心配そうに俺の顔を見つめている。おそらくは、その動揺を見抜いてしまっているのだろう。そして、傷の治療を受けるエルフの少女も、同じ目をしていた。


「ありがとう、匡太。お蔭で傷が完全に治ったわ。プリズナーたちが使う妖術は、前にも見たことがあるのだけど……本当にすごいのね」


 アイテムによる傷の治療が終わった後で、レスティが改めてお礼を言う。


「それじゃあ、レスティ。またどこかで」

「ほ、本当にありがとうございました。レスティさん」


 そんなやり取りをしていると、やがて強制転移が始まった。

 俺たちは光の文字コードとなって、元の世界へと帰っていく。


 ――早く、自分の身体を取り戻さないと。

 ――早く……早く……早く……早く……


 学校に帰還した後で、俺は拳を握り締めた。血が出るほどに。

 時間はいつも有限で、その後に残るのは後悔だけなのだと、俺は改めて自覚した。



 ○●●○



 《第三クエスト》オーク三匹(参加報酬五万ギル)

 ・上條匡太―― ゴブリン二匹 オーク(父と子)二匹 0ギル

(参加報酬受け取り後に、レスティを『傷薬D』で回復させたため)

 ・赤沢アキラ―― ゴブリン一匹 オーク(母)一匹 十五万ギル

 ・十文字辰彦―― 十五万ギル


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