第9話 祠堂頸木との接触
《主軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》⑨
あれから、ポスタ村にいるゴブリンを二匹倒した俺たちは、そのままクエストを完了する運びとなった。どうやら、村の北側に行った小沢ハナ率いる六名が、何らかの方法で残りの四匹を倒していたらしい。その理由については結局良くわからなかったが、生き残ったのは作業服を着た折田圭一さんと、中学生の雪村忍の二名だけだった。おそらく他の四名は、狂暴なゴブリンの餌食となってしまったのだろう。
ともあれ、無事にクエストを完了した俺たちは、知り合った大学院生の牧野さんともフレンド登録を交わそうと思ったのだが。彼女はスライムやゴブリンの死体を見て以来、無我夢中な様子で、会話が成立しなくなるぐらい興奮していたため、結局登録できないままリアル世界に強制転移する運びとなった。
そして、元の世界に帰って来た俺は、次の日も小春と一緒に久城峰学園に登校。適当に学校生活を済ませた後で、信者たちを振り切って祠堂頸木に会いに行くことにする。
彼女に謝りたかった。会って、ちゃんと謝罪したかった。ニーエルから、頸木が俺の自殺に巻き込まれて死んだことを知らされてから、ずっと。
「………」
前回と同じく、俺はまず自分のアパートを訪ねることにした。もしかしたら、頸木が先に自宅に戻っているかもしれないと思ったからだ。しかし、そこには人の気配はなくて。電気メーターも回っていなかったので、俺はまたそこから通学路を通って三雲高校へと向かう。矢も楯も堪らずに。
見落とさないように、擦れ違う三雲高校の生徒たちを一人一人視認しながら、俺はいつもの通学路を進んだ。進んだ。その生徒を前方に発見したのは、歩き始めて十分が経った頃だった。
目に掛かるほど長い黒髪と、死んだ魚のような目。常に卑屈な表情を顔に張り付けた少年が――。上條匡太が、そこで初めて俺の存在に気付いたかのように視線を向ける。
――いた! いた! いた! いた!
――俺が……いや、祠堂頸木が!
心臓が、まるで悲鳴のように早鐘を打ち鳴らす。
後悔が。罪悪感が。俺をかつてないほど緊張させた。
「お、おい、祠堂頸木!」
そのまま通り過ぎようとする少年に、声を掛ける。
祠堂頸木は、前と同じくとても冷たい目で俺を見た。
「お前に……は、話したいことがあるんだ!」
少年の放つ絶対零度の視線に怯えながらも、口を開く。
幸いなことに、今日は夏美は一緒ではないらしかった。
俺は単刀直入に頭を下げると、
「――悪かった! 俺のせいで、お前を殺してしまって!」
頸木に向けて深々と謝罪した。誠心誠意、心を込めて。
「も、もちろん、謝っても許されないことは、わかってる! お前は俺のせいで死んじまって、しかもあんな、わけのわからない異世界転移にまで巻き込まれちまって! 本当に、申し訳ないと思ってるんだ! だから、ごめん! ごめんなさい!」
「……で?」まるで興味のない顔で、少年が吐き捨てる。
「い、いや、でって……そりゃあ、お前が怒ってるのは理解している。当然だ。いくら謝っても、許されないことも。で、でも、天使に色々と調べてもらって……それで、わかったんだ。俺たち二人が同意すれば、少なくともこの『入れ替わり状態』は解消できるって。だから、だからさ――」
「私は、この身体を返さないぞ」
「……へ?」
その思い掛けない言葉に、素っ頓狂な声が出た。
思考が追い付かない。追い付かない。追い付かない。追い付かない。
「い、いや、お前が怒ってるのは無理もねえよ。でも、俺もできる限りのことはするつもりだし! お前がレベル100になって、あの異世界から一日でも早く解放されるように、全力でサポートするからさ!」
「……そう言う話を、しているわけではない。私は、お前に『身体を返さない』と言っているのだ。自殺したいなら、好きにしろ。私にはもう、関係ないからな」
「な――、何わけのわからねえこと、言ってやがるんだよ!」思わず、悲鳴のような声を上げてしまう。「これは、お前の身体だろうが! 容姿端麗で、成績優秀で、スポーツ万能な、神様に溺愛されたお前の身体だろうが!」
「だから……それが『もういらない』と言っているのだ。私は今後も、上條匡太として生きていく。もう祠堂頸木の人生になど一糸一毫の興味もない」
「な、何を……いったい何を……」
意味がわからなかった。意味がわからなかった。意味がわからなかった。
こんな完璧な身体を持つ、絶対的な美少女が、自分の身体を『もういらない』だと? もう『興味がない』だと? 平凡な男子高校生である『上條匡太』として生きていくだと?
「お前は……お前は……」
「話は以上だ。わかったら、とっとと失せろ。お前の人生にも、もう興味はないからな」
「………」
本気で興味のない様子で吐き捨てると、そのまま祠堂頸木が通り過ぎていく。
俺は、それ以上、何も言い募ることができなかった。その異常さを前に、異様さを前に、立ち尽くしことしかできなかった。
――いったい、あいつは何を考えているんだ?
その答えは、どれだけ考慮してもわからない。わからなかった。
ただ――、祠堂頸木が俺の身体を本気で返す気がないことだけは、わかった。例えどれだけの言葉を投げ掛けても、どれだけの説得を尽くしても。絶対に彼女は――。
《副軸――祠堂頸木[しどう くびき]》
子どもの頃から。いや、正確にはこの世に生まれ出た頃から、私は周りの人間が豚に見える症状に悩まされていた。
父親も、母親も、二つ年上の姉も、まるで豚のようで。豚のように生き、豚のような言葉で私に話し掛けてきた。私はその下品な言葉に、心底耐えられなかったのだ。
人間は、IQが二十以上違うと会話が成り立たなくなるらしい。家族も、教師も、同い年の生徒たちも。私の周りにいるのは醜い豚で、いつも豚の言葉で話していて、私は彼らとコミュニケーションを取るのが苦手だった。しかし、それでは生活に不自由するので、私は我慢して豚の言葉で彼らと接するようになった。『ブヒブヒ』と。それは人間の私にとっては耐え難い屈辱だったが、豚の言葉で話すようになったお蔭で、私は他の豚どもと良好な関係を築くことができた。それどころか、豚どもは私のことを、まるで神のように信仰するようになったのだ。
姉はそんな私の姿を見て、そんな異常な私の姿を見て、最初こそ醜い嫉妬心を募らせていたが。少し調教してやると、すぐに従順な家畜になった。私は本当は人間の言葉で話し、人間として生きたかったのだが、豚が支配するこの世界ではそれすらも許されなかった。
それでも私は我慢して、我慢して、我慢して、我慢して。豚のふりをしながら、豚たちの群れの中で生活を続けた。私はいつも、どうすればちゃんと彼らと向き合えるのかを考えていたが、その答えはわからなくて――。結局、中学に上がる頃には『家族を皆殺しにするしかない』と、考えるようになっていた。
「ブヒブヒ!」
「ブヒッ、ブヒブヒ!」
「ブヒブヒブヒ!」
「ブヒィイイイ! ブヒィイイイ!」
豚である家族を洗脳するのは実に簡単で。私は適当な豚語を並べ立て、彼らを一家心中させることにした。
「豚が二本足で歩くな」
そして父親も、母親も、二つ年上の姉も、私が中学校に行っている間に台所で首を吊って自らを絞殺する。まるで養豚場の豚のように。
学校から帰った私は、三つ並んだ家族の死体を目撃した。括目した。
しかし――何も感じなかった。私は何も感じなかったのだ。
家族を失った私は、遠い親戚である黒宮家に引き取られることとなった。そこにいるのもやはり豚で、私はまた、豚どもに囲まれて生活しなければならなかった。
――ああ、いったいいつまで続ければいいのだろうか?
メス豚の小春を適当に可愛がるふりをしながら、私はいつも考えていた。
「この地獄を、いったいいつまで……」
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