第3話 スライム戦②

 


 《副軸――藤井昭信[ふじい あきのぶ]》



「う……うーん……」


 俺が目を覚ますと、そこは見覚えのない森だった。

 頭が痛い。少し酒を飲み過ぎたせいだろうか。

 木のそばには、俺のホームレス仲間であるハゲ頭の誠二が倒れていた。


「おい! おい誠二、しっかりしろ!」


 気を失っている誠二に、声を掛ける。身体を揺する。

 俺の呼び掛け声を受けて、相棒は面倒臭そうに顔を上げた。


「何だよ、昭さん……大きな声出して。せっかくいい夢を見てたのによ」


 頭を掻きながら、誠二が文句を言う。

 記憶が曖昧だ。俺たちは、確かいつもの空き缶拾いの仕事をしていて。そこで偶然拾った宝くじが当たって、有頂天で昼間から公園で酒を飲んでいたはずだ。そして――


「俺たち、確か酔って路上に飛び出して……死んじまったはずだよな? それが、どうしてこんな森の中にいるんだよ?」

「さあ、知らねえけど。それより聞いてくれよ、昭さん。俺、すげぇいい夢を見てたんだ。信じられないぐらい綺麗な女子高生と、信じられないぐらいオッパイの大きな女子高生が、出て来てさ。それで、色々いけないことが始まっちまって――」

「そんなこと言ってる場合じゃねえだろうが、誠二! 俺は、確かに車に撥ねられたんだ。あの痛みは、夢なんかじゃねえよ。俺たちは、確かに死んだんだ!」

「おいおい、昭さん。何寝ぼけたこと言ってるんだよ。現に俺たちは、こうして生きてるじゃねえか」


 さも可笑しそうに、ハゲ頭の誠二が笑う。笑う。

 そもそも、こいつが昼間から『酒を飲もう』などと言い出したのが、いけなかったのだ。俺は本当に、子どもの頃から友だち運がない。東証一部上場の一流企業で働いていたときも、同僚に裏切られ、会社の金を横領した罪を着せられて刑務所に入れられた。

 ムショに入っていた犯罪歴のある人間なんて、まともな会社が雇ってくれるはずがない。それで、俺は仕事にもあり付けずに妻とも別れ、こうして四十を過ぎてもホームレスとして空き缶拾いなんて続けてきたのである。


『藤井……お前って本当にいいヤツだよな。本当にいいヤツだよ』


 再会したその同僚は、俺を散々痛め付けた後で『残酷な笑み』を浮かべてそう言った。復讐しに来た俺を、出世したそいつはヤクザを雇ってまるで虫けらのように排除したのだ。俺の人生は本当に惨めで。惨めで。それでも必死で生きて来たのに、神様は一度も救ってはくれなかった。本当に、ただの一度も――。


「……生きてるって、お前……頭に輪っかが付いてるじゃねえか」


 昔のことを想起して、陰鬱な気持ちになるも――すぐに思考を切り替える。

 いい思い出なんて何もない。俺はもう、何も思い出したくなんてなかった。


「それを言うなら昭さんだって、頭に輪っかが付いてるぜ。まるで本物の仏さんみたいだ……ひっく! てことは、ここはあの世の天国かい?」

「天国……ねえ。天国ってのは、森の中にあるのか?」

「さあ、そんなことは知らねえけど。ここが天国なら、きっと夢のようなことが待ってるに違いねえ。酒に……それに夢で見た女子高生が、色々サービスしてくれたりとか」


 酒と女で人生を棒に振った誠二が、頭の悪そうな下卑た笑みを浮かべる。

 この男は本当に駄目なヤツで、俺がホームレスの先輩として面倒を見てやらなかったら、きっと今頃は野垂れ死んでいたことだろう。俺にとっては不運を加速させる友人。さっさとこんなヤツとのコンビなんて解消して、おさらばした方がいい。それが俺にとって最良の選択だ。そんなことは、重々承知している。


 ――そもそも、全部お前のせいじゃねえか!

 ――お前のせいで、俺は……俺は……


 吐き出し掛けた言葉を、しかし俺は呑み込んだ。

 文句を言ったところで、何も始まらない。自己嫌悪に陥るだけだ。


「おい、昭さん。何だありゃ……」

「は? 何がだよ」


 そんな無駄を自覚していると、いきなり相棒が俺の後ろを指差した。

 反射的に振り返る。と、そこには体長約150センチほどの大きさをした、ゼリーのような生き物が待ち構えていた。

 目玉みたいな形をした球体が、その生き物の体内を自由に動き回っている。


「――誠二、逃げるぞ! 何だか、ヤバい気がする!」


 言うが早いか、俺は走り出していた。

 その動きに呼応するように、自由自在に形を変えながらゼリーの化物が追い駆けてくる。


「待ってくれよ、昭さん! 昭さん!」


 誠二はまだ酒が抜け切れていない様子で。千鳥足になりながらも、必死で化物から逃げているようだった。

 そして、折悪く転んでしまう。本当にどうしようもないヤツだ。


「くそッ、何やってるんだよ! 馬鹿野郎!」


 このままでは、あのゼリーの化物に追い付かれてしまう。そう思った俺は、木の棒を握り締めると、必死で化物に向けて振り回した。

 無我夢中で。無我夢中で。無我夢中で。無我夢中で。

 その隙に、誠二は体勢を立て直して一目散に逃げていく。振り返らない。


「……まったく、本当に……何やってるんだか」


 相棒が逃げ切ったのを確認した後で、俺は諦めたような笑みを浮かべた。

 瞬間、ゼリーの化物が形を変えて、俺の身体を容赦なく呑み込んだ。呑み込んで――。皮膚と肉と骨が、焼け爛れるような痛みに襲われる。襲われる。襲われる。


 ――ああ、俺の人生は……本当に何だったのだろうか?

 ――何のために、生きてきたのだろうか?


『藤井……お前って本当にいいヤツだよな。本当にいいヤツだよ』


 死の淵で、俺はまたあのときのことを思い出していた。あの顔を思い出していた。泣きながら、それでも『感謝の笑み』を浮かべる友人の顔を。



 《主軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》③



「う……うぇえええ……うぇええええええええ……」


 魔物たちに食べられる被害者の姿を見て、堪らなくなった様子でアキラが木陰に嘔吐した。いきなり、目の前で五人もの人間が死んだのだ。そうなってしまうのも無理はない。

 俺は「大丈夫か?」と声を掛け、その華奢な背中を優しく撫でた。

 瞬間、少女が身体を翻して俺の胸の中に飛び込んで来る。どうやらショックのあまり、泣いてしまっているようだ。その熟し過ぎたワインのような美しい紅髪を、そっと撫でて抱き締める。傷心とは言えさすがにちょっとやり過ぎな気もするが、今は俺も男ではなく美少女なので、まあ許される範疇なのだろう。


「ご、ごめんなさい。こんな……見苦しい姿をお見せして」


 重なり合う温もりを、しばし噛み締めるように堪能している。と、バッと身体を離し、無理やりに少女が涙を拭う。その頬は赤く紅潮していた。

 見た目は気が強そうなところもあるし、彼女は同年代の女子に比べてもしっかりしているのだろうが、それでもこんな状況だ。リアル世界で自分が死んで、さらには異世界で意味不明な魔物にまで襲われて――。取り乱してしまうのも無理はない。


「大丈夫だから。とりあえず落ち着こう」


 俺は気掛かりなく、紅髪の美少女に微笑み掛ける。その後で、今度は未だ立ち上がれずにいるサラリーマン風の豊田さんへと、視線を向けた。

 豊田さんはその場にへたり込み、『もう駄目だ』とか『お終いだ』などと、ブツブツと呟いている。そんな彼を、ほとんど平気な様子の十文字さんが「しっかりせいや!」と、励ましているようだった。


「アキラの方は、もう大丈夫か?」


 猟犬のような青年が、ジャージの巨乳少女へと視線を向ける。


「は、はい……私はもう、落ち着きました。匡太さんのお蔭で」

「そうか。まあ、豊田さんもそうやが。ショックを受けとるとこ悪いんやけど、クエストの残り時間は、もう一時間を切っとる。スライムは動きが鈍いみたいやから、アプリの地図データで居場所を特定しながら逃げれば、いくらでも逃げ切ることは可能やけど。あの天使の話が本当なら、倒さな俺らは一時間後には全滅や」


 アプリの制限時間をチェックしながら、神妙な面持ちで白髪の探偵が言った。

 俺も『グランヘイム・オンライン』をケータイでチェックするが、確かに残り時間は一時間を切っている。ついでにスライムの居場所も確認するが、ヤツは煉獄地の中央辺りをうろうろ徘徊しているようだった。


「た、戦って倒すしか……ありませんよね?」


 アキラが拳を握り、唇を噛み締める。強く。強く。


「匡太はまだ魂装が使えんようやし。俺一人で何とかできればええんやけど、あのスライムは分裂するからのう。それに、このアサルトライフルの銃弾を何発撃ち込んでも、死にもせんし。まあ、中身を撒き散らして小さくはなるんやけど」

「俺は……俺は……」

「豊田さん。ショックなのはわかるけど、やるしかないんやで。あんたの武器は手斧や。前衛のあんたがあのスライムを白兵武器で牽制して、後衛の俺とアキラが射撃武器で仕留める。もうそれしかないんや」

「………」


 あまりの出来事に、涙まで流していた豊田さんが、まるで縋るような目を俺に向けた。もしかしたら、前に俺に言った台詞を。『い、いざとなったら、俺が上條さんのことも守るよ! 命懸けで、守るから!』――と、言ったことを、想起しているのかもしれない。


「わ、わかったよ。どうせ俺は、現実ではもう死んでるんだ。……今さらもう一回死ぬぐらい、怖くないよ」


 ようやく立ち上がり、涙を拭いてサラリーマン風の豊田さんが言う。

 結論が出た後で、俺たちは地図データを見ながらスライムのもとへと舞い戻ることにした。五人も減って、ただでさえ戦力が足りていないのだ。俺は何度も何度も魂装を顕在化しようとしたが、やはり駄目で。仕方なく森に落ちていた、手頃な大きさの木の棒を装備することにした。こんなものでも振り回せば、相手を怯ませることができるかもしれない。


「……おい、これ……見てみい」


 しばらく元来た道を引き返している。と、不意に十文字さんが立ち止まった。

 視線を木々の間へと向ける。


「こ、これは……」


 そこには、下半身を溶かされて絶命した、中年の男が横たわっていた。

 ネームリングはすでに消えてしまっているが、ホームレスの一人――ハゲ頭の中村誠二であることは、間違いない。


「ス、スライムに……溶かされてしまったのでしょうか?」

「せやな。理由はようわからんが、煉獄地にはターゲットの魔物しかおらんみたいやから。と言うか、入って来れんみたいやから。そう判断するのが妥当やろう」


 紅髪の美少女からの質問に、猟犬のような青年が応える。

 ホームレスの二人はいつも一緒にいたので、ハゲ頭の中村がすでに死んでいるのなら、ヒゲ面の藤井の方も、もう生きてはいないような気がした。


「………」


 気を取り直して、薄暗い森の中を進む。進む。

 前方からスライムが現れたのは、中村の死体を発見した数分後のことだった。


「来るで! ――大きさがまだ半分になっとらんから、分裂はしとらんはずや!」

「遠距離から、大弓で狙います!」


 十文字さんからの注意喚起を受けて、アキラは白大弓を構えた。すぐさま光の矢を出現させると、弦をギリギリまで張り詰める。


 ビシュ!


 そして、百メートル以上も先にいるスライムに向けて、光の矢を放った。

 狙いは正確。それは必中の一撃だ。

 放たれた矢は目測どおりスライムの身体を貫くが、しかし前回と同じく、ダメージはほとんど与えられていないようだった。ただ内容物をゼリーのように撒き散らし、少し体格が小さくなっただけだ。


 ドドドドド―― ドドドドド――


 すかさず十文字さんも、アサルトライフルを掃射するが。――結果は同じだった。その弾丸は、スライムの身体を貫きはするものの、倒すことはできない。


「くそっ、どうしろっちゅうねん!」


 苛立たしげに、猟犬のような青年が吐き捨てる。

 そうこうしている間にも、ゼリーの化物は身体を引き摺って、こちらとの距離を詰めているようだった。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!」


 その姿を見て、手斧を持った豊田さんが突撃する。スライムの身体を何度も何度も斬り付ける。しかし、ゼリーの化物は身体が小さくなるだけで、その動きを止めることはなかった。俺も近づいて石を投げたり、木の棒を振り回したりしたが、効果は薄い。

 それでも――、足留めしている隙に十文字さんとアキラが射撃攻撃をしてくれるので、その身体をいくらか小さくすることはできた。


「こいつ、また分裂しやがるで!」


 その攻撃を嫌ったのか、またスライムが分裂して二体になる。


「俺はあの、ボールがない方を引き受ける! お前ら三人は、そっちを片付けてくれ!」


 慣れた手つきでアサルトライフルを構え、掃射しながら白髪の探偵が叫んだ。

 十文字さんが相手を務めるスライムの片割れは、その射撃攻撃を受けて、木々の奥へと身体を引き摺って逃避しているようだった。


「くそ、やるしかない! やるしかないんだ!」


 任されたボール持ちのスライムを、三人で取り囲んで攻撃する。

 豊田さんは随分と興奮した様子で、血気盛んに手斧で魔物の身体を削っているようだった。その鬼気迫る様子に、俺やアキラも圧倒させる。しかし――


「危ない!」


 一瞬の隙を突いて、ゼリーの化物がゴムボールのように豊田さんに襲い掛かろうとした。その動きを察知して、俺は彼を庇うように体当たりを繰り出す。


「……くっ」


 何とか二人ともが、スライムに取り憑かれずに済んだが。その溶解液を浴びたせいで、俺の左腕と背中は、容赦なく制服ごと溶かされてしまったようだった。皮膚が焼けるような痛みが、断続的に身体を蝕んでいく。


「――うわああ! うわああああああああああああああああああ!」


 その様子を見て――。恐怖心を揺り起こされたのか、いきなり豊田さんが絶叫した。

 そして、庇った俺の身体を押し退けて、一目散に逃げようとする。


「駄目だ、そっちに行ったら!」


 スライムの動きを察し、俺は即座に叫んだが。豊田さんの遁走は止まらなかった。

 魔物の真横を通り過ぎようとした瞬間に、ゼリーの腕に胴体を掴まれる。


「うぎゃあああ! うぎゃあああああああああああああああ1」


 豊田さんは、まるで猫の断末魔のような声を上げながら、ジタバタと地面の上で藻掻き苦しんだ。そうこうしている間にも、ゼリーの化物は彼の腹部を喰い溶かしているようで。やがてその胴体は真っ二つに朽ちてしまう。

 豊田さんがすでに息絶えているのは、確認するまでもない現実だった。


「ちくしょう……ちくしょう……」


 俺はその場から起き上がり、痛みを堪えてすぐさま体勢と立て直す。

 しかし凶悪なスライムが、一人食殺したぐらいで満足するはずがない。


「魂装解放! 魂装解放! ……くそッ!」


 俺は必死に武器を出そうと試みるが、やはり魂装は顕在化できなかった。

 怪我を負った俺から魔物を遠ざけるために、必死でアキラが光の矢を放っている。

 しかし――スライムの動きは止まらない。それどころか、ヤツは無力な俺ではなく狙撃手の少女の方を、先に殺してしまおうと考えているようだった。


「――アキラ、逃げろ!」


 そのことを察知し、すぐさまアキラに注意喚起する。しかし、攻撃に夢中になっていた紅髪の美少女は、完全に逃げ遅れてしまっていて。恐怖のあまり、その場から動けなくなっているようだった。


 ――くそっ!

 ――ちくしょう!


 アキラに向けて、必死で走る。走る。走る。走る。

 彼女は、あのとき俺を助けてくれたのだ。見ず知らずの俺を、危険を犯してまでホームレスたちから助けてくれたのだ。そんな恩人を、ここで死なせるわけにはいかない。


「――アキラ!」


 そう思って必死に走るも、しかし俺には打つ手がなかった。

 この美少女の持つ規格外な身体能力のお蔭で、アキラのもとまで走り切ることはできる。しかし、それだけでは駄目だ。二人一緒に固まっていたところで、スライムに取り憑かれて、両方ともが喰い溶かされてしまう。それでは意味がないのだ。


 ――俺は、アキラを守らないと……守らないと、駄目なんだ!


 その正解だけは、はっきりとわかっていた。それでも俺は、徒手空拳でアキラの前に飛び出すしかなかった。ただ彼女を助けたくて。助けたくて。助けたくて。助けたくて。


「………」


 脳内麻薬が大量に出ているせいか、すべてがスローモーションに見えた。

 光の文字コードが、その奔流が、俺の手の中に顕在化する。

 もう痛みすら忘れてしまった俺は、思い切りその『何か』を振り回した。


 ガン――


 まるで、バットでバスケットボールでも打ち返したような感触だ。

 気が付くと、弾き飛ばされたスライムは木の幹にぶつかっていて。ペシャンコに変形していて。そして――、俺の手には黒い塊が握られていた。


「きょ、匡太さん……それは……」


 驚いた様子で、紅髪の美少女が俺の姿を見つめている。いや、正確には俺の手の中にある『何か』をだ。


「……こ、これは……」


 それは、身の丈ほどもある黒い塊だった。錆びた鉄の剣のようにも見えるが、剣にしてはあまりにも無骨だ。本当に『錆の塊』だったのである。


『魂装と言うのは、要するに魂が武器として顕在化したものです』

『むにゃむにゃ……魂装は、魂の在り方によって形や性能が変化するわけですが』


 不意に、あのヨンエルの言葉が脳裏に鮮明に甦った。

 つまりは、この錆びた鉄の塊こそが、俺の『魂の形』だということらしい。


「す、すごいです! すごく、大きいです。匡太さんの魂装……」

「いや、でも……なんか錆びてるし。こんなので、本当にどうにかできるのか?」


 手の中の錆鉄を見ながら、不安を募らせる。とりあえずこの美少女の身体能力のお蔭もあって、軽々と扱うことはできているが。豊田さんがあれだけ攻撃しても、倒せなかったのだ。いったいどうすればいいのか、わからない。


「……くっ!」


 そうこうしている間にも、体勢を立て直したスライムが、ゴムボールのように身体を変形させながら襲い掛かって来る。襲い掛かって来る。

 俺は必死に錆鉄を振り回して相手の攻撃を往なすが、このままでは埒が明かない。

 美少女の身体能力は本当にすごくて、俺は剣術の心得なんてないにも関わらず、魂装を扱うことができたわけだが。相手を倒す術がわからない以上、どうしようもなかった。


 ――くそっ、何なんだよ……こいつ!

 ――本当に、ただの雑魚なのか?

「匡太さん!」


 そんな疑問を抱いている。と、白大弓で援護しながらアキラが叫んだ。

 油断なくスライムを睨み付け、意識だけを少女に向ける。


「ずっと、考えていたんですけど。あ、あの魔物が生物なら、必ず他の動物のように脳や心臓などの急所が、あるはずなんです!」

「急所って、言われても……」大剣を振り回しながら、歯を食い縛った。「こいつは、身体自体がゼリーみたいだし! 変わったところと言えば、体内にあるボールみたいな器官だけだぞ!」

「――はい! だから、そ、そのボールが弱点なんです! 私はずっと、そのボールを狙って矢を放っていましたが、避けられてしまって! 動きが想像以上に速くて! でも、今そのスライムは、身体の大きさが随分と小さくなっています! だ、だから、今ならその大剣を使えば、ボールごとスライムを切断できるんじゃないかと思って――」

「なるほどな。確かにこの大きさなら、中にあるボールに避けられる心配もない」


 頷いた後で、思わず口の端を上げる。

 やはりアキラは、頭の回転の速い少女であるらしい。確証が持てなかったため黙っていたが、きっとかなり早い段階で、スライムの弱点についても見抜いていたのだろう。


「そうとわかれば、もうお終いだ!」


 俺は気合を入れると、両手で錆鉄の柄を掴んだ。

 そして、ゼリーの化物が着地した瞬間を狙い、横一文字に一閃――。

 魔物の体内にあるボール器官は、逃げ場もなく真っ二つにされたようだった。


 ザシュ――


 映像の後で、斬撃音が数瞬遅れて耳に木霊する。

 ボール器官を両断されたスライムは、その場でペシャンコになって動かなくなった。まるで陸に打ち上げられたクラゲのように。


「やった! や、やりましたよ、匡太さん!」


 飛び上がらんばかりの勢いで、ジャージの巨乳少女が歓喜の声を上げた。

 俺は「いや、アキラのお蔭だよ」と安堵の笑顔を向けた後で、意識を切り替える。


「十文字さんの方のスライムが、まだ生きているかもしれない。援護に行こう」

「は、はい。そうですよね。ひ、独りでスライムの相手をしてましたし……」


 快哉を叫んだことを恥じ入るように、アキラが唇を噛み締めた。

 気を取り直して、急いで十文字さんのもとへと向かう。

 加速。加速。加速。加速。


「……よう、二人とも。無事やったか」


 しかし、俺たちが林の中で青年の姿を見つけたとき、すでに相手のスライムは動かなくなっているようだった。十文字さん曰く、『戦っている最中に、いきなりペシャンコに潰れて死んでしもうた』らしい。

 俺は猟犬のような青年に『豊田さんが死んだことについて』と、『自分の魂装が顕在化したことについて』と、『ボール器官を両断してスライムを倒したことについて』を、掻い摘んで説明した。説明した。


「……そうやったんか」話を聞いた後で、白髪の探偵が納得したように頷く。「まあ、豊田さんの件は残念やったが。でも……ようやってくれた、匡太。お前が魂装を顕在化して、そっちのスライムを倒してくれたお蔭で助かったわ。おそらく俺が戦っとった方は『分裂体』で、本体が死んだことで動かんようになったんやろな」

「いえ、アキラのアドバイスのお蔭ですよ」

「そ、そんな。私は何も……」アキラが、遠慮がちに首を振った。

「――いや。二人とも、ホンマにようやってくれた。命拾いしたわ」


 ようやく、いつものお調子者の笑顔を浮かべて十文字さんが頭を掻く。

 ともあれ、これでクエストのターゲットは、殲滅することができたらしい。


「どうやらタイムカウントも、もう止まっとるみたいやな」


 魂装であるアサルトライフルを、光の文字コードとともに体内に戻した後で、アプリの制限時間を確認しながら猟犬のような青年が呟いた。

 その言を受けて、俺も『グランヘイム・オンライン』を確認。確かにタイムカウントは、二十分を切ったところで止まっていた。


「あ、あの、スライムの方はどうですか? 確かヨンエルが、倒した魔物は隷属化……テ、テイムすることができるって、言っていたと思うんですけど。召喚して戦わせたり、売ってギルに変えることができるって」


 紅髪の美少女からの指摘を受けて、俺と十文字さんはアプリを確認。俺の方には確かにスライムが一匹テイムされていたが、青年の方には何もテイムされていないようだった。どうやらトドメを刺さなければ、魔物をテイムすることはできないらしい。

 クエストをクリアした俺たちには、一律で五万ギルの『参加報酬』が支給されていた。経験値に関しては、スライムにトドメを刺した俺にだけ入っており、魔物を倒していない二人には1ポイントも加算されていないようだった。そのお蔭で、俺だけレベル2になることができたわけだが。レベルを上げることに何の意味があるのかは、よくわからない。少なくともヨンエルからは、レベルについて何の説明も受けていなかったのだ。


「そ、そういえば、スライム……スライムは、何ギルで売れるんですか?」


 一通りの確認を終えた後で、アキラが気を取り直して質問した。


「スライムは、一匹で十万ギルになるみたいだけど」

「十万ギル、ですか……」

「どうかしたのか?」十文字さんが、首を傾いで問い掛ける。

「い、いえ、匡太さん……怪我をされてるじゃないですか。だから、スライムを売ったギルで『傷薬D』を使えば、その怪我も治るんじゃないかと思って」

「ああ、なるほど。確かにそうだよな」


 ジャージの巨乳少女からの提案を受けて、俺はアプリを操作する。

 確かに『傷薬D』を使えば、この焼けるような痛みともおさらばできるかもしれない。


 ――とりあえず、やってみるか……


「お待ちください。お待ちください、上條匡太さん」


 そう思い、スライムを売却しようとした瞬間だった。

 木の影から、一人の小さな登場人物が現れる。

 見た目の年齢は、おそらく小学生の低学年ぐらいだろうか。黄緑色の髪と金色の瞳を持つ、先鋭的なデザインの白い服を着た、幼さと美しさが同居した不思議な雰囲気の少女だ。

 しかし、ヨンエルではない。それだけは断言できる。なぜなら、その顔にはインテリジェンスな眼鏡が掛かっており、表情も酷く真面目そうに見えたからだ。


「えーと。あ、あなたは?」恐る恐る、アキラが小首を傾げて質問する。

「申し遅れました。私はイチエルです。ヨンエルが担当した、先ほどのクエストの説明に不備があったようなので、こうして追加説明に参りました」

「追加説明って……。まあ、確かにヨンエルは、かなり面倒臭そうと言うか。眠そうだったけど――」

「担当天使に不手際があり、まことに申し訳ありませんでした。それで、まず真っ先に私が追加で御説明しなければいけないのは、クエスト終了後の『治癒機能』について――の、ことなのですが」


 手に持った工事用ドリルで眼鏡のブリッジをくいと持ち上げ、イチエルが真面目に説明を開始した。


「クエスト終了後の、治癒機能だって?」

「――はい。皆様の中には今現在、魔物との戦いによって、負傷されている方もおられると思いますが。クエストが終了し、皆様の元いた世界……まあ要するに『リアル世界』に転移する過程で、すべての怪我は完全に治癒されます。要するに『体力が全回復する』と、言うわけですね。テイムしている魔物の体力も、同じくクエスト終了後に全回復します。ですので、わざわざアイテムを使って、回復する必要はありません。生きてさえいれば、大丈夫ですから」

「じゃ、じゃあ、匡太さんの怪我も……治るんですか?」

「オフコースです」


 温和な笑顔を浮かべ、眼鏡の天使がきっぱりと頷く。どうやら、わざわざスライムを売ってアイテムを使わなくても、俺の怪我は全回復するらしい。


「次に、フレンド登録についても……説明しておかなければいけませんね」


 次いでイチエルが、『フレンド登録』なる新たな用語についての説明を開始する。


「まあ、ネットゲームなんかをプレイされたことがあれば、おわかりになるかもしれませんが。皆様はアプリを使うことで、近くの人間に対してフレンド登録を行うことができます。フレンド登録することの利点は、いくつもあるわけですが。まず一つ目として、電話やメールを行うことができます」

「で、電話やメールって……」

「まあ、言葉どおりの意味なのですが。皆様のケータイは、当然のことながらこの異世界では電波不通です。お使いになれません。しかしフレンド登録を実行した相手に対しては、アプリから電話やメールを行うことができます。ですので、コミュニケーションツールとしてお使いください」


 俺の言葉を受けて、丁寧に眼鏡の天使が説明した。あの寝坊助の方とは大違いだ。


「次に二つ目の利点についてですが」イチエルが説明を続ける。「二つ目の利点は、フレンド登録が完了すれば、『地図データから相手の居場所がわかるようになること』ですね。まあ、これに関しては特に説明は必要ないと思いますが。次に三つ目……三つ目の利点は、相手に対してアプリからアイテムが使えるようになることです」

「は? アイテムなら、別に今も使えとるんとちゃうか?」

「はい。もちろん今でも、近くにいる相手を指定すれば、アイテムは使えるわけですが。フレンド登録しておけば、離れている相手に対してもアイテムを使用することが可能です。つまりこれは、相手を生き返らせるアイテム――『蘇生薬』に対しても有効で。まあ要するに、フレンド登録さえしておけば死体が失われた後でも、相手を生き返らせることができる……と、言うわけですね」

「あ、相手を生き返らせるって……」


 その言葉を聞いて、複雑な感情が胸の中で渦巻いた。

 そんなことが本当に可能なら、俺は……


「次に、四つ目の利点……これが最後の利点ですが。フレンド登録した相手とは、同じクエストに召集される確率が上がります」

「お、同じクエストって……今回みたいなクエストが、色んな場所で行われているってことですか?」ジャージの巨乳少女が、戸惑いの眼差しを向ける。

「はい、そのとおりです。ですので、気の合うメンバーと一緒のクエストに参加したい場合は、お互いにフレンド登録しておくことをお勧めします。もちろんそれでも、100%一緒のクエストに召集されるわけではありませんが」

「なるほどな……」


 どうやら、フレンドに登録すると色々な利点があるらしい。

 その話を聞いて、早速俺はアキラと十文字さんに許可を取り、フレンド登録することにした。二人も同じく、互いにフレンド登録を実行する。これで、次回も一緒のクエストに参加できる可能性が上がったはずだ。


「ぐ、具体的に……いつまで続ければいいんですか?」


 登録を終えた後で、紅髪の美少女が唇を噛み締める。


「いつまで、とは?」

「このクエストについてです! わ、私たちは、クエストを終えたら元の世界に戻れるんですよね? でも、また次のクエストにも参加しなければいけないなんて……そんなの、困ります! お、お母さんだって、心配するだろうし!」

「まあ、それは申し訳ないことですが」取り乱すアキラに、眼鏡の天使は温和な笑顔で応える。「しかし、皆様はそもそも一度死んでおられるわけですから。クエストが終わった後でカオス世界に……いえ、リアル世界に戻れるだけも、ありがたいと思ってもらわなければいけません」

「そ、それは……そうですけど……」

「もちろん、今後も皆様には、積極的にクエストに参加していただくわけですが。まあ、終わりはあります」

「ほ――、本当なのか?」首を傾いで、今度は俺が問い掛けた。

「はい。レベル100に到達したプリズナーには、クエストからの解放か、あるいはそれ以外の特別な選択肢が用意されます。ですので、とりあえずはレベル100を目指して頑張ってください」


 イチエルが、出来の悪い教え子を諭すように説明する。

 どうやらレベルを上げることこそが、このデスクエストからの解放に繋がるらしい。


「まあレベルを上げること自体には、それ以外にも利点がございまして。例えば習得できる魔法が増えたり、コスモス世界での……いえ、このグランヘイムでの滞在可能時間が伸びたりします」

「グ、グランヘイムでの滞在時間って――」

「皆様は、リアル世界に戻った後も、アプリを使ってこちらの世界に自由に転移できるわけですが。その滞在可能時間は、クエストとクエストの間の四十八時間に限られています。それが、レベルが上がるごとに増えていく形ですね」


 俺の質問を受けて、黄緑色の髪をした少女が何でもないことのように言う。


 ――誰が好き好んで、こんな魔物がいる世界になんて来たがるんだよ。

 ――ありえねえだろ、そんなの……


 その言葉に、俺は心の中で反発せずにはいられなかった。

 今日だけで、スライム一匹と戦っただけで、八人もの犠牲者が出たと言うのに。


「ち、ちなみに、次のクエスト――と、言うのは?」


 その悲劇に憤慨していると、不安げにアキラが質問した。


「そうですね。クエストの周期は、まあ不定期なわけですが。大体三日から一週間に一度、と言ったところでしょうか」

「三日から一週間……やと?」

「はい。まあそれ以外にも、注意しておかなければならないことが、いくつかあるわけですが……」


 そこまで言って、不意に天使が言葉を止めた。

 俺たちの姿を見て、「どうやら、転移が始まってしまったようですね」と呟く。


「こ、これって……」


 俺の身体が、光の文字コードとなってまるで煙のように浮かび上がり、消えていく。

 白い光を放つ、意味不明なアルファベットの羅列――。

 それは、俺たちがこの世界に転移して来たときに見たものであり、そして魂装を顕在化したり戻したりするときのも現れるものだった。その文字の意味は、相変わらずわからない。何かのプログラムのようにも、見えなくもないが。

 消えていく。消えていく。消えていく。消えていく。

 身体が文字コードとなって、煙のように消えていく。


「――匡太さん!」


 不安げな様子で、アキラが叫んだ。


「また、連絡しますから! 必ず!」


 そんな少女に対し、俺は「ああ、わかった」と返事をする。


「それでは皆様、また次回のクエストで――」


 その言葉を最後に、俺の意識は糸のように途切れた。

 暗闇の底で待ち構えていたのは、やはりどうしようもない暗闇で。


 ――だから、俺は……


 身体が沈む。沈む。沈む。沈む。



 ○●●○



 《第一クエスト》スライム一匹(参加報酬五万ギル)

 ・上條匡太―― スライム一匹 五万ギル レベル2

 ・赤沢アキラ―― 五万ギル

 ・十文字辰彦―― 五万ギル

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