第10話 異世界での情報収集

 


 《主軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》⑩



 頸木に会いに行った、次の日の土曜日――。アキラにメールで誘われた俺は、前に彼女と会った、あの駅前の喫茶店へと向かっていた。

 何でも、どうしても相談したいことがあるらしい。

 休日ということもあって、妹分の小春に『一緒に過ごしたい』とせがまれたが。適当な理由を付けて往なし、俺はズボンスタイルの服装で駅前へと辿り着く。喫茶店に入ると、アキラは前回と同じ角の席で所在なさげにしていた。


「悪いな、アキラ。待たせちまって」

「い、いえ、私の方こそ……いきなり呼び出してしまって、申し訳ありませんでした」


 待ち合わせ場所へと現れた俺に、紅髪の美少女がわざわざ立ち上がって一礼する。

 その服装は、彩波女学院の制服の上からジャージを着込んだ『相変わらず』のもので。今日は比較的暖かいが、それでも執拗にジャージを脱ごうとしないのは、やはりその大き過ぎる胸をできるだけ目立たなくするためなのだろう。


「あれ、十文字さんは? まだ来てないのか?」


 席に着いた後で、首を傾いで問い掛ける。

 今日はアキラの方から十文字さんも誘う手筈になっていたが、その姿は見受けられない。もしかしたら、仕事が忙しくて遅れているのだろうか。


「ご、ごめんなさい。じ、実は……十文字さんは、やっぱり誘わなかったんです」

「えーと、誘わなかったって……いったいどうして?」


 その言葉を受けて、思わず眉を顰める。まさか『男性が苦手だから、十文字さんだけをハブにした』と、言うことはないと思うが。

 そんな推察を巡らせている。と、紅髪の美少女が言い難そうに唇を噛み締めた。


「だ、騙すような形になってしまって、ごめんなさい。で、でも……正直、十文字さんのことは、まだ信用できないと言うか」

「信用できない、だって?」

「は、はい。実は……一回目のクエストで、私たちが廃墟の町に集められたときのことなんですけど。あ、あの人は……十文字さんは、匡太さんのことを睨み付けていたんです。すごく怖い顔で」


 何度も何度も唇を噛み締めながら、ジャージの巨乳少女が告げる。


「ま、まあそれは、祠堂頸木がありえないぐらいの美少女だったから……じゃないのか? 男だったら注目するだろ、普通? ここに来るまでにも、擦れ違う男性陣にはすげー注目とかされてたし。普段、学校に行くときだって――」

「そういうことじゃ、ありません!」俺の言葉を遮って、アキラが語気を荒げた。「そ、そういうことじゃなくて……本当に怖い顔をしていたんです」

「い、いや、でもあの人の場合は、元から怖い顔をしてるって言うか。目付きも鋭いし」

「そ、それに……でも、関西弁も……何だか胡散臭いじゃないですか」


 今にも泣き出しそうな、それでいて気の強い瞳で少女が訴え掛ける。

 俺は思わず苦笑いを浮かべた後で、


「いや、別に関西人だからって……胡散臭くはないだろ?」

「そういう意味じゃ、ありません」何かを拒絶するように、紅髪の美少女が首を振った。「わ、私も、よくはわかりませんが……イントネーションとか、使い方とか。なんだかすごく、違う気がするんです」

「ち、違う気がするって……」


 アキラの言葉を受けて、記憶の底に探りを入れる。確かに十文字さんの関西弁は、何だかイントネーションや使い方がおかしいような気もするが。だからと言って、二度も一緒に命を懸けて戦ってきた仲間を、疑うような真似はしたくない。


「考え過ぎ……なんじゃないのか?」

「そ、それは……もちろんその可能性もありますが。ごめんなさい。そ、それでも、やっぱり怖いって言うか……十文字さんのことは、まだ信用できないって言うか」


 曖昧な声音で、ジャージの巨乳美少女が答えた。

 まあ、アキラは少し疑り深いところがあると言うか。男性に対して、不信感のようなものを抱いているところがあるので、それも仕方のないことなのだろう。


 ――まあ、確かに十文字さんは……ちょっと胡散臭いけどな。

 ――自分のことを、『名探偵だ』とか言ってるし。


 彼のこれまでの言動を思い返し、とりあえず納得する。

 マスターにコーヒーを注文した後で、


「それで、今日俺を呼び出したのは『どうしても、相談したいことがあるから』と、言うことだったけど。何かあったのか?」

「い、いえ、何かあった――と、言うわけではないのですが。じ、実は……匡太さんに、お願いしたいことがあって」

「お願い、と言うと?」

「は、はい。……実は、あの異世界についてのことなんですけど」


 首を傾いで問い掛けると、紅髪の美少女は遠慮がちに続けた。

 グランヘイムが、いったいどうしたと言うのだろうか。


「わ、私たちは、これまでに二回……クエストで向こうの世界に転移したわけですが。もっと、あの異世界のことを……グランヘイムのことを、勉強しておいた方がいい気がするんです。ほ、ほら、スライムと戦ったときもそうですが。最初から弱点がわかっていたら、あんなにも苦戦することだって……なかったはずじゃないですか。だから、そういう知識を得るためにも、異世界に行っておいた方がいいと思ったんです」

「なるほどな、魔物の知識か……」


 ジャージの巨乳少女の言葉を受けて、呟くように言う。

 確かに初戦でスライムに苦戦したのは、ヤツの弱点を知らなかったからだ。クエストとクエストの合間にまで、あんな魔物が住む世界に行くなんて『とんでもない』と思っていたが。そう考えると、俺たちはもっとあのグランヘイムのことを勉強し、その知識を身に着けるべきなのかもしれない。


「そ、それに……他にも気になることがあって」何かを思い悩むように、アキラが唇を噛み締める。「前回のクエストで、わ、私たちは初めて異世界人に会ったわけですが。今後も、巻き込んでしまうかもしれないと言うか。彼らのことも、ちゃんと知っておいた方がいいような気がして」

「異世界人のことを、か?」

「は、はい。前回のクエストで匡太さんが助けた、少女のことも……あのクロエちゃんが元気でやれてるのかも、気になりますし」


 憂いを帯びた様子で、紅髪の美少女が言葉を続けた。

 どうやら、アキラは『そのこと』を一番気にしているらしい。


「確かに、俺はあのとき『傷薬D』を使って異世界の少女を……クロエのことを、助けたわけだが。……そうだな。あんなにも酷い怪我だったし、アキラの言うとおりちゃんと回復しているのかは、俺も気になるな」

「じゃ、じゃあ、一緒に異世界に行って……もらえますか?」

「もちろんだ。まあ、俺なんかじゃ頼りないかもしれないけど」

「あ、ありがとうございます、匡太さん……」


 パッと表情を花開かせて、ジャージの巨乳少女が感激したように謝辞を述べる。

 あんなにも危険な異世界に一緒に来て欲しいだなんて、本当は頼み辛かったのだろう。それでも、アキラはクロエのことがずっと心配だったに違いない。それで、勇気を振り絞って俺にこうしてお願いに来たのだ。


「アキラは、本当に優しいんだな」彼女の心中を慮り、思わず笑顔を向ける。

「ぜ、全然そんなことないです! 私なんて、人を選ぶところとかもありますし。別に、純粋に優しいってわけじゃ……」


 恥ずかしそうに頬を赤らめて、紅髪の美少女はブンブンと首を振った。

 これだけ可愛くて、巨乳で、しかも優しいのであれば、さぞかし異性にモテるのだろう。まあ、彩波女学院はお嬢様学校なので、あまり出会いはないのかもしれないが。


「えーと。とりあえず天使の話では、向こうに行ける時間はクエストとクエストの間の、四十八時間のはずだけど」


 改めてアキラの気立ての良さに感心した後で、俺は思い出しながら口を開いた。


「ここでいきなり異世界に転移したら、マスターに見られるかな? 転移のときは、文字コードになって消えちまうわけだし」

「い、いえ、それに関しては大丈夫だと思います」運ばれてきたコーヒーにミルクと砂糖を入れながら、ジャージの巨乳少女が答える。「わ、私は前回、天使によってクエストに呼び出されたとき、たまたま学校の友だちと一緒にいたわけですが。彼女は私がその場で消えたにも関わらず、戻ってきたときには何も覚えていない様子でした。り、理由はわかりませんが、異世界に関することは、何らかの形で記憶の改竄が行われているのだと思います。おそらくは、私たちが死んだ瞬間の記憶を周りの人間が失っていたのと、同じ原理ではないかと……」

「なるほどな。それなら、特に転移の瞬間を周りの人間に見られても、問題なさそうだな。あとは、異世界での経過時間と、リアル世界での経過時間についてだが」

「そ、それに関しても問題ありません。二度のクエストでチェックしましたが、向こうの世界で数時間が経過しても、こちらの世界では数分しか経っていませんでしたから」

「やっぱり、そうか……」


 アキラの話を聞いて、自身の状況を思い出しながら呟いた。

 スライムと戦ったときも、ゴブリンと戦ったときも、異世界では約二時間が経過していたはずだ。しかし、リアル世界に戻って来て時計を確認すると、ものの数分しか経っていなかった。時間経過についてはまだ色々と気になることもあるが、とりあえず今は、問題視する必要はないのだろう。


「それじゃあ、さっそく行ってみるか」


 そこまで思い至り、気を取り直して提案する。アキラは「はい、行きましょう」と、緊張気味に頷いた。

 アプリを起動して、前回の拠点である草原地帯を選択――。その後で、俺は転移の前に目の前のコーヒーカップを手にした。


「え、えーと、どうして……コヒーカップなんて持つんですか?」少女が小首を傾げる。

「いや、ちょっと実験と言うか。異世界に、持ち運べるんじゃないかと思って」

「ああ、なるほど。そ、そういうことですか」


 俺の話を聞いて、紅髪の美少女が納得したように頷いた。

 気を取り直して、アプリを操作――。異世界への転移を開始した。


「――ッ!」


 瞬間、身体が光の文字コードとなって、煙のように宙に浮きながら消えていく。

 白い光を放つ、意味不明なアルファベットの羅列――。

 そして、しばらくすると視界が暗闇に覆われた。身体の感覚が失われていく。

 意識が途切れる。途切れる。途切れる。途切れる。


「………」「………」「………」「………」


 次の瞬間には、またあの感覚が襲い掛かってきた。夜の海のような暗闇から、意識が急速に浮上するような感覚――。まるで誰かに、無理やり引っ張り上げられているような。微睡みの底で頭を掴まれるような。


「……どうやら、問題なく転移できたようだな」


 意識を取り戻しながらも周囲の様子を確認し、隣にいるアキラに声を掛ける。


「は、はい。おそらく、時間はリアル世界と同じ……でしょうか。前に来たときは深夜でしたが、今はまだ午前のようですし」


 太陽の位置を確認しながら、ジャージの巨乳少女が答えた。

 まだ昼間と言うこともあり、前回来たときとはまるで雰囲気が違う気がする。


「あ……匡太さん、見てください!」


 そのことに違和を感じていると、振り返りながらアキラが答えた。

 それに倣って視線を向けると、ポスタ村の対角線上に大きな街が聳え立っていた。そう、まさに聳え立っていたのだ。


「前に来たときは、全然気付かなかったけど……すごいな」


 無事に持ち込めていたコヒーカップを片手に、感嘆の声を漏らす。

 数キロ先に見えたのは、巨大な壁に覆われた立派な街だった。


「前にポスタ村を見たときは……し、失礼かも知れませんが。もしかしたらグランヘイムでは、そこまで文明が発達していないのかなって思いましたけど。本当にすごいですね。まるで、ファンタジー映画の中に迷い込んだみたいです」

「確かにな。どうやら、ポスタ村は別に文明が遅れてるってわけじゃなくて、農作物を専門に育てるための場所……と、言うことなんだろうな」


 前回、ゴブリンを倒すためにポスタ村を探索したときのことを思い返し、推測する。

 ポスタ村は家の数に比べて、やたら広い農地を保有していた。それらはきっと、村人のために作っているのではなくて、あの大きな都市に供給するためのものなのだろう。


「えーと。とりあえずあそこには、後で行ってみるとして……。まずはクロエに会うために、ポスタ村に行ってみるか?」

「そ、そうですね。クロエちゃんの様子を、見に行きましょう」


 その都市の大きさに未だ圧倒されながらも、紅髪の美少女が頷いた。

 とりあえず自身を落ち着けるように残りのコーヒーを飲んでから、振り返り、すぐ近くのポスタ村へと向かう。村までは、歩いて二十分も掛からなかった。

 村の外周部では農作物だけでなく、牛や豚、鶏などの家畜も飼育されているようで――。それらはすべて、リアル世界と同じ姿形をしている。ここが完全な異世界であるのなら、生息している動物も、まったく違う形をしていてもいいと思うのだが。


「何か、私たちの世界と関係があるのでしょうか。少なくとも、まったく違う星……と、言う感じはしませんし」


 そんな話をすると、アキラも不思議そうに推論を述べた。

 とりあえず、わからないことは一時保留にして、前へ。前へ。


「………」


 俺たちが、入口の柵を超えてポスタ村へと進入する。と、狼の耳と尻尾を生やした人間――ウェアウルフの村人たちが、あからさまに奇異の目を向けてきた。

 しかし、誰も俺たちには話し掛けてこない。警戒はしているが、まるでいないもののように扱っている雰囲気だ。


「な、なんだか、私たち……避けられているみたいですね」

「そうだよな。そんな感じ、するよな」

「プリズナーって、この世界では嫌われているのでしょうか?」

「そ、それは……どうなんだろうな? ちょっと、よくわからないけど」


 戸惑いに立ち止まった後で、改めて記憶にあるクロエの家へと向かうことにした。


「……留守かな?」

「ど、どこかに、出掛けてしまっているのでしょうか?」


 しかし家に着いてみると、そこはもぬけの殻で。ノックをしたり呼び掛けたりしたが、誰も出てこなかった。仕方なく、近くを通り掛かった男性に声を掛ける。


「おの、すいません。ちょっと訊きたいんですけど」

「あん?」


 腕に怪我をした男性が、話し掛けられて思い切り顔を顰めた。


 ――感じ悪いな、こいつ……


 何がそんなに、気に食わないのだろうか。何をそんなに、怒っているのだろうか。


「俺はなあ、二日前のゴブリン襲撃のせいで、怪我をしたんだ。見て見ろ、これを!」


 そんなことを考えていると、あからさまに包帯の巻かれた腕をアピールしながら、男が言った。実に不愉快そうに。


「村の連中は、みんな言ってるぞ! たまたま自警団がいない日に、こんな場所であんなにも大量のゴブリンが出るのは、おかしいって! お前たち亡霊が、魔物を呼び出したに違いないってな!」

「そ、そんな、私たちは別に……」

「ケッ、近づくんじゃねえ! この亡霊どもが!」


 唾と一緒に吐き捨てると、ウェアウルフの男はそのまま通り過ぎて行った。

 どうやら村の人々は、俺たちのせいでゴブリンが出現したのだと思い込んでいるらしい。


「ごめんなさいね、プリズナーの皆さん」


 そのことに憤りを感じている。と、男とのやり取りを見守っていたウェアウルフのお婆さんが、声を掛けてきた。俺とアキラは、振り返って視線を向ける。


「私はね、あなたたちプリズナーは、悪くないって思ってるの。だって、村に現れたゴブリンを退治してくれたのは、あなたたちなんだから。でも、村の中には悪い噂を吹聴する者が多くて。それで、クロエも……」

「お、お婆さん、クロエちゃんこと知ってるんですか?」

「もちろんだとも」お婆さんが、きっぱりと頷いた。「この村の住民は、みんなが家族みたいなもんだからね。でも、クロエはゴブリンに襲われて、大怪我負って、それをプリズナーの妖術によって助けられてしまった。だから、村人の多くは『亡霊と関わった者は縁起が悪い』『村に災いを呼び起こすかもしれない』なんて言って、クロエのことを避けるようになってしまってね」

「そ、そんな……酷い!」


 その話を聞いて、紅髪の美少女が泣きそうな声を上げる。

 まさか、俺がクロエを助けたせいで、彼女が村で迫害を受けることになってしまうなんて――。想像すらしていなかったのだ。


「一応は『王都の病院に入院した両親の面倒を見るために、クロエもしばらく王都で過ごす』『治療費を稼ぐために、住み込みで働く』と、言うことになってはいるがね。ポスタ村の村人たちは、クロエを追い出したかったんだよ。だから、二人が退院した後も、この村に戻って来られるかどうか……」


 シワシワの顔を悲しそうに歪め、お婆さんが言った。

 どうやらクロエは、入院した両親のために王都で――。おそらくは、あの壁に覆われた巨大都市で、住み込みで働いているらしい。


「え、えーと。クロエがいったいどこで働いているのかって、わかりますか?」


 そこまで理解した後で、小首を傾げて問い掛ける。

 しかしウエアウルフのお婆さんは、申し訳なさそうに首を振った。


「いいや、それはわからないけど。本人は、『とりあえず王都に行ってから、働き口を探す』と言っていたからね。もしかしたら、まだ決まっていないのかもしれないね。クロエはまだ、十二歳だし。きっとまともな仕事なんて……」


 お婆さんが、言葉を呑む。苦々しげに。

 もしかしたら、クロエは今も必死で両親の治療費を稼ぐために、働き口を探しているのかもしれない。


「ど、どうしましょうか、匡太さん?」


 ウェアウルフのお婆さんに、お礼を言って別れた後で、アキラが不安げに問い掛ける。


「そうだな。とりあえず、王都とやらにクロエを探しに行きたいと思ってるんだけど」

「――はい。わ、私も、それがいいと思います」


 おそらくは、俺が『面倒臭がるかも』と思っていたのだろう。紅髪の美少女が、嬉しそうに表情を輝かせる。

 今後の方針が決まった後で、俺たちはポスカ村を出て王都に向かうことにした。

 歩いて。歩いて。歩いて。歩いて。

 一時間掛けて、ようやく巨大な壁の前へと辿り着く。近くで見ると、さらに大きい。軽く十メートル以上はあるだろうか。敵の侵入を防ぐためか、あるいはグランヘイムは魔物がいる世界なので、それを拒むために作られたのかもしれない。

 そんな推測をアキラと一緒に立てた後で、王都の入口へと向かう。入口では、まるで中世の鎧を着た門兵たちが、街に入る人たちの通行許可証を確認しているらしかった。


「ど、どうしましょうか、匡太さん? 私たち、通行許可証なんて持っていませんけど」


 入場希望者の列に並びながらも、ジャージの巨乳少女が不安げな声を上げる。

 どうやら、門兵や行商人の話を盗み聞きするに、この王都――『ネオドラス』とやらに入るには、通行許可証なるものが必要であるらしい。


「まあ、それに関しては仕方がないだろ。とりあえず事情を説明して、お願いしてみようと思うけど」

「そ、そうですよね……。事情を話せば、もしかしたら……いや、きっと入れてくれるに違いありません」


 無理やりな笑顔を作り、紅髪の美少女が答えた。


 ――まあ無理なら、さすがに諦めるしかないわけだが。

 ――頼むだけ、頼んでみるか。


 そんな決意を固めている。と、やがて俺たちの番が回ってきた。

 門兵たちは、まず頭上のネームリングを確認。俺とアキラがプリズナーであることに気付くと、あからさまに嫌悪するような表情を浮かべる。そして――


「何を突っ立っている、さっさと入れ!」

「……え? でも俺たち、通行許可証なんて持ってないし」

「当たり前だ。プリズナーに、通行許可なんていちいち下りるわけないだろうが。いいから、さっさと入れ。仕事の邪魔だ」

「………」


 どうやら、プリズナーは許可証がなくても街に入ることができるらしい。

 それがこの世界の常識なのか、それともこの『王都ネオドラス』に限った話なのかは、まだよくわからないが。


「す、すごいですね! 建物も……街並みも、すごく綺麗だし。それに、色んな種族が暮らしていて。本当に、ファンタジー映画みたいですね!」


 ともあれ、問題なく街に入場した後で――アキラが目を輝かせて歓喜した。

 その光景に、俺も思わず圧倒されてしまう。

 大通りには綺麗な三角屋根の家々が連なり、そしてその先には荘厳なお城らしき建物が、どっしりと構えていた。その巨大さは、リアル世界の技術でも造れるかどうかわからない。また、綺麗に整備された大通りには、多種多様な姿形をした人々が行き来している。普通の人間だったり、動物のような耳や尻尾を持つ種族だったり、ほとんど動物を人型にしたような種族だったり。この世界のことはよくわからないが、おそらくそのすべてが『知能』を持ち、ちゃんとした社会生活を営んでいるのだろう。その光景はまさに、実物大のファンタジー映画やゲームのようだった。


「な、なんか……私たちの服装って、浮いてますよね?」


 武器や防具を装備した人々、異国的な服装をした人々を見て、紅髪の美少女が気まずそうに言う。確かに、俺たちの服装はあまりにも現代的過ぎて、ここでは浮いているような気がした。まあ、それ以前にネームリングを掲げている市民なんて他にはいないのだから、目立ってしまうのは仕方がないわけだが。


「と、とりあえず、ちょっと歩いてみようか?」


 人々の奇異の視線を感じながらも、俺はジャージの巨乳少女と連れ立って街を歩くことにした。俺たちに対する市民の反応は、ポスタ村を訪れたときとほとんど同じで、誰も話し掛けては来ない。警戒はしているが、まるでいないもののように扱っている雰囲気だ。


「と、とりあえず、クロエのことを訊いてみようか?」

「そっ、そそ、そうですね。さすがに、こんな広い街で一人の人物を目視で見つけるのは、不可能でしょうし。と、とにかく情報を集めないと――」


 しばらく歩き、歩き、大通りの市場らしき場所へと辿り着く。その後で、さっそく俺たちはクロエを見つけ出すべく、聞き込み調査を開始することにした。

 しかし道行く人々に話し掛けるも、俺たちがプリズナーであることを知った瞬間に、『関わるのも嫌だ』と言わんばかりに逃げていく。嫌われていると言うか、恐れられていると言うか。俺たちプリズナーは、この世界ではいったいどんな立ち位置にあるのだろうか。


「だ、誰も私たちの話を、聞いてくれませんね」

「仕方ない。こうなったら、客を装って店の人に訊いてみるか」

「お店の人に……ですか?」


 俺はアキラに向けて頷くと、適当な露店に足を踏み入れることにした。

 銀色の剣や兜、鎧などが乱雑に並べられたお店だ。その奥の奥で、何かの作業に追われている店主――。まるで虎をそのまま人型をしたような種族の男性[?]に、声を掛ける。


「あの、すいませーん! 商品を見たいですけど!」

「へい、いらっしゃい! どうぞ、見ていってください! ……って、輪っか憑きかよ」


 俺たちの姿を見て、元気に挨拶を交わした店主が、途端に『うげ』という顔をした。本当に、『うげ』と言う顔を。しかし、とりあえず無視されてはいないようだ。


「えーと。ここでは、武器や防具を売っているみたいですね。武器は魂装があるからいりませんが、ぼ、防具を装備しておけば、クエストで魔物と戦うときに有利かもしれません」

「そうだな。防御力が高ければ、魔物からの致命傷を防げるかもしれないし」

「お、お前たち、さっきから何言ってるんだよ」


 そんな会話をしていると、虎顔の店主が思い切り眉を顰めた。


「何って、防具についての話ですけど――」

「いや、そもそも輪っか憑きは、この世界の武器や防具なんて装備できないだろうが」

「そ、装備できないって……体格的には、別に問題ないと思いますが」紅髪の美少女が、不思議そうに問い掛ける。

「そう言う話じゃねえよ。輪っか憑きは、この世界の武器や防具を装備できないんだって。なんだ、お前ら新人か何かなのか? 疑うなら、試しに着けてみろよ」


 鬱陶しげにそう言うと、虎の男性が、俺に銀の剣と鎧を差し出してきた。

 言葉の意味はよくわからないが、とりあえず装備してみる。


「うん、別にいい感じだけど」

「は、はい、匡太さん。いい感じです」

「……あ!」


 しかし、装備を確認していた俺たちの前で、いきなり異変が起きた。手に持っていた剣と身に着けていた鎧が、まるでゲームのバグのように消え、そのまま地面に配置される。


「ほら、だから装備できねえって言っただろ?」その様子に唖然とする俺たちに向けて、不気味そうに虎顔の店主が言った。「輪っか憑きは、呪われているからな」

「の、呪い……ですか?」

「ああ、呪いだ呪い。この世界の武器や防具を装備すると、すぐにこうなっちまうんだ。あと、この世界の治療薬や治癒魔法に関しても、効果が得られないらしい。まあ普通の服なんかは、着替えられるみたいだけどな」


 ジャージの巨乳少女からの問い掛けに、虎の男性が「ああ、恐ろしい」と身震いしながら答える。まさか、本当に『呪い』などということはないと思うが。どうやら何らかの制限により、プリズナーである俺たちはこの世界の武器や防具、それに治療薬や治癒魔法などが使用できないらしい。


「まあ、そもそも……お前たちは金なんて持ってるのかよ」


 剣と鎧を元の場所に戻した後で、虎顔の店主が問い掛ける。

 商品の前には値札のようなものが貼られているが、それが具体的に何を意味しているのかは、わからない。


「えーと、『ギル』だったら持っていますけど」

「ギルだと?」俺の言葉を受けて、店主が眉を顰める。「それは、お前たちが妖術を使うときに消費するものだろうが。この世界では、それぞれの国で流通している金貨、銀貨、銅貨しか、金としては認められていねえんだよ。金貨1枚は銀貨10枚の価値があって、銀貨1枚は銅貨10枚の価値がある。金貨が一番小さくて、次に銀貨、最後に銅貨の順に価値が下がるごとに大きくなっていくのが特徴だ」

「ど、どうやら、ギルはこの世界では使えないようですね」

「ああ。あれは、アプリの中だけで通用する仮想通貨……なんだろうな」


 このグランヘイムで流通している実物の貨幣を見て、推測を述べた。どうやらギルで実体のあるものを買うことは、できないらしい。


 ――まあ、アイテムが使えれば問題ないか。

 ――『傷薬』で、とりあえず怪我は治るわけだし。


「……ん?」


 そんなことを考えている。と、突然場の空気が変わる。

 何だか、ピリピリと張り詰めたような雰囲気だ。


「匡太さん……あれ」


『何事だろうか?』と戸惑っていると、アキラがお城の方へと視線を向けた。

 大通りの先から、こちらに向けて馬に乗った身なりのいい集団が近づいて来る。

 どうやら、身分の高い人たちであるらしい。市民たちはモーゼの海のように道を開け、中には立ち止まって深々と頭を下げる者もいる。


「――おい、そこの二人!」


 やがてやって来た、豪奢な旗のようなものを掲げた集団が、俺たちの前で馬を止めた。かと思うと、集団を率いていた先頭の登場人物が声を掛けてくる。

 頭の左右に悪魔のような角の生えた、色白で、アッシュブロンドの髪を持つ少女――。アキラと同じぐらい大きな胸を備えた、十七、八歳ぐらいの美しい少女が、宝石のような紫色の瞳で俺たちを睨み付けている。


「貴様たちは、亡霊だな! こんなところで、何をしている?」

「な、何って……買い物だけど」

「ふざけるな! 貴様ら亡霊が、この世界の武器や防具など装備できるはずないだろうが。それに、どうして貴様はこんな往来で、コヒーカップなんて持ち歩いている? そんな物を持ち歩くなど、変質的だろうが!」

「い、いや、これは……店の物だから、失くしちゃいけないと思って」

「店の物、だと? 貴様、まさか亡霊のくせに盗みを働いたのか!」


 鋭い目で俺のことを睨み付け、双角の美少女が語気を上げた。何だか、誤解していると言うか、話が通じない相手のような気がする。


「貴様ら、牢にぶち込まれたいのか!」

「ミ、ミネルヴァ様……さ、さすがに亡霊を牢屋に入れるのは、まずいのではないでしょうか? たかが、コーヒーカップを一つ盗んだぐらいで」

「なんだと……」


 隣にいる鎧の騎士に窘められ、ミネルヴァと呼ばれた少女が憎々しげに歯噛みした。

 俺は必死で『こ、これは盗んだんじゃなくて』『ちょっと借りてるだけで』などと、言い訳したが、その耳には届いていないらしい。


「くっ……盗みを働いた悪賊まで、見逃せと言うのか」

「ぼ、亡霊どもに関しては、墓守たちの管轄ですので。あまり、事を荒立てない方が良いかと存じます。ただでさえ、帝国の脅威が迫っておりますゆえ」

「……チッ、目障りな亡霊どもめが」


 人を射殺すほどの殺気を込めて、とても悔しそうに双角の美少女が俺たちを睨んだ。『墓守』とは、確か天使たちのことだっただろうか。


「貴様ら、次に何か問題を起こしたら……容赦なく牢にぶち込んでやるからな! 覚悟しておけよ!」

「………」


 そんな捨て台詞を残し、ミネルヴァが馬を進める。俺たちの前を通り過ぎていく。


「ふー……勘弁してくれよ」


 その背中を見送った後で、虎顔の店主が大きく大きく嘆息した。


「えーと、今のは?」

「い、今のはって、お前たち……ミネルヴァ様も知らねえのか? 王家の血を引く由緒正しき公爵家の現当主で、ミハエル騎士団の団長――。しかも今は、最高七聖議会のアーズヘル王国代表だぞ!」

「そ、それって、すごいんですか?」アキラが小首を傾げる。

「あ、当たり前だ! 実質、政治においては国王の次に権限を持っているからな! いや、そんなことより……」


 叫ぶように説明した後で、店主が頭を抱えて首を振った。


「お前たち、いい加減どっか行ってくれよ。……こんなところに、輪っか憑きにいられたんじゃあ商売あがったりだ」

「え、えーと、じゃあ最後に一つだけ」その今にも泣き出しそうな顔を見せられて、申し訳なく感じながらも質問する。「俺たち、クロエっていうウェアウルフの女の子を探してるんですけど、知りませんか? 最近、この王都にやって来たらしいんですけど」

「何だ、人探しか? だったら、冒険者ギルドにでも行けよ」

「ぼ、冒険者ギルドって?」今度は、紅髪の美少女が尋ねた。

「はあ……お前たち、本当に何も知らねえんだな」


 虎の男性が、今日何度目かの溜め息を付く。

 その後で、やはり面倒臭そうな顔をしながらも説明してくれた。


「いいか。冒険者ギルドってのは、各国の役所が管理している万屋のようなものだ。簡単に言えば『団体や個人から依頼を受けて、それを冒険者に仕事として紹介する場所』だな。まあ、主な仕事は村や町を襲う魔物を退治することだが」

「魔物を……ですか?」

「ああ。魔物は、基本的に各国の騎士団なんかが定期的に殲滅しているわけだが。倒しても倒しても、湧いて出てくるからな。そこで民間にもその退治を依頼するために始まったのが、冒険者ギルドってわけだ。もちろん、魔物退治以外にも様々な仕事を請け負っているわけだが。別の言い方をするなら、街のならず者たちに効率良く仕事を与えることで、治安を維持するシステムでもあるな。そして、そんなギルドは仕事を斡旋するだけでなく、『酒場』や『宿屋』、『道具屋』としての役割も兼ねている。そういうところには、自然と情報も集まって来るんだ。だから、その地域のことを知りたければ、そこにある冒険者ギルドで情報を集めるのが一番ってわけだな」

「な、なるほど、そんな場所があるんですか」


 紅髪の美少女が、どこか感心したように呟く。

 冒険者ギルドだなんて、まるでゲームみたいな話だと、俺は思った。


「具体的に、冒険者ギルドの場所についてだが。お前たち……アレを持ってるだろ?」

「……アレ?」

「ほら、輪っか憑きどもが使っている妙な道具だよ」

「あ、匡太さん。ケータイのことじゃないですか?」

「ああ、ケータイか」


 ジャージの巨乳少女に言われ、俺は自分のケータイを取り出す。


「その道具で、地図が出せるだろ? そう、それだ! その地図の、この場所……ほら、ここに、お前らの世界の文字が書いてあるだろ。ここが、冒険者ギルドだ」

「ああ、確かに……『冒険者ギルド』って書いてあるな」

「す、すごい。地図データには、こんな使い方もあったんですね。クエストでしか使えないのだと思っていました」アキラが興奮したように言った。

「さあ、わかったら……さっさと行けよ! 仕事の邪魔だ!」


 懇切丁寧に説明してくれた後で、虫でも払うように虎顔の店主が手を振る。

 俺たちがお礼を言うと、「二度と来るな!」という暴言が返って来た。これがツンデレというやつだろうか。


「………」


 ともあれ、地図データに従って、俺たちは冒険者ギルドへと向かった。

 場所的には、ちょうど街の中心に位置しているだろうか。異文化的な街並みを愉しみながらも、大通りを真っ直ぐに進む。進む。進む。進む。やがて見えて来たのは、四階建てのホテルのような綺麗な建造物だった。もっと小汚いものをイメージしていたが、どうやらその建物こそが、冒険者ギルドであるらしい。


「『宿屋も兼ねている』とは、聞いていましたが。ま、まるで、ホテルみたいですね」


 ジャージの巨乳少女が、俺と同じ感想を抱く。

 とりあえず深呼吸。緊張しながらも、俺たちは中へと入ることにした。


 ――……これが、冒険者ギルドの中身か。


 意識を集中して、目の前の情報を整理する。

 一階は、巨大なホールのようになっていて、テーブルや各種族に対応した多種多様な椅子が並べられていた。そしてその椅子に、様々な装備に身を包んだ様々な種族の冒険者たちが、座って食事をしたり酒を飲んだり雑談を交わしたりしている。その奥には受付らしきカウンターと、そして道具屋も設置されているようだった。おそらく一階が『ギルド』『酒場』『道具屋』を兼ねていて、二階以降は『宿屋』になっているのだろう。

 壁には大きな時計が掛かっていたが、それは俺たちの世界で使われているものとほとんど同じで、十二個の数字らしきものと大小の針で構成されていた。これはつまり、このグランヘイムも『一日が二十四時間である』と、言うことなのだろうか。とりあえず俺のケータイの時計とも、一致しているようだが。


「な、何だか、強そうな人がいっぱいいますね」


 そんなことを考えていると、アキラが目をしばたたかせる。


「……そうだな。それに、普通の一般市民に比べても、俺たちプリズナーのことをそこまで気にしていない感じがするな。どうしてかは知らないけど」

「と、とりあえず、受付の女性に話を聞くのが手っ取り早いと思いますが。ちょっと今は、人が並んでいるみたいですね。しばらく、こ、ここで待ちましょう」

「それなら、ちょっとアレを見てみるか?」


 そう言うと、俺は巨大な掲示板に張られた、依頼書と思われる羊皮紙を指差した。掲示板の前には多くの冒険者たちが群がり、真剣に依頼を吟味している。

 近くに行って、その内容を確認――。しかし、文字が読めないため、俺たちは描かれたイラストから依頼の中身を想像するしかなかった。


「ゴ、ゴブリン退治の依頼とかなら、私たちにも熟せそうですけど」

「そうだな。でも、ゴブリンの絵が描かれた依頼書は、なさそうだな」

「――そりゃあ、そうだろうよ!」


 俺とアキラが話している。と、いきなり野太い声が割り込んできた。

 反射的に視線を向けると、テーブルに腰掛けた一人の人物がこちらを見ていた。

 昼間から酒を飲んでいるその酔っぱらいは、モジャモジャの髭の生えた小男で。しかし、その体格は筋肉質でガッチリとしており、まるでファンタジー映画やゲームに出てくる『ドワーフ』のように見えた。

 使い込んだ鎧を着ており、壁には巨大なハンマーを立て掛けている。首からぶら下げているネームプレートらしきものは、綺麗な白銀色だった。


「えーと、あなたは?」その姿に圧倒されながらも、質問する。

「俺様は、Aランク冒険者のドズル様だ。等級プレートを見りゃ、わかるだろうが」


 ――Aランク冒険者?

 ――等級プレート?


「ああ、お前たち魔物使いは、こっちの世界のことに疎いんだったな」


 頭の上に疑問符を浮かべていると、ドズルさんがさも可笑しそうな馬鹿笑いをした。


「いいか。えーと、匡太とアキラ」酔っぱらいが、俺たちのネームリングを見てから言う。「冒険者にはSからFの等級があってだな、最初はみんなFランクで、『成功報酬の総額』と『社会貢献度』によってランクが上がっていくんだよ。それで、白銀色の等級プレートをぶら下げた俺様は、その中でもAランクの冒険者ってわけだ。どうだ、すげーだろ?」

「そうなんですか……」


 アキラはこういうタイプは苦手そうなので、とりあえず俺が相手をする。

 話しているだけで、あまりの酒臭さに酩酊しそうだ。


「それで、さっきのゴブリンの話なんですけど」

「ああ、そうだ。そうだ」今思い出したように、ドズルさんが頷いた。「ここら辺のゴブリンは、みんなあいつが狩っちまうのよ。あいつ……【ゴブリンロード】がな」

「えーと。【ゴブリンロード】と、言うのは?」

「さあ、俺も実物は見たことねえが、ゴブリン退治の依頼を片っ端から引き受けている冒険者らしい。しかも、世界各地でな」

「せ、世界各地でって――。この世界は、そんなにも狭いんですか?」


 その言葉を聞いて、新たな疑問が湧き上がってくる。

 てっきりこのグランヘイムも、リアル世界の地球と同じぐらいの大きさなのだと思っていたが。そう言うわけではないのかもしれない。


「馬鹿言うな!」しかし、髭のドワーフはきっぱりと否定を叫んだ。「この世界は、広い! そりゃあ、ユグドール大陸と一部の島以外は、魔物のせいで人間が住めない土地になっちまったが。大陸だって馬鹿でかいからな。そんな世界でゴブリンを殺しまくってるってことは、そいつは普通じゃねえんだよ」

「ふ、普通じゃないって――」

「つまりは、お前たちの『お仲間』だってことだろ? プリズナーなら、世界各地に簡単に移動できるらしいからな」

「た、確かに、アプリによる転移を使えば、拠点であれば簡単に行き来することはできますが。一度リアル世界に戻って、もう一度転移すればいいだけですし」


 ドズルさんの話を聞いて、紅髪の美少女が納得したように言う。

 その話が本当なら、【ゴブリンロード】というのは俺たちと同じプリズナーだと考えるのが、妥当なわけだが。


「まあ、【ゴブリンロード】なんて、単なる噂だがな。男か女かも、わからねえし……」


 やがてドズルさんはテーブルに突っ伏すと、話の途中で酔い潰れてしまった。

 そのタイミングで受付が空いたので、俺たちはそちらへと移動する。

 受付にいたのは、まるで魚人のような姿をした、青い肌の女性だった。映画『アバター』に出てくる先住民族を、極めて魚っぽくした感じだろうか。


「えーと、クロエさん……ですか? ウェアウルフの」


 さっそく質問すると、俺たちがクロエを探している理由を詳しく聞いた後で、受付の女性が他の従業員にも確認を取ってくれる。


「ええ、聞いてますよ」訳知り顔でやって来たのは、ミネルヴァと同じ双角の生えた女性だった。「その女の子なら、確か昨日ギルドにやって来て。でもさすがに冒険者の仕事をさせるにはまだ早いと判断したので、ニーナさんのお店を紹介しました」

「ニ、ニーナさん、と言うのは?」

「えーと。『小鳥遊[たかなし]亭』という小料理屋を経営している、セイレーン[有翼人]の女性なんですけど。あの、ケータイで地図って出せますか?」


 双角の受付嬢が、プリズナーにも慣れた様子で訊いてくる。

 すぐさまアキラが、自分のケータイを取り出した。


「こ、ここです。このお店が『小鳥遊亭』です。クロエちゃんなら今はその『小鳥遊亭』で、住み込みで働いているはずですよ」

「そっ、そうですか! ありがとうございます!」

「いえ、それより冒険者ギルドは年中人手不足ですから、冒険者になりたくなったらいつでも言ってください。プリズナーの方でも、もちろん大歓迎しておりますので」


 もっと手こずるかと思ったが、あっさりとクロエの居場所を突き止めることに成功する。そのうえ、『冒険者になって欲しい』との勧誘まで受けてしまった。彼女たちの様子から察するに、どうやら冒険者ギルドで働いているプリズナーは、少なくないらしい。

 ともあれ、これでクロエの居場所を正確に知ることができた。俺たちは改めてお礼を言った後で、冒険者ギルドを退出し、さっそく『小鳥遊亭』へと向かうことにする。


「よ、良かったですね、クロエちゃんの居場所がわかって」

「そうだな。正直、この街に入った直後は諦めていたが。何とかなるもんだな」

「はい。あ、あとは、ちゃんと元気にやれている姿を確認できれば、安心なんですけど」

「そうだよな。小料理屋か……」


 そんな話をしていると、やがて目的地であるクロエの職場に到着――。大きさ的には、近所にあるファミレスと同じぐらいだろうか。

 小鳥が戯れているレリーフ看板が掛かった、オシャレな外観のお店だ。


「すいませーん!」


 立ち止まっていても仕方がないので、さっそく中に入ってみることにする。

 扉を開けると、様々な料理の香りが鼻孔を擽った。


「いらっしゃいませ!」


 俺たちに気付いた店員が、振り返り、すぐさま案内のために走り寄って来る。

 それは輝く紫色の毛並みをした、見覚えのある少女だった。狼の耳と尻尾を持ち、お店の制服であろうメイド服を着た十二、三歳ぐらいの――可愛らしい女の子だ。


「ク、クロエちゃん!」

「あ……あなたたちは、あのときの……」


 狼の少女が驚いたように、大きな目をぱちくりさせた。

 その後で、道端で神様を見つけたように――両手を祈りの形に組む。


「あのときは……あのときは……本当にありがとうございました。匡太さん、アキラさん、あなたたちがいなかったら、私……私……」


 ついには目に涙を浮かべ、クロエが感謝を口にした。

 どうやら俺たちのことは、名前を含めて覚えてくれていたようだ。


「本当に……本当に……」


 俺やアキラが『元気そうで良かった』とか、『怪我が治って良かった』とか、告げると、ついには我慢できなくなった様子で、狼の少女は泣きながら言葉にならない感謝の言葉を口にする。アキラはそんな少女を抱き締めて、優しく頭を撫でてあげているようだった。


「……それで、本当にもう大丈夫なのか?」


 人心地ついた後で、テーブル席へと案内され、改めてクロエに体調を尋ねる。


「はい! お蔭様で、本当に元気になりました。ゴブリンに襲われたときは、もう駄目だって思ったんですけど」

「……そうか。それは良かった」笑顔で話す少女の姿を見て、とりあえず安堵した。

「で、でも、ポスタ村の人たちは、私たちプリズナーのことを嫌っていて。それで、クロエちゃんのことを村から追い出したがってるって、聞いたけど」

「……まあ、プリズナーの妖術を恐れる人は多いですから。それは仕方のないことだと思います。でも、入院しているお父さんとお母さんも、一カ月以内には退院できそうですし。元気になったら、そのまま王都に住もうかって話していて。どちらにせよゴブリンに家畜を襲われたせいで、ポスタ村に戻ってもまともな仕事はできませんから」

「……そうなんだ」


 無邪気な笑顔を浮かべるクロエに、紅髪の美少女が複雑な表情で応える。

 個人的には、ポスタ村で差別を受けるぐらいなら、王都で家族揃って新しい生活を始めた方がいいと思うが。きっと、そんなに簡単な話ではないのだろう。


「でも……良かったです! こうして、すぐに住み込みの仕事も見つかりましたし。女将さんも、すごく良くしてくれて。色々愉しくて。ずっとポスタ村にいたら、こんな生活は送れませんでしたし」

「まあ、そう言う考え方も、あるのかもしれないけど――」

「あ、お二人のこと女将さんに紹介しますね! ちょうどこの時間は空いてて、お客さんもいませんから。ゆっくりしていってください!」


 そう言うと、ウェアウルフの少女はスカートを翻して厨房の奥へと入っていた。

 しばらくして、一人の登場人物を引き連れて戻って来る。


「初めまして、『小鳥遊亭』の店主をしております。ニーナと申します。お二人には、クロエが大変お世話になったそうで」


 優艶な笑みを浮かべ、ニーナさんが頭を下げた。

 背中に白い翼の生えた、二十代後半から三十代前半ぐらいの美女だ。確か冒険者ギルドの受付嬢たちからは、『セイレーン[有翼人]』と呼ばれていただろうか。本当にこの異世界には、多種多様な種族が存在するらしい。


「初めまして、上條匡太です」

「は、初めまして、赤沢アキラです」


 とりあえず、かしこまって挨拶を交わす。そんな俺たちを見て、ニーナさんは『あらあら』『これはまた、目見良い美少女が揃ったものね』などと、嬉しそうに感嘆を漏らした。


「あなたたち、もし良かったらこの店で働いてみない?」


 そして、脈絡もなくそんなことを言い始める。


「は、働くって……」

「別に、難しい話ではないわ。簡単な給仕をして、あとはお客さんの話相手をしてくれれば、それでいいの。そもそもこの店では、あなたたちの世界……監獄世界から伝わった料理を、こちらの世界の人間の味覚に合わせて提供しているのだけど。そう言った事情もあって、この店には監獄世界やプリズナーに興味を持つお客さんが、たくさん来店されるのよ。だから、ときどきあなたたちのようなプリズナーを雇って、そんなお客さんたちの話し相手をしてもらっているの」

「そっ、そうなんですか……」


 その話を聞いて、思わず眉を顰めた。

 そもそも、いったいどういった理由で俺たちの世界の料理が、グランヘイムに伝わったのだろうか。それに、プリズナーに興味を持つ異世界人がいるだなんて。


「料理が伝わった理由? そんなの、料理人としてプリズナーを雇ったからに決まってるでしょ」俺がそのことを質問すると、さも当然のように有翼の美女が答えた。「二年ほど前までは、この店で日本人の料理長を雇っていたのよ。でも、七聖連合国が結成された関係で、王都には獣人が増えてしまって。それでその料理長は、人間が多い帝国の方でお店を出すことにしたってわけ。まあ、その名残で今もこの店では異世界料理を出しているのだけど――。それに、確かにプリズナーはこの世界では畏怖や嫌悪の対象だけど、もちろん興味を持つ人もいるわ。もしかしてあなたたち、プリズナーになってまだ日が浅いの?」

「はい、まだ一週間ぐらいしか経っていなくて――」

「そう、じゃあ……もし良ければ、私がこちらの世界のことを色々と教えてあげましょうか? 今はお客さんも少なくて、時間も取れることだし」

「い、いいんですか、教えてもらって?」

「もちろんよ。あなたたちは、うちの可愛いクロエの命の恩人ですもの」


 ジャージの巨乳少女に優艶な笑みを向け、ニーナさんがきっぱりと頷いた。

 どうやら、ここに来たお蔭で『クロエの安否を確認すること』と『異世界の情報を入手すること』の、二つの目的が達成できそうだ。異世界のことはもちろん、俺たちプリズナーの事情にも通暁しているであろう彼女なら、まさに話を聞くには適任なのだろう。


「それより、あなたたち……時間は大丈夫なの? 確かプリズナーは、最初はクエストとクエストの間の四十八時間しか、この世界にいられないのよね?」

「はい、それは大丈夫です。今日初めて、クエスト以外でこちらの世界に来ましたから」

「よ、よろしくお願いします」


 改めて、アキラと一緒に情報提供をお願いする。

 話を始める前に、俺たちは初回のサービスとして『小鳥遊亭』の料理を一品だけ、出してもらえることになった。それで、二人で適当な料理を注文する運びとなる。


「それじゃあ、さっそく始めましょうか」


 料理が出来上がるのを待つ間に、対面の席に腰掛けた小料理屋の女将が、口を開いた。

 俺は出された水を、とりあえず一口飲んで意識を集中する。水の種類は硬水で、コンビニで売られているミネラルウォーターと同じような味がした。


「まずはこの世界……『グラインヘイム』についてなのだけど。グランヘイムには、現在『ユグドール大陸』と呼ばれる大陸と、いくつかの島が点在しているの。神代の時代にはそれ以外の大陸もあったのだけど、魔物が大量に出現したせいで人が住めなくなってしまって――。それで、私たちは今現在、ユグドール大陸にある『アーズヘル王国』という場所に住んでいるのだけど」

「えーと。そのアーズヘル王国の首都が、今いるこの『王都ネオドラス』……と、言うことですよね?」

「ええ、そうね。そもそもアーズヘル王国は、主に『ドラゴニュート[龍人]』が支配する国だったのだけど。三年前に七聖連合国が結成されたことで、王都ネオドラスは、今ではその拠点としての役割も果たしているの」

「七聖連合国……ですか?」アキラが小首を傾げる。

「ドラゴニュート[龍人]が治めるアーズヘル王国と、他にもマンタイガー[虎人]が治める『ペシャール王国』、ヒューマン[人間]が治める『ミドガルド王国』、ウェアウルフ[狼人]が治める『グルドルト王国』、マーマン[半魚人]が治める『ウォータム王国』、セイレーン[有翼人]が治める『スワルクス王国』、ドワーフ[鉱人]が治める『ダルタニア王国』、の七つの王国が、『ガルシア帝国』に対抗するために結成した連合体ね。ガルシア帝国は『人間絶対主義』を掲げるヒューマンの国で、大陸の東側を支配しているのだけど。何十年も前から侵略戦争を続けているの。それで、ついには南にあった、セントール[馬人]が治める『レスタルム王国』まで滅ぼしてしまって。それに焦った七王国が、現行の敵対関係や過去の因縁をとりあえず保留にして、同盟を結んだのよ。この世界には今挙げた国々の他にも、多種族によって治められた『傭兵国ゼパルタ』や、ホビット[小人]が中心となった『魔術結社ミレニス』、森のエルフたちによる『グリーンヘラ共同体』や、リザードマン[蜥蜴人]が治める『マグマリス島』なんかがあるのだけど。とりあえず、ガルシア帝国の侵略を七聖連合国が抑え付けよとしている、ということだけ覚えておいてもらえればいいわ。ちなみにこの世界には、色々な神様がいるのだけど。七聖連合国は『絶対神ベルフレア』と『軍神マルシス』を信仰していて、ガルシア帝国は『新王神ヒュンデル』を信仰――。森のエルフたちは『深緑神グリーンヘラ』を信仰していて、魔術結社ミレニスは『邪神アグリル』を信仰しているの。アーズヘル王国が七聖連合国の拠点に選ばれたのは、国力が一番大きかったのも理由の一つなのだけど、『絶対神ベルフレアが治めていた聖地だから』という宗教的な理由もあるのよ。まあ神代の時代と違って、そもそも今は、神様なんてこの世界にいるんだかいないんだかもわからないのだけど」

「あ、あの……いくつか質問があるんですけど」


 俺は手を上げて申し出た。横文字ばかりでわかり難いが、祠堂頸木の地頭の良さもあって、なんとか話には付いて行けている。

 しかし――、それでもいくつかの疑問が生まれた。


「俺が訊きたいのは、『このグランヘイムには、いったい何種類ぐらいの種族がいるのか』と、『ドラグニュートの国であるはずの王都ネオドラスに、どうして多種多様な種族が集まって来ているのか』と、『この王都で出会ったミネルヴァ……最高七聖議会の代表とは、何者なのか』に、ついてですね」

「まあ、グランヘイムの世界観に関しては、あなたたちプリズナーは適当に聞き流してもらってもいいのだけど」そう前置きした後で、ニーナさんが続ける。「まず、このグランヘイムにいる種族の種類については、千以上いると言われているわ。これに関しては、後で詳しく説明するから少し待っててね。次に、この王都ネオドラスに多種多様な種族が集まって来ている理由なのだけど。これは単純に、この場所がアーズヘル王国の王都であり、同時に七聖連合国の首都にも選ばれたからなの。だから三年前から様々な種族が、集まって来るようになった運びね。最後に最高七聖議会の代表についてなのだけど。これは七聖連合国の政策を決めるための、最高議会なのよ。七人の王の代理人がこの王都ネオドラスに集まって、軍事を含めた七聖連合国の方針を決めているの」

「あ、あの……具体的な、種族に関してのことなんですけど。この世界には、私たち人間にかなり似た種族と、まるで動物のような見た目をした種族がいますよね? その違いって、何なんですか?」


 アキラが、不思議そうに小首を傾げた。

 確かに、俺たちは人間にかなり似た種族と、動物をそのまま人型にした種族を見てきたわけだが。その二つが近しい存在だとは思えない。


「種族に関しては、今アキラちゃんが指摘したとおり『人間にかなり似た種族』と『動物のような見た目をした種族』が、いるのだけど。前者は『亜人』と呼ばれていて、後者は『獣人』と呼ばれているの」まるで教師のように、有翼の美女が丁寧な説明を続ける。「この世界には人間……要するにヒューマンが一番多くて、次に多いのがさっき話した七種族だと言われているのだけど。今までの話に出てきた種族をカテゴライズするなら、『ドラゴニュート[龍人]』『ウェアウルフ[狼人]』『セイレーン[有翼人]』『ドワーフ[鉱人]』『エルフ[森人]』『ホビット[小人]』『セントール[馬人]』などが亜人で、『マンタイガー[虎人]』『マーマン[半魚人]』『リザードマン[蜥蜴人]』などが獣人、と言うことになるわね。ちなみに『人間』という言葉は、ヒューマンだけを指す場合もあれば、亜人や獣人も引っ括めての呼称となる場合もあるのだけど。そのあたりはみんな、ニュアンスで使い分けているわ。その他にも、種族の呼び方には蔑称のようなものがあって、ヒューマン[人間]を『印なし』、ドラゴニュート[亜人]を『角付き』、マンタイガー[虎人]を『ドラ猫』、ウェアウルフ[狼人]を『犬っころ』、マーマン[半魚人]を『水掻き』、セイレーン[有翼人]を『アヒル』、ドワーフ[鉱人]を『毛むくじゃら』、エルフ[森人]を『耳長』、ホビットを『チビ助』、セントールを『四本足』、リザードマン[蜥蜴人]を『トカゲ』と、呼んだりする人もいるわ。そもそも、種族によっては神代の時代から続く因縁もあって、仲が悪かったりもするから」

「え、えーと、亜人と獣人の違いはわかったんですけど。具体的に獣人と魔物の違いって、何なんですか? 俺たちが前に戦ったゴブリンも、見方によっては獣人に見えなくもないと思うですけど」

「そんなことを言ったら、獣人の人たちはきっと『侮辱だ』『差別だ』と怒るでしょうね。これに関しても明確な違いがあって、まあそもそも獣人も魔物も神代の時代が終わってから、この世界に現れた比較的新しい存在なのだけど。その違いは『言語種』か『非言語種か』というところが、一番大きいわ。獣人は知性も理性もあってグランヘイムの言語もきちんと話せるのだけど、魔物は本能的に人間を襲うばかりか言語すらまともに話せない。根本的に違う存在なのよ。ちなみに魔物と動物にも明確な違いがあって、それは『本能的に人間を殺食するかどうか』で決められているわ」

「なるほど……だいたいわかりました」


 ニーナさんの説明を受けて、鷹揚に頷いた。

 どうやらこの世界では、亜人、獣人、魔物、動物が、思ったよりもはっきりとカテゴライズされているらしい。グランヘイムにある様々な国や種族に関しても、簡単にではあるが説明を受けたお蔭で、だいたい理解することができた。


「ぐ、具体的に、私たちは……私たち『プリズナー[囚人]』は、いったい何なんですか? この世界に住んでいる人たちとは、何が違うんですか?」


 世界観についての話が一段落したタイミングで、紅髪の美少女が『一番気になっているであろうこと』を質問する。

 小料理屋の女将は、口を湿らせる程度にコップの水を飲んだ後で、


「プリズナーに関しては、このアーズヘル王国の最果てにある『ア・プリオリの墓標』と呼ばれる巨体建造物を通って、こちらの世界にやって来ているのだと言われているの。でもア・プリオリの墓標は、七人の天使たちが管理しているから。この世界の人間は誰も近づけないのよ」

「天使って、全部で七人なんですか? あと、墓標を管理しているから、天使たちはこの世界に人々から『墓守』なんて呼ばれてるんですか?」

「ええ、私はそう聞いているけど」ニーナさんが、頷きながら答える。

「ぐ、具体的に、どうして私たちは……プリズナーは、この世界では避けられている、と言うか。畏怖や嫌悪の対象とされてるんですか?」

「それに関しては、もちろんプリズナーとこちらの世界の人間との間に、大きな『違い』があることも理由の一つなのだけど。まあ、そもそも天使たちは名前のとおり神の使いで、だから私たちグランヘイムの人間にとっては『不可侵な存在』とされているのよ。その不可侵な存在が管理しているのが、あなたたちプリズナーというわけね。天使たちがどうして異世界人であるあなたたちに、クエストなんてやらせているのかは知らないけど。とにかくあなたたちは、この世界の人々にとっては『意味不明なことをやっている、不気味な存在』として、認識されているのよ。だから『亡霊』なんて蔑称で呼ばれたり、その他にも『輪っか憑き』や『魔物使い』なんて、呼ばれているわけね」


 有翼の美女が、プリズナーが畏怖や嫌悪の対象となっている理由について、説明した。どうやら俺たちは、この世界では『異物』のような存在であるらしい。


「『ア・プリオリ』と言えば、わ、私たちの世界では『先天的な』『超越的な』『より先なるものから』などを意味する、哲学用語ですが。何か関係があるのでしょうか?」

「さあ、どうだろうな。でも、この世界と俺たちの世界には、やっぱりいくつかの共通点があるような気がするけどな」アキラからの質問に、思い出しながら答える。

「それに関しては、ユンユンも……あ、ユンユンというのは、うちでときどきバイトしてもらっている『中国人留学生』らしいんだけど。そのユンユンも話していたわ。時間の概念が同じだとか。一年の日数が同じだとか。動物が同じだとか。使われている用語が同じだとか。まあどうしてそうなっているのかは、よくわかっていないんだけど。普通はまったく別の異世界なら、そもそもの常識や価値観からして違うのでしょうけどね」


 不思議そうに、ニーナさんが二つの世界の共通点を疑問視した。


 ――まるでファンタジー映画やゲームみたいな世界……か。


 その話を聞いて、思わず眉を顰める。

 確かにグランヘイムと俺たちが住むリアル世界には、共通点が多過ぎるような気がした。まるでファンタジー映画やゲームみたいに。


「それで具体的な、私たちと……この世界の人間と、プリズナーとの違いについてなのだけど」話を戻して、小料理屋の女将がアキラからの質問に答える。「この世界の人間とあなたたちプリズナーとの違いは、大きく分けて四つあると言われているわ」

「四つ……ですか?」

「ええ。まず一つ目の違いは、『難しい呪文を長々と詠唱しなくても、意識を集中して魔法名を唱えるだけで、習得した魔法を発現できること』ね。この世界にいる魔術師たちは、何年も修業し、研鑽を重ねて魔法を習得するのだけど。あなたたちは、ギルさえ払えばアプリで簡単に魔法を習得することができる。しかも詠唱もなしに、一瞬で発現できてしまえるのよ。これは『マナ』を体内に集め、精神力を消費することで魔法を発現する私たちとは、根本的に性質が違うものだと言われているわ。一瞬で魔法を発現できて、しかもギルがなくならない限り無限に使い続けられるなんて――。これだけで、グランヘイムの人間にとってあなたたちがどれほど異質で恐ろしい存在なのか、わかるでしょ? あの天使ですら、魔法を発現するには超高速詠唱を使っていると言うのに」


 優艶な笑みを浮かべ、有翼の美女がどこか皮肉っぽい声音で言った。

 確かに、その話が本当なら、俺たちプリズナーは異質で恐ろしい存在なのだろうが。


「二つ目の違いは、『絶対に破壊されることがない武器』『刃毀れしたり、血脂のせいで威力が落ちたりしない武器』――すなわち『魂装』を、自由自在に扱えることね」ニーナさんが、説明を続ける。

「魂装って、やっぱり俺たちプリズナーにしか使えないんですか?」

「ええ。この世界には、あんな魔法のような武器は存在しないわ。乱暴に扱えば壊れるし、使い続ければ威力が落ちる。それが普通ですもの。そして三つ目の違いは、『アイテム』と呼ばれる妖術のようなものが使えることね」

「よ、妖術って――」アキラが思わず眉を顰めた。「この世界にも、治療薬や治癒魔法は存在するんですよね?」

「ええ、もちろん存在するわ。病院なんかでも使われているし。でも、それらはあくまで『人間の持つ自然治癒能力を高める程度のもの』なのよ。あなたたちが使う『傷薬』のように失われた身体の部位を再生させたり、あなたたちが使う『万能薬』のようにどんな病気でも一瞬で治せたり、あなたたちが使う『蘇生薬』のように死者を生き返らせることなんて、絶対にできないわ」


 有翼の美女が、きっぱりとした口調で断言する。


 ――そんなにもアイテムがすごいものなら……


 そんなにもアイテムがすごいものなら、もっとこの世界でプリズナーが重宝されていても、いいような気もするが。その辺はやはり『不気味なもの』――妖術として、それらが認識されているせいなのだろう。ポスタ村でも身に染みたが、畏怖や嫌悪の対象であるプリズナーがもたらすものは、多くの異世界人たちにとってはやはり禁忌であるらしい。


「次に四つ目……これが、最後の違いなのだけど」気を持たせるような沈黙の後で、ニーナさんが続けた。「四つ目の違いは、『魔物を召喚して自在に操れること』ね。そもそも魔物と言うのは、さっきも話したけど『人間を本能的に殺食する生物』のことなのよ。彼らとは相容れることなんてできないし、ましてや飼い馴らすことなんて絶対にできない。それなのに、あなたたちはその魔物をまるで道具のように扱っているわ。これは本当にあり得ないことなのよ」

「だ、だから、『魔物使い』だなんて呼ばれてるんですね?」


 紅髪の美少女からの質問に、小料理屋の女将が「ええ、そうよ」と首肯する。

 そのタイミングで、注文した料理が完成し、クロエがそれを持って来てくれた。


「以上で、私の知っていることはだいたい説明し終えたのだけど。話を聞くばかりで疲れたでしょ? 料理もできたことだし、今日はゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

「ニ、ニーナさんのお蔭で、本当に色々なことがわかりました」


 改めて、この世界やプリズナーについてのことを教えてくれたニーナさんに、俺たちはお礼を言った。さっそく出来上がった料理を頂くことにする。


「あ……このミートスパゲティ、美味しいですね」

「こ、こっちのオムライスも、すごく美味しいです」

「ありがとう。一応、亜人用と獣人用で味は分けているのだけど。獣人用だと味が薄くなってしまうから」


 そんな話をしながら、お腹が空いていたこともあり、いっきに料理を平らげる。と、


「それで、具体的な報酬についてなのだけど」


 相変わらずの優艶な笑みを浮かべ、有翼の美女がそんなことを言い始めた。


「え? 報酬って――」

「ほら、私はあなたたち二人の希望に応えて、この世界のことを色々と教えてあげたでしょ? だから、そのお礼をして欲しいのよ」

「おっ、お礼って……聞いてません。わ、私たち、この世界のお金なんて持っていませんし……困ります!」


 今にも泣き出しそうな顔で、ジャージの巨乳少女が自らの懐具合を訴える。まるで、悪質な詐欺にでも遭った気分だ。

 そんな憤りを募らせていると、ニーナさんが「心配しないで」と首を振った。


「別に、お金が欲しいわけじゃないの。さっきも言ったけど、私は目見良い美少女であるあなたたちに、是非ともうちでアルバイトをしてもらいたいのよ」

「アルバイト……ですか?」俺は首を傾いで問い掛ける。

「ええ。ここの常連さんたちは、新人から異世界の情報を仕入れることに飢えているから。その話し相手になって欲しいのよ。もちろん、バイト代も弾むわ。今日はクロエちゃんを探すのに歩き回って、疲れていると思うから。次来たときで構わないのだけど」

「そういうことなら……まあ、お手伝いぐらいはしますけど。二―ナさんには色々と、この世界のことを教えてもらいましたし」

「わ、私も……破廉恥なことでないのなら、お、お手伝いします」


 小料理屋の女将からの依頼を、とりあえず俺たちは引き受けることにした。

 まあ、異世界で働いてみるも、それはそれとしていい経験になるのかもしれない。もちろん、俺が自分の身体を取り戻すまでの話だが。


「ありがとう、二人とも! 嬉しいわ!」


 俺とアキラの同意を受けて、ニーナさんがパンと手を叩いて喜んでくれた。

 以上で異世界に来た目的は達成できたので、俺たちは疲れていたこともあり、元のリアル世界に帰る運びとなる。二人に改めてお礼を言った後で、アプリを操作して転移を開始。


「………」


 コーヒーカップと、ニーナさんから貰ったホークを手にリアル世界に戻ると、その二つはそのまま俺の中に残っていた。もちろん、異世界には四時間近く行っていたが、こちらの世界では数分しか経っていない。マスターも、特に俺たちのことを不審がっている様子はなかった。


「早く……早く……早く……早く……」


 ――早くしないと。

 ――早く自分の身体を、取り戻さないと。


 アキラと別れた後で、自宅へと帰りながら切実な焦燥を募らせる。

 俺はひたすらに考えていた。祠堂頸木から、自分の身体を取り戻す方法を。

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