第4話 燃える泉

 負刃から借り受けた微細機械電池式トラックは、メイドロボと妖狐を乗せてひたすら西の方角に走っていた。負刃と別れたのがまるで昨日のことのように感じる。

 菊は助手席に座り、リモートアクセスで負刃宅のネットワーク端末からMANにログインし、ウェブページのソースコードを叩いていた。

『タイトル棋戦発足のお知らせ……皆様奮ってご参加ください……と。クリス、どう思います』

 突然話を振られて、半ば寝ぼけながら運転していたクリスは少しだけ反応が鈍った。

「あ、ごめん聞いてなかった。何だっけ」

『危険運転! ちゃんと前見てください』

 数百メートル先には巨大な岩石が迫っていたが、バスは緩やかなカーブを描いて障害物をかわす。元いた凸凹だらけの車線に戻ると、あえてクリスはハンドルから手を離して菊に突っかかった。

「ネガティブさんに教わったのを忘れたか? この車は自動運転だから平気だよ」

『そっちこそネガティブさんから聞いてないのですか。地軸が狂ったせいでGPSが役立たずだから、自動運転機能は使えないんですよ』

「だからこうして人の手で運転する必要があるわけね」

『そうですとも。機械なんて信用できません。あなたが、安全運転してください』

 クリスは横目でちらりとダッシュボードに備え付けられたナビゲーションシステムを一瞥する。いつの間にか地図の上では崖を飛び出し、青い海上を真っ直ぐに突っ切っている。亀を模したナビ・キャラクタが《逆走!》と警告していた。なるほどマップデータの更新すらままならないらしい。少なくともいま走っているのは無人の廃屋が立ち並ぶ住宅街のはずだった。

「自分でやればいいだろ。わたしは将棋に専念したいんだ。強くならなきゃ」

『それはその。私ってば免許持ってないじゃないですか』

「わたしだってムメンキョだぜ」

 クリスは流し目で菊を見ながらにやりと呟いた。

「素直にいえよ、《私はハンドルも握れないほど機械音痴でございます》って」

 都合のわるいことだったらしく、菊は答えることなく咳払いのふりをした。

『こほん。同胞達にタイトル戦のことを周知したいのですが、こんな文面で興味持ってくれると思いますでしょうか』

「流しやがった。……わたしに聞かれてもな。メイドロボのセンスはわからん」

『あら、聞くだけ無駄でしたね』

 菊は腰掛けたまま、微動だにせずじっと前を向いている。バイクに続いてトラックまで壊されてはたまらない。けれどもそれがまたクリスの癇に障ったらしい。

「ちょっとそのいいかたは酷いぞ。ならアドバイスしてやろうじゃないか」

『受けて立ちましょう』

「そのタイトル棋戦のことだけど、タイトル棋戦、タイトル棋戦じゃちょっと格好が付かないだろう。何より長い」

『つまりタイトルにわかりやすい名前がいると』

「そういうことだ」

 菊は慌てて自己データベースを参照する。いまだにMANからは仲間はずれにされているが、宇宙に行く前の古い人類史なら知っている。

『なるほど竜王戦、棋王戦、王将戦……。人類の時代には棋戦自体に名前が付けられていたのですね。キャッチコピーというわけです』

 いったいどこからその情報を先に仕入れていたのやら、ともかくクリスは勝ち誇っていた。耳がぴんと張っている。

「わたしはもう考えたぞ」

『あら、私だって考えましたよ』

 菊の目視できる範囲に障害物は落ちていない。ハンドルさえ握っていれば事故らないだろう。二人の視線が錯綜し、ばちばちと火花が散った。

「なら二人でいっしょに発表だ」

『受けて立ちましょう!』

「こういうのはどうだ。文化女中機と妖狐が戦うから、機妖戦」

『こういうのはいかがでしょう。メイドロボと狐の王を決めるから、冥王戦』

 ぶろろろ、とエンジンの燃焼がバスを揺らした。睨み合いが続いたあと、クリスが口火を切る。

「冥王戦はセンスがない。メイドロボの王を決めるみたいだろ」

『機妖戦だって、ぱっと見将棋のタイトルに見えないです』

「太陽系から消えそうな名前しやがって」

『それこそ夕方六時にやってるアニメみたいです』

「メイドロボの王と来た。妖狐はどこ行ったんだ」

『機妖戦記、まさかの参戦決定。ネット大荒れ』

「なんのこっちゃ」

『私にもわかりませんっ』

「とにかく将棋のタイトルだからって《王》の字を入れるセンスが安直過ぎる」

『ひねり過ぎて伝わらないってことですよ』

「あーだこーだ!」

『すったもんだ!』

 激論の末勝負は引き分けとなり、二人して肩で息をしながらキッとまなじりを決した。

『このままでは埒が明きません。次に出会ったかたに名前を決めてもらいましょう』

「いいとも! その言葉忘れるなよ」

『メイドロボは一般的に物を忘れません!』

 威勢のいい言葉とは裏腹に、クリスは緩やかにブレーキを踏むとハンドルを切り軽くドリフトさせた。なだらかな雪のせいで制動距離が長い。トラックのナビゲーションシステムが的はずれな土地の特産品を示している。《ここはタマネギと渦潮が名産品です》だそうだ。

 バスはお宅の玄関前に留まる。タマネギはともかく、渦潮は巻いてなさそうだ。

「よし着いた。一番目のターゲット、型番一一二三・《炎泉ファイアスプリング 》だ」

『早速呼びかけてみましょう』

 いうなり、菊は車外向けスピーカーを使って声を張り上げる。

『もしもし、炎泉さん。ご連絡していた十日菊と申します』

 すぐに返答があった。

『ええ、聞こえていますよ。どうぞ上がってきてください』

 柔和な声で招き入れられた。ひとまず負刃のようにいきなり攻撃されることはなさそうである。ほっと安堵しつつクリスは車のキーを外した。

「話が通じそうでよかったな。またミサイル撃たれたら敵わん」

『荷台に借りた大陸溶断レーザー砲を置いていますから、今度は応戦できますよ』

「よりによってそんな物騒なモン借りたのかよ」

『大は小を兼ねると申しまして』

「疑わひろしげ」

『今年初笑いです』

 菊とクリスは相変わらず仏頂面だった。

 二人はシートベルトを外し炎泉の家に迎えられる。物々しかった負刃の住処とは違い、こちらはいわゆる一般的な民家だった。

 外装からは区別がつかないが、住居の壁一面に微細機械マイクロマシンの通り道があり、常に整備されている。加熱されたボディで雪が溶けるので、そこだけは綺麗な装いそのままだった。

 加えてインテリアですら微細機械であり、中核にいる住居保全用人工知能の判断ひとつでレイアウトが変わるという最新式だ。電力はすべて自家発電でまかなっており、文明崩壊後千年近くが経ったいまでもぴかぴかに明るい。

「お邪魔します」

 クリス達が足を踏み入れたときには一般的なフローリングを模していた。

『遠路はるばるようこそ。あ、クリス様、おなかすいてませんか。きつねうどん食べます?』

 膝から軋んだモーターの音を鳴らしながら、それでも優雅に頭を垂れたのは炎泉その人だった。オフホワイトのボディに一本線の眼、体表には量子信頼性高次元T.CPUアクセスラインの光……以下略。

 細かい傷を除けば、彼女の容姿は負刃とほぼ同じだった。量産型の文化女中機という肩書きは伊達ではない。

 ただクリスは見た目のことよりも、聞き慣れない単語に興味を惹かれてしっぽをふりふりと振っている。思わず炎泉が凝視した。

「きつねうどん……知らない名前の食べ物だ。おいしいの」

『それはもう。いまなら餅を一個追加できますよ』

「食べる食べる、すぐ食べる」

 炎泉は嬉しそうにキッチンへ引っ込んだ。彼女の身体には充電ケーブルが無造作にこんがらがって繋がっており、クリス達はひょいとかわしてリビングルームへ向かう必要があった。

『炎泉、既に話は通していると思いますが……』

 てきぱきとした動作で化学調味料の封を指先のパルスレーザーで焼き切りながら、炎泉は答えた。

『タイトル棋戦への参加要請ですね。ええ、伺っております』

『私達の目指す未来のため、貴方にも参加して頂きたいのです』

 炎泉はキッチンから手を伸ばしてどんぶりを置いた。湯気が立ち上り、ダシの効いた匂いが漂ってくる。クリスはふんわりと香る何某かを嗅ぐように鼻をひくつかせた。

『できました。どうぞ』

「わぁい」

 早速フォークをうどんに突き立てる。どうやら食前の祈りやら箸といった習慣は失われているようだった。炎泉は一瞬だけ寂しそうな色に光った。菊も同じだった。代わりに二人して電子頭脳の内部で《いただきます》と唱えておいた。

『あの、炎泉……』

『ええ、とても有意義な試みだと思います。我々は人類と主従関係を結んで、一度失敗しているのですから。またみんなで暮らせるときが来たらどんなにいいでしょうか。ええ、泉さんもその目的に賛成です。きっと、そのほうがいい』

 炎泉の一人称は、どういうわけだか《泉さん》らしい。遠い目をして呟いていた。

 そうして炎泉は改めて菊に向き直り、深々と頭を下げる。

『ですが、泉さんは今回キャンセル致します』

『なっ!?』

 次の言葉が出ない。ただただ、クリスが麺をすする軽やかな音がする。

『物理的な理由です。参加したいのはマウンテン山脈……つまり山々なのですが、本機の内蔵イオンバッテリーが寿命なのです。長距離移動が叶いません。いまだって充電ケーブルに接続しないと歩けませんし。嘆かわひろしげです』

『合間合間に古いギャグを挟むせいで真剣味が伝わりません』

『失礼。泉さん、奥ゆかしいもので』

 炎泉は軽く肩を竦めた。

『せめて、MANでのネットワーク参加が可能なら参戦できるのですが』

『それは駄目です。棋戦には生身で来て欲しいのです』

 はて、とでもいいたげに炎泉は小首を傾げた。

『私達にとって将棋というものは、単純な数式のやりとりです。歩兵という駒がどこからどこに進んだ、という。直接駒を触らなければならない理由はありますか』

『……あります』

『おや奇遇ですね。実は私も《ある派》なんですよ』

 炎泉は全てを見透かしているかのように、目線の光だけで微笑んだ。

『だったら!』

『でもやはりキャンセルということで。ああ……私も、見てみたかったな……がくり』

 力尽きたように首の力を抜く。冗談で誤魔化そうとしているが、炎泉の名残惜しそうにしている姿は本物だった。と、そこへ食べかけのクリスが口を挟む。

「バッテリーだっけ。そのパーツを新品に交換すれば来られるんだろ?」

『ええ、まあ。余裕ですね』

 炎泉は途端に生き返りこくりと頷く。

 クリスはうどんをすする手を止め手短に指示を出す。指示するだけ出して、フォークを持つ手はうずうずと麺を食べたそうにうごめいている。

「菊、ネガティブさんに電話」

『はあ』

 指図されるまま菊は負刃に回線を繋ぐ。もしもし、と相手が出たところへクリスが電話口に代わり、簡潔に状況を説明した。

「かくかくしかじかというわけで、メイドロボのバッテリー? とやらが欲しい。在庫はないか」

『委細承知。結論からいうと私のところにはない』

 受話器の裏で土木作業をする派手な音がする。目下、負刃は多数の作業用機械を操り土地を耕していた。いまは土地をならしているところだろう。どこぞの機械音痴メイドとは大違いである。

『だが心当たりならある』

「いいね」

『目的地のひとつに珊瑚障壁グレイトバリアの根城があるだろう。彼女ならいくつか持っているはずだ』

「そりゃまた都合のいい。でもなんで?」

『いまのところはただの推測だ。行けばはっきりする』

 クリスは菊に目配せするが、菊は全然わからないという風に首を振った。宇宙ステーションで暮らしていた菊には、地上のメイドロボ達の生活など推測も付かない。

 ともかく目処は立った。

「まあいいや。情報サンキュ、ネガティブさん」

『あっ、こら。そっちは耕さなくていい。……健闘を祈るよ』

 そして通信が切れた。ようやくありつけるとばかり、クリスは出汁に沈んだ餅を突き刺すと美味しそうに頬張った。もごもごと噛み切り声を出す。

「おいしい!」

『お粗末さまです』

「全然粗末じゃないぞ」

 クリスは長袖のメイド服の裾で口元を拭い、

「ここでの用事は済んだ。泉さん、約束だ。わたしらがバッテリーを持ってくるから、棋戦への参加を改めて考えてくれ」

『……ええ!』

 炎泉がこれ以上ない程の喜びをアクセスラインの点灯で表現した。銀河のようにきらきらと体表を煌めかせる様は、ちょっぴり眩しかった。

『でもその前に、一局いかがです?』

 炎泉はパチンと指を鳴らす真似をして、住居保全系のシステムにはたらきかけた。突如としてクリスがごはんを食べていたテーブルにホログラムの将棋盤二つが現れる。慄いたクリスはどんぶりをひっくり返しそうになった。

『クリス様と十日菊様の二面指しでいかがです。《ウォーターゲート》勝率二位の実力、お見せしましょう』

 精巧に作り込まれたホログラムの将棋駒を掴み、炎泉は自身に満ちた笑みを浮かべる。


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