第3話 像の作り手

翌朝、いつものように寺院近くの路地を歩いていると、怒気をはらんだ声が聞こえて来た。

どうやら金をもっと払えとタクシーの運転手が催促しているようだった。

相手の方を見るとなんとそれは女の子で、しかも日本人だった。

いや、中国人か韓国人かも知れないけど。とにかく、東アジア系の顔立ちだ。

助け舟を出した方が良いかな。

どうせ不当に料金を催促されているのだろう。

そう思って足を一歩踏み出し、ヘイと口元から出かかったその時。

「100キトナって言ったじゃん! なんで二倍になるのさ!」

大声でその女の子は叫んだ。

しかも日本語で。

その意味は通じていないものの、気迫だけは伝わったのか、運転手はたじろぐ。

「おーけーおーけー」

となだめるように、両手を前に突き出す動作をくりかえす。

完全に女の子の勝利だ。

僕もああすれば良いんだろうか。

ふと、女の子と目があった。

ヘイのヘまで出して止まっていたところを見られていた僕としてきまりが悪い。

「あなた日本人?」

女の子が声をかけてくる。

明らかに僕の方が年上に見えるけど、敬語を使う様子はない。物怖じしない子のようだ。

「そうだよ」

「へー。ここに来てどれくらい?」

「えーと、一週間くらいかなあ」

「旅行? 仕事? ずっとこの街にいるの?」

「えーと、なんと言えば良いんだろう。一応一週間この街にいるのだけれど」

日本ですでに廃れたアニメの同人誌を売りに来たなんて言えるわけがない。

しかもその同人誌は結局過激すぎるとかなんとかで、今もスーツケースにしまったままだし。

「なんというか……、怪しい日本人と一緒に寺院でお手伝いしてるんだ」

僕が言うと、女の子は眉をひそめた。

無理もない。見るからに僕は怪しい。それに今自分でも怪しい人と一緒に活動していると自己紹介してしまった。怪しむなという方が無理だ。

「お手伝いってどんな?」

「……」

「どしたの?」

「あれかな。絵を描いたりとか。神様の」

「えー。なんかすごい仕事じゃない。この国に来て一週間でそんな仕事があるんだ。見せて見せて」

「あー」

僕の描く絵は日本で言うところのオタクの絵だ。初対面の活発で押しの強い女の子に、見せる勇気はなかった。えーきもーいとか言われてしまいそうな気がする。まあもう二度と会わないだろうし、それはそれで良いのかも知れないけど。

「ちょっと今持って来てないんだ」

我ながら嘘が下手だ。この言葉を言う前に明らかに溜めがあった。何か隠したいことがあって、言うのをためらっているかのような溜めが。

「ふーん」

女の子は僕の気持ちを見抜いているかのように目を細めて、そう言った。

「そういえば君、名前は? 大学生?」

「あたしは、美空憐。 大学じゃなくて、専門だよ。いや、専門だった、かな。もう卒業しちゃって今はニート。就活に失敗しちゃって」

臆面もなく、彼女はニートだと言った。

僕だったら、今は仕事を休職中で……とか言葉を濁してしまいそうなのに。

会って十分も経っていないけどわかる。この子は僕とは完全に違う人種だ。異民族なんだ。

就活の話題を掘り下げると彼女の傷を抉ることになりそうなので、僕は話題を変える。

もっとも、この堂々とした様子では傷つかないのかもしれないけど。

「この辺のホテル?」

ニートだということには深く触れずに、話題を変えた。

「うん、ヒラトンホテルデラックスってとこ」

ヒルトンホテル? 豪華五つ星じゃないか。やっぱり気が強いって言っても女の子はそういうホテルに泊まるんだな。きっと彼氏らしき男が待っているのだろう。……でも、こんなぼろい路地にそんな高級ホテルがあったっけ?

「ここここ」

美空憐が指を指した先には、五つ星どころか廃墟と判別し難いくらいのボロ宿があった。

「ヒルトンってこれ??」

「違う違う。ヒルトンじゃない。ヒラトンだよ」

確かによく見ると、ホテルの前にはデカデカとHILATONと書いてある。

パチもんではないか。訴えられないんだろうか。

「ニートだって言ったじゃん。ヒルトンなんか泊まれないよ」

美空憐はそそくさと受付に行く。

受付に何人かを尋ねられると、指を一本立てながらワン、ワンと答えている。もしや一人でこのボロ宿に泊まるのだろうか?

ドアに鍵がかかるのかすら定かではないこんなところで。

僕は美空憐に呼びかける。

「待って待って。こんなところに女性一人で泊まる気?」

「そうだけど」

「やめた方が良い。強盗に押し入られるかもしれない。もっと良いホテルあるよ」

そう言って僕は自分の泊まっているホテルのカードを渡そうとポケットを探る。

そのはずみで、明日花の絵が描かれた自作のチラシが床に落ちてしまう。それを美空憐は目ざとく見つける。

しまった。

その絵を見た瞬間、美空憐は訝しげに目を細めた。やっぱりドン引きされてしまうのだろう。

しかし、実際に聞こえて来た言葉は思いも寄らないものだった。

「これ明日花じゃない?」

「え?」

なんてことだ。

こんなイケイケそうに見える女の子が明日花を知っているなんて。

「え? 明日花を知っているの?」

「うん、十年前くらいに流行ったアニメでしょ。あたしも観たよ。リアルタイムじゃないけど。なんでこれがここに?」

どうやら彼女は、僕がさっき言った寺院の宗教画の正体がこれだということに気づいてないみたいだ。まあ無理もない。誰だってそんなこと想像できない。


「いや、実はこれがさっき言っていた寺院のお手伝いってやつなんだよ」


「明日花が?? どういうこと?」


それから僕は明日花のメインヒロイン仙道かすみがこのカトゥーの首都で宗教化していることを伝えた。


「へぇー、信じられないねぇー」

その言葉が、僕の発言を疑ってのことなのか、あまりに奇妙なことだと感嘆しているのかは判断がつかなかった。

実際に寺院を見せても良いのだろうけどあまり興味を持って居なさそうな部外者を呼んでも争いの火種になりそうな気もした。

「ところで君は明日花を知っているなんて、アニメとか好きなの?」

「好きだよ。さっき専門に通ってたって言ったでしょ? あれ、フィギュアを作る学校のことだよ」

「フィギュア!?」

「そうだよ。急にどうしたの? 原型師になりたかったのあたし」


原型師。それは昨日カイがまさに欲しがって居た人材ではないか。渡りに船とはこのこと。


「でもどこも雇ってくれなくてさ〜。就活は見事に失敗。しばらくはフリーでやるかなんて決心したんだけれど、その間にストレス解消として、放浪の旅をしようと思っててね〜」


なんてこった。さっき彼女のことを部外者としてあしらおうとしてしまったけど、とんでもない。是非寺院に歓迎したい逸材だ。いや、実力の程はわからないけど。少なくとも外注よりは、寺院にふさわしいものを作ってくれるだろう。


「へぇ〜。じゃあオタクなんだ」


「オタクじゃない! ただアニメとかゲームが好きなだけ!」


「それをオタクって言うんじゃあ……」


「違うの。アニメファンって呼んでくれない? その方が聞こえが良いし」


彼女の中では譲れない何かがあるようだ。

僕としては同じに聞こえてしまうけど……。


「そのフィギュアって今持ってるの?」


「持ってるわけないじゃん。旅行に持って来たらバッキバキに壊れるって。それにカトゥーに来てフィギュアを見せてくれだなんて言われるとは思わないしさ〜」


全くもってその通りである。

僕もカトゥーに来て、フィギュアを見せてくれなんて頼むとは思っていなかった。

「あ、でも写真ならあるよ」

「そういって美空憐は携帯を取り出した」

そこに映し出されて居たのは、去年放送していた人気アニメよいばすのキャラだった。

ふともものしまったラインと言い、胸元のやわらかそうなふくらみ。

髪は地毛のように自然に頭に張り付いていて、首にかけられた花飾りの花びらも一つひとつ形が違っている。

後頭部で髪を束ねる紐も、全く原作通りの形をしていたし、服にも細部が細かく装飾がほどこされている。

それは本来三次元の像でありながらも、写真からその完成度の高さが伝わってきた。


「すごいじゃんこれ!」


よいばす!は僕自身あまり思い入れの無いアニメではあったが、有名であったのでキャラクターは勿論知っている。その思い入れの無いキャラであっても、僕をこれほど感動させたのだ。彼女の原型師としての腕は高いと見て良いだろう。

カイにも見せてやりたいくらいだ。


「この街にはいつまでいるの? ちょっと今僕がいる寺院まで来てみない?」


僕はつい3分前に思っていた事とは真逆の事を美空憐に伝えた。


「んー。とりあえず明日はこの街に泊まって明後日にはバスでポクルへ行こうと思ってるけど」


「明後日には発つ……。だったら是が非でも明日には契約を結ばないと」


「契約って何?」


しまった。口に出してしまっていたようだ。


「いやその」


こうなったらもう説明するしかない。


「いや、実はうちの寺院で原型師、というか像を作ってくれる人を探しててねぇ」


こういうと、美空憐はあからさまに顔をしかめて不機嫌そうな顔をした。


「寺院、行くのやめようかな」


「えぇー、いや見るだけ見るだけ。明日花のヒロインが飾られているんだよ。絶対面白いって」


「へー」


棒読みの声が、路地に響く。

疑いの表情は消えない。


「そうそう。後、寺院の中には巫女がいて、それがもう明日花の仙道かおりそのものと思えるくらいそっくりなんだ」


「へー」


なおも変わらず平坦な声。


「そんなに怪しい? 僕」


「うん。怪しい」


「怪しくないよ。いや、怪しくないとは言えないけど……、危ない人ではないよ」


「へー」


「わかったわかった。じゃあ寺院に入らなくても良いから。外側から見るだけでも。それでも絶対楽しいから」


「そんなに言うなら見るだけ行ってみようかな。その代わりタクシー代は払ってね」


「勿論。どうせ一人乗っても二人乗っても料金は変わらないんだ。僕が全額もつよ」


僕らは路地を走っている三輪タクシーに声をかけ、再びシュリーカンヤー寺院へと向かった。


寺院に着くとカイが屋台でいつものように女神様グッズを売っている。


その奥の寺院には、段状に折り重なった屋根の上に、女神像が所狭しと並べられている。


「驚いた。本当に明日花なんだ」


美空憐は目を見開いてそう言った。

僕の後ろにいる美空憐の姿を見かけると、カイは何かに気づいたかのようにこちらに詰め寄って来た。


「おいおい、その女の子は誰だ? いや、ともかくその半ズボンみたいな格好はまずい。寺院には入れないぞ。破廉恥な」


そうだった。忘れてしまっていた。この国では女性が足を出すことは認められていない。

往来でそういう格好をした人がいれば、顔をしかめられるはずだ。それを失念していた。


「え、入れない? それは困ったな。誰か腰巻を貸してくれる人はいないの?」


「別に来たくて来たんじゃあないんだけど」


破廉恥、という言葉に腹を立てたのか、美空憐はそうごちた。

その言い分にカイの口元が不快そうに歪んだのを見た僕は、事が荒ぶ前に、カイに美空憐の紹介をした。


「あ、言い忘れたけど、この子は美空憐。原型師の仕事を探しているらしい」


言い終えて、少し誤解を招きかねない発言になってしまったことに気付く。


「何!? ここで女神像を作ってくれるのか?」


案の定、カイは誤解していた。


「えぇといやそうじゃなくて」


「あたしここで働くなんて言ってない」


美空憐の不満気な声が響く。


「うん、勿論それはわかってる。わかってるけど、とりあえず原型師の目から見たこの寺院の像を評価して欲しくて」


「じゃああたし入らなくて良いよ。ここからでも見られるし」


いけない。カイとの会話で機嫌を悪くしてしまっている。

いやしかし、ここで無理に入れようとするのは良くないだろう。カイも反発するだろうし。

とりあえず外側から寺院を見てもらって興味を持ってもらえるような話をしよう。


「カイ、この辺で腰巻とか買える場所ってないの?」


さっき、美空憐に、中に入らなくても良いと言っておきながら、腰巻の調達場所を聞くのは我ながら矛盾していると思った。


「まだ朝早いからなぁ。店も開いてないだろうし、ちょっと中を見てくるが」


そう言ってカイは寺院の中に入って行く。


「ほら。カトゥーだと、あまり脚を出して歩くことは良くないらしいんだ。だから、寺院に入っても入らなくてもどっちにしろ買ったほうが良いよ」


と、僕は弁解した。


「ふーん。じゃあなんでここにくる前に教えてくれなかったの? 」


「いや……、僕もここに来てまだ一週間だったのでてっきりそれを忘れていて……」


「ふーん」


「面目無い」


叱られてしまったものの、 美空憐の顔にはそれほど不快の色は浮かんでいない。これなら、寺院に入ってくれそうでもある。


「そうそう。それでこの寺院のことだけど、見ての通り、明日花のキャラたちが女神として讃えられているんだ」


「それは素直に驚いた。まさか本当に……。でもやっぱり、壁に張られたポスターと、像が合ってないよね」


「そうそう、だから良ければ君に」


「お断りします」


敬語口調で言われた。なぜかそのほうが強い拒絶を感じる気がした。


「なんで、明日花がこんな場所で讃えられているの?」


美空憐なもっともな疑問を尋ねてくる。


「僕も詳しくは知らないけど、明日花がこのカトゥーで放送されたのがきっかけらしい」


「え? 明日花が放送されたの? こんな場所で? いつ?」


「六年前くらいかな。それで、元々この場所にあった処女神崇拝と結びついて宗教になったとか。何せ今の巫女は二十代目らしいからね。明日花の放送された時期を考えるとありえないよ。だから、放送以前は別の宗教だったのだと思う」


美空憐は目を細めた。前にも見たことのある表情の気がした。


「ほんと? あなた、口から出まかせ言ってない?」


「言ってないよ。何なら信者の人たちと話してみると良いよ。ほんとだってわかるからね」


「あたしはカトゥー語話せないの」


「僕だって話せないよ。英語も通じる人も少しはいるから大丈夫」


「英語だって話せないけど……」


「え、あー。うーん。少しわかれば大丈夫じゃないかな。僕もそこまで話せるわけじゃないし」


僕は言葉を濁すようにそう言った。


「ノモシュク。リクジー」


その時、後ろから声がかかった。

聞き覚えのある女性の声。カーシィだ。


「ノモシュク。カーシィジー」


僕は彼女と同じようにカトゥー語で挨拶を返した。


「陸。こちらの女性は?」


「あぁ、この人は寺院に興味があって来てるんだ。ところで、カーシィ、彼女がここにくるまでに腰布を破かれてしまったみたいなんだ。もしかして余っていたりしない?」


破かれた、と僕は嘘をついた。その方がことを穏便に済ませられそうな気がしたから。


「それは大変! 私が今持っているのを貸してあげます」


そう言ってカーシィは手に下げていた籠から、布切れを取り出した。


つけ方がわかっていなくて、戸惑った表情を浮かべていると、カーシィは「こうするのです」と言って、布のシワを取るべく、空に向かってはたくと、さっと美空憐の腰に巻きつけ、結びあげてしまった。


早業を見きれなかった美空憐は指を立てながら言う。


「え、今のどうやるの? もう一回。ワンモアワンモア」


「ごめんなさい。もう少しゆっくりお見せしますね」


そういうとカーシィは再びゆっくりと同じ動作をした。


そして、美空憐はそれを一度ほどいて同じ動作をする。


「ありがとう。できたよ」


美空憐は笑顔をカーシィに向けた。そういえば彼女が笑ったのをはじめて見た気がする。それを思うとなんとなく遣る瀬無さを感じる。なにはともあれこれで、美空憐も無事に寺院に入れるのだけれど。


カイはまだ布を探しているんだろうか。まあ中で会って伝えれば良いかな。


カーシィは美空憐の手を取って寺院へと誘導した。カーシィは誰でも優しい気持ちにさせるほがらかさを持っている。僕以外にもそれを見せられるとなんとなく悔しいのだが、まあ相手が女の子だから良しとしよう。


「そういえば今日は金曜日だから巫女様がおいでになる日ですよ」


カーシィがそう説明するものの、美空憐はきょとんとした顔をしている。


「え、今なんて言ったの?」


そんな風に僕に聞いて来た。


「今日は巫女様が、やってこられる日ですよ。って言ってたんだよ」


「あなた、結構英語できるのね」


「美空こそ旅行歴が長いならもっと話せても良さそうなものだけれど」


「うるさいわね〜。話せなくても大体身振り手振りでなんとかなるの」


今実際になんとかなってないじゃないか。そう思ったもののその言葉は出さずにおく。


「もしかして、この方も古代語をお話になるのですか?」


カーシィが僕にそんなことを尋ねてくる。

日本語が古代語だというのは、カイが考えた設定で、僕は騙しているようであまりのりたくなかったのだけれど、こうも信じられると今更否定しにくかった。


「そうだよ。正確に言うと古代語とは少し違うのだけれど、似た言葉かな」


なんて僕は言って言葉を濁した。


「素晴らしいです。古代語をお話になる方が次々と三人もいらっしゃるなんて」


今の会話は美空憐に伝えない方が良いだろう。なんて言ったか聞かれたらどうごまかそうか。


「巫女様はシュリーカンニャーの化身なのです。古代語では仙道かすみと言うそうですね。巫女様は人々の色々なお悩みを聞いてくださいますよ」


カーシィが再び憐の方へ向いてそう言った。


助かった。これで話題をそらせる。


「センドー……、今仙道かすみって言った?」

美空憐は驚きに目を開いて僕にたずねた。


「うん、言ったよ」


「この寺院の巫女、シュリーカンニャーは仙道かすみの化身と言われているんだ。昨日そう言わなかったっけ?」


「はぁ〜。まさか本当だとは……」


美空憐は驚いて口を半開きにしたままにしている。


「どうしたのですか?」


カーシィが尋ねてくる。


「仙道かすみの化身にまみえるってことで驚いているんだよ」


それは仙道かすみが日本のアニメキャラだからなのだが、勿論その説明は省いて説明した。


そうだ。あの仙道かすみと瓜二つとも言えるシュリーカンニャーを見れば美空憐も気を変えるんじゃないか? 今はここで原型師として働くなんてありえなと言っているけれど。いやでも、美空憐は女だからな。いくら二次元の化身とも言うべき美少女がいたって、僕やカイほどには感動しないかもしれない。まぁでも大事なのは気を引くことだ。今日、決めてもらわなくても、明日以降にまた来てもらえるような気持ちにさせられれば良いんだ。


巫女があらわれる謁見の間へ集まっていく。



「うん。確かにすごかった。何と言うか、普通に観光していたら絶対に見られないようなものを見た気がする」

謁見の間から出ると美空憐は、口をもごもごさせながら赤ら顔でそう言った。

素直に感服したということなのだろう。

「でしょ? 僕のこと怪しいなんて言ってたけど、来て良かったでしょ?」


「来ては良かったけど、別にあなたは怪しいことに変わりはないかな」


「う……」


簡単に認識を改めてはくれないようだ。

まぁ僕自身も僕が怪しいとは自認しているし、大して傷つかないけれども。


で、どう言えば良いだろう。明日から原型師やる気になったでしょと言っても流石にはいとは言わなさそうだ。


「どう? ちょっと興味湧いた?」


僕は曖昧な聞き方をしてみた。


「興味はあるけど……、原型師にはならないわよ」


先手を打って否定されてしまった。

こちらがボールを投げる前に打ち返された気分だ。


「第一、そんなんじゃあ食べていけないでしょ。どれくらいお金もらえるの?」


と思いきや詳細をさりげなく聞こうとしている。

少し、ほんの少しだけれど、彼女に可能性の萌芽が芽生えはじめている。


「外注してた時は、一体に10000キトナくらい払っていたようだけれど」


「一体で10000キトナ!? ってことは1万ちょっとくらい? 割に合わなくない?」


フィギュアを作ったことの無い僕はそれがどれくらい割に合わないのかはよくわからない。


「日本だったらどれくらいもらえるの?」


「15cmくらいの大きさなら最低10万かな」


10万! 10倍くらい違う。カトゥーは物価が安いという条件があるので仕方ないけれど、この差は大きい。


「でもカトゥーは物価が安いんだ。10000キトナでも十分暮らしていけると思うよ。泊まるところとか、食べ物は寺院が提供してくれるだろうし……」


僕がこう言うと、美空憐はしばし黙り込んだ。

少し悩んでいるようでもあった。


「ここで永久就職する気は毛頭ないけど……、ビザが切れる間……、一ヶ月くらいならいても良いかも」


「ほんと!?」


まさかの展開だ。

もう少し手強いかと思っていた。


「あ、でも待って。あたし道具を持ってきてない」


「ここの寺院にだってあるよ。日本のとは違うかもしれないけど」


「道具が違ったら作れないでしょ」


うーん。


「心配ご無用!」


背後からカイの大きな声が響いてきた。


「こういうこともあろうかと、原型師に必要な道具は予め日本で調達してきているんだ」


何と用意の良い。


「嘘。パテもワイヤーもサフまで揃ってる……」


美空憐は、数秒気難しそうな顔をしていたものの、やがて、折れた。


「言っておくけど、単に面白そうだから協力するだけだからね。ビザが切れたら帰るし、その前にも飽きたらいなくなるかもよ」


「良いさ。それでも」


「第一こんなところで作っても、元なんて取れるわけないじゃない。このパテとか、日本製のものでしょ? これが無くなったらどうするの? 第一日本製なら原価も高そうだし」


ぎくりとカイが身を捩らせた。

どうやら図星だったようだ。


「いや〜、この国での道具の調達方法は今調査中で……、しばらくはそれで我慢してくれ」


「良いわ。しばらくの前に帰っちゃうかもしれないけどね。それに日本製の方が質は良いだろうし、制作料をくれるなら文句は言わない」


「でもお金を稼ぐんだったら就労ビザとかいるんじゃないの? あなたはどうしてるの?」


「え、そんなもの取ってないけど」


僕のその言葉に美空憐は、目を細めた。


「それって違法労働じゃない」


「そうなのかな? まぁ良いんじゃない。大金稼いでいるわけじゃあないし」


「はぁ……。まぁ黙ってればとっ捕まることはないだろうけどさ」


「そうそう。それにこの国の警察だって賄賂を掴ませれば黙ってくれるさ」


「あんた……」


美空憐は再び呆れ顔で目を細めた。

彼女は大問題のように思っているようだけど僕はそうは思ってなかった。第一この国ではほとんどの国民が税金を払っていない。今更僕らだけを摘発するだろうか?


「そういえばカイはどうしてるの? っていない」


カイに尋ねようとして、後ろを振り返ったところ、彼は既にいなかった。

カイはこういうところが多い気がする。

気がついたら黙っていなくなっている状況が。


「これはカイが言ってたことなんだけどさ。僕らアニメファンは、結局神アニメとか神ゲーとか言ってても結局数ヶ月、良くて数年で飽きて見向きもしなくなっちゃうわけじゃん」


「あたしはそんなことないけど」


「まぁ普通のオタクはそうなんだよ」


「あたしはオタクじゃない」


「普通のアニメファンはそうなんだ」


「……」


「でもここの人たちはそうじゃあない。明日花が崇められるようになったのは最近だろうけど、カトゥーで崇められている宗教を考えてみると、きっと100年も200年も崇め続けられるだろうと思うよ。彼らは本気で信じているんだ。仙道かすみが実在してるって」


「そういう考え方もあるのね」


「そう。まあ僕も宗教は信じていないけど、ここに来てオタク……アニメファンというのをどう捉えれば良いのか考えるようになったよ。彼らはアニメファンを自称しているけど、結局すぐ飽きてしまうじゃないか」


「あなたの言いたいことは何となくわかるけど、それにしたって宗教というのはあたしにとっては異質すぎるし、どっちが良いのかなんてわからないよ」


「僕だってわからないよ。ただ、考える契機になったってこと。僕らはアニメをフィクションだと思っているのなら、どうしてそんなものに熱中するんだ? 所詮は作り物じゃないか。だからすぐ飽きてしまうんだって」


「宗教だって作り物でしょ」


「そうかもしれないけど、それを信じている人はそうとは思っていないよ」


「……」


それきり美空憐は黙った。

確かにこんなことは考えてもしょうがないのかもしれない。


「突然戸惑うようなことを言ってごめん。でも、僕は元々日本のオタク達のある意味薄情さに嫌気がさして僕ははるばるカトゥーまでやってきたんだ」


「そうなの?」


「僕は日本では明日花の同人誌を出して活動していたんだよ。昔は一大ジャンルだった明日花も今ではコミマでも数サークルしか無い弱小ジャンルになってしまった。昔は僕だって壁際を陣取っていた時期もあったのに……。その時思ったんだよ。神アニメ神アニメ言ってたってどうせ皆数年で飽きて離れていくんだなって。そうして鬱々とした気持ちになっていた時に、外国で明日花が人気を博している場所があるって聞いて……」


「へぇ。じゃあこういう寺院があったの知ってたってことね」


「いや、単に人気があるって聞いただけで、まさか宗教になっているとまでは思ってなかったよ」


「じゃあここに来たのは偶然なのね」


「そうだね」


「そもそもどうして、カトゥーで明日花が人気だって知ってたの?」


「何か友達に聞いたんだよ。カトゥーで明日花が放送されたのは知っていたけど、今でも、ポスターが貼られている場所があるんだって。その場所に行ってみたらと言われたんだ」


「ふーん。嘘じゃあなさそうね」


「僕は嘘はつかないよ」


と、自分で言っておきながら、はじめて美空憐と話していた時についていたことを思い出した。

昨日、僕は自分の描いた絵を今持っているかと聞かれて、持っていないと嘘をついた。

実際には持っていたというのに。

それが美空憐に一度指摘されないか、少しドキドキした。


けれど、美空憐はさほど気にすることなく「ふーん」とだけつぶやいた。


「おーい、寺院の前の売店に人が来ているぞ」


そんな声が僕にかかった。


「今いくよ」


そう答えて僕は外に向かう。

この程度の簡単な受け答えならカトゥー語で話せるようになって来た。


売店に向かうと、カトゥー人が列を作らずにたむろしている。


「はいはい、じゃあ順番に払って。そっちは50キトナだよ」


この受け答えも勿論カトゥー語だ。売店に来る人は英語を話せる人もいるけど、カトゥー語しか話せない人が多い。


でももう僕は一人で彼らとの受け答えができるくらいにはなっていた。


勿論時々何を言っているのかわからない人もいるけど、そういう人は僕が理解していないことを悟ると、諦めてものだけを買っていく。言葉が通じなくて申し訳ない気持ちもあるけど、僕もまだ勉強中の身なのだ。もっとカトゥー語を勉強しないと。夕暮れになると売店を訪れる人も減る。そうしたらカーシィのところへ行ってカトゥー語を教えてもらおう。


売店への客が来なくなったことを見計らって僕は寺院の奥へ引っ込んだ。


回廊を歩く途中、カーシィの話し声が聞こえて来る。楽しそう談笑している。話し相手は誰だろうか。ぎこちない英語が聞こえて来た。これは紛れもなく美空憐の声だ。

部屋を覗くと、美空憐とカーシィが机を前に話し合っていた。


「あ、陸。お疲れ〜」


「うん。いつの間にカーシィと仲良くなったの?」


「だって、服を貸してくれた仲じゃな〜い。そりゃ仲良くもなるわよ」


そう言えばそうだった。何かお礼でもしていたのだろうか?


「それでお礼にあたしが食事に誘ったのよ。そしたら、あたし、彼女がベジタリアンってこと知らなくて肉料理が多いところに行ってしまってね〜。だから次の日また誘ったの。ベジタリアン料理が食べられる場所にね。彼女はいいって断ったんだけど、それじゃああたしの立つ瀬がないって無理やり引っ張って行ってね」


「へぇ、知らなかったな。美空憐、あんまり英語話せないのに」


僕がそう言うと、美空憐は少しむっとした顔をして、


「こういうのは語学力じゃないの。魂さえ通じ合えば仲良くなれる」


そう強調した。そんなものだろうか。


僕らが日本語で会話している傍、カーシィはただ、にっこりと微笑んで黙していた。


「ごめんごめん、今僕は彼女にどんなふうにカーシィと友達になったのか聞いてたんだよ」


翻って僕は英語で説明した。


「そうだったの。ごめんなさい。古代語がわからなくて」


カーシィは言葉がうまく理解できないことを謝ってくれた。普通のカトゥー人はこんなことは言わないだろう。カーシィは人に気を遣える優しい人なのだ。


「そうそう。それで今度はカーシィがまたお礼をしなくちゃって言ってきてね。言葉に甘えてあたしがカトゥー語を教えてもらうことにしたのよ」


今度は美空憐が英語を使った。カーシィに気を遣ったのだろう。たどたどしいけれど。


「それで、美空憐もカトゥー語を教えてもらうことに……、なんだって??」

こうなってしまってはもう二人きりのレッスンが受けられないじゃないか。おのれ、美空憐! しかし、そのレッスンの相手が女の子というのが幸いだった。もしそれが男だったなら狂死していたかもしれない。


「これからは生徒が二人になるわね」


そう言って、カーシィはにっこりと笑う。


「二人? 二人目って誰?」

美空憐は、不思議そうに僕にたずねてきた。


すると、カーシィは知らないの? とでも言いたそうにキョトンとした。


「僕だよ」


「えぇ〜、あんた?」


「そうだよ。そりゃあ、カトゥー語を学ぼうなんて人は外国人しかいないし、このお寺に外国人は僕とカイと美空憐しかいないでしゃう」


「そーだけど、寺院の人とは限らないじゃん」


「まぁそれはそうだけど」


「カイは、あいつカトゥー語得意なんだよなぁ」


「まああたしはあんたより早く喋られるようになるからね。差がつきすぎちゃったらまた個人レッスンに戻るかもよ〜」


美空憐は嫌味のようにそう言った。


「そんなわけないだろ。だいたい憐、英語もろくに話せないじゃないか。語学には文法知識が要るんだ。高校大学でちゃんと文法を学んでいる僕の方が断然有利だよ」


「わからないよ〜。世の中理屈どおりには行かないからね〜」


「はいはい」


全くなんで美空憐はこんなに自信満々なのか。わからない。




しかし、1時間後。


「そんなバカな。何故だ……」


僕は、敵の首領が倒された時のような言葉を口にしていた。


美空憐のカトゥー語力は上達が早い。今はまだ僕に勝っているとは言えないけれど、じきに追い抜かれそうな勢いだ。


「何故こんなに喋れるのか?」


「ふっふっふ。だから言ったでしょう?」

美空憐は、考えずに言葉が口から発している感じだ。

間違いを恐れずに挑戦する回数が多いから上達も早いんだろうか。

僕は考えすぎなのかもしれない。これは負けていられないぞ。

ふと、振り返って窓の外を見ると辺りはもう暗くなっている。



「そろそろ暗くなるけどホテルに戻らなくて良いの? カトゥーは治安は悪くない方だけど、夜中に女の子が一人で歩くのはやめた方が良いと思うよ」


僕は美空憐にそう語りかけた。


「ホテル? あたし今日はここに泊まるから」


「えっ、ここに?」


「うん、そんなにおかしなこと?」


僕は閉口した。僕もこの寺院の宿泊場所を一度見せてもらったけど予想以上にオンボロだったので躊躇してしまったのだ。


「え、だって結構ボロくない?」


「全然良いよ。あたしが最初に泊まったところよりは」


そういえば美空憐は、最初五つ星ホテルのパチモンみたいなオンボロホテルに泊まろうとしていたのだった……。


「そうだった。それに比べればここに泊まるくらいわけないってことか」


確かにここに泊まれば宿泊代が要らないどころか食事だって提供される。毎日三輪タクシーと面倒な交渉をする必要もない。


かと言って、今僕も泊まると言い出すと美空憐のストーカーをしているみたいで気が引けた。


「ここって泊まるところどれくらい余っているの?」


さりげなくそんなことを切り出してみる。


「さあ、あの子に聞いてみたら?」


「あの子ってカーシィ?」


「そうそう」


「カーシィ、この寺院の泊まるところってどれくらい余っているの?」


「寝る場所ならまだまだ沢山あるわよ」

カーシィはそう答えた。

逆に言うと、寝る場所以外は、共同スペースしか無いということだ。

うーん、共同部屋に雑魚寝でプライベート空間は一切なしか。これはきつい。第一僕は結構な量の荷物をホテルに置いてあるんだ。

それを全て置くスペースがあるとも思えない。それにカイがアウトだと指摘した明日花の同人誌、あれをみられてしまえばここの人たちにどんな咎めを受けてしまうことやら。

しかし、ホテルに泊まる出費が痛いのも事実だ。現状僕は出費を上回る額を儲けていない。つまり赤字だ。この生活を続けていたらいずれ破綻する。


……。


仕方ない。いずれは変えなきゃいけないんだ。同人誌は焼却しよう。


合計300冊くらいあるこの本、どうしてしまおうか。


いやいっそホテルにそのまま置いて行くという手もある。清掃人の人が処分してくれるだろう。


そうだそれが良い。不要になってしまったとはいえ、この本には僕の思い入れも深い。燃やすなんてできそうもない。


翌日、僕は大量の同人誌を紙に包んで縄で縛り、ホテルを後にした。

これで無くなるだろう。

とは言うものの一冊だけ、カバンの奥に忍ばせていた。

とは言っても所詮は一冊だ。見つかることは無いだろう。


「どうしたの? なんか今日変だけど?」

寺院での僕の不審な挙動に、美空憐は目を光らせた。


「変?? いや別に何も無いよ」


「ふーん、なんか怪しい」


なんて鋭いんだ。美空憐。こいつは侮れないぞ。

その時、突然電話がかかってきた。


「はい」


「あのー、レイクサイドホテルですけど。忘れ物をしてらっしゃいませんか?」


「あー。あれか。忘れてしまいましたー。でも大丈夫です。今はもう遠くに来てしまったし、廃棄してもらえませんかね」


遠く、という曖昧な言葉を使ってしまったけれど、具体的なカトゥーの地名を知らなかった。


「そうですか。寺院の住所が書かれた名刺が置いてあったのでそこに届けておきました」


「あ〜はいはい。ってえぇ!?」


届けて置いた? ってあんなもの見られたら非常にまずい。


急いで表門へむかおうとすると、傍目に美空憐の姿が見えた。


顔には笑みが浮かんでいる。


こいつ、もしやこれが何であるのかを察したな。


しらばっくれるか? いや、中を見られたら僕の絵柄だって一発でバレる。ここは観念するしか。


「これあなた宛だってね。でもちょっと側面をなぞったら何かわかっちゃったんだなー」


……。


観念しようと思っていたのに何も言葉が口から出てこない。


「開けて良い?」


美空憐が得意げな笑みを浮かべて流し目でそう言った。


「だ、だめだ。ダメ。それが何かわかってるんだろ?」


「どうしてダメなの? ここの人に見てもらえればきっと喜ばれるじゃない。あ、もしかしてエロ同人とか?」


図星。いや、厳密には図星ではないのだが。方向性は当たっている。どうしてこいつは、妙な勘が冴えているのか。


「エロじゃない。エロじゃないんだけど、微妙に際どい描写があるんだ。ここの国の人たちは性に厳しいっていうだろ。だから、日本ではセーフなものもカトゥーではアウトなんだ。だからここでそれを開くのはまずい……」


「そうなんだ。だから棄てようとしたの? 勿体無い」


「そうは言っても持ってても邪魔になるだけじゃないか。見つかったらまずいものだし」


「あら、何かしらそれは?」


「僕が美空憐と話しているところにカーシィが話しかけて来た。このタイミングは非常にまずい」


「あぁ〜。これ〜。これは何でもないの。ただの原稿用紙よ。だから中身を何も見なくても大丈夫」


「?? 貴方の私物? ごめんなさい。何か見られたくないものだった?」


カーシィが微笑を浮かべながら謝罪した。美空憐は日本語で話してカーシィは英語で話している。そのミスマッチ感が何ともシュールだ。


カーシィは詮索するつもりがないようなので、これ以上言い訳をする必要はないように思えた。


それにしても美空憐は嘘を見抜くのは得意な割に自分で嘘を付くのは苦手なのだなと思った。あんな風に慌てていたら却って怪しいだろうに。


それにあれは僕のものなんだから慌てる必要もないように思える。


「ふぅ。危ないとこだったわね」


美空憐が手の甲で汗を拭いながら言った。


「ありがとう。でもなんで憐がそんなに慌ててるんだ。見られて困るのは僕なのに」


「はぁ。あんたが見られて困るものが私のせいで、見られちゃったら私のせいになるし、夢見が悪いじゃない」


なるほど。二人の時は僕をからかっていたけれど、一線を超えないようにはしてくれていたみたいだ。


「意外に良い奴だな。憐って」


「はぁ? 何それ? 意外は余計よ。意外は」


美空憐は照れ臭そうにスネた顔をした。


「この同人誌、後で見て良い? どっかの喫茶店でも入ってさ」


「喫茶店だって人目に付くじゃないか。トイレかどっかで読んでくれ」


「トイレじゃあ、あなたの前で読めないじゃない」


美空憐は抗議する。


「別に僕の前で読む必要ないだろ……」


「あるの。あたしは友達の同人誌は、絶対その人の前で読むって決めてるの」


なんとも奇妙なポリシーだ。それより、美空憐が僕のことをさりげなく友達と呼んでくれていたのが嬉しかった。けれども照れ臭いのであえて指摘はしない。


「それまた妙なポリシーだな。そんなに同人作家を辱めたいのか? 」


「そんなんじゃないよ。大体目の前で読まれることを恥ずかしいなんて思わないで欲しいな。友達だからって気を遣って、率直な感想を言うのを避けたりする人いるけど、あたしはそういうのは嫌なの。本当に思ったことを言わないと失礼だと思うし、それを言うためには真剣に読まないといけないじゃない? だからあたしは最初に読むときは友達の目の前で読むの」


「へぇ」


尤もな考えだと思った。美空憐なりの真摯な態度の示し方なんだろう。今時それほど真剣に友達と向き合う人も少ない。けど、それだけに敵を作ってしまいそうではある。


「立派な考えだと思うよ。けど、本当のことを言ったせいで喧嘩になったり仲違いすることだってあるんじゃないのか」


「そりゃあるよ。それでもあたしはこの考え方はやめたくない。そりゃああたしが、プロを目指してなければこうはしなかったと思う。でもプロを目指している以上、コンテンツとそれを作る人たちとは真剣に向き合わなきゃって思ってる」


美空憐は鋭く利発そうな眼差しを僕に向けている。同人誌を読むと言うことだけのためにここまで気迫を感じさせたのは憐が初めてだった。読まれる方の僕まで緊張してくる。


「あ、やっぱり待って」


美空憐は手のひらを僕の方に向けて制止した。


「どうしたの?」


「いやー、あたしも明日花観たの大分昔でさ。もう忘れちゃったの。だからあなたの同人誌は明日花をもう一度最初から観てからにしようかなって」


「え、いいよ。そこまでしなくても」


「良いの。久しぶりに観たくなったし。それにフィギュアを作るんだったらどの道もう一回見直さなきゃ駄目でしょ?」


「確かに……」


ごもっともなことだ。たとえ彼女が僕の同人誌を読まないとしても、彼女にはもう一度明日花を観てもらいたい。それは明日花を布教したいという僕の個人的な思いもあるし、原型を作るという彼女の仕事のためでもある。


「で、どうやって明日花を観るの?」


「さぁ……」


僕自身は円盤をこの国には持ってきていなかったし、どうやって見れば良いのかわからなかった。店に行けばカトゥー版の明日花が売っているかもしれないが、カトゥー語がわからない美空憐にそれを見せても意味がない。


1つ、動画サイトで観るという方法を思いついたけど、それは違法アップロードされたものだろうし、率先して提案する気にはなれない。


「動画サイトで観れば良いんじゃないかな?」


「動画サイト? あぁ、なるほど。あんた、チャンバか何かの会員なの?」


いや……。


東京に引っ越してからはその手の動画サービスは全て解約してしまった。

だって全部テレビに映るんだもの。


でも今から契約するというのはアリじゃないかな?


その前にカイに聞いてみよう。やつなら観る方法を知っていそうだ。


寺院の中を散策してみるもカイの姿は見当たらない。カイは時々人の会話に割り込んできてはすぐに消えて行く。僕だったらカーシィのような綺麗な人の前では長く話していたくなるものだけど。美空憐だって、口はぶっきらぼうだけど、見てくれはなかなかのものだ。健全な男子なら気になるはずだと思うのだけれど。カイは本当に二次元にしか興味がないのかもしれない。それならそれで妙ないざこざを生まないから良いのだけれど。


結局カイが見つかったのは翌日だった。


「カイ、美空連が明日花を見直したいって言ってるんだけど。観る方法を知らない?」


「円盤と再生機ならあるよ。二階にコンセントがあるから、そこで観れば良い。というより、毎週金曜日は上映会をやっているのだが、言ってなかったっけ?」


聞いてない。


そんなものが行われているなら僕が気づかないのも変だ。


「何時からやってるの?」


「夜九時」


その時間なら僕はホテルに帰っている頃だ。

通りで気づかなかったわけだ。


「それに参加しても良いけど、放映されているのはカトゥー語版だぜ? 日本語のを見たければ円盤と再生機が併設されているからそれを見てくれ」


「そうか。ありがとう」


僕は早速美空憐を呼んで上映の準備を始めた。思えば女の子と二人でアニメを観るなんて初めてだ。少し緊張する。チラと美空憐の方へ目を向けると、彼女はこちらに視線を向けることなく淡々とケーブルをつないでいた。


どうやら僕の意識のしすぎだったようだ。

落胆にも似たため息をついて僕も機材の準備を始めた。


「しかし、このテレビ、ボロいわねぇ〜。未だにブラウン管?」


「まぁ、ブラウン管の方が動きをよく表現できるっていう話もあるし……」


「うわ、重っ。こんなのよく運べるよねぇ」


美空憐が不満を連ねる。オンボロホテルに泊まっていた割にはそういうところは気にするみたいだ。やはりオタクだから、映像には人一倍こだわりがあるんだろうか。


blu-ray再生機をブラウン管テレビにつなげるなんてはじめてよ。全く。


確かにそれは僕にとっても未知の経験だった。

デジタルで保存されたものをケーブルでアナログに変換し直すのだ。このテレビの大きさではfullHDも何もあったものじゃあない。


カーシィを口火に次々とカトゥー語しか話せない別の信徒たちが集まってきた。カーシィだけで良いのだけれどな、と内心思ったけれど、カーシィと美空憐を隣に並べるなんて贅沢すぎるならと思い直すことにした。それにここにいる人たちはみんな明日花のファンなんだ。国籍は違っても、みんな明日花を想う気持ちには変わりはないんだ。思えばこれだけ大勢の人数で明日花を観たことなんてなかった。せいぜい友達二人の計3人と言ったところだ。気付けば部屋にいる人の数は8人ほどになっていた。狭い部屋の小さなテレビを囲って8人もの人たちが日本のアニメを観ている。彼らは言葉はわからないはずだけれど、テレビを観る眼差しは真剣そのものだ。


ふと僕の視線に気づいた美空憐が不審の目を向けてくる。無理もない。上映会をしているはずなのに、テレビを観ずににやついた顔で他の視聴者の顔を覗いているのだから。


「どうしたの? にやにやして。気味悪いよ」


相変わらず棘のある物言いをするやつだと思った。でももう慣れてしまったのか、その棘が僕の心に刺さることは無かった。


「いやさ、僕はもうこのアニメ何十回も観ているわけだからさ。観なくても台詞回しとか展開とかわかっちゃうんだよね。どっちかっていうと観ている人たちの反応が気になるんだよ」


「ふぅん。別にいいけど。もっと目立たないようにやったら?」


目立たないように……か。随分難しい注文のように思えた。とりあえず視線が内側に向いてもおかしくないように部屋の隅に移動することにした。


……。


っていうかこのアニメ、2クールあるんだけど、いつまで観るんだろうか? まさか最後まで観るつもりじゃないよな……。


円盤一枚には二話分しか収録されていない。だから、二話の上映が終わると、次の円盤に入れ替えないといけないのだ。


円盤は3枚目に差し掛かろうとしていた。時刻は11時を指している。美空憐が三枚目の円盤ケースを開こうとした時、僕は慌ててそれを制止した。


「ちょっと待って。何枚目まで観るつもり?」


「そっか。もう11時か。一旦お風呂入らないとね。じゃ、また12時からってことで」


「って……、何時まで観続けるつもり……?」


「何時って、後20話だから……、8時くらい?」


なんということだ。美空憐は2クールのアニメを一気見するつもりらしい。凄まじい体力だ。女一人でカトゥーに来るほどだから並みの気力ではないのだろう。


「僕、途中で寝て良い?」


「え、まぁ、観るのは私だし無理しないで寝たら良いと思うよ。あたしだって途中で寝るかもしれないし」


「なんだ。てっきり徹夜する気なのかと思ってたよ」


「するかもしれないけど、体力次第かな」


する気なのか……。


「僕が徹夜できたのなんてせいぜい二十歳までだよ。今はもう無理だね」


「へぇ〜、同人誌の締め切りとかどうするの?」


「それはスケジュール通りにやるしかないよ。二十歳過ぎまでにスケジュール通りに完成できる習慣をつけておかないと厳しくなるね」


「えぇ〜、そんなにすぐに体力って落ちるもん?」


「落ちるさ。周りを見てたら特にそう思うよ。徹夜が出来なくなって新刊作れなくてそのまま同人活動やめる人とかさ」


「へぇ〜、じゃああたしも徹夜頼みでスケジュールこなすのやめたほうが良いのかな?」


「そんなに徹夜してるの?」


「うーん、卒研の時は三徹したかな」


「それだけできるなら三十歳近くまで徹夜できそうだな……」


「でもそのあとはもう持たないんでしょ? あたしも徹夜離れしなくちゃね」


「じゃあ今日はもうやめるの?」


「いや、やめないよ」


「やめないんかい」


「うん、眠くないし。それにあなただってこのまま寝られるより続きを気にしてどんどん観てくれる方が嬉しいでしょ?」


「まあそりゃあそうだけど」


風呂から上がって元の上映室に戻って来ると、残っているのは美空憐だけだった。カーシィも他の信徒たちももういない。さすがに12時過ぎてまで観ようという気力はないみたいだ。

僕は二人分の毛布を持ってきて片方を美空憐に渡した。


「気がきくじゃない。ありがと」


美空憐はそう言って笑みを浮かべた。


こうやって気負うことなく笑えるってことは、昔美空憐にも彼氏がいたんだろうなぁと何となく想像させた。何というか、男慣れしていそうな態度に。


いやひょっとしたら今もいるのかもしれない。いや、それはないか。いたら一人で海外旅行はしないだろうし、アニメを観るためとはいえ夜に男である僕と同じ部屋にいたりはしないだろう。その事になぜか安堵している自分がいる。


美空憐はそんな僕の様子を気にかけることなく三枚目の円盤を再生機にセットした。


ブラウン管の奥に仙道かすみが空を舞う映像が流れる。明日花のOPだ。


……。

意図せず僕は眠りについていた。

うとうとした状態からふと目を覚ますと、再び同じOPの場面が流れていることに気づく。


今は何話目だろうか。

OP映像ではそれはわからない。しかし、映像と曲が変わっていないことから、まだ2クール目に達していないことは確かだ。


OPが終了し、サブタイトルが表示される。


どうやら今は10話目のようだ。

3話分ほど眠っていたようだ。

割と長い時間。

美空憐は僕が起きたことにも気付かずにテレビを凝視し続けていた。あるいは気づいた上で視線をずらさないのか。いずれにせよ熱心に明日花を、観ている空気は伝わってきた。



彼女がコンテンツに向き合う姿勢は真剣そのものだ。普通のオタクはもっといい加減にアニメを観る。そんなに力んで観てたら疲れないのかな、なんて思うのだけれど。彼女の体力なら難なくこなせるのかもしれない。


気付くと再び意識を失っていた。毛布もかけずに寝てしまったけれど、夏だったので幸い風邪は引かずに済んだようだ。辺りに小鳥のさえずりが響く時間。勿論バイクと三輪タクシーのクラクションはいつでも鳴り響いている。


美空憐は力尽きたように椅子に寄りかかって眠っていた。テレビの電源は付きっぱなしだ。


結局寝ちゃったのか。しょうがないな。そう思ってテレビの電源を切る。気になったのでついでに再生機のイジェクトボタンを押してみると、中から出てきたのは明日花の13巻だった。つまり最終巻だ。最後まで観たのか、それとも最終話付近で力尽きたのか、それは美空憐に聞いてみないとわからない。まだ、起きるには早い時間だ。そう思って僕は再び眠りにつく。美空憐に毛布を軽くかけてやった後で。


「明日花良いね〜。思ってたよりずっと深い話だった。昔観た時は小学生だったし、よくわかってなかったわ」


「そうそう。明日花の良いところは内容をよく理解できていなくても楽しめるところと、ほれを理解していればより一層楽しめることだよね」


熱く語ってしまいそうなところをあえて抑えて言葉を止める。熱く語りすぎて引かれた経験があるからだ。ここは美空憐の様子を見て慎重に話さないといけない。


「不思議に思ったんだけど、最終話の最後で花が咲くじゃない? あれはどういう意味だったのかな。普通に考えたら仙道かすみが大人になったって事なんだろうけど」


お、良い着眼だ。確かにそこは明日花ファンの間で何度も議論されてきたことなのだ。


居住まいを正し、軽く咳払いをして僕は言葉を紡ぐ。


「僕も普通に考えたら仙道かすみが大人になったって言う意味だと思うよ。あるいは別の説もある。人々が仙道かすみへの信仰を失ってしまったという説とか。あるいは仙道かすみじゃなくて浅間ももが女神になったとみなす説とか」


「あ〜、ももが神さまになったっていう可能性はあたしも考えた。でも、あの花は仙道かすみの花よね。物語の流れからして」


「僕もそう思うよ」


美空憐は納得したかのように嬉しそうにうなずいている。

その様子から、僕はもう少し深く語っても良い気になった。


「明日花の神通力と女神の関係は、コンテンツとクリエイターと似ていると思うんだ。

明日花だと、子供の内は、神通力が使えてもてはやされる。

でも、いつまでもそのままだと、大人に白い目で見られるんだ。

いつかは結婚して、家庭を持たないといけない。家庭を持つと何故か神通力を失ってしまう。

仙道かすみは、いつまでも神通力を捨てられなかった。だから、アニメ中盤では一旦白い目で見られてしまうんだ。

でも、それがしばらく続くと、今度は女神としてみんなに崇められるようになる。

現実社会でも、子供がアニメを観ていても、怒られないけど、いつまでもそうしていると蔑まれる。

でもクリエイターになれば今度はみんなから尊敬されるようになるでしょ。

それと同じなんじゃないかって」


いけない。悪い癖が出た。少し熱が入って語りすぎたかもしれない。

でも、笑みを浮かべたままの美空憐を見ると、それは杞憂だったように思える。


「へぇ。その解釈面白いね。思いつかなかった」

美空憐が笑う。

「でもびっくりしちゃった。明日花に出てくる、仙道かすみのいる部屋の柱、このお寺のものと似ているのね」

はっとした。このお寺の柱は色が朽ちているとはいえ、確かによく見ると、明日花に出てくるものとよく似ているように思えた。

「ちょっともう一回観ていい?」

「うん、良いよ」

そう言って、美空憐は再び再生機の電源を入れた。

OPを飛ばした後に出てきた映像には現実の柱の模様とよく似た柱が描かれていた。

僕は少し考えこんだ。

「柱まで真似して建てられたってこと?」

美空憐が言った。

「でも、それはおかしい。明日花がカトゥーで放送されたのは六年前だ。このお寺が六年より新しいとは思えない。六年でこんなに柱が欠けたりするだろうか?」

「……」

美空憐は黙った。僕もこれ以上考えても答えは出なかった。

「今度カーシィに聞いてみたら? あたしは眠いからまた寝るよ」

そう言って、美空憐は頭から毛布をかぶった。

僕も途中で寝てしまったとは言え、眠気が残る。

寺院に人がいる様子も無い。

僕は再び目を閉じて横たわった。

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張り子の女神 みづはし @midz

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