相席

ああああ

第1話

 ちょうど日が落ちてきた頃、閑散とした喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読むことは、僕の最近の日課だ。


 時刻にして17時過ぎくらい。無愛想な店主と、日陰になる立地、近所にできた流行りのパンケーキ屋さんなんかのせいで、随分と客足が遠のいてしまったこの喫茶店。その落ち着いた雰囲気に、返って興味を惹かれた僕は、遂には日課になってしまうほどこの店に足を運ぶようになった。


 人と一緒に居ることが苦手な僕は、中々のぼっち気質と言えるのだろう。思えば仲が良かった友人など、1人もいなかった。今でもそうだ。会社の同僚との仲がいいかと聞かれれば、そうでもないし、懇意にしてくれる先輩もいない。まだ新卒なので後輩はいないし、結局幼い頃から、僕のぼっち気質は一切変わらないままなのである。


 周りを見て羨ましく感じることもあるといえばあるのだが、それを僕が実践できるかと問われれば、とてもそうは思えないのだ。


 結局のところ、人間関係の構築が下手なのだろう。


 そんな僕にとって、本は1番の友人だった。僕が何も言わなくても、時に優しく、時に厳しく、本は語りかけてくれる。因みに今読んでる本は"コミュニケーションと心理"である。


 苦手とする分野の本なので、少しでも勉強になればと思って手に取ったのだが、いかんせん難しい。


 熱いコーヒーを口に含む。


 中学の時に憧れて飲んだブラックコーヒーは、飲み始めこそ理解できなかったが、段々と飲めるようになってきた。美味しいとか美味しくないとかではなく、飲むと落ち着くのだ。カフェイン中毒とまではいかないと信じたいが…。


 落ち着いた時間帯、落ち着いた喫茶店で、落ち着けるコーヒーを飲むのは、至福のひと時とも言える、1日で最も"落ち着ける"時間なのである。


 そんな時、カランっと扉のベルが鳴った。


 夕方になってこの喫茶店に来る客は少ない。店主も片付けを始める時間だ。珍しいなと思いつつ、俯いていた顔を上げ、扉の方に目をやる。


 可愛らしい女性だった。薄い青のロングスカートが印象的な、身長の低い女性。座る場所を探しているのだろうか。店内を見回してす少し腫れた様にも見える目が、僕の方を見て、止まった。


 一瞬にして後悔する。


 俯いていればよかったと。


「あ…」


 女性の口から声が漏れる。


 あぁ。そうだ、僕だ。小学、中学時代のクラスメイトだ。


 こいつは憶えている。いや、正確には今思い出した。


 学校内でも明るい性格だったこの女は、俺とは相容れない存在だと思っていた。確か名前は…相模といったか。


「よ、よぅ…」


 そしてまた後悔。返事をするべきじゃなかった。


 少しの逡巡のあと、相模がこちらの席まで寄ってくる。


「………相席、いいですか」


「………はい」


断れるはずもなかった。





 相模は注文したコーヒーを一口飲むと、俯いたまま動かなくなった。


 凄く気まずいです。


「ひ、久し振りだな…」


 噛んだ。冷や汗が出てきた。


「………久し振り」


 心なしか不機嫌そうに見える。


 さて、困ったことに僕には振る話題がない。普段業務連絡以外で殆ど人と話さないのだから仕方のないことだと思うのだが、それ以前に頭の中で浮かんだ言いたい事が、すぐに自身によって解決、または否定されてしまうのだ。例えば今だったら「元気にしてた」と聞くのは明らかに場にそぐわない。

元々ない話題のボキャブラリーも相まって、何を話していいのかわからないのだ。


「あの…さ………」


 相模から話を振ってくれる様子だ。頼むから気まずい空気を変えてくれ。


「………二股って………どう思う」


話題が重いです。


 恐らくこの様子を見るに、彼氏に二股をかけられたのだろう。目を腫らしているところから先程知ってまだ気持ちの整理がついていないのだと察することができる。


 ここで二股を否定するのは簡単だ。しかし問題となるのは、相模が未だに彼氏に未練がある可能性だ。


 部外者も部外者。観客席どころかドームの外にいる僕に軽々しく彼氏を否定するようなことをいって相模の機嫌が更に損なわれてはまずい。特に今はナイーブな時期の筈。


ただ肯定するなどそれこそあり得ない。

そっちの方がまずい。


「取り敢えずさ…何があったの」


 兎に角今は情報収集に専念することにしよう。背景が見えれば自ずと会話は繋がる筈。先程まで読んでいた"コミュニケーションと心理にも"もそう書いてあった。


 この際質問に質問で返すというナンセンスな返事をした事には目を瞑ってもらおう。


「………かけられてたの」


 やはりか。ここまでは予想通り。このまま質問を繰り返して、出来るだけ会話の主導権を握りたい。


「相手はなんて」


「………謝ってはいたんだけど」


「…二股は良くないと思うけど、理由とかは言ってなかったの」


 しばしの沈黙。またもや流れる気まずい空気。彼氏側から謝っているなら彼氏の批判につながる二股の否定もやんわりとなら許されると判断したが、気に障ったのだろうか。


 相模は更に俯く。


「………理由………聞いてなかった」


 これはフォロー案件である。


「…まぁ冷静になれない時もあるよな。仕方ないよ」


 またぶり返したのか、相模の声が震えてくる。


「今度、………海外で結婚式あげようって………いってくれてたのに」


 思ったより進んでた。結婚も視野に入れてるとは。下手に別れろと言うわけにもいかないし、いよいよ困ってきたぞ。


「………私…結構尽くすタイプでさぁ…。家行ってご飯作ってあげたりさぁ………。一人暮らしだからって………。家事とか色々やってさぁ………。いろんなとこいったし………。大切に思ってたの………。でさぁマコトも………大切にしてくれてるなぁって………思ってたんだけど………」


相手はマコトって言うのか。1つ情報が増えた。そろそろ相模が止まらなくなってきた様子。


「ちょっと前から………急に…よそよそしくなって………不安になって携帯見たら………なんか………知らない人に甘えてて………問い詰めたら………ごめんって言われて………もうわけわかんなくて………」


「それはまた…辛かったな…」


慰めの言葉は忘れない。殆ど言ったことないけれど。


「………別れた方がいいのかなぁ」


 ポツリと溢す相模。正直一番困る質問である。


「………取り敢えずさ、相手側と話し合うしかないよな………。相模も辛いとは思うけど………」


 唇を噛みしめる相模を見ながら頭の中で言葉を探す。正直本当にどうでもいいのだけれど、どうでもいいからと投げ出せない自分。これもまた会話の練習だと、自分に言い聞かせる。


「………気持ちの整理つけてからさ。しんどいとは思うけど、頑張って決着つけよう…」


 あぁ言葉が、浮かばない。何を言えばいいのかわからない。先程コーヒー片手に読んでいた、"コミュニケーションと心理"は何も役に立ってない。家に帰ったら本棚の一番奥にしまっておこう。


 携帯の着信音が鳴り響く。相模の鞄の中からだ。


 相模は携帯を取り出すと、少し迷った後、ごめんね、と僕に告げてから電話を取る。


「………もしもし」


 あからさまに不機嫌な声音からするに、噂のマコト君からの着信だったのだろう。


「………でも私、許そうって訳じゃ」


 少し声音が明るくなった。マコト君が相模を取ったのだろうか。

 そしてそれは次第に涙ぐんだものになる。が、少し………嬉しそうでもある。


「………うん。………うん。わかった。ありがとう。すぐ行く」


 通話を切った相模は、急いで席を立つ。


「マコトに呼ばれた。話してくるね」


 そう言った相模に、頑張れよと伝えて送り出す。いい感じだった筈だ。そつなくこなせた筈だ。


「ありがとう」


 その一言で少し嬉しくなれた。偶には悪くないと思う。


「………ごめん名前憶えてないけど、ほんとにありがとう」


 前言撤回。二度と相談になんて乗るものか。やはりあの本は捨ててしまおう。


 やっと落ち着いた頃には、暖かかったコーヒーは冷めてしまっていた。閉店が近いので、喫茶店を出る。


 いつも通り会計を通り過ぎようとすると、無愛想な店主さんが声をかけてきた。今日は頑張って相談に乗ったから何か労いの言葉でもかけてくれるのか。


「代金が足りてないぞ」


 前言撤回。やはりあの本は燃やしてしまおう。

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相席 ああああ @shinruru

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