第7話 ゴブリン戦①

 


 《主軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》⑦



 アキラと駅前の喫茶店で話をした、次の日の夜。

 祠堂頸木としての学校生活を終えた俺は、上條匡太に再び会いに行く気にもなれなくて。何もできずに自宅に戻って来ていた。

 アキラからは、アプリを通して『無神経なこと言ってごめんなさい』とか、『また会って話がしたいです』などとメールが入っていて。あんな失礼な態度を取った俺にも、彼女は本当に優しかったのだが。俺はメールを返すことができずにいた。


 ――何やってるんだよ、俺は……


 そのことで自己嫌悪に陥りながらも、小春が寝息を立てているベッドへと向かう。布団を被って横になる。

 小春は、別に毎日『お姉様と一緒に寝たい』と甘えるわけではなく、二、三日に一度ぐらいのペースで部屋にやって来ているようだった。もしかしたら、毎日甘えることで頸木本人にウザがられるのを、恐れての忖度なのかもしれない。


「………」


 金髪碧眼の美少女の心中を慮り、しばしその寝顔を見つめた後で、俺は目を閉じて夢の中に逃避することにした。


 ――早く、俺の身体を取り戻さないと。

 ――一日でも早く……


「――くっ!」


 そんなことを考えながら、微睡みの海を揺蕩っている。と、いきなり激しい頭痛に襲われた。ガンガンと、脳を直接、鉄鎚で殴られているような痛みだ。


 ――何だよ、これ!


 思わず起き上がり、痛みに耐えるように頭を抑える。


『咎人ども、クエストが始まるぞ! ケータイのアプリを使って、さっさと新たな拠点に転移しろ! 繰り返す。咎人ども、クエストが始まるぞ! ケータイのアプリを使って、さっさと新たな拠点に転移しろ!』


 すると今度は、頭の中に直接あの天使の声が聞こえてきた。どうやら第一回目のクエストのときと同じく、テレパシーのような能力を使っているらしい。


「いや、こんな夜中にかよ……」


 文句を言いながらも、俺は小春を起こさないように、適当な私服に着替えることにした。さすがにジャージ姿では、魔物とも戦い難いと判断したからだ。

 ズボンスタイルの服に着替え終えた後で、部屋にある靴を履いてケータイのアプリを起動――。異世界にはアプリを使えば自由に転移できるそうだが、転移可能な場所は一度でも行ったことのある『拠点』のみで、確かにそこには新たな拠点が追加されていた。


『咎人ども、クエストが始まるぞ! ケータイのアプリを使って、さっさと新たな拠点に転移しろ! 繰り返す。咎人ども、クエストが始まるぞ! ケータイのアプリを使って、さっさと新たな拠点に転移しろ!』


 初回の転移では、死んだタイミングで、向こうが勝手に異世界に連れて行ってくれたのだが。二回目以降は、どうやら手動で行わなければいけないらしい。

 地名のようなものが書かれたそれを選択し、頭痛に耐えながらも転移を開始した。


「――ッ!」


 瞬間、身体が光の文字コードとなって、煙のように宙に浮きながら消えていく。

 白い光を放つ、意味不明なアルファベットの羅列――。

 そして、しばらくすると視界が暗闇に覆われた。身体の感覚が失われていく。

 意識が途切れる。途切れる。途切れる。途切れる。


「………」「………」「………」「………」


 次の瞬間には、またあの感覚が襲い掛かってきた。夜の海のような暗闇から、意識が急速に浮上するような感覚――。まるで誰かに、無理やり引っ張り上げられているような。微睡みの底で頭を掴まれるような。


「……ここは?」


 目を開けると、空には真っ赤な満月が掲げられていた。

 いつの間にが、頭を殴られるような痛みは消え去っていて。そして俺が立つ草原には、次々と新たなプリズナーが転移して来ているようだった。

 白い光を放つ意味不明なアルファベットの羅列が、まるで繭のように人体を形成していく。そして、そんなプリズナーたちの前に立っていたのは――一人の登場人物だった。

 見た目の年齢は、おそらく小学生の低学年ぐらいだろうか。黄緑色の髪と金色の瞳を持つ、先鋭的なデザインの白い服を着た、幼さと美しさが同居した不思議な雰囲気の少女だ。

 しかし、短い眉を吊り上げたその怒り顔から、ヨンエルでもイチエルでもないことが看取できる。天使がいったい何人いるのかは知らないが。両腕にドリルの付いた、二足歩行の掘削ロボに乗ったその少女は、明らかに今まで会ったことがない『新キャラ』だった。


「よう、匡太! 三日ぶりやな」


 そんな天使に注目している。と、いきなり後ろから声を掛けられた。

 振り返って、視線を向ける。

 真っ白な髪に浅黒い肌を持つ、整った――猟犬を思わせる顔立ちの青年だ。


「……十文字さん」

「どうやら、今回のクエストも一緒になれたみたいやな」十文字さんが、お調子者の笑顔を浮かべる。「どうや? 怪我は治ったってメールで聞いたが、その後変わりないか」

「はい、それなりにやっています。まあ……元に戻る方法は、まだわかっていませんが。とりあえず、自分の身体を取り戻すまでは死ねませんから」

「……そうか。でも、すまんな。ホンマはリアル世界に戻った後で、お前やアキラの様子も見に行きたかったんやけど。ちょっと仕事が忙しゅうてな。この異世界の有り様についても、もっと調べたかったんやけど」


 猟犬のような青年が、申し訳なさそうに頭を掻いた。まあ、社会人であるのなら、学生の俺やアキラと違ってやはり何かと忙しいのだろう。


「あ、あの……」


 そんな会話をしていると、闇の中からもう一人の登場人物が現れる。

 ネームリングが蛍光灯代わりになっているので、明かりのない真っ暗な場所でも、俺はその人物の姿を捉えることができた。

 紅い髪と大き過ぎる胸が特徴的な、気の強い瞳をした美少女――赤沢アキラだ。


「おお、アキラも一緒やったか」

「は、はい。今回も、その……よろしくお願いします」


 白髪の探偵に向けて頭を下げた後で、アキラが泣きそうな顔で俺を見る。


「それで、えーと……こ、この前は、本当にすいませんでした」紅髪の美少女が、今度は俺に向けて深々と頭を下げた。「いきなり、無神経なことを言ってしまって――」

「い、いや、悪いのは俺の方だから。ごめんな、メール貰ったのに返せなくて。なんか、色々考えが纏まらなくてさ」

「いっ、いえ、私の方こそ本当にごめんなさい。失礼なことばかりして。む、昔からそうなんです。ちょっと空気が読めないと言うか……。スライムから守ってもらったときも、ちゃんとお礼とか言えませんでしたし」

「いや、そんな――。お礼を言うのは俺の方だよ。アキラには、本当に色々助けられて」


 俺はぎこちなく首を振った後で、答える。

 そんな二人のやり取りを見ながら、十文字さんは「うんうん、青春やなあ。若いなあ」などと、意味不明なことを呟いていた。


「それじゃあ、てめえら! 初参加のヤツもいるみてえだから、説明を開始するぞ!」


 やがて、すべてのプリズナーの転移が完了し、天使が前回のヨンエル同様にクエストについての説明を開始する。どうやら、今回の担当天使の名前はニーエルと言うらしく、彼女たちは初参加のプリズナーがいるときは、律儀に同じチュートリアルを繰り返すらしい。


「……どうかしたんですか、十文字さん? 怖い顔して」


 乱暴な口調で、クエストについての説明を続けるニーエル。そんなニーエルの言葉を適当に聞き流していた俺は、不意に猟犬のような青年がその鋭い瞳を、プリズナーの一部に注いでいることに気付いて声を掛けた。


「いや……あの四人、都内で活動しとる『神の華教』の構成員やと思うてな」

「えーと。『神の華教』……と、言うのは?」首を傾いで質問する。

「まあ要するに、胡散臭い新興宗教団体やな。あの、中央におる法衣を着たオバハンが、教祖の小沢[おざわ]ハナや。その周りのおる修業服を着た三人は、信者やろうな」

「た、確か『神の華教』って、詐欺まがいなことをして、信者からお金を巻き上げている人たちですよね? 学校で、噂になっているのを聞いたことがあります」

「……せやな。霊感商法を駆使して高いもんを売り付けたり、歌や詠唱を使った洗脳によって多額なお布施を支払わせたり。まあ、典型的な悪徳宗教団体やな」


 アキラからの質問に、白髪の探偵が侮蔑するような声音で答えた。

 どうしてそんな連中が死んでしまったのかは、よくわからないが。彼らが悪徳宗教団体のメンバーであるのなら、下手に関わらない方がいいのだろう。


 ――今回は、俺たちを含めて十人か……


 そのことを肝に銘じた後で、俺は残りのメンバーの姿を確認した。


 白衣を着た二十代ぐらいの女性――『牧野[まきの]巻江[まきえ]』

 中学生ぐらいの黒髪の美少年――『雪村[ゆきむら]忍[しのぶ]』

 工場の作業服を着た中年男性――『折田[おりた]圭一[けいいち]』


『神の華教』と俺たち以外に来ていたのは、以上の三名である。

 三人ともがニーエルの話に耳を傾け、ときおり質問などをしている姿から類推するに、おそらく彼らも初参加のプリズナーなのだろう。その反応は前回の、ヨンエルから説明を受けたときの俺たちと、ほとんど同じものだった。


「てやんでい! それじゃあ次に、今回のクエストについてだが――」


 立体映像を使った一通りの説明が完了した後で、怒りん坊の天使が、いよいよ今回のクエストについて話し始める。


「今回の煉獄地は、あの前方に見える『ポスタ村』だ! そして、今回のターゲットはゴブリン十匹――」

「いや、十匹って……」


 その言葉を聞いて、思わず眉を顰めた。

 前回は、スライムを一匹仕留めるのに八人もの犠牲を出したのだ。そんな危険な魔物を、十匹も倒さなければいけないなんて。


「も、もしかしたら、私たちがいるせいでしょうか?」


 ジャージの巨乳少女が、小首を傾げる。


「えーと。つまり、今回は経験者がいるから、クエストの難易度も高いってこと?」

「はい。そ、それなら、急に十匹もの魔物を倒さなければならなくなったのにも、合点がいきます」

「なるほどな。あるいは、俺たちだけやのうて、この中には他にも経験者がおるのかもしれへんな。しかも、かなりの手練れが」


 目を細めて、猟犬のような青年が推測を述べた。


 ――いや、さすがにそれは考え過ぎだろ。

 ――手練れのプリズナーなんて……


『神の華教』のメンバーたちも、この状況に戸惑っているみたいだし。見たところ、俺たちの他には経験者なんていないようだが。


「てやんでい! それじゃあ、お前ら咎人を今から煉獄地であるポスタ村に送るから、覚悟しろよ! 泣いたって、助けてやらないからな!」


 そんなことを考えていると、いつの間にかニーエルは説明を完了。前回のヨンエルと同じく、呪文のような言葉を超高速で唱え始めた。聞いたこともない言語の羅列だ。

 詠唱。詠唱。詠唱。詠唱。

 かと思うと、いきなりプリズナーたちの足下に光の魔法陣が出現し始める。そして、天使の呪文によって、次々とメンバーはポスタ村にワープしているようだった。


「ああ、忘れるとこだったぜ!」


 しかし、黄緑色の髪をした少女は途中で詠唱をやめる。そして俺とアキラ、十文字さんだけを残して、何かを思い出したように話し始めた。


「えーと、お前……上條匡太だっけ? お前が別人に成り代わっていることについて、色々とわかったから伝えておくぞ!」

「ほ、本当か、ニーエル!」

「ああ! まずは……もう察しがついてるかもしれねえが! お前は、その美少女――祠堂頸木と、死んだ直後に魂が入れ替わってしまっている! だからお前らは、それぞれ別の身体でこのグランヘイムに転移してきたってわけだ! クエストを受けるためにな!」

「やっぱり、入れ替わっていたのか……」


 怒りん坊の天使の言葉を聞いて、俺は自分自身の推測が正しかったのだと自覚する。

 やはり、火曜日に会った上條匡太の中には、頸木の魂が入っていたのだ。


「てやんでい! それで、今後の話だが!」ニーエルが、調査結果の報告を続ける。「そもそも二人の魂が入れ替わったのは、お前があの廃ビルから飛び降りたせいだ!」

「――は? ど、どういう意味だよ、それは?」

「鈍いヤツだな! 要するに、祠堂頸木は被害者なんだよ! お前が飛び降り自殺をしたとき、ヤツはその真下にいたんだ! それで、ペチャンコのお陀仏、仏様ってわけよ!」

「そ、それじゃあ、俺のせいで……俺のせいで、祠堂頸木は死んだのか!」


 その事実を知って、全身が氷のように冷たくなっていくのを感じた。

 俺は、自殺によって彼女を殺してしまったのだ。殺したうえに、こんな地獄のような生活に巻き込んでしまったのだ。


 ――そんなの……許されるわけがない!


 彼女の不幸を想像するだけで、俺は吐き気を催すほどの絶望に襲われた。

 いったい、どうすれば――。


「……何て言って謝れば、許してもらえるんだよ!」


 歯を食い縛る。拳を強く、握り締める。


「まあ、戻る方法は簡単で――。お互いが入れ替わりを解消することに同意すれば、勝手に魂は元通りになるらしい! よかったな、これで一件落着だ! めでたし、めでたし!」

「………」


 そんな天使の言葉など、ほとんど俺の耳には届いていなかった。

 確かにお互い、元の身体に戻ることは簡単にできるのだろうが、頸木は今後もクエストを受け続けなければならない。レベル100に上がるまで、死の恐怖に晒され続けなければならない。俺が自殺して、たまたまその下敷きにしてしまったせいで――。


「お、落ち着いてください、匡太さん。ショックなのは……わかりますが」

「せやで、匡太。確かに祠堂頸木は運が悪かったのかもしれんけど、元に戻る方法もわかったわけやし」

「でも……でも……」

「ちゃ、ちゃんと頸木さんに謝るためにも、今は生き残ることだけを考えましょう! ここで匡太さんが死んだら、頸木さんは自分の身体まで失ってしまうんですよ!」

「………」


 アキラの言葉が、懊悩に支配された俺の脳味噌に、ガツンと響いた気がした。

 確かに彼女の言うとおりだ。俺かここで死んでしまったら、謝ることだってできない。頸木に身体を返すことだって、もうできなくなるのだ。だから目の前のクエストに集中して、何としても生き残らなければならない。


「ありがとう、アキラ……それに十文字さんも。……とにかく今は、生き残ることだけを考えるよ。ここで死ぬわけにはいかない」

「せやな」

「そうですよ!」


 俺の言葉を受けて、二人が同意する。

 やがて、呪文の詠唱を再開したニーエルによって、俺たちの足下にも魔方陣が出現した。身体の質量が失われていくような、心細い感覚――。そんな感覚の後で、俺たちは草原地帯からも見えていたポスタ村へと転移する。


「………」


 他のプリズナーと一緒にワープしてきた後で、俺は村の様子を視認した。

 村と言っても、そこまで小さくはない。アプリの地図データで確認すると、ポスタ村は北側と南側に別れていて、今いるのは南側の方だった。

 石造りの西洋風の建物が、静寂の闇の中に点在している。今のところ、聞こえるのは田んぼや畑にいる虫の鳴き声だけだ。


「恐れることはありません。ここは極楽浄土に至るための、試練の場なのです」


 俺が周囲の様子を窺っている。と、先に来ていた『神の華教』の教祖――醜く太った中年女性の小沢ハナが、手を合わせながら言った。彼女の信者である三人組は、その言葉を受けて心の底から敬服するような顔をしている。


「御仏の言葉に耳を傾けなさい。ここは、悪魔が住まう村です。デビルヴィレッジです」

「「「ハナ、イズ、ライト! ハナ、イズ、ジャスティス!」」」

「先ほど現れた天使を名乗る少女は、サタンの化身。私たちを騙し、ああ――ブラック地獄に落とそうと画策しているのです」

「「「ハナ、イズ、ライト! ハナ、イズ、ジャスティス!」」」


 教祖の小沢ハナが何かを話すたびに、男二人女一人の三人組は両手で人差し指を立てて、天に高らかに掲げながら同じ言葉を繰り返した。新教宗教団体なんてテレビでしか見たことのない俺は、その頓珍漢な姿に思わず眉を顰める。『極楽浄土』とか『御仏』とか『サタン』とか『英語の合唱』とか、まるで宗派に統一感がない。ちぐはぐなパッチワークのような印象だ。


「あ、あの、皆さん……聞いてください」そんな『神の華教』に圧倒されながらも、紅髪の美少女が口を開く。「私たちは、このクエストに参加するのは二度目ですが。と、とにかく、まずは魂装を顕在化してください。いつ魔物が襲ってくるか、わかりませんから」

「そ、そうだ。とにかくゴブリンに襲われないためにも、みんなで慎重に行動する必要がある。力を合わせれば、十匹いたって倒せるはずだ」

「………」


 必死で訴え掛ける俺たちに、その場にいたプリズナーの面々が注目する。

 俺やアキラの姿を初めて見た男性陣は、早くも見惚れているようだった。


「ああ、恐ろしや。恐ろしや。そこにいる少女たちは、すでにデビル洗脳によって自我を失っています。惑わされてはいけません。御仏の言葉を信じるのです」

「「「ハナ、イズ、ライト! ハナ、イズ、ジャスティス!」」」


 しかし――、小沢ハナの言葉を受けて、動揺しながらも信者たちが合唱を繰り返す。

 その空気に、作業服を着た折田や黒髪の雪村も、すでに呑み込まれているようだった。


「み、皆さん、聞いてください! 本当に危険なんです! 生きてリアル世界に帰るためには、みんなで力を合わせなければいけなくて――」

「ああ、恐ろしや。デビル洗脳は恐ろしや。デビル、イズ、恐ろしや! デビル、イズ、恐ろしや!」

「「「デビル、イズ、恐ろしや! デビル、イズ、恐ろしや!」」」


 教祖の言葉を受けて、両手で人差し指を立てながら信者たちが叫んだ。もはや英語なのか日本語なのかすらわからない。


「さあ、御仏に続きなさい。ゴッドがあなたたちのことを待っています」

「「「ハナ、イズ、ライト! ハナ、イズ、ジャスティス!」」」


 そして、そのまま信者たちを引き連れて村の北側へと歩いて行く。


「おい、お前らも行くつもりかいな!」

「え、えーと、私は……」


 その集団に付いて行こうとする折田圭一と雪村忍に、十文字さんが声を掛けた。

『神の華教』はどう考えても胡散臭いが、それでも『自分の死』を実感した直後の有り様だ。心が弱い者なら、宗教に縋り付きたくもなるのだろう。


「わ、私は……あの人たちに付いていきます。とりあえず、こんな状況ですし」

「僕も、御仏を信じます。ハナ、イズ、ライト! ハナ、イズ、ジャスティス!」


 工場の作業服を着た折田さんの後で、中学生ぐらいの黒髪の美少年――雪村が答えた。いや、フード付きのジャンパーを着ているせいで体形はよくわからないが。声の感じから、もしかしたら美少女の方なのかもしれない。


「――だ、駄目ですよ、二人とも! 不用意に行動したら! とにかく魂装を顕在化して、みんなで戦わないと!」

「アキラの言うとおりだ! 折田さんも雪村も、冷静になれよ!」紅髪の美少女に続き、俺も必死に説得する。

「し、しかし……」

「とっ、とにかく僕は、あの人たちと一緒に行くから! ハナ、イズ、ライト! ハナ、イズ、ジャスティス!」


 俺たちの言葉を無視して、雪村が小走りで宗教団体を追い駆けた。「わ、私も神を信じます!」などと叫び、その後ろを折田さんが付いて行く。


「まあ、しゃあないやろ。自業自得や」


 そんな二人の姿を見て、猟犬のような青年が冷たく吐き捨てた。

 残ってくれたのは、白衣を着た二十代ぐらいの眼鏡の女性――牧野巻江さんだけだ。


「あ、あなたは……一緒に行かなくてもいいですか?」ジャージの巨乳少女が、不安げに小首を傾げる。

「はい。私は、宗教とか……そういうのは基本的に信じていませんから」


 白衣の女性は、気掛かりのない笑顔で答えた。当然のように。


「えーと、自己紹介とかってした方がいいですか?」

「じ、自己紹介……ですか?」

「はい、私の名前は牧野巻江です。子どもの頃からのアダ名はマキマキです。帝都大学の大学院生で、遺伝子工学を専攻しています。年齢は二十四歳で、間違いなく処女です」

「しょ、処女って――」その言葉を聞いて、アキラが顔を赤らめた。

「死んだ理由は……うーん、記憶にないけど、多分過労死かな。ずっと大学の研究室に、泊まり込んでたから。魂装は、さっき試しに出してみたんですけど錫杖でした」


 マイペースな自己紹介を続けながら、牧野さんが自分の魂装を顕在化する。それは彼女の言葉どおり、魔術師が使うような銀色の錫杖だった。打撃系の武器としてはあまり使えそうにないので、もしかしたら『魔法攻撃に特化した魂装』なのかもしれない。


「そっか、魔法攻撃に特化した魂装ですか……」


 俺の推測を聞いて、白衣の女性が複雑な顔をする。


「一応、説明を聞きながらアプリの方も調べたんですけど。魔法って、レベルが10以上にならないと習得できないじゃないですか」

「そうやな。でも、なんやその銀錫杖……丈夫そうやし。一応は、打撃系の武器としても使えるんとちゃうか?」

「まあ、それはそうですけど。これでも私は科学者の端くれですから。何か、魔法とかそういうファンタジーなものには、いまいち興味が湧かないんですよね。あ、もちろんファンタジーなものを科学的に解析できるのなら、それが一番ですけど。果たしてこの世界に……えーと、グランヘイムでしたっけ? このグランヘイムに、そこまでのスペックが備わっているのかどうか」


 白髪の探偵の言葉を受けて、眼鏡の大学院生がブツブツと文句を言った。とりあえず、一緒に来てくれるという彼女に対し、三人で魂装を顕在化しながら自己紹介をする。

 牧野さんは俺とアキラの顔を凝視した後で、


「いやー、それにしても、二人ともすごい美少女ですよね! 同じ女とは思えません! いったい、どんな遺伝子を持っているのか……私、激しく調べたいです!」

「そ、そんな……私の方は、全然ですよ。匡太さんは、確かにすごい美少女ですけど」

「な――、何を言ってるんですか! そんな魅惑的なオパーイをして! 揉みますよ! 鷲頭掴みにしますよ!」

「やっ、やめてください! ――離してください!」


 いきなり過度なスキンシップを取ろうとする牧野さんに、顔を真っ赤にして紅髪の美少女が叫んだ。しかし抵抗も虚しく、少女のその大き過ぎる胸は後ろから鷲頭掴みにされ、ムギュムギュと形が変わるほどに揉みしだかれてしまう。

 俺は今現在、正真正銘の美少女だが、それでもやはり興奮してしまった。


「あ……やめ……やめてください……あん!」

「おお、ここがええんか? ここがええんか?」

「いや……あぁん……い、いい加減に、してください!」

「――ぎゃ!」


 ついには嬌声を発し、息まで乱してしまったジャージの巨乳少女が、涙目になりながらも不埒者の顔面に一撃を加える。それを受けて、ようやく白衣の女性はアキラを魔の手から解放したようだった。


「エロエロやな」ウンウンと頷きながら、十文字さんが満足そうに頷く。

「それはそれとして、匡太君……でしたっけ? 本当に、違う人の身体と入れ替わっているみたいですね。頭上のネームリングは、明らかに男性の名前ですし」

「はい。まあ、そうですね」

「日本語と、英語と……最後の一つは、おそらくこの異世界の言語で、名前が表記されているのではないでしょうか?」


 俺のネームリングを見ながら、眼鏡の大学院生が答えた。


「異世界の言語、ですか?」

「どうしてマキマキは、そんなことがわかるんや?」


 その言葉を受けて、猟犬のような青年が首を傾ぐ。


 ――日本語と英語はわかるけど、最後が異世界語だなんて……

 ――どうしてそんなことが、断言できるんだ?


 そんな疑問を巡らせていると、牧野さんが後ろにある建物の一つを指差した。


「だって、あれ見て下さいよ。あの建物に掲げられている、看板の言語ですが。明らかに、ネームリングの最後の文字と同じじゃないですか」

「看板って……」


 その言葉を受けて、俺は視線を建物に備え付けらえた『木の看板』へと向ける。

 そこには、確かにネームリングの最後の文字と同じ種類の言語が、書かれているようだった。もちろん、その看板の文字の意味はわからないが。ネームリングには日本語と英語で名前が書かれているのだから、最後の単語も名前を意味している可能性が高い気がする。


「なるほどな。確かにこの村で使われている言語が異世界語なら、ネームリングの最後の単語は名前を意味している可能性が、高いっちゅうわけやな」

「そ、そうですね。リアル世界では見たこともない言語ですし……」


 ネームリングと看板の文字を見ながら、十文字さんとアキラも納得する。

 突然、誰かの悲鳴が夜闇を揺らしたのは、その直後のことだった。


「――た、助けて! 助けてください!」

「誰か! 誰か!」


 いきなり家の中から飛び出してきたのは、二人の夫婦らしき男女で。


「い、家が、いきなりゴブリンに襲われて……」

「ああ……プリズナーの皆さん、助けてください! 娘が、娘が――」


 俺たちの存在に気付くと、一瞬ギョッと目を見開いた後で、助けを求める。

 初めての見る異世界人だ。その耳は狼のような三角形をしており、同じく狼のような尻尾が生えていた。誰かに殴られたのか、二人とも大怪我をしているらしい。


「これは、また珍妙な。狼人間……いや、ウェアウルフ[狼人]ですか」


 興味深げに、牧野さんが二人の姿を観察する。

 最初にコンタクトを試みたのは、やはり紅髪の美少女だった。


「え、えーと、あなたたちは……この村の住人ですか? 私の言葉、わかりますか?」

「は、はい、わかります!」

「ちくしょう、ゴブリンのヤツらめ! 自警団が王都での会合に参加しているときを、狙いやがって!」


 夫らしきウェアウルフが、心底悔しそうに吐き捨てる。

 どうやら、異世界の文字は読めないが言葉は通じるらしい。


「ギギギギッギ! ギギ!」

「ギギギ……ギギギギッギ!」


 そのことに安堵していると、いきなり家の方から何かが飛び出してきた。それを見て、夫婦は怯えたように俺たちの後ろに隠れてしまう。

 俺は反射的に錆鉄を構えながらも、その姿を注視した。


「………」


 身長は、約120センチから140センチぐらいだろうか。小学生高学年ほどの大きさをした、醜悪な小鬼だ。深緑色の肌をしており、耳はエルフのように尖っている。

 念のためにアプリの地図データでも確認したが、間違いなく彼らこそが今回のクエストの標的――ゴブリンなのだろう。彼らの格好は裸同然だが、一応腰には汚い布切れが巻かれている。手に持っている武器は、その辺に落ちている石や木の棒などの原始的なものだ。しかしそれには、確かな暴力の痕跡が残されていた。


「ど、どうやらゴブリンが、村人たちを襲っているようですね……」


 石や木の棒から滴り落ちる血液を見て、アキラが白大弓を構えながら言った。

 相手の数は三匹だ。前回は、スライム一匹ですらあんなにも手こずったのに、果たして倒すことができるのだろうか。


「やるしか……なさそうやな」


 そんな不安を抱いていると、魂装であるアサルトライフを構えて十文字さんが呟いた。「アキラ、討て!」と、言う合図とともに、二人で三匹のゴブリンに攻撃を仕掛ける。


 ドドドドド―― ドドドドド――


 しかし、醜悪な小鬼たちの動きは予想以上に素早いらしく、飛んだり跳ねたりしながらその射撃攻撃を躱しているようだった。


「くそ、動きがエキセントリック過ぎるやろ!」

「あ、あれだと、相手の動きに慣れるまでは当てられません!」


 紅髪の美少女が、悲鳴のような声を上げる。

 そうこうしている間にも、敏捷なゴブリンたちは攻撃を躱し、躱し、俺たちを殴殺すべく猛進してきているようだった。


「スライムを! ――スライムを使います!」


 猛スピードで突っ込んで来るゴブリンに、危機感を覚え、俺はすぐさまケータイを操作。アプリを使ってスライムを召喚する。

 現状、牧野さんは戦力には数えられない。であるならば、俺が接近戦であの三匹を食い止めなければならないのだろう。


 ――スライム、あいつらの動きを止めろ!

 ――いや、可能なら体内に取り入れて、そのまま倒すんだ!


 俺は頭の中でテイムしたスライムに指示を出しながらも、醜悪な小鬼たちを迎え撃つことにした。錆鉄を容赦なく振り回し、逃れようとしたところをスライムに襲わせる。


「ギギギ……ギギッ!」

「ギッギ! ギギギギッギ!」


 ゴブリンたちは必死に、目の前に立ちはだかるゼリーの化物に対して攻撃を続けていたが、スライムは内容物を撒き散らしながら小さくなるだけだ。そのまま形を変えて、ゴブリンの一匹を体内に取り入れる。

 下半身を呑み込まれた魔物は、藻掻き苦しみながらも骨ごと溶かされ、数分もしないうちに息絶えているようだった。


「――さ、さすがです、匡太さん!」

「す……すごいですね、スライムもゴブリンも。いったい、どんな遺伝子を持っているのか……私、激しく調べたいです!」


 ケータイで必死にその写真を撮影しながら、牧野さんが歓喜する。

 俺は続けざまにスライムに指示を出し、指示を出し、アキラが手傷を負わせた二匹目のゴブリンを捕食――。しかしその二匹目は、ゼリー状の体内に呑み込まれてからも激しく抵抗しているようだった。


「ギッギ! ギギギ! ギギギギッギ……」


 ブシュ――


 そして、死なば諸共の体で鋭い爪を立て、スライムの体内にあるボール器官を貫いてしまう。物の見事に。

 どうやらゴブリンたちは、スライムの弱点を最初から知っていたらしい。


「あかん。あいつら、見た目どおり小狡いで」

「そ、そうですね。でも――とりあえず二匹は倒しました!」


 スライムの死体の中で、そのまま溶けて死んでいく二匹目を見ながら、俺は語気を上げる。あとは、斬撃ですでに足に怪我を負わせている三匹目だけだ。


「ギギギ……ギギッ!」


 てっきり、『逃げる』という選択肢もあるだろうと思っていたが、三匹目はそれでも俺たちに向かってくる。そうまでして、人間を殺したいのだろうか。


「――匡太さん、危ない!」


 飛び掛かってくる手負いのゴブリンを見て、紅髪の美少女が叫んだ。

 しかし俺は、祠堂頸木の規格外な身体能力を生かして、その強襲を防ぐ。


「匡太、避けろ!」


 後ろから、十文字さんの声が響いた。指示を受けて、弾かれたように跳び退る。


 ドドドドド―― ドドドドド――


 虚を突かれた三匹目は、間抜けな顔で静止――。その一瞬の隙を逃さずに、白髪の探偵がターゲットをハチの巣にする。


「ギギ……ギギギギギ……」


 アサルトライフルの一斉掃射を受けたゴブリンは、紫色の血を流し、やがて完全に動かなくなった。アプリの地図データでも反応が消えているので、間違いなく死んだのだろう。

 死体はその場に残っていたが、俺のアプリには二匹のゴブリンが。そして十文字さんのアプリには一匹のゴブリンが、テイムされているようだった。


「きょ……匡太さん、腕から血が……」


 そのことをお互いに確認していると、俺のそばに駆け寄って来たジャージお巨乳少女が、心配そうに目を潤ませる。


「ああ、さっきゴブリンと近接戦闘をしたときに……ちょっと爪が当たっちまって」

「だ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫、大丈夫、これぐらいなら。どうせ、クエストが終われば回復するから」


 優しいアキラに向けて、気掛かりのない笑顔で応えた。

 少し左腕に力が入らないような気もするが、これぐらいの怪我で、いちいち足を止めるわけにもいかないのだろう。


 ――ああ、血の臭いがするな……


 戦闘を終えた後で、ふと周囲の死臭に意識を向ける。

 それは、あのとき嗅いだ臭いだった。俺が廃ビルから飛び降りて自殺したときに――、祠堂頸木を殺したときに、嗅いだ臭いだった。当時の記憶はまだ戻っていないが、それでも血の臭いだけは覚えている。


 ――俺は……やっぱり、死ぬわけにはいかないんだ。

 ――まだ、死ぬわけにはいかないんだ……


 血のように赤い満月が、ポスタ村を冷たく照らしていた。浮き彫りにしていた。

 まるで誰かに『見ているからな』と、『忘れないからな』と、言われた気がした。そして、『絶対に許さないからな』と。



 《副軸――小沢ハナ[おざわ はな]》



 小学生の頃から、私は嘘つきだった。

 周りのクラスメイトたちからチヤホヤされたくて、人気者になりたくて――。私は平気で嘘をつく子どもだった。だって、ずるいじゃない? 他の女の子たちは、ちょっと可愛いだけで周りの男子たちからチヤホヤされるのに、誰もブサイクな私のことなんて相手にしてくれないし。だから私は嘘をついた。父親が大企業の社長だとか、イケメンの先輩に告白されとか、アイドルのオーディションに合格したとか。

 しかし――最初はチヤホヤされていたが、小学生の高学年になる頃には、誰も私の幼稚な嘘を信じてくれなくなった。そのうち、学校中から嘘つきであることがバレて、私は『ライアー鼻くそ』という不名誉なアダ名で呼ばれるようになってしまった。それは悪意に満ちた悪口で。中学や高校では、それでも嘘をつく私に対して、クラスメイトたちによる酷いイジメまで横行するようになったのである。

 だけど、どれだけイジメられても、私は嘘をつくことをやめられなくて――。やがて両親と一緒に学校に呼び出され、教師たちから厳しい説教を受けた。精神病院にまで連れて行かれ、『反社会性パーソナリティー障害の疑いあり』と診断されてしまった。そして、イジメの被害者は私であるはずなのに、クラスメイトたちに嘘をついたことを誠心誠意、謝らなければならなかったのである。

 泣きながら。泣きながら。泣きながら。泣きながら。

 私は東京の大学に進学すると同時に、嘘を封印した。もうあんな屈辱的な想いをするのは嫌だ。みんなからイジメられるのは嫌だ。だから、大っぴらに嘘をつくのをやめたのである。しかし、ストレスが溜まると私はすぐに嘘がつきたくなった。みんなからチヤホヤされたくなった。そんな私の欲求の捌け口は、個人が特定されないブログや匿名掲示板だったが。それだけでは承認欲求を満たせないことも多かった。

 社会人になってからも、私はネットを嘘の捌け口にしていたが。それでも我慢できなくて、リアルでも嘘をついてしまう。私は嘘とブサイクな容姿のせいで、徐々に職場の人間関係が崩れていくのを自覚していた。同僚に嫌われるたびに、別の職場に転職しなければならなかった。そして、そんな自分の惨めな境遇を誤魔化すために、ネットではさらに酷い嘘をつくようになっていった。


『会いたいです。会ってもっと、ハナ様の話を聞きたいです』


 そんなある日、私が六社目の職場で自分の居場所を失い掛けていた頃、ブログに一通のメールが届く。それは私が、自身を御仏だと吹聴し、様々な嘘の奇蹟体験を語るためのものだった。そのブログの内容を信じた、とある女性が、私に対して『会いたい』『話を聞きたい』と熱烈なラブコールを送って来たのである。

 私は会社でのストレスを発散する目的で、彼女に会うことにした。その精神虚弱な女性に会い、のべつ幕なしに自分の中にある嘘を吐き出した。吐き出した。吐き出した。吐き出した。すると私の話を信じたその女性は、御仏として私を崇め奉り、説法を受けた後で多額のお布施まで渡してきたのである。


 ――ああ、そうか。

 ――そういうことなのか!


 そして、そこで私は気が付いた。嘘はお金になるのだと。精神虚弱な人間を狙って、宗教的な嘘をつけば、また子どもの頃のようにみんなからチヤホヤされるのだと。

 私はさっそく、会社を辞めて『神の華教』という新興宗教団体を立ち上げることにした。その頃には、私は重度の統合失調症を煩っており、その精神的不安定な様子が一部の人たちの目からは『神秘的』に映るらしかった。


『私は御仏です』『私はゴッドに選ばれました』『疑う者はブラック地獄に落ちます』


 私は民衆を集めて得意の嘘をつき続け、つき続け、十年で千人もの信者獲得に成功する。自己啓発セミナーを開いたり、修業会[スピリチュアル・スタディ]でお布施を集めたり、ときには詐欺まがいなことまでしてお金を稼いだ。もっとチヤホヤされたくて、ブランド物の高級品を買い漁ったり、ホストクラブで湯水のようにお金を使ったりした。そして、その十年の間に何度か結婚などもしてみたわけだが。まあそちらの方は、私の嘘のせいで上手くはいかなかった。それでも、私は充実した毎日を送っていたのである。

 しかし――、そんな私の順風満帆な生活にも、ついに終わりのときが訪れる。それは、信者たちを引き連れて施設で修業会[スピリチュアル・スタディ]を実施していたときのことだった。


「何が御仏だ! 何が、ハナ、イズ、ライトだ! ――ふざけてんじゃねえぞ!」


 包丁を手に施設に乗り込んできたのは、中年の――かつて、私が詐欺まがいな方法でお金を巻き上げた信者の一人だった。その男は完全に我を忘れている様子で、逃げ惑う他の信者たちを次々と凶刃で斬り捨て、そして私の前までやって来たのである。

 その場にいた信者は、総勢百人以上――。しかし、役立たずな彼らは、その狂人を身を挺して止められなかった。彼らは臆病者で。そして、ついには教祖である私はその男に殺されてしまったのである。

 その元信者の男は、最後の最後にこう言った。こう叫んだ。「お前は嘘つきだ」と。「許して欲しいなら、もう嘘はつくな」と。しかし私は恐怖のあまり何も答えることができなくて――。そして、天国らしき赤い月の世界へと、殺された信者たちと一緒にこうしてやって来たのである。


「………」


 経験者らしき死者たちと別れた私は、信者と新入り二人を引き連れてポスタ村と呼ばれるしけた村を、北へ北へと進んでいた。あの黄緑色の髪をした少女が、本当に天使なのかどうかはわからない。素直にクエストと呼ばれるものをクリアすれば、私は生きて元の世界に戻れるのかもしれない。しかし私は、自分を妄信する信者たちの前で、御仏としての威厳を示さなければならなかった。彼らを導かなければならなかった。それで、いつものように適当な嘘をついてしまったのである。


「あ、あの……教祖様。あなたに付いて行けば、極楽浄土に行けるんですか?」


 作業服を着た折田が、訝しげな表情を浮かべて尋ねた。


「あなたは、御仏を疑うのですか? そんなことをしたら、ブラック地獄に落ちますよ。折田、イズ、ブラック地獄! 折田、イズ、ブラック地獄!」

「「「折田、イズ、ブラック地獄! 折田、イズ、ブラック地獄!」」」

「い、いえ……そう言うわけではないんですけど。なんだか、この村は『試練の場』というわりには普通と言うか。どこか閑散としているような」


「――きゃあああああああああああああああああああ!」



 そのとき、不意に折田の声を塗り潰して誰かの絶叫が木霊した。

 かと思うと、石造りの家々から、数人の登場人物たちがこちらに向けて走って来る。


「お、お願いします、プリズナーの皆さん! 助けてください!」

「ゴブリンが! ゴブリンが!」


 村人たちが、何かを懇願しながら私たちに纏わり付いてきた。


「ええい、離れなさい! この、無礼者が! ブラック地獄に落ちるわよ!」


 私はその村人たちを――、狼の耳と尻尾の生えた亜人たちを、乱暴に押し退ける。


「え、えーと、教祖様……この人たちは?」折田が首を傾いで問い掛けた。

「この者たちは、サタンの使いです。関わってはいけません」

「サタンの使いって……」


 やがて、村人たちを追い駆けて、『何か』が闇の中から飛び出して来た。


「ギギギッギ! ギギギギ……ギギ……」

「ひっ、ひええええええええええええええええ!」


 狼人間たちの絶叫が、木霊する。木霊する。木霊する。木霊する。

 その『何か』は次々と村人たちに襲い掛かると、地面に組み伏せ、生きたままその肉を貪り食っているようだった。数にして四匹――。


「きょ、教祖様、あれは……」


 素っ頓狂な声を上げながら、折田が再び訊いてくる。

 小学生高学年ぐらいの大きさをした、醜悪な小鬼だ。深緑色の肌をしており、いかにも邪悪そうな見た目をしている。


 ――こ、こいつらが、あの天使が言っていたゴブリンなの?

 ――こんなにも狂暴なヤツらが……


 私は恐怖でその場に立ち竦みながらも、口を開いた。


「こ、こいつらも、サタンの使いよ!」

「え? ど、どうしてサタンの使いがサタンの使いを、殺して食べてるんですか?」

「いっ、いいから逃げるわよ! こんなところにいたら、殺されるじゃない!」


 意味がわからない、と言いたげな作業服の折田に対し、私は思わず絶叫する。

 村人たちか魔物の餌になっている隙に、逃げなければならない。さっきの経験者たちと合流して、助けてもらわなければならない。――あんな痛みを味わいながら死ぬなんて、二度とごめんだ。


 ――もう二度と……


 そう思い、私は踵を返して走り出す。走り出す。

 三人の信者たちも、二人の新入りも、私の指示を待たずしてすでに逃げ出しているようだった。まあ、目の前であんな残虐な光景を見せられては、無理もないのだろうが。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 しかし、法衣が重いせいもあり、私は速くは走れなかった。


「ギギッギ! ギギッギギ!」

「ギギ! ギギギギギギギッギ!」


 すべての村人を殺し終えたゴブリンたちが、逃げる私たちに気付いて追い駆けてくる。

 加速。加速。加速。加速。


「ちょ、ちょっと――あんたたち! 待ちなさいよ!」


 走りながら、走りながら、私は叫んだ。

 そうしている間にも、五人との距離はどんどん開いていく。


「はぁ……はぁ……御仏を、置いて行くんじゃないわよ! さっさと、囮になりなさい! はぁ……はぁ……そうしないと、ブラック地獄に落ちるわよ!」

「いい加減にしろ、誰がお前なんか助けるか! この嘘つきめ!」

「俺たちは、お前のせいで刺されて死んだんだぞ! せめてその化物どもの餌になって、俺たちを助けろよ!」

「あんたの嘘に騙されてやってたのだって、幹部になれば甘い汁が吸えると思ったからよ! でなければ、誰があんたなんかに――」


 私が助けを求めた瞬間、立ち止まった信者たちがその場に落ちている石を拾い、次々と私に投げぶつけ始めた。私はその責め苦に我慢できなくて、足を止めてしまう。


「や、やめなさい! あんたたち! ブラック地獄に、ブラック地獄に――」

「ギギッギ! ギギギギギ!」


 私は必死で叫ぶも、その言葉は届かない。もう誰にも届かなくて。

 やがて追い付いてきたゴブリンに捕らえられ、私は先ほどの狼人間たちのように、地面に組み伏せられた。組み伏せられて。鋭い爪で、ズタズタに豪奢な法衣を切り裂かれた。


「やめて、助けて! ――助けて!」


 そして、裸同然になった私は――生きたまま手足を引き千切られる。地獄のような痛みを味わいながら。血塗れになって、残酷に臓物を食い荒らされる。


「あ……ああああ……ああああああ……」


 薄れゆく意識の中で聞こえてきたのは、下卑たゴブリンたちの嗤い声と――そしてあの言葉だった。あの男の言葉だった。


「お前は嘘つきだ」「許して欲しいなら、もう嘘はつくな」


 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。


 同じ言葉が、頭の中でダ・カーポする。繰り返される。

 死の瞬間の記憶とともに。あの男の切羽詰まった表情が、甦る。


 ――ああ、そうか。

 ――嘘をついても、幸せにはなれなかったのか。


「……あ……あああ……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 そして最期の瞬間を二度も迎え、愚かな私はようやく理解した。ようやく後悔した。嘘をついても、幸せにはなれないのだと。嘘をつくとブラック地獄に落ちるのだと――。心の底からの、初めての懺悔を繰り返しながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る