第6話 珊瑚礁の壁②

『では今日も今日とて珊瑚障壁さん主催、参戦確定ガチャ方式無限番勝負や』

「望むところだ」

 珊瑚障壁は相変わらず楽しそうな表情で駒を並べていく。

 時刻は菊の内蔵時計で十時二分。珊瑚障壁の内蔵時計で九時五十七分。空はいつにも増して曇天だった。あの向こうに月があるなんて誰も信じていない。

『では、よろしゅ――』

 珊瑚障壁が対局前の挨拶をしようとして、間にいきなり菊が割って入った。

『その前に失礼しますねー』

 そうして、珊瑚障壁の陣にある駒をひょいひょいとつまみ上げていく。飛車、角、右香、左香……ついに珊瑚障壁の陣は歩と金銀、そして王将だけになった。

 軽々と没収されていく駒を尻目に、珊瑚障壁はカメラアイを丸くして反論する。

『あっ、何すんねん。まだ対局前やぞ』

『別にルール違反ではありませんよ。六枚落ち。歴とした駒落ち将棋です』

 取り上げた駒を後ろ手に隠しながら、菊は有無をいわせぬ声で告げた。

「駒落ちだって立派な将棋だ。そしてこれならいくらなんでも勝てる。珊瑚障壁がたとえ勝率七割一厘の実力機だろうとな」

『ちょい待て。ウチの勝率は七割九厘あったはずや』

「すまない物凄い勢いで負けた。いまは一厘だ。もらったタブレットも使い潰した」

『対局数、京越えてたんやぞ。どんだけ対局しとーねん……』

 珊瑚障壁から呆れ混じりの驚嘆が漏れる。電子頭脳のオーバーヒートがあるから、こんなにも短い期間で京を超える対局はメイドロボにも不可能だ。それこそ不眠不休、過労死も辞さない覚悟で挑まなければ……。

 再度、メイド服を着た女装妖狐の姿を一瞥する。珊瑚障壁は彼に起きたできごとを認めるかのように頷いた。

『たしかにウチは平手で勝負するとはひとこともいうてへん』

「それに手合違いなら、上手は駒を落とすのがルールのはずだ」

『清々しいまでの正論や』

 クリス達が昨晩見つけた初心者用の将棋教本にはその記載があった。

 人工知能達の将棋はすべて平手で行われている。彼女らはルール設定として駒落ち戦があることは知っているが、あえてハンディキャップを付けて戦うことはしていなかった。

 二人は永らく失われていた対局方法を蘇らせたのである。しかも珊瑚障壁側には満足な棋譜のデータ蓄積すらない。彼女の将棋ソフト《シックスウェイ・リンカネイト》は生まれたばかりの赤子のように、駒落ち対局用の探索木を積もうとしている。

『せやけど、クリスはこれで勝って満足か?』

「もちろん満足じゃない。けど、わたしは勝ちに来たんだ。そのためなら何だってする」

『十日菊は? 当然約束を反故する気はあらへんけど、自分は納得するんか』

『はい、納得しますね。最高の気分です。平手による対局を指定しなかった貴方がわるいのです』

 実のところ、珊瑚障壁にも異論を唱える気はなかった。明らかに自分よりも弱い妖狐がいったいどんな攻略法を編み出してくるのかと思えば、まさかここまで見境のないやり口だとは考えもつかなかった。せいぜい十日菊とペアを組んで二対一で挑んで来るのが関の山だろうと踏んでいたのに。

 何を指せばいいのかわからない、この感覚は久々だ。それこそ人類が滅亡した直後に味わったような、途方もない感情。ざらついた気持ちをなだめるように珊瑚障壁は胸を張った。

『よっしゃ、胸貸したろ。そこまでして勝ちたいっちゅう気概は買うた。これを将棋と認めへんのは、それこそ将棋指しの名折れや。数千年の歴史に失礼にあたる』

 珊瑚障壁は相変わらず勝つ気でいる。見聞きしたことを短時間で応用できるのが妖狐の善さであるのであれば、どんな状況でも最善手を見つけ出すのが人工知能の特長だ。

『改めて、よろしくお願いします、や』

「……よろしくお願いします」

 相手は駒が少ないながらも中住まいに囲い、勝負に真っ向から立ち向かう。諦めた様子はない。ぴりりと一変した空気を肌で感じながらクリスも駒を触る。

 とはいえ、度重なる敗北でメイドロボ達の指し手を吸収したクリスである。直接対峙し続けた珊瑚障壁の模倣は完璧に近い。

 彼は決して油断しなかった。攻め駒の火力に驕るような愚は犯さない。あくまでも基本に忠実に――。玉の守りは金銀三枚、攻めは飛車角銀桂。一度は攻めの味付けに飛車先の歩を切っておくことも欠かさない。

 開幕早々に動かす駒のなくなった珊瑚障壁は手待ちするしかなかった。淡々と組み上がって行くクリスの陣形を前にして、ただ壁のように立ち尽くしている。

 教科書どおりに盤面を整えていたクリスだったが、四十手目に差し掛かろうかという頃合いで一度立ち止まった。このとき陣形は右四間飛車左美濃。非常に攻撃力が高いことで知られている。天を仰ぎ、眼をごしごしと擦る。目付きが変わった。

 △6五歩! クリスがいきなり殴りかかる。牙を剥いたといってもいい。腰を据えあらん限りの力で右ストレートをぶちかました。

 もちろん珊瑚障壁も6筋から攻められるのは想定している。想定はしているが、味方が少ない状況では身を守る術もなかった。

 ▲同歩、△6六歩、▲5八銀、△6五桂……。小さな身体ごと絶壁に取り付き、そのまま壁をこじ開ける。クリスは一方的に攻め続け、ついに局面は収束に向かう。左美濃、いまだ手付かず。対する珊瑚障壁はほぼ丸裸も同然にされていた。そこへ簡単な七手詰めの詰めろをかける。

 珊瑚障壁は少考する。これは受けなしだ。はじめから望みのない戦いだったが、やっぱり突き詰めても望みはなかった。であれば、クリスを褒め称える意味でも、本当に実力を付けたのか確認するという意味でも、詰みまで指してもらおう。

 あえて《パス》に近い意味のない手を指した。▲3八金という、一見即詰みを防いだ手に思えるが、その実まるで受けになっていない。

 潔く首を差し出した形になるが、クリスは十秒程その手を見て硬直した。《珊瑚障壁がここまでして指すのだから、何か意味があるのかもしれない》と疑心暗鬼にかられそうになる。……が、すぐさま詰み手順をチェックし直し、確信を得た。

 盤面は淡々と七手分だけ進む。

『参りました』

 △3九馬からの捨て駒による華麗な詰み筋を見逃さなかった。

 珊瑚障壁は心からの賛辞として拍手を送る。もはや駒落ちで対局していたことなど忘れていたかのようだ。これでようやくこの場所から解放される。早く機妖戦の舞台で戦いたい。内心では無邪気に喜んでさえいた。

 いっぽうのクリスは唇を堅く噛み、瞳にうっすらと水を浮かばせてささやいた。

「次だ」

 この様子ではどちらが勝ったのかわからない。唯一、雰囲気を感じ取れていない菊がクリスの片腕を持ち、格闘技チャンピオンのように挙げさせている。

 勝者のポーズを取らされながら、クリスは反対側の手で菊のリアバーニアに置かれていた駒落ちの駒を奪い、乱雑に盤に放り投げる。敵方の王将に当たり、美しかった詰め上がり図は弾けて散った。

「次は必ず、平手で勝つからっ」

『ええ心意気や。約束どおりウチは機妖戦に出たる。決勝で戦おう』

 試合に勝って勝負に負けたとはこういうときに使うのだろう。結局、クリスは最後まで珊瑚障壁に勝てなかったことになる。


 しかし勝ちは勝ちだ。珊瑚障壁は肩の荷が下りたといわんばかり、駒を片して別室に移る。対局時以外、彼女が引っ込んでいた私室である。二人は手招きされたので顔を見合わせ付いていった。

 ビジネスビル一階の警備員室だったと見られる部屋は、メイドロボの控室に改造されていた。何も映らない監視カメラのモニタは全面破壊されており、どのディスプレイにもヒビが入っている。モニタ群用の電源ケーブルは取り外され、ロボット本体の充電クレイドルに繋がれていた。暫七世代型文化女中機御用達のそれである。見慣れたものだ。

 むしろ眼を引くのはジェットエンジンが付いた長距離飛行用バックパックである。倒れてきたらクリスがぺしゃんこになりそうだった。

 物いわぬ黒塗りの重厚感に威圧され、クリスは全身の毛を逆立て困惑していた。それとは知らない珊瑚障壁はバックパックを呑気に指差している。

『ほな、ウチは一足お先に会場に行くわ』

『付いてきてくれてもいいんですよ? 貴方がいれば、出場依頼が捗りそうです』

『ウチそんな顔広ないで。それより会場設営のほうが人手いるやろ』

 尋ね返された菊は少々考えを巡らす。対局会場の設営は負刃が一手に担っており、それだけなら負刃だけでもなんとかなるだろう。だが機妖戦の真の狙いはその後の発展である。対局場だけでなく、もっと多くの居住・生産施設も整えねばならない。

 真の目的を知っている者が向かうのはとても都合がよさそうだ。それに加え珊瑚障壁はとても信用できる機体に思われた。

『わかりました。貴方に任せましょう。負刃にも伝えておきます』

『任されたっ』

 珊瑚障壁はどんと胸を叩く。それが合図だったかのようにIoT技術で接続されたバックパックが起動し始める。警備員室の隅で甲冑よろしく飾られていた黒い巨塔が自動的に自己点検を開始し、直後に緑のランプが点灯する。二門のクラスターミサイルランチャーと二基のジェットエンジンを備えたそれは、さながら腹を見せた空中戦闘機の風体であった。

 珊瑚障壁はきゅるきゅるとローラーダッシュで歩み寄り、戦闘機を背負うような姿勢を取る。認証済みメイドロボの接着を確認すると、戦闘機からドッキングアームが伸びて接続を固定した。

 パックと一体化した珊瑚障壁は、まさにメイドロボがメイドロボをもう一機肩車しているような巨躯になる。ずっと見ていた菊達も呆気にとられた。クリスなぞは及び腰になっている。

「ひえぇ……」

『そんなに大きくなって、どうやってお部屋から出るのです?』

 菊が当然の疑問を尋ねる。部屋の扉はどう考えても車高オーバーで通行止めである。

『そやから天井ないやろ』

 何をわかりきったことを、と珊瑚障壁が呆れた表情をつくる。

『どうりで』

 話しながら、珊瑚障壁は着々と準備を進める。各種安全装置を解除するのにたっぷり十分はかかった。そしてただひとりクリスだけが古代の最先端技術に付いて行けていない。

「なんだ、何が始まるんだ」

『ここは危ないから、少し下がりましょう。この後滅茶苦茶飛びますよ』

「なんだってメイドロボは空を飛ぶのが好きなんだ……」

 菊に背中を押され、クリスは辟易としながら部屋の外に出る。警備室の稜線にも収まりきらず、崩れた壁の上部から装備の先端が覗いていた。

 開け放しの扉から珊瑚障壁と眼が合う。彼女は明るく手を振った。

『ほんじゃ十日菊。いったんお別れや』

『はい。今度は三年後です』

「ま、またな!」

 クリス達も手を振り返す。

『待っとるで』

 珊瑚障壁は力強く捨て台詞を吐くと上を向いた。

『マルチプル・ランチ・ロケット・ブースター、超久々に点火!』

 珊瑚障壁の掛け声とともに、物々しいバーニアが火を噴く。噴煙とともに強烈な炎をまとってメイドロボが宙に浮いた。そしてあっという間に上空で点になる。

 しばらく手を振っていたが、この距離では果たして見えているのかは疑問だ。

 珊瑚障壁はそうして、クリス達が来た道を引き返して東にある楽園の予定地に飛び去っていった。

 クリスだけはそれでもまだ手を振っていたが、いい加減腕が疲れてきた。痺れた腕を引っ込めると、隣で凛々しく立つメイドロボのスカートを所在なさげに引っ張る。

「……菊」

『どうしました』

「わたし、強くなるよ」

『ええ』

 彼は唾を呑み込むと意を決して告げた。

「けれど一人じゃ限界がある」

 手にぎゅ、と力を込めた。重い金属を引っ張るにはあまりにも弱い力であったが、菊は思わずつられて首を向ける。並んだ二人の身長差は大きく、菊から見たクリスはとてもちっぽけで、ミサイルをぶっ放すだけで派手に消し飛びそうなぐらい矮小だ。その耳がぷるぷるとか弱く震えている。

「菊、わたしの研究相手になってくれないか」

『何故私を指名するのです?』

 当然の疑問だった。珊瑚障壁の指し手を模倣できるクリスであれば、わざわざ菊を指名する必要はない。菊は疑問符を浮かべて尋ねた。

『私は弱いですよ。私が積んでいる将棋ソフトは《EarthFire》といって、暫七世代のナカヨシ・ネットワークから切り離された存在です。宇宙飛行士達が勝手にインストールした個人製作の弱小ソフトウェアです。いままで出会ったメイドロボが持つ《シックスウェイ・リンカネイト》のように、未来予測に長けたソフトではない』

「それでもいい。いいや、それがいい。この星のメイドロボはみんな珊瑚障壁に勝ち目がないんだろ。わたしだって駒落ちでようやく勝てたんだ。平手じゃ太刀打ちできない。だったら別の手段を採ろう。他のやつらにできないことを始めた菊を信じてる。わたしの相手は菊しかいない」

『せめて、もっと適任がいるでしょう。炎泉とか……。少なくとも、いまの私はメイドロボの中では弱いほう』

「だからいっしょに強くなるんだ、菊!」

 十日菊に触れる手を引っ込めると、クリスは改めて眼差しに力を込めて見詰めた。

「菊は棋戦を立ち上げるのに頑張った。わたしが何もできないのは嫌なんだ。今度はわたしが菊の力になる」

『傲慢な。妖狐ごときが、私達メイドロボの力になれるなんて……思い上がりです』

「棋戦は妖狐が勝たないと意味がないんだろ。メイドロボと妖狐が助け合う世界になるためには、そんな風に見下されてるようじゃあ一歩も前進しない。妖狐もやるんだぞ、ってところを見せてやらないと。菊はいってくれないけど、この棋戦は最後に妖狐が勝ってこそ成功するはずだ」

『……』

「わたしは菊に、そんな景色を見せてやりたい。二人で見たい!」

 菊は黙り込んだ。自分よりも二百五十歳は若いくせに、時折クリスは妙に鋭い。クリスにひとこともいっていないのは、別に黙っていたわけではなく、本当に何も考えていなかったのである。けれど口に出されてみると図星だったような気がしてくる。

 いまこの地球上にいる知性体の中でいちばん将棋が強い者は誰か。そんなお題目はただの金看板のつもりだった。誰が勝ったとしても《囲い》の礎にはなるだろう、そんな風に考えていた。


 チャンピオンは妖狐でもAIでも、どっちでも良かったのだ。つい先程までは。


 自律式文化女中機の人工知能は将棋ソフト《シックスウェイ・リンカネイト》が導いた未来予測により行動を決定する。根幹となるソフトウェア自体がすげ替えられた菊ですら、将棋ソフトを用いた《読み》で未来を予測するという原理には逆らえない。そんな自分の弾き出した結論が、他の機体までをも巻き込んで新しい流れを作り出していくのは不思議で、少し怖い気もした。いまさらになって間違えていたらどうしようかとすら感じる。

 というか、事実、いままさに間違えていたではないか。だから傍に立つ友人はこうやって教えてくれた。

『……うふふ、いちばんわかっていなかったのは、どうやら私らしいですね』

 菊は優雅にスカートの裾を摘み、頭を垂れる仕草をとった。カーテシー。これも国際宇宙ステーションではなかなか人気の高いポーズであった。服従とは違い、恭しく相手を認める誇り高い行いであるから。

『すべて了解しました、結唯・クリスティ。私も貴方の友人として、ともに強くなりましょう。目指すは機妖戦優勝ですっ』

「よっしゃ!」

『先は長いですよ』

「構うもんか、まだ三年もある」

 埋もれた廃墟から希望が宿る。この星に再び光を灯すため、二人は本当の意味で手を組んだ。

 宇宙から来た機械音痴のメイドロボ、十日菊。

 将棋を指し始めたばかりの女装少年妖狐、結唯・クリスティ。


 いまはまだ、地球から見る月の輝きを知らない。


 機妖戦開催まで、あと三年とちょっと――。

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桂月吊るし @maetoki

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