第6話 赤沢アキラとの再会
《主軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》⑥
異世界で出会った一つ年下の少女――赤沢アキラと、連絡を取り合った俺は、駅前の喫茶店で彼女に会うことにした。
入口のドアを開けた瞬間に、木材とコーヒーの香りが漂ってくる。
店内は落ち着いた雰囲気で、この時間帯は客も少ないようだ。角の席で待っている。と、やがて一人の登場人物が、息を切らしながら店内に踊り込んできた。
熟し過ぎたワインのような、紅いショートカット。今にも泣き出しそうな、それでいて気の強い瞳をした美少女だ。ジャージの上からでもわかるほど、自己主張の激しい豊満な胸。胸。胸。胸。その暴力的なまでに抜群のプロポーションは、水着姿を売りにしている巨乳グラビアアイドルが、裸足で逃げ出すほどの女性らしさと均整を保っている。
どうやらアキラは、俺を待たせては悪いからと走って来てくれたようだ。
「ごめんな、アキラ。いきなり『会いたい』だなんて言って」
「い、いえ、どちらにせよ……今日は部活も休むつもりでしたし」
「そうなのか?」
「はい。それより、ごめんなさい。ほ、本当は、月曜日のうちにアプリからメールしようと思っていたのですが、ちょっと……知り合いが入院することになって。色々と立て込んでいたので、連絡することができなくて」
紅髪の美少女が、申し訳なさそうに頭を下げる。
俺は「気にしなくていいよ」と首を振った。知り合いが入院することになっただなんて、きっと色々と大変だったのだろう。恋人同士でもあるまいし、メールを寄越さなかったからと言って、とやかく文句を言う筋合いではない。
「あ、あの……怪我の方は、本当にもう大丈夫なんですか? かなり酷い傷だったように、見えましたが」次いでジャージの巨乳少女が、心配そうな顔で尋ねる。
「ああ、天使が……えーと、イチエルだっけ? あいつが言っていたとおり、クエスト終了後の転移のタイミングで、完全に回復していたよ。回復した、と言うよりかは『制服ごと再生した』と言うか……」
「そう……だったんですか」
「それに、あれから色々わかったと言うか。思い出せたと言うか」
「お、思い出せたって……」
二人でマスターにコーヒーを注文した後で、アキラが小首を傾げた。
「例えば、この少女の名前とか。祠堂頸木って言って、久城峰学園で生徒会長をしているらしいんだけど」
「ああ、やっぱり……祠堂頸木さんだったですね? わ、私も気になって、学校の友だちに聞いて回ったんですけど。すごく有名な方みたいで。私が通っている彩波女学院にもファンの子が大勢いて。よ、容姿が特徴的だったので、すぐにわかりました」
「そうなんだよな。なんか、学校にも信者みたいな生徒がいっぱいいて、とにかくすごい女子生徒みたいなんだけど」
そこまで言って、運ばれてきたコーヒーに口を付ける。
香り立つコクと適度な苦み。この喫茶店に入ったのは初めてだが、悪くない。
「そ、それで、今はどうしてるんですか?」
「今は……と、言うと?」
「いえ、住んでいる場所とか。どうされたのかと思いまして」
「ああ。今は一応、頸木の家に住んでるよ。こいつの学校にも、ちゃんと行ってるし」
「……そうですか」そこでアキラが、意味深な沈黙を挟んだ。
「何か、気になることでもあるのか?」
「い、いえ、でも……匡太さんが言っていたとおり、もしも匡太さんと祠堂頸木さんの魂が入れ替わっているのなら、きっと頸木さんの方もすごく大変と言うか。困っていると思うんですよ。女なのに、いきなり男になってしまうなんて――」
心の底から同情するように、紅髪の美少女が言った。
ただでさえ男嫌いなアキラだ。きっと頸木の心痛を慮り、気遣わしげに思っているのだろう。俺だって、彼女に会うまではそうだった。
「でもさ。俺もそう思って、昨日学校が終わった後で、俺に……祠堂頸木の魂が入った上條匡太に、会いに行ったんだけど。なんか、無視されて。意味がわからなくて」
「――え? む、無視……されたんですか? どうしてそんな」
「いや、俺もわからねえんだけどさ。何か、学校にも行ってて、普通に上條匡太として生きてるみたいで。幼馴染の夏美とも、自然に接していて」
「そ、そうなんですか。普通は……他の誰かと入れ替わったりなんてしたら、一日でも早く元に戻りたいと思うはずですけど。どうしてでしょうか?」
ジャージの巨乳少女が、眉を顰めて尋ねる。本気で不思議がっているようだ。
――そんなこと、訊かれてもな……
俺は心の中で溜め息一つ。
どうして祠堂頸木が上條匡太として、普通に生活しているのかなんて、わからない。こんな完璧超人の絶対的な美少女から、卑屈で平凡な男子生徒に成り代わったところで、得することなんて何一つとしてないと思うのだが。
「さあ、どうしてだろうな」
「も、もしかしたら、自暴自棄に陥っているのかもしれませんね」
曖昧な笑顔で応える俺に、アキラが真剣な眼差しを向けた。
「……自暴自棄?」
「はい。どうして匡太さんと頸木さんの魂が入れ替わってしまったのかは、まだわかりませんが。も、もしも頸木さんも死んでいて、別の場所であのクエストに参加させられていたなら、ショックのあまり自暴自棄に陥っていても不思議ではありません。入れ替わる前の、匡太さんのことはよく知りませんが。完璧な美少女から、いきなり面識のない男子生徒になってしまっているわけですし」
「まあ……そうだよな。普通はショックだよな」
紅髪の美少女の話を聞いて、とりあえず納得する。
今の時点では、まだ心の整理がついていないか。あるいは昨日の俺のように、頸木の方も『もしかしたら自分は、もともと上條匡太だったのかもしれない』と、思い込んでいる可能性だってあるのだ。わずかではあるが、俺たちは、入れ替わり後の肉体から記憶を引き出すことができるわけだし。
「まあ、それはそれとして。アキラの方は、どうなんだ? 一度は死んだわけだが、その後、ちゃんとした生活は送れてるのか?」気を取り直して、質問する。
「……は、はい。まあ、そうですね。わ、私は匡太さんと違って、別に誰かと入れ替わったりもしていませんから。普通に……生活できていると思います」
ジャージの巨乳少女が、コクコクと頷いた。水飲み鳥のように。
「そう言えば、十文字さんからもメールが来てたけど」
「あ……わ、私も、来てました。その後、変わりないかって」
「十文字さんにも、一度会って話したいけど。まあ、あの人は社会人だから、色々と忙しいんだろうな。本当に探偵をしているのかどうかは、知らないけど」
そこまで言って、唇を湿らせる程度にコーヒーを啜った。
「確か、じ、自己紹介のときは『凶悪な殺人犯を追い詰めて、格闘したせいで死んだ』って、言ってましたよね」
「まあ、さすがにドラマや小説じゃあるまいし。そんなことはない気もするけどな。そもそも本物の探偵の仕事って、人探しとか浮気調査がほとんどだって聞いたことがあるし」
思い出しながら、答える。探偵が刑事事件に関わるだなんて、それこそドラマや小説なんかのフィクションの中だけの話だ。
「ちょっと……話を変えてもいいですか?」
そんなことを考えていると、不意にアキラが唇を噛み締める。
今にも泣き出しそうな気の強い瞳が、上目遣いに俺を見ていた。
「あの異世界での自己紹介のときから、ずっと考えていたんですけど。匡太さんの死んだ理由って……ほ、本当は違うんじゃないですか? 廃ビルから落ちたのは、じ、事故なんかじゃ……ないんじゃないですか?」
「……どうして、そう思うんだ?」誤魔化すように笑う。笑う。
「だ、だって、匡太さん……クエストの間中、ずっとおかしかったって言うか。金丸君にアイテムを使おうと近づいたときも、と、豊田さんや私を身を挺して守ってくれたときも、何だか投げ遣りなように見えて。だから……だから……」
紅髪の美少女が、再び唇を噛み締めた。
何かを拒絶するに、否定するように、小さく首を振る。
「も、もちろん、もともと匡太さんが……そういう、自己犠牲的な性格をしている可能性だってありますが。でも、何だか気になって。廃ビルから落ちた理由も、違うんじゃないかと思うって――」
そこで再び言葉を切って、少女が真っ直ぐに俺を見た。
――やっぱり、アキラは鋭いな。それに頭もいい。
――たったそれだけの理由で、俺が直隠しにしてきた真実に辿り着くなんて。
心の中で、感嘆を吐き洩らす。卑屈な笑みを浮かべながら。
「いや、でも違うんだ。違うんだよ」
「ち、違うって、何がですか?」ジャージの巨乳美少女が、語気を上げた。
「……いやさ。俺は確かに、アキラの言うように無茶な行動をしたかもしれないけど、別に自分の命を軽んじていたわけじゃないんだ。むしろその逆で、絶対に死ねないって思ってたんだよ。そして、今だって『絶対に死ぬわけにはいかない』って、思ってる」
「でも……でも……廃ビルから落ちたのは……」
俺は誤魔化すように頭を掻いてから、小さく息を付く。
気を持たせるような沈黙の後で、
「二週間前に、幼馴染が……親友の一人が、あの廃ビルから飛び降りて――自殺してな。それで、色々考えて……」
「そ、そんな! だからって、後追い自殺だなんて……いけませんよ!」
珍しく大きな声を上げ、アキラが必死な様子で食い下がった。
それに関しては、返す言葉も見つからない。いや、俺は返す言葉を見つける気すらなかなった。言い訳をする権利なんて、俺には最初からないのだから。
「もし良かったら……その親友のこと……話してくれませんか?」不意に少女が、見たこともないほど母性的な表情を浮かべる。「どんな人だったか、とか。どんな思い出があるか、とか。話すだけで、きっと楽になることもありますよ」
「……いや、違う。違うんだよ、アキラ。そうじゃない」
俺は壊れた扇風機みたいに首を振った。駄々をこねるように。
「俺は――楽になりたくなんてないんだよ」
「……そんな。そんなのって……」
瞬間、彼女の表情が凍り付いた。凍り付いた。無残にも。
その目が、痛ましいものを見るように震えている。
「そ、そんなの……よくありませんよ。よくないと、思います」
「ちょっと――。今日は、もう帰るから」
「――匡太さん!」
俺は少女の静止も聞かずに立ち上がると、千円札だけ置いて喫茶店をあとにした。
何だか、冷静になろうとすればするほど、頭の中がグチャグチャになっていく。
――身体を……取り戻さないと。
――俺の身体を、取り戻さないと。
ただ、そんな中にあっても、俺は自分のやるべきことだけは決して見失わなかった。
とにかく次のクエストも生き残って、天使に会って、どうすれば自分の身体を取り戻せるのかを聞いて。頸木から身体を取り戻して。そして、俺は……。
《副軸――綾瀬川夏美[あやせがわ なつみ]》
匡太が私のよく知らない少年になってから、三日が経っていた。
今日も私は、その少年を監視するために朝からアパートに迎えに行き、一緒に三雲高校に登校する。『匡太』は、私が何を話し掛けても無難な答えしか返さず、幼馴染としての昔話にも積極的には参加しなかった。やはりこの少年は、本物の匡太ではないらしい。
「目が悪いクローバーが、人間と豚を見分けるのか?」
私が朝から探りを入れていると、『匡太』は皮肉っぽく口の端を上げた。
あまり相手を刺激するのは危険だと察し、私はできるだけ幼馴染の綾瀬川夏美として接する。偽物はありえないほど器用で。匡太と仲の良かった生徒たちは、すっかりその少年の演技に騙されているようだった。どうやら、『匡太』は本物の匡太の記憶も、いくらか手に入れているらしかった。
「ちょっと、夏美! 大変だよ!」
そして昼休みに入り、事件が起こる。
中学の頃からの友だちが、お弁当を食べ終えた私に悲鳴のような声を上げた。
確かアズサは二年一組で、今は匡太と同じクラスだったはずだ。それなのに、血相を変えて、私の所属する二組の教室に飛び込んできたのである。
「上條君が……上條君が……三年の先輩たちに、連れていかれちゃって!」
「――匡太が!」
その言葉を聞いた瞬間、私は机から飛び出していた。
すぐに廊下まで走り、『匡太』が連れていかれたであろう校舎裏へと向かう。
「もう、夏美がいけないんだよ!」
一緒に走りながら、アズサが泣きそうな顔で叫んだ。
「夏美はただでさえ、男子に人気あるんだから! それなのに、ここ最近はずっと上條君に付き纏うような真似をして――。そんなことしたら、夏美のファンから上條君が目を付けられることぐらい、わかるでしょ!」
「そ、それは……そうだけど。――ごめん、アズサ! アズサは、職員室に行って先生たちを呼んで来て! 私は、このまま校舎裏を探してみるから!」
「わ、わかった! でも、くれぐれも無茶なことだけはしないでよ! 相手は五人もいたし! 石橋[いしばし]先輩って、何するかわからないって言うか……本当にやばいから!」
「うん、ありがとう」
一旦、アズサと別れ、私は上履きのまま校舎裏へと向かう。
加速。加速。加速。加速。
過去にはタバコを吸う生徒もいたというその場所は、明らかな死角になっていて。一隅の日影は、学校のすべての闇を内包しているようだった。
そんな場所に、五、六人の人影が蠢いている。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
――何だろう、これ……
息も絶え絶えに、目的地へと辿り着いた私は、その光景を前にして零れんばかりに目を見開いた。信じられない。信じられない。信じられない。信じられない。
そこには――石橋先輩が倒れていた。
血塗れの石橋先輩と、その仲間たちが倒れていた。
「豚が二本足で歩くな」
そして、そんな先輩たちを冷たい瞳で『匡太』が見下している。
まるで養豚場の豚でも見るような、絶対零度の視線――。
「きょ、匡太……何これ? あなたがやったの?」
「………」
少年は私の方に目だけを向けると、すぐに視線を戻した。
ゆっくりと、ゆっくりと、怯える先輩たちに近づいていく。
「ひぃ……助けて! 助けてくれ!」
「呻吟を奏でろ、斬畜刀」
そして右手を伸ばしたかと思うと、その瞬間――光の文字コードのようなものが、『匡太』の手の中に構成された。
私は夢でも見ているのかと思い、何度も何度も瞬きするが。確かにそれは存在している。
白い光を放つ、意味不明なアルファベットの羅列――。
やがてそれは、少年の手の中に一本の日本刀として顕在化した。
――いや、違う……あれは、ただの日本刀じゃない。
――太刀や大太刀か、あるいは……
「斬馬……刀?」
その大きな刀を見て、私は思わず息を呑んだ。
圧倒的に美しくて、絶対的に高潔な――一振りの凶刃。
「違うな。これは、家畜を屠殺するための刀……斬畜刀だ」
詰まらなそうにそう言うと、『匡太』はそれを振り上げた。
「やめて……お願いします! お願いします!」
先輩たちが、顔を血と涙でぐしゃぐしゃにしながら、必死に命乞いをしている。
「だ、駄目だよ匡太! やめて――」
このままでは、匡太が殺人犯になってしまうかもしれない。
そう思って、私は必死に少年の正面から抱き付くも、まるで抑止にはなっていないようだった。わけのわからない悲鳴が、校舎裏に木霊する。木霊する。木霊する。木霊する。まるで本物の、家畜の鳴き声のように。そして――
ジョロジョロジョロジョロ……
土下座しながら命の懇願をしていた石橋先輩が、いきなりその場で失禁した。
血と饐えた臭いが混じり合って、思わず吐き気を催すほどだ。
「……まるで本物の豚小屋だな」
それを見た『匡太』は、冷たくそう吐き捨てると、ようやく自分の中に斬畜刀を戻した。そして相変わらずの詰まらなそうな顔で、その場をあとにする。
「………」
私は立ったまま動けなくて。偽物を呼び止めることさえ、できなくて。
しばらくすると、今見たことが――。少年が顕在化した斬畜刀のことが、徐々に思い出せなくなっているのを自覚した。もちろん、それでも『匡太』がやったことは消えなくて、そこには確かに血と暴力の臭いが残っていたわけだが。この脳を痺れされるほどに。
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