第2話 スライム戦①

 


 《副軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》



 幼い頃から、俺は家族と上手くいっていなかった。

 別に実の子どもじゃないとか、血が繋がっていないとか、そういうことじゃない。血が繋がっているからこそ、上手くいかないこともあるのだ。

 家の中には俺の居場所なんてなくて、俺は区別される存在だった。幼稚園の年長生の頃、俺は家族と一緒に、アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガーとダニー・デヴィートが主演する、『ツインズ』という映画を見たのだが。その映画を観賞していた父は、実に詰まらなそうな顔でこう言った。


『最高の遺伝子を持つ弟と、その残りカスから生まれて来た最低の兄だなんて。まるで家みたいだな』


 その言葉を聞いて、俺は自分が家族に『望まれない存在』であることを、改めて自覚した。それでも、一緒に暮らしていた祖父は俺に優しくて、両親に無視されていた俺を可愛がってくれたのだが。そんなお祖父ちゃんも、俺が六歳になる頃にはガンで死んでしまった。父は母方の祖父が経営する病院で副院長をしていたので、自分の父親であるお祖父ちゃんがガンで亡くなったことを――。早期発見して治療できなかったことを、『恥』だと思っているようだった。優しかった祖父は、最後には家族から厄介者のように扱われ、病院のベッドの上で苦しみながら死んでいったのである。

 唯一、優しくしてくれる存在を失った俺は、それからあまり家に居付かなくなった。学校がない土日は、独りで近くの公園で読書をするようになった。

 別に本が好きだったわけじゃない。ただ、独りでいるのは退屈で、時間を潰すために何でもいいから作業に没頭したかっただけだ。そもそも俺は、文学への傾斜を深め、それを趣味にできるほど頭だって良くなかったのである。自分の人生をどう生きればいいのかさえ、俺は六歳にしてわからなくなっていて。

 小学一年生の夏――。そんな俺が、いつものように独り読書に勤しんでいると、同い年ぐらいの幼い少女が公園へとやって来た。その少女は猫の死体を手に抱えていて、目からは悲しみの涙を流していて。公園にいる子どもたちに、『一緒に猫のお墓を作って欲しい』と懇願しているようだった。何でも、飼い猫が自宅近くで交通事故に遭い、死んでしまったそうだ。


「別に、手伝ってあげてもいいけど」


 俺はそんな彼女を見て、何となく『祖父が死んで泣くことしかできなかった自分』の姿と重ね合わせ、お墓作りを手伝うことにした。少女の名前は、綾瀬川[あやせがわ]夏美[なつみ]――。蜜を溶かしたような茶色い髪と、クルミ型の愛らしい大きな瞳を持つ、俺と同じ小学校の同級生だった。


「ありがとう。ありがとう……匡太君」


 誰からも相手にされなかった夏美が、唯一手伝いを申し出た俺に、お礼を言う。

 死んだ猫なんて気持ち悪くて、汚らわしくて、普通の小学生なら近づきたくもない。だからその少女は、俺に存外に感謝しているようだった。

 それで、さっそく公園の隅っこに猫のお墓を作ろうとしたわけだが。地面は想像以上に硬くて、幼い俺はなかなか穴を掘ることができなかった。しかし、その様子に気付いて、すぐさまサッカーをしていた少年たちの中から一人の登場人物が現れる。


「僕も……やっぱり手伝うよ」


 それが、色素の薄い髪と白い肌をした、線の細い端正な顔立ちの美少年――。同じ小学校の同級生である、真田[さなだ]悠人[ゆうと]だった。

 夏美も悠人も、校内では図抜けて目立つ存在で。そんな二人と、平凡で陰湿な俺は一緒になって、猫のお墓を作った。


「三人いれば、何とかなるだろ」


 地面はとにかく固くて。固くて。俺や夏美がくじけそうになっていると、悠人が言った。その言葉を聞くと、なぜだか不思議と力が湧いてくるような気がした。


 ――ああ、俺は今……独りじゃないんだ。

 ――独りじゃないんだ。


 そんな風に、思うことができたのだ。泣きたくなるほどに。

 三人で一緒に猫のお墓を作った俺たちは、その日を切っ掛けに仲良くなった。学校でも、放課後でも、休日でも、決まって三人で過ごすようになった。頭が良くて運動もできる悠人と、活発で明るい人気者の夏美と。二人は俺とはまったくタイプが違っていて、その見た目もあって学校でも目立っていたが、それでも俺たちは仲が良かった。もちろん、たまには喧嘩をすることもあったが、たぶん馬が合ったのだと思う。

 それから季節は流れ、流れ、俺たちは小学生の中学年になった。その頃に、九歳になった頃に、とある重大な事件が起こった。それは、夏美の父親がセクハラ疑惑で会社をクビになる――と、いうセンセーショナルなものだった。いや、それぐらいならまだ良かったのかもしれないが。思い詰めた夏美のお父さんは、ついには睡眠薬を大量に服用して自殺までしてしまい、その噂は学校中に広まっているようだった。

 その頃からだろうか。悠人が、『すごいヤツ』になっていったのは――。

 いや、悠人はもともとすごいヤツだったわけだが、その頃から勉強も運動も人一倍努力するようになった。父親が自殺したことで過激化した夏美のイジメ問題も、俺と協力して簡単に解決してしまったのである。

 どんな困難な出来事にも、勇敢に立ち向かっていく少年――。その姿は、まるで漫画やアニメに出てくる正義のヒーローみたいだった。


「ありがとう、二人とも。本当に……ありがとう」


 イジメ問題を解決した後で、夏美が泣きながらお礼を言う。あの出会いの日のように。

 問題を解決できたのは、悠人がその真価を発揮してくれたお蔭であり、俺などはまったくの役立たずだったわけだが。それでも親友を助けることができて、俺は誇らしかった。


「三人いれば、何とかなるだろ」


 困難な状況に直面するたびに、悠人が言う。確信的に。それでいて気軽な調子で。

 その言葉を聞くと、なぜだか不思議と力が湧いてくるような気がした。三人は、ずっと一緒なのだと。一緒にいれば、どんなことが起こっても大丈夫なのだと思っていた。そう、信じていたのに――。



 《主軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》②



 気が付くと、俺の身体は消え失せる。下草が生い茂る地面に、いきなり着地する。

 どうやら本当に、ヨンエルの魔法によって俺たちは森にワープしてしまったようだ。見たこともない広葉樹が、どこまでもどこまでも林立している。こんなにも広い森に足を踏み入れたのは、生まれて初めてのことかもしれない。


「マジかよ……」

「いったい、何がどうなっているのかしら」


 いきなり森に場面転換させられた死者たちも、各々に動揺を口にする。


「と、とにかく、この世界が本当に天国なのか、それとも夢なのかは……わかりませんが」そんな中にあって、初老の下谷さんが皆に向けて声を張り上げた。「とにかく、そのスライム……ですか? そいつを倒せば、私たちは元いた世界に帰れるはずです。だ、だから、とにかく頑張りましょう!」

「なんか、ゲームみたいで面白そうだし」


 中学生らしき少年が、手に入れた剣を振り回しながら答える。

 下谷さんの言葉を受けて、他のメンバーも口々に賛同しているらしかった。とにかく、意味のわからないことのバーゲンセールだが、やるしかないのだろう。


「………」


 とりあえず、みんなの意見がまとまった後で――森の探索を開始する。

 背の高い木々に覆われているため、昼間なのに、まるで夜のように薄暗かったが。ネームリングが蛍光灯のような役割を果たしてくれたため、俺たちは暗闇に怯えることなく歩き続けることができた。


「魂装解放! 魂装解放! くそ……出ろよ!」


 しかし、俺は相変わらず武器を顕在化することができない。

 とりあえず、武装したメンバーたちの最後尾を、怖ず怖ずと付いて行く形となる。

 プリズナーの面々は、それぞれが武器を手に森の闇を警戒したり、アプリを起動して色々と調べたりしているようだった。しかし、後ろのホームレス二人組に関しては、まったくスライム探索に協力する気がないらしい。さっきから、一升瓶を飲んでゲラゲラと笑っているだけだ。


「………」


 そんな彼らを不快に思っている。と、いきなり男たちの下品な笑い声が消える。


 ――いったい、どうしたんだ?

 ――どうしていきなり、静かになんて……


 そのことを不審に思い、振り返ろうとした瞬間だった。

 いきなり汚い手が、俺の口に覆い被さってくる。かと思うと、俺の身体は後ろから羽交い絞めにされて、そのまますごい力で森の奥へと引き摺り込まれた。


「んー! んー!」


 自分の身に起こった異変を察知して、すぐさま声を上げる。助けを求める。

 しかし、前方を歩いているメンバーとは距離が離れてしまっていたため、俺の危機的状況に気付く者はいなかった。


「ゲヘヘヘヘ……こんな上玉、テレビでも見てことねえよ」

「どうせこれは、夢なんだ。やっちまおうぜ」


 森の奥へと引き摺り込んだ後で、ヒゲ面の藤井昭信とハゲ頭の中村誠二が下卑た笑みを浮かべる。どうやら二人の酔っぱらいは、現時点で絶対的な美少女である俺に欲情し、その劣情を抑え切れなくなったようだ。本人たちが現状を『夢だ』と認識していることもあり、平気でこんな犯罪行為に突き動かされてしまったのだろう。

 つまり二人は、この場で俺をレイプするつもり――だと言うことだ。


「ふ、ふざけんなよ! だから、俺は男だって言ってるだろうが!」

「嘘つくんじゃねえ、こんな立派な胸した男がいて堪るか!」

「ゲヘヘヘヘ……お嬢ちゃん、大人しくしないと大変だよ。怖いよ」


 暴れる俺を抑え付け、さっそくブレザーを脱がしながら男たちが言う。

 ただでさえ、理解不能な状況に陥っていると言うのに、そのうえ中年のおっさん二人に女としてレイプされるなんて――。堪ったものではない。


 ――くそ、何なんだよこの状況は!

 ――ふざけんなよ! ふざけんなよ! ふざけんなよ!


 心の中で必死に叫び、叫び、とにかく抵抗する。先に行ったメンバーに、助けを求める。しかしその声は、葉擦れの音と、森に住む鳥たちの鳴き声に掻き消されているようだった。

 そうこうしている間にも、二人のホームレスは、下品な言葉を吐きながら俺の衣服を脱がしていく。容赦のない乱暴な手つきで。


 ドカッ――


 いきなりそんな鈍い音が響いたのは、男たちが俺の胸や下半身をまさぐろうとしていた、まさにそのときだった。


「……うっ」


 真正面にいたヒゲ面の藤井昭信が、いきなり小さな呻き声を上げて頭を抑える。

 その隙を突いて、俺は男たちの手を逃れ、慌てて着衣の乱れを正した。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 もしかしたら、俺を助けるために走って探しに来てくれたのだろうか。その人物は、必死に呼吸の乱れを整えているようだった。

 熟し過ぎたワインのような、紅いショートカット。今にも泣き出しそうな、それでいて気の強い瞳をした美少女だ。ジャージの上からでもわかるほど、自己主張の激しい豊満な胸。胸。胸。胸。その暴力的なまでに抜群のプロポーションは、水着姿を売りにしている巨乳グラビアアイドルが、裸足で逃げ出すほどの女性らしさと均整を保っている。


「何だい、お蝶ちゃん? キミも混じりたいのかい?」

「ゲヘヘヘヘ……こっちも、よく見たらすげー上玉じゃねえか。それに、公然猥褻罪みてえな馬鹿デケー乳しやがって。おじさんが牛みたいに搾っちゃうぞ! モー! モー!」


 そのあまりに魅力的な少女の姿を見て、中村と藤井は再び下卑た笑みを浮かべた。

 どうやらこの世界を夢だと思っている彼らは、殴られたことに対して怒る気すらないらしい。ただ新しい獲物を見つけ、目をギラギラと輝かせているだけだ。


「や……やめてください。来ないでください……」


 男たちの獣欲を感じ取り、木の棒を持った紅髪の美少女――『赤沢[あかざわ]アキラ』が、怯えたように後ずさる。自分の胸を守るように、腕を引っ込めてしまう。

 その様子に気を良くしたのか、ヒゲ面の藤井とハゲ頭の中村は、次なる獲物に無遠慮に歩み寄っているようだった。


「……来ないで。こ、来ないでください!」

「ゲヘヘヘヘ……来ないでください、だってよ」

「キミ、可愛いねえ? 女子高生?」

「やめて……やめてください……あ!」


 後ずさっていた少女が、木に背中をぶつけて立ち止まる。

 その隙を突いて、ガバッとヒゲ面の藤井が少女に抱き付いた。


「キミ、いい匂いするねえ? もしかして、あの子が襲われている姿を見て、興奮しちゃった? 乳首とか勃起しちゃったの?」

「そ、そんなこと……」

「本当は、一緒に混ざりたかったんじゃないの?」

「ゲヘヘヘヘ……エロい唇しやがって」

「……いや……やめて……」


 ついには、反駁することさえできなくなってしまった紅髪の美少女が、恐怖に目を瞑って小刻みに震えている。そんな彼女の顎を乱暴に掴み、ヒゲ面の藤井は、その綺麗に整った顔や唇を舐め回すように見つめていた。まるで愚劣な獣のようだ。


 ――いや、てかまずいだろ!

 ――とにかく、何とかしないと!


 彼女は、赤沢アキラさんは、襲われている俺を助けるために男二人に立ち向かってくれたのだ。怖いだろうに、きっと勇気を振り絞って。それなのに、ここで俺が見殺しにするわけにはいかない。彼女の純情を、こんな下種どもに汚されるわけにはいかないのだ。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 そんな気持ちもあって、気が付くと――俺は考えるよりも先に身体が動いてしまっていた。血が沸騰するほど脳の芯が熱くて。熱くて。熱くて。熱くて。とにかく叫びながら、不意打ちでヒゲ面の藤井の後頭部に正拳突きをお見舞いする。


「うお……何だ?」


 怯んだ隙に、ハゲ頭の中村の股間に蹴り上げ、付き出された顎を強打。


「この野郎! ――ふざけんじゃねえぞ! ふざけんじゃねえぞ!」


 その勢いで、口角泡を飛ばしながら立ち向かってくる藤井の顔面に、鮮やかな回し蹴りをお見舞いする。


「す、すごい……」


 それは、自分でも信じられないほどの見事な体捌きだった。

 さっきまで、ホームレスたちの蛮行に怯えていた赤沢アキラさんも、羨望と感動の眼差しを俺に送っている。


「あれ……おかしいな。別に俺は、そんなに喧嘩とか強くないんだけど……」


 泡を吹いて昏倒する男たちを見ながら、俺は呟くように言った。

 俺はそもそも平凡な男子高校生で、喧嘩もそれほど強いわけではない。それなのに、酔っぱらっているとは言え、こうもあっさり大の男を二人も沈めてしまうなんて。


 ――もしかしたら、これって……この美少女の身体能力なのか?


 状況を分析して、頭の中で結論付ける。

 俺に『こんなこと』ができるはずもないのなら、それはきっと、この美少女の身体能力あってこそのものなのだろう。俺とこの美少女の身体が、何らかの理由で入れ替わっているのだとしたら、一応は話の辻褄が合うような気がした。


「あ、あの……ありがとうございます」俺のところに小走りに駆け寄って、赤沢アキラさんが必死に頭を下げる。「わ、私……いきなり上條さんがいなくなったことに気付いて、それで、そこの二人が良くない話とかをしてたの……聞いてたから。だから必死に探して、助けようと思ったんですけど。ぜ、全然役立たずで。――ごめんなさい! 男の人とか、苦手って言うか。怖くって。それで……それで……」

「いや、お礼を言うのは俺の方だよ。ありがとな、えーと……赤沢アキラさん」


 今にも泣き出しそうな、それでいて気の強い瞳をした少女に、心の底からお礼を言う。彼女が助けに来てくれなかったら、今頃俺はどうなっていたかわからない。


「あ……その、アキラでいいです。学校の友だちとかにも、そう呼ばれていますし」

「そうなんだ。だったら、俺も匡太でいいよ」

「きょ、匡太って……でも……」

「うーん……」


 そんな話をしていると、ヒゲ面の藤井が唸り声を上げた。

 もしかしたら、すぐにでも目を覚ますかもしれない。


「えーと。とりあえず、他の人たちと合流しようか? こいつらが目を覚ましたら、また面倒だし」

「は、はい、わかりました。匡太……さん」


 ぎこちなく、遠慮がちにアキラが俺の名前を呼ぶ。その後で、俺たちは引き摺り込まれる前まで歩いていた道に戻り、走って他のプリズナーたちと合流した。


「キミたち、どうしたんだい?」追い付いて来た俺たちに気付き、初老の下谷さんが首を傾ぐ。「見たところ、あの酔っぱらいの二人組もいなくなっているようだけど」

「それは、えーと――」

「あ、あの人たちなら、スライムを見つけ出すために別行動を執っています。それで、私たちもその別行動に誘われたんですけど、断って……」


 俺が『どう答えたものか』と考えていると、紅髪の美少女が代わりに応対してくれる。咄嗟にそんな嘘を思い付くところを見るに、頭の回転は速いようだ。

 ジャージの巨乳少女の説明を受けて、他の死者たちもとりあえずは、納得しているようだった。


「それにしても、キミたち可愛いなあ。本当に」


 そのことに安堵している。と、今度は横から一人の人物が声を掛けてくる。

 真っ白な髪に浅黒い肌を持つ、整った――猟犬を思わせる顔立ちの青年だ。


「………」


 瞬間、アキラが身を固くする気配を感じた。男性は苦手だと言っていたが、どうやら声を掛けられるのも嫌らしい。


 ――それなのに、さっきは俺のことを助けに来てくれたのか。

 ――本当に、アキラはいい子なんだな……


 そのことを実感し、改めて心の中で少女に感謝した。感謝した。

 俺は紅髪の美少女と、猟犬のような青年――『十文字[じゅうもんじ]辰彦[たつひこ]』の間に入ると、その顔を睨み付ける。


「何ですか? ナンパだったら、他を当たってください」

「ちゃうちゃう、ナンパって……俺にはちゃんと、心に決めた恋人がいるさかい。ナンパちゃうで」お調子者の笑みを浮かべ、十文字さんが首を振った。「ただ、こんなどえらい美少女が二人も揃うとるところなんて、テレビでも今日日見いへんなって思っただけや」

「きょ、匡太さんは、確かにすごい美少女で、わ……私もすごく驚きましたけど。私の方は、全然普通です。どこにでもいる……ふ、普通の女子高生ですし」

「そんなことあらへん。特にその、信じられへんぐらいボリューミーな……」

「あの、いったい何の用ですか? くだらない話なら、聞く気とかないですけど」


 猟犬のような青年がセクハラ発言をする気配を感じ、すかさず俺は言葉を差し挟んだ。先ほどのホームレスたちとのやり取りを見て思ったが、おそらくアキラは、あまり自分の『女性らしい部分』を男性から強調されたくはないのだろう。制服の上からわざわざジャージを着ているのも、その他人よりも大き過ぎる胸を『隠したいから』である可能性が高い。であるならば、今ここでこの関西弁男に余計なことは言わせない方が、いい気がした。


「まあまあ、そう睨まんとってえな。俺はただ、自己紹介でもしようか、言うとるだけやで。こうして俺たちが一緒になったのも、多生の縁なわけやし。なあ、下谷さん」

「……そうだね。せっかくだから、ここらで自己紹介でもしておこうか。これからみんなで、魔物……えーと、スライムだっけ? それを一緒に、倒すわけだし」

「そうですね。まだ制限時間も、二時間以上残っていますし」


 初老の下谷さんの後で、OL風な大島さんがケータイを確認しながら頷く。

 どうやらクエストの制限時間とやらは、まだ二時間以上も残っているらしい。


「それじゃあ、まずは年長者の僕から」


 立ち止まった後で、下谷さんが微笑みながら言った。

 その手には、魂装である足軽槍が握られている。


「僕の名前は、まあ……下谷孝って言います。名前は頭の上に出てるみたいだけど。それで、年齢は六十歳。会社も定年して、これからセカンドライフを送ろうかってときに、脳梗塞で倒れてね。それで都内の病院に運ばれて、色々検査を受けてたんだけど。また酷い頭痛に襲われて、そのまま意識とかも失っちゃって。それで、気付いたらこの世界に来てたんだよ。まあ、ここはおそらく天国なんだろうけど。さっきの天使の話が本当なら、また元の世界に戻るチャンスはあるらしいから。妻のところに戻れるなら、頑張りたいかな」


 好々爺な笑顔を浮かべ、下谷さんが答えた。

 天使ことヨンエルの話では、このクエストさえ終われば俺たちの住む『リアル世界』に戻ることができるそうなので、きっとそれを願っているメンバーは多いのだろう。そして、俺自身も『このまま死ぬわけにはいかない』ことを、嫌と言うほど自覚していた。


「えーと。じゃあ次は、私の方から」


 そんな決意を固め、俺が歯を食い縛っている。と、初老の下谷さんに続いて主婦らしき中年の女性――『川口[かわぐち]三代子[みよこ]』が笑顔で口を開いた。その手には、魂装である棍棒のような武器が握られている。


「私の名前は、川口美代子って言います。都内で専業主婦と清掃のパートアルバイトをしていて。死んだのは、ビルの清掃中に階段から落ちたこと……だと思います。ほら、私ったら、意外と抜けてるところがあるから。それで、えーと……家では夫と男兄弟二人の四人家族で、息子たちは高校生と中学生です。上のお兄ちゃんは、あなたと同じ久城峰学園の一年生なんだけど」


 そんな話をしながら、川口さんが俺の方へと視線を向けた。

 しかし――、そもそも俺は久城峰学園の生徒ではない。生徒ですらないのだ。だから、卑屈な苦笑いを返すことしかできなかった。


「それじゃあ、次は俺が」


 以上で、主婦らしき川口さんの自己紹介は終了。次いで口を開いたのは、スーツを着たサラリーマン風の男性――豊田博之さんだった。


「名前は、豊田博之です。年齢は三十五で、都内の商社に勤めていて……多分交通事故で死んだんだと思います。まだ結婚はしていなくて……独身です。まあ恋人もいませんが。俺がいなくなったら両親も悲しむと思うので、下谷さんと同じく、さっさとクエスト? ……とか言うのを終わらせて、元の世界に帰りたいかなと。ゲームとかは、まあ、あんまり得意じゃないですけど」


 手斧のような魂装を持ち上げて、豊田さんが苦笑する。

 次に手を上げて口を開いたのは、スーツを着たOL風の女性――大島栄子さんだった。


「初めまして、大島栄子です」几帳面そうな様子で、大島さんが頭を下げる。「都内の保険会社で事務の仕事をしています。年齢は……いや、別に年齢を言う必要はありませんよね? 死んだ理由は、よくわかりません。元々心臓に持病があったので、それが原因のような気もします。それで……えーと、とにかくスライム? を倒すために頑張りますので、よろしくお願いいたします」


 メイスのような魂装を手にしたまま、OL風の大島さんが再び丁寧に頭を下げた。

 以上で、彼女の自己紹介は終了であるらしい。


「じゃ、じゃあ、次は俺が……」


 次いで自己紹介を申し出たのは、西洋剣のような魂装を手に持った、中学生らしき少年――『金丸[かねまる]利文[としふみ]』だった。


「お、俺の名前は金丸利文って言います。都内の中学に通う、二年生です。死んだ理由は、ちょっとよく覚えていませんが、ふざけていて――」

「ふざけていた、やと?」金丸の言葉を受けて、十文字さんが眉を顰める。

「は、はい。ちょっと学校の屋上でふざけていて、それで……落ちてしまって死にました。え、えーと、ネットゲームとかはすごいやる方なので、こういうクエストとかは得意だと思います。だ、だから、任せてください」

「任せろって……」


 まだ声変わりもしていない幼声で、中学生らしき金丸が豪語した。

 ネットゲームが得意だからと言って、いったい何を任せればいいのだろうか。


「そんじゃあ、次は俺の方から」


 そんなことを考えていると、次いで猟犬のような青年が口を開いた。


「俺の名前は、十文字辰彦。都内で探偵をやっている、名探偵や」

「名探偵……かい? それはすごい」初老の下谷さんが、微笑ましいものを見るように目を細める。

「せや。そんで、まあ年齢は二十代後半で。死んだ理由は、凶悪な殺人犯を追い詰めて、格闘したせいや。それで、相打ちになってもうてな」

「凶悪な殺人犯って……」


 その話を聞きながら、俺の隣に立つジャージの巨乳少女が訝しげな声を上げた。

 凶悪な殺人犯と戦って死ぬなんて、まるでドラマや小説みたいな話だ。とてもじゃないが、本当のことだとは思えない。おそらく他のプリズナーたちも、十文字さんの『誇大妄想』を本気で信じてはいないのだろう。


「それより、十文字さん。あなたは、魂装を顕在化していないようですが」


 そんなシラケた空気の中で、OL風の大島さんが問い掛けた。

 確かに彼は、自分の魂装を顕在化していなかったわけだが。


「魂装か? これや、これ」


 質問を受けた白髪の探偵が、気軽な様子で魂装を顕在化する。

 光の文字コードとともに、彼の手の中に現れたのは、黒と茶色の部品でできた塊――大きな銃だった。


「え、何ですかそれ?」大島さんが、ギョッとした顔をする。

「さあ、俺もようわからん。銃とか詳しくないさかい」

「それって、えーと……アサルトライフル[突撃銃]ですよね? 種類とかは、ちょっと良くわからないですけど」


 中学生らしき金丸が、喘ぐような声で告げた。

 てっきり、魂装は剣や槍などの『中世的なもの』に限られているのだと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。


「銃って、そんなの反則なんじゃ……」

「まあ、使い方とかはようわからんけど。とりあえず頑張ってみるわ」


 狼狽える中学生男子の言葉を押し潰し、十文字さんが適当な様子で答えた。

 いったい、俺たちが倒さなければならないスライムがどれほどの強敵なのかは、わからないが。剣や槍などの白兵武器で戦うよりかは、アサルトライフルのような射撃武器で戦った方が、いくらか有利な気がする。まあ、あくまで素人考えだが。


「じゃ、じゃあ、次は私が――」


 猟犬のような青年の後で口を開いたのは、紅髪の美少女こと赤沢アキラだった。

 アキラは自己紹介を始める前に、「と、その前に」と自身の魂装を顕在化する。彼女の手に現れたのは、美しい装飾が施された『白大弓』だった。


「あなたも、射撃武器……のようね」


 何か文句でも言いたげな様子で、OL風の大島さんが口を挟む。もしかしたら、単純に羨ましいのかもしれない。


「は、はい。私は、都内にある私立彩波[あやなみ]女学院に通っていて、今は高等部の一年生なんですけど。中等部にいた頃から、ずっと弓道部で。だ、だから魂装も、大弓なのかもしれません」

「ほえー、久城峰学園もそうやけど。綾波女学院言うたら、大層なお嬢様学校なはずやで。キミの家、お金持ちなんとちゃうか?」

「い、いえ、違います」壊れた機械人形のように、アキラが首を振る。「わ、私の家は母子家庭で……すごく貧乏で。だから、授業料が全額免除される特待生になるために、私立の学校に通ってるんです」

「は? 何それ、自慢? 要するにあんた、顔がいい上にスタイルも抜群で、おまけに頭までいいってことでしょ?」


 大学生風の少女――『近藤[こんどう]佳乃[よしの]』が、あからさまに不愉快そうな顔をした。

 アキラは瞳に涙の気配を湛え、歯を食い縛っている。そういう言われ方をするのは、きっと本心では許せないのだろう。


 ――まあ、確かにこれだけ色々と揃ってたら、嫉妬されるのもわかるけど。

 ――おまけに、性格もすごくいいみたいだし。


 そんな少女の様子を見せられて、心の中で同情する。顔が良くて、スタイルが良くて、頭が良くて、性格がいい。そんなのは、まるで三流ドラマに出てくるヒロインの属性だ。現実世界では同性から嫉妬され、嫌われてしまうのも無理はないのだろう。


「い、いや、でも……大弓が武器って、大変なんじゃないか?」


 アキラと近藤佳乃が、一触即発の視線を鍔迫り合っている。

 そんな息苦しい雰囲気に耐えきれず、俺は誤魔化すような追従笑いを浮かべた。


「た、大変って……何がですか?」

「い、いやさ、俺も詳しくは知らないけど。弓って胸当てとかしてないと、弦が胸に擦れて痛いって聞いたことがあって……。ほら、アキラは特に、すごい巨乳だし」

「………」


 瞬間、ジャージの巨乳少女が、恥ずかしそうに頬を紅潮させる。

 当然のことながら、男性陣の視線はその大き過ぎる胸に釘付けなわけで。しかも、彼女はそういうのを気にしているらしくて。近藤佳乃には、理不尽な嫉妬までされていて。


 ――いや、マジで俺、最低だわ。

 ――いくら、場を和ませるためとは言え……今のはねえだろ。


 アキラの様子を見ながら、さすがの俺も慙愧の念に苛まれる。すぐさま紅髪の美少女に向けて「ごめん」と謝るも、彼女は涙目で睨み付けるだけだった。しかし――


「べ、別に……この大弓は大丈夫です。普通の弓道の弓は、確かに胸当てがないと……その、大変なことになっちゃいますけど。これは、さっき試しに使ってみましたが、大丈夫でした。矢を放つたびに、弦の反動で少しだけ胸は揺れますけど。だから……だから……大丈夫です」


 今にも泣き出しそうな、それでいて気の強い瞳でアキラが答えた。

 もしかしたら、俺に気を使ってくれたのかもしれない。


「それで、アキラは自分が死んだ理由とかは……覚えてるのか?」早々に話題を転換するため、質問を切り替える。

「は、はい……私も、ただの交通事故と言うか。住んでいるアパートの前で、車に轢かれてしまって」

「そうなのか……」

「いや、でも大変やな。母子家庭でアキラちゃんが死んでもうたら、きっとお母さんも悲しむで。独りぼっちになってしまうからなあ」


 お調子者の笑顔で、しかし同情するように十文字さんがしみじみ言った。


 もう動かなくなってしまった親友と、泣き縋る母親――。涙。涙。涙。涙。


 頭の中にあのときの映像がフラッシュバックして、俺は心臓が冷たく凍り付くのを自覚した。泣くことさえ許されなくて。悲しむことさえ許されなくて。


「えーと。じゃあ、次は俺が……」


 陰鬱な気持ちを誤魔化すように、卑屈な笑みを浮かべる。


「俺の名前は上條匡太で、都内にある三雲高校の二年生です」

「三雲高校って、あなたの制服は久城峰学園のものでしょ? それに、名前だって――」

「さっきヨンエルにも言ってたけど、本当にキミは『上條匡太』君なのかい? 見た目はその、信じられないぐらい綺麗と言うか……どう見ても、女の子なわけだけど」


 主婦らしき川口さんの後で、初老の下谷さんが問い掛けた。

 俺はきっぱりと頷いて、


「はい、俺は死ぬ直前まで確かに上條匡太でした。だから……この少女のことは、本当に知らなくて」

「えーと。ちなみに死んだ原因は?」

「……事故です。事故で、廃ビルの屋上から落ちてしまって」


 誤魔化すように、頭を掻いた。その姿を、アキラが真剣な眼差しで見つめている。

 言葉の塊を一度、呑み込んだ後で、


「た、例えば、死んだときに頭を打ったとか。それで、混乱してるとかってことは、ありませんか?」

「いや、それやとネームリングが『上條匡太』と表示されている理由にならへん。つまり匡太は頭を打って混乱しとるわけやのうて、本当にこの美少女と身体が入れ替わってしもうとる、と言うわけや」

「そ、そうですか……そうですよね」


 十文字さんの話を聞いて、ジャージの巨乳少女があからさまに残念そうな顔をした。もしかしたら男嫌いの彼女は、本当は俺に女であって欲しかったのかもしれない。


「そんなことより、あなた……えーと、上條匡太君。あなたも、魂装を顕在化していないようだけど」


 そんな風に考えていると、事務的な口調でOL風の大島さんが訊いて来た。


「いや、それが……さっきから色々と試してるんですけど、俺だけ出ないんですよ」

「出ない……ですって?」

「はい。もしかしたら、俺がこの少女の身体と入れ替わってしまったことに、何か関係があるのかもしれません。例えば、ゲームのバグみたいな」

「た、確かに、それなら不具合が起こっていても不思議じゃないかもしれませんね。上條さんだけ、何か色々とおかしいみたいですし」


 中学生らしき金丸が、ウンウンと頷きながら納得する。

 もちろん、俺が『いつの間にか女装してしまっている可能性』も考えられるのかもしれないが。この絶対的な美少女はスタイルまでも抜群で、ホームレスたちに脱がされたときにも確認したが、胸も意外と大きかった。であるならば、やはり俺の魂が少女の肉体に入り込んでしまっている、と考えるのが自然なのだろう。もちろん現時点では、どうしてそんなことになったのかさえ、わからないし。俺の身体や少女の魂がどこに行ってしまったのかも、わからないわけだが。


「えーと、最後はキミなわけだけど」


 九人中八人の自己紹介が終わり、最後に初老の下谷さんは、大学生風の少女――近藤佳乃に水を向けた。

 しかし近藤は、不愉快そうな顔で下谷さんを睨み付けるだけだ。


「私は、そういうのはしないから」

「しないって……」


 その手には、出刃包丁のような魂装が握られている。


「別に、あんたたちには関係ないでしょ? 私は私で、好きにやらせてもらうわ」

「で、でも、みんなで協力しないと。あなただって、私たちと一緒の方が心強いって、わかってるんでしょ? だから、こうしてみんなに付いて来たんじゃないの?」主婦らしき川口さんが、教え諭すような目を向けた。

「私は……ただ、あんたたちのことを利用しているだけよ。いざとなったら、勝手に見捨てさせてもらうわ。私は私だから」

「まあ、ええんやないか」

「ええんやないかって、いいんですか?」

「もちろんや。人生は一度きり、ソースの二度付けは禁止やからな」


 俺からの質問を受けて、猟犬のような青年が意味不明なことを言う。

 まあ、別に自己紹介は強制ではないので、言いたくないのなら言わなくてもいいと思うが。それにしても嫌な感じだ。当初、この異世界に来たときは、泣きそうな顔で怯えていたくせに。


「………」


 ともあれ、これで自己紹介の段は終了となり、俺たちは森の探索を再開した。

 開けた広葉樹の森を、慎重な足取りで進んで行く。進んで行く。


「どうやら、これが天使の言っていた、煉獄地の範囲を示す『光の壁』……みたいだな」


 森の中央に差し掛かったところで、立ち止まってサラリーマン風の豊田さんが言った。

 そこには、薄ぼんやりとした光の壁が、まるで国境線のように続いている。


「ヨンエルは煉獄地から出ることは禁止や、言うとったけど。いったい、何がいかんのやろなあ。別に、ここから外に出られそうやけど」


 光の壁に右手をかざしながら、十文字さんが不思議そうに首を捻った。

『壁』などと呼ばれているが、別に何かに塞がれているわけではない。そのまま進めば、通り抜けられそうだ。


「と、とりあえず禁止されているなら、従った方がいいんじゃありませんか? 天使が言っていたことですし」


 不用心に光の壁に腕を突っ込む青年に、アキラが諫めるように言う。

 そんな会話をしていると、いきなり中学生らしき金丸が「あ、これ見て下さい!」と声を上げた。どうやら『グランヘイム・オンライン』のアプリを調べていて、何かに気付いたようだ。


「ほら、これ……クエストのターゲットの居場所が……ス、スライムの居場所が、地図に表示されてるんです!」

「なんやねん。やったら、わざわざ歩いて探すこともなかったやないか」

「あの眠そうな、半眼の天使……何だかすごくいい加減なようでしたし。きっと、説明すらしていなかったのでしょうね」


 猟犬のような青年の後で、OL風の大島さんも憤慨を口にする。

 どうやらスライムの居場所は、歩いて探すまでもなく、最初からアプリで調べることができたらしい。そのことを知って、俺たちは改めて地図データを見ながらターゲットを探すことにした。


「でも、スライムって……いったい、どんな魔物なんだろうね」


 地図のポイントが動いていることから推測するに、どうやらスライムも森の中を自由に徘徊しているらしい。そんなターゲットに近づきながら、初老の下谷さんがふと疑問を口にする。

 イメージ図を頭の中に展開した後で、


「そりゃあ、スライムって言ったら……あれじゃないですか? ゲームとかに良く出てくる、ゼリーっぽい生き物と言うか」

「て、定番のRPGなんかだと、最初に出てくる雑魚モンスターであることが多いですよね。今回のクエストがもしもチュートリアルなら、きっと弱い魔物に違いありませんよ」


 喜々とした様子で、中学生らしき金丸が答えた。

 しかしアプリの方にも、一応はスライムのイラストが表示されているが。とりあえず実物を見るまでは、安易に判断しない方がいいのだろう。たかがスライム一匹とは言え、もしかしたら、すごく巨大で狂暴な魔物である可能性だって考えられるのだから。


「ま、まあ、こっちは九人もいますし、一斉に掛かれば大丈夫ですよね?」

「とは言っても、そのうちの一人は魂装すら顕在化できない役立たずだけど」


 みんなを安心させようと、ポジティブな意見を述べるアキラ。そんなアキラとは裏腹に、大学生風の近藤は、俺に嫌味を言うことで不安を煽っているらしかった。


 ――まあ、馬鹿馬鹿しいので相手にはしないが。

 ――本当にこいつ、いい性格してるよな。


 そんな皮肉を、心の中で吐き捨てている。と、


「い、いざとなったら、俺が上條さんのことも守るよ! 命懸けで、守るから!」


 不意に真剣な表情を浮かべた豊田さんが、真っ直ぐに俺の目を見て言った。

 俺は中身は男なのだが、まるで愛の告白みたいだ。まあ、これだけの絶対的な美少女であれば、命懸けで守りたくなる気持ちもわからなくはないが。


「はっ……美人はいいわよね。何でも思い通りになって」

「いや、別に俺はそんなつもりは……」


 その様子を見て、再び近藤が嫌味を言う。彼女も男の俺からしたら、見た目で得をするほど可愛いと思うのだが、その振る舞いはまるで嫉妬の権化のようだ。もしかしたら、過去に何かトラウマになるような出来事があったのかもしれない。


「あ、近いです! もうすぐです!」


 そんなことを考えていると、金丸が声を上げた。

 その声音は、ゲームでレアモンスターでも見つけたときのように弾んでいる。きっと、まだこの世界が現実なのかゲームなのかさえ、よくわかっていないのだろう。まあ、それがわかっている者など、この中には一人もいないのかもしれないが。


「……あれが、スライムか?」


 エンカウント。エンカウント。エンカウント。エンカウント。

 心の中でそんな苦言を呈していると、いきなり前方に青い塊が現れる。

 体長は約150センチはあるだろうか。想像したとおり、ゼリー状の魔物だ。

 透明な身体の中には、丸いボールのようなものが入っていて、それがゼリー状の体内を自由に動き回っている。


「と、とりあえず、倒さないと――」

「俺が! お、俺が倒します!」


 まずは遠距離から攻撃を仕掛けようと、紅髪の美少女が白大弓を構えるが。しかし、中学生らしき金丸が、その光の矢の前に立ち塞がって叫んだ。


「ちょ、ちょっと金丸君! そんなところに立たれたら、討てません!」

「――俺が! 俺が倒すって、言ってるじゃないですか!」


 アキラの忠告も聞かず、少年が西洋剣を構える。そして、


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 森が震えるほどの雄叫びを上げて、独りでスライムに突っ込んだ。

 加速。加速。加速。加速。

 正直、金丸の運動能力はさほど高くはないのだろう。へっぴり腰の少年は、スライムの前まで駆け寄ると、実に軟弱な動きで剣を振り下ろす。息切れした無様な形相で。その攻撃は自由自在に形を変える敵には、まったく通用していないようだった。


「ちくしょう! 馬鹿にしやがって! 馬鹿にしやがって!」

「か、金丸君! とにかく、一度引いてください! そんなに近づいたら危険です!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 しかし――、狙撃手の少女の注意喚起など聞かず、少年は再び剣を振り上げる。その粗雑な動きを見極め、今度はスライムの方から先制攻撃。身体をゴムのように弾ませて、金丸の足にへばり付いた。


「うわッ! 何だよ、これ! ――何だよ!」


 瞬間、スライムの身体に呑み込まれた少年の足が、見るも無残に溶けていく。溶けていく。どうやら、ゼリーの化物の身体は、溶解液のような役割を果たしているらしい。


「やめろ! やめろおおおおおおおおおおおおおお!」

「………」


 絶叫する金丸にはお構いなしで、ついにはスライムがその両脚を完全に溶かしてしまう。

 すぐさまアキラと十文字さんが魂装を使って射撃攻撃したため、魔物は身体を木の影へと隠したが、その傷跡は見るも無残だ。骨まで溶かされ、歩くことさえままならない。


「アイテムを……アイテムを使ったら、確か回復するって言ってなかったか?」


 サラリーマン風の豊田さんが、天使の言葉を思い出しながら叫んだ。


「お、俺がアイテムを使うから! ――アキラと十文字さんは、スライムが近づかないように援護してくれ!」


 言うが早いか、俺はケータイを握り締めて走り出していた。

 スライムは、逃した獲物を仕留めようとこちらの様子を窺っているが、白大弓とアサルトライフルの射撃攻撃を受けて身動きが取れない。その隙に、血塗れの金丸の前まで辿り着く。膝を付いてアイテム画面を表示させる。しかし――


 ・傷薬D――体力の25%を回復         100,000ギル

 ・傷薬C――体力の50%を回復         200,000ギル

 ・傷薬B――体力の75%を回復         300,000ギル

 ・傷薬A――体力の100%を回復        400,000ギル

 ・万能薬――すべての状態異常を回復       200,000ギル

 ・蘇生薬――死者を完全な状態で復活     100,000,000ギル


「……何だよ……これ……」


 表示された画面を見ながら、俺は喘ぐような声を上げた。

 俺の所持している『ギル』は当然のことながらゼロで、つまりアイテムを使うことなどできない。できるはずがない。なぜなら一番安い『傷薬D』ですら、十万ギルも必要なのだから。


「――だ、駄目だ! ギルがないから、アイテムが使えない! 使えないんだ!」


 食い千切られた太腿から、大量の血液が流れ出している。

 金丸は「助けて、助けて」と虫の鳴くような声で懇願していて、血も嘘みたいに噴き出していて、このまま放っておいたら死んでしまうことは確実で。でも俺には、どうすることもできなかった。助けることなんて、できなかったのだ。


「くそっ、どうすればええねん!」

「と、とりあえず匡太さんは、こっちに戻って来てください! スライムが、木の影から狙っています!」


 必死に矢を放ちながら、アキラが叫ぶ。二人はスライムを仕留めようと奮闘しているが、敵は形を変えてゴムのようにその攻撃を躱していた。アサルトライフルの銃弾を受けても、少し身体の一部を撒き散らして小さくなるだけで、一向に倒される気配はない。


「助けて……助けて……」


 そうこうしている間にも、金丸の懇願はどんどんと小さくなっていき、やがては声すら出せなくなってしまった。涙に濡れた瞳が、光を失ってくすんだガラス玉のように朽ちる。


「……くそ! くそったれ!」


 少年の死を見届けた後で、俺は紅髪の美少女から指示どおりに、その場から退却することにした。せめて金丸の持っていた、西洋剣だけでも持ち帰れないかと思ったが。彼が最期を迎えると同時に、光の文字コードとなって――消えてなくなってしまう。


 ――魂装解放! 魂装解放! 魂装解放! 魂装解放!


 俺は心の中で何度も何度も、魂装を顕在化するために叫んだが、やはり何も出てこなかった。俺の手には、何も残っていなかった。

 スライムに襲われそうになりながらも、必死に背を向けて走る。走る。


「うわあ! うわあああああああああああああああああああああああ!」


 いきなり後方にいる初老の下谷さんが、声を上げたのは、ようやく俺がみんなのもとに帰還したすぐ後だった。

 反射的に振り返る。――視線を向ける。

 その顔には、何と形を変えたスライムがへばり付いていた。木々の後ろに隠れている一匹だけじゃない。何とスライムは、もう一匹潜んでいたのだ。そして――森の隙間から、闇に紛れて下谷さんに襲い掛かったのである。


「――い、いったいどうなっとるんや! 敵は……スライムは、木の後ろにおる一匹だけとちゃうんか!」

「よっ、良く見て下さい、十文字さん! あのスライム、何だか小さいです。それに、体内にあるボールみたいな器官も――見当たりません。も、もしかしたら木の後ろにいる本体が、分裂したのかも!」


 即座に状況を分析し、アキラが推論を立てた。スライムが分裂するなんて、ゲームでは良くある話なわけだが。


「きゃ、きゃああああああああああああああああああああああ!」


 そうこうしている間にも、下谷さんの顔にへばり付いたスライムが、彼の頭部を溶かしてしまう。それを見た主婦らしき川口さんは、零れんばかりに目を見開いてけたたましい悲鳴を上げた。


 ぼとり――


 頭部を失った下谷さんが、血塗れの首無し死体となってその場に崩れ落ちる。

 それを見たプリズナーたちは、もはや恐怖の箍が外れてしまったようで、絶叫しながら走り出した。『ふざけるんじゃないわよ!』とか、『こんなの、聞いてないわよ!』とか、『こんなところで死んでたまるか!』とか、


「ちょ、ちょっと待て、お前ら!」

「どこに行くんですか!」


 恐慌状態に陥り、遁走を続ける四人の死者たち。そんな死者たちを、十文字さんとアキラも慌てて追い駆ける。


「おい、マジかよ……」


 もちろん俺も、一人ではスライムに勝てるはずもないので、一緒に逃げなければならなかった。足場の悪い森を、青草を踏み締めてひたすらに走る。ひたすらに。ひたすらに。

 加速。加速。加速。加速。

 スライムの姿は、もう後ろには見えない。とっくの昔に見えなくなっていた。

 四人はやがて、煉獄地の縁である光の壁にぶち当たったが、構わず通り過ぎているようだった。白髪の探偵が、最後尾を走っていた豊田さんの腕を掴む。


「おい、待ちいや!」


 そうこうしている間にも、大島さん、川口さん、近藤の三人は、煉獄地の外へと走り去ってしまった。走り去ってしまった。そして――


「きゃああああああああああああああああああああああああ!」


 地面が揺らぐほどの悲鳴が、木々の間を残酷に駆け巡る。

 魔物。魔物。魔物。魔物。魔物。魔物。魔物。魔物。魔物。魔物。

 光の壁の外には、他種多様な形をした魔物たちが、何十匹も待ち構えていた。

 そんな魔物たちに手により、大島さんは四肢をバラバラに食い千切られ、川口さんは生きたまま内臓を貪られ、近藤は深い深い森の奥へと引き摺り込まれているようだった。確認するまでもなく、三人ともが魔物の『餌食』となってしまったのだろう。


「そんな……そんなことって、ありかよ……」


 どうやら魔物たちは、光の壁の内側には入って来られないらしい。

 ギリギリ壁の前で引き留められた、サラリーマン風の豊田さんが、その場に力なくへたり込む。足下から崩れ落ちるように。


「………」


 耳の奥には、いつまでもいつまでも死んでいった者たちの断末魔がこびり付いていて。たぶん消えることはないのだろうなと、俺は心の深い部分で悟った。何度も。何度も。

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