第3話 タイトル未入力
ややあって、クリスは恐る恐る眼を開いた。頭上数ミリのところでビームソードが止まっている。上目遣いに潤んだ眼で負刃の様子をうかがう。
『駄目だ……私には、こんなにかわいいきつねさんを切り刻むことなんてできないッ。できるわけがない!』
大きなため息を吐くと、唸るビームソードの下からクリスは這い出た。刃が壁に食い込んでいたので、本当は這う必要もなかったのだが腰が抜けている。
「死ななくても痛いものは嫌なんだよ。そんなことされたらご主人様以前の問題だからな。再生したほうのわたしもきっと思うぜ、《こんな暴力系メイドまっぴらごめんだ》って」
『……わかっている。本気で襲うつもりはなかった』
「どうだか」
クリスは吐き捨てた。負刃の様子がおかしいのは明らかである。菊を破壊しようとしたのだって、結局は二人きりになる機会を狙っていただけなのではないか。
『ときにクリスちゃん、君はどうしてきつねさんの群れを抜けた』
「質問ばっかだな。……まずはその豪華なペンライトを止めてくれ」
いわれたとおり、負刃はビームソードの電源を切る。攻撃の意思がないと伝えるためか柄ごと放り捨てた。
「ちょっと外の世界を見てみたくなった」
『旅には危険が付きものだ。怖いものに出会うぞ』
「構わない。でもあの妖狐の集落に紛れて、ただ生き続けるだけなんて飽々したんだ」
『今日だけで君は私に二回殺されそうになった』
「本気じゃない、だろ? なら危なくない。どうせわたしは不死身だ」
単調な口調でクリスは返す。ふと地下室に息苦しさを覚えて作業着のジッパーを下ろした。
『他のメイドロボはもっと聞き分けがわるい。なにせ将棋か新しいご主人様のことしか考えていないからな。この先、君が何人に増えるのか想像もつかない』
「ぞっとしないな」
『このままでは何も変わらない。君は、悪意を持ったメイドロボに時折半分こされて、その都度分裂しながら十日菊と共に旅を続けることになる』
クリスは反論できなかった。多少虚勢は張ってみたが、妖狐が二等分されれば増殖するというのは真実だった。手段を選ばないメイドロボに出会ったとき、自分が何をされるかということを改めて思い知らされている。
命の危険……とまではいかないが、繰り返すように痛いのは嫌だった。
『君が助かったのは私の殺意が甘かったからではない。十日菊の考えに賛同したからだ。君がシャワーでおちんちんを洗っているとき、十日菊と対話した。そして知った』
「おちんちん以外も洗ったよ」
『ここで君にご主人様になってもらうよりも、もっとよりよい未来があると気付いた。君は外の世界を見たいといっていたが、いまの地球はどこも似たりよったりだ。君達はずっと同じ景色を見続ける。何も実現できやしない。この星はいまの君達そのものだ。妖狐の集落にいるのと、宇宙ステーションにいるのと、何が違う?』
「…………菊は、信用できるやつだ……と、思う」
『そうかな、私の見立てでは、予想以上にノープランだ』
「そんなはずはない。とても楽しい旅だ」
『気付いていないかもしれないが、君と十日菊の目的地は同じだ。君達二人ならよりより場所を目指せるのに、知ろうとしていない』
「それは違う……っ」
『まったく十日菊の無能ぶりには呆れ果てるばかりだ』
「あいつは……」
『君らの旅はここで終わりだ』そうして突き付けるように指さした。『このままではな』
唐突、負刃のいいぐさにふと違和感を覚えた。クリスは小首を傾げて続きを促す。かわいらしさに根負けした負刃がビームソードの鞘すら機体に格納し、壁いっぱいに広がる棚に置かれたポリエチレン製の大袋を取り出した。
「今度はそれで殴ろうっていうのか」
『そんなことしたら中身が飛び散るだろう。本当はね、これを取りに来たんだ』
ひょいと投げてクリスに渡す。メイドロボの膂力ではわからなかったがとても重い。クリスはよろめきつつ、精一杯怒った。
「うそつけ」
『最初にいったとおりだ。私だけ享受するのは居心地がわるい。君もちょっとぐらい背負いなさい。あ、でもあんまり重いなら持ってあげる』
「……こ、こんぐらい持てるよ」
負刃はかたかたと、家具の建付けを確認するみたいに揺らす。錆びついているが問題はないと判断した負刃は、ひょいと大きな棚ごと持ち上げた。棚のすべてに同様の大袋が収まっている。数にして五十は下らない。歴史ある土埃が軽く舞った。
わたしに持たせる意味は、というクリスの反論を聞き入れずにもと来た道を引き返す。何度か棚に支える天井を力づくでぶち破りながら地上へ向かう。
そうやってクリスと負刃が地上に戻ったとき、菊は既にうさぎさん区画から大型のレーザー銃を持ち出していた。銃というか大砲だった。大砲というか大陸を両断するための荷電粒子砲だった。誰と戦争するつもりなのかと問いたかったが、それ以上に菊は怒っていた。
『遅すぎます。何か申開きは』
『いや、ない』
『まったくもって見苦し……あれ。随分素直なのですね』
負刃はアスファルトの路肩に荷物を下ろす。金属棚は柔らかい火山灰の地面にめり込み、その自重をもって安定した。
『なんですかコレ』
『聞いて阿鼻叫喚――』
後ろから遅れてやってきたクリスが、ようやく一段落という体で肩に携えた大袋を放り投げる。元あった場所へ戻すのだから問題ない……と思いきや、袋が重かったせいで放物線に高度がない。棚のてっぺんに投げ込むはずが、勢いよく真正面に当てる形になってしまった。
決定的な一撃となり、金属棚はゆらりと傾いて地面に倒れる。周囲一キロメートルには響きそうな大音がした。地下の埃の比ではない、灰煙がもうもうと立ち込める。負刃が大切に集めたであろう荷物が破けてしまっている。
「あわわ」
慌てふためいたクリスは涙目になりぺこぺこと頭を下げようとする。大袋の中から、土と白い石灰のようなものが地べたにばらまかれている。
仕草がかわいすぎてしんどかったので負刃はどうしてよいかわからず、たまらずにっこりと笑った。
『気にするな、破ける手間が省けた』
「……くぅーん」
『あっつらい待って無理死んだ』
『何が無理なんですかね……』
菊は腰に手を当て、呆れた様子をつくる。そんなことは意に介さず、負刃は改めて水を向けた。
『考えを整理してみたのだが、十日菊。君の計画にはやはり無理があると思う』
『またその話ですか……探してみないとわからないでしょう』
『悠長なことだよ』
『時間ならたっぷりとあります』
『時間では解決できるならいいがな。……まあいい、私の出した答えをいう。探してもないなら作り出せばいい』
負刃はしゃがみ、地面に散らかった濃い色の土をすくう。
『肥料だ。私に念願のご主人様ができたら使うつもりだった』
『えっと……? よくもまあ、この量をひとりで集めましたね?』
『時間はたっぷりあったからな。そしてこの工場には
『……ははあ』
菊はそれだけいうのでいっぱいいっぱいだった。
『次の問題は賛同する仲間集めだが、一人ひとり対話をしてうまくいくだろうか。みな原始時代に戻ったようなものだ。クリスちゃんをご主人様にできさえすればいいという野蛮なメイドロボは多いだろう』
「痛いのは嫌だからねっ」
負刃の傍に立ってクリスが叫ぶ。どっちの味方なんだと菊はきつい眼を向けたが、負刃は話を続けた。
『メイドロボは将棋のことしか考えていない。ならば、将棋をしよう』
『いまこの瞬間にも《ウォーターゲート》とやらで遊んでいるんでしょう? だから直接赴いて対話を試みるしかありません』
『わざわざ足を運んでやる必要はない。向こうから来てもらえばいい』
『そんな楽な方法があるなら実践していますよ』
将棋のことしか頭にないメイドロボを説得するには対話が必要だ。それも直接会って説き落とさねばならない。
菊はずっとそう考えていた。MANに接続できないからという理由ではない。いくら技術が進もうとも、結局他人を動かすには顔を突き合せないといけないはずだからだ。
『いいや、耳目を集めるに足るものがある。メイドロボもきつねさんも一箇所に呼び集めて、みなで同じ目標に向かって熱狂させる、ずっと冴えたやり方がある』
『熱狂ですって。どんちゃん騒ぎをしたいわけではないんですよ』
『まずは注意を引かねばならない。復興には種を超えた大勢の協力がいる。この場所に協力してくれる仲間を集めることが先決だ。それは君にもわかるだろう』
クリスは土だらけになったてのひらで菊のスカート状の下半身を握っていた。こっそり手を拭いている。すべすべとしたカーボン製の体表に湿り気のある土が付着し、付くそばからぽろぽろとこぼれ落ちている。
負刃は口を開いた。
『私達で将棋のトーナメント戦をつくろう。それも半端なものではない。メイドロボが電脳世界を捨てて外に飛び出してしまうようなものを。いまこの地球上に残る者達の中で誰が一番強いのかを決める、とびきり派手で、決して一人きりでは生み出せないもの。タイトル棋戦だ』
負刃はせき切ったように続ける。
『家に篭って縁台将棋に明け暮れても仕方がないと、みなに教えてやるんだ。協力さえできれば、我々はもっとよりよい未来を手に入れられることを示してやろう』
十日菊が息を呑む音を出した。
『そんな大掛かりなものをどうやって……?』
いいながら、思わず一歩身を引く。そこへ勢いよく生身の細腕が上げられた。
「わたしが指す!」
『クリス、いま真剣な話をしているのですよ』
子どもをたしなめるように菊が注意する。負刃にはまだ見せていないが、クリスの棋力はとうてい《タイトル棋戦》を戦い抜けるものではない。
しかし知ってか知らずか、負刃は満足げに頷くばかりで特に否定もしなかった。
『君の夢は、きつねさんと共に暮らす世界なのだろう。ならば参戦はどちらの種族でも大歓迎だ。妖狐もメイドロボも、盤上ではみな対等。我々人類の後継者達が将棋で戦うとなれば注目しないわけがない。少なくとも私は見てみたい』
熱く語る負刃の眼はきらきらと輝いていた。決してゴーグルアイのLED灯がもたらす比喩ではない。
『ですが負刃、貴方はクリスの棋力を知らないでしょう。この子、駒の動かし方を最近覚えたばかりですよ』
「関係ないよ。わたしは不老不死だ」
『ああもう。クリスが戦えるようになるまで何世紀かかると思っているんです』
いかに寿命の永い種族とはいっても、練習して際限なく強くなれるわけではない。それならまだ、既に強い妖狐を連れてきたほうが現実的である。
クリスは熱心にすがっていたが、菊は冷たく彼を突き放す。様子を見ていた負刃ですら間を取り持とうとはせずに、やんわりと断りを入れた。
『実質的には最強のメイドロボを決めることになるかもしれない』
『……まあ、それでも妖狐とメイドロボを集めるにはいい口実です』
『そうだとも。人類の後継者達が再び手を取り合うには、これ以上ない舞台だ』
負刃はうっとりしたように未来を夢想する。
『タイトル棋戦の舞台に二人の戦士が入場し、さらに戦いを見るためにより多くの者が集まる。彼らは手を取り合い、結ばれた紐はより強固な《囲い》になる。……やろう、十日菊。私達は将棋を覚えた人工知能なんだ』
菊は問いただされるとしばらく固まっていたが、やがて決心したように、
『誰と誰が戦うかはさておくとして、一人ずつ対話していくよりも遥かに確実だと、私の未来予測も告げています』
『棋は対話なり、という。いまこそ対話のときだ』
『《囲い》に集ったひと達ならば、きっと素晴らしい未来も築けるはずというわけですね』
そうして負刃は強く頷いた。
『改めてよろしく頼む。負刃は、これより君達を全面的に支援する。――十日菊、君の黄金色の構想に賭けよう』
負刃はマニピュレーターを伸ばし握手を求めた。菊が応じると二人は固い握手を交わす。そんな様子をクリスは頭に手を回し、憮然とした表情で眺めていた。
「ところで、そんなに強い将棋指しはどこにいるんだろうな」
『ある程度なら《ウォーターゲート》の勝率が参考になる』
負刃はMANにアクセスし、《ウォーターゲート》の対局者一覧のデータをソートして答える。
『型番三五三五。個体識別名
『情け容赦なしですね』
『次点は型番一一二三。個体識別名
『情けなくなってきましたね』
『後はまあ、似たり寄ったりだな。性能差がないからほとんどが勝率五割だ。声をかければ有象無象が何百機か参戦してくれるだろう』
「暇人だなあ」
クリスが小声でぼやいた。
『雑兵達なら誰が出ても同じだ。だが高勝率機には必ず参加してもらえ。強い将棋指しに出てもらわないと、そもそもタイトル戦を名乗る意味がない。だいいち盛り上がりに欠ける。最悪メイドロボ側の参戦者はこの二機だけでもいいぐらいだ』
「ネガティブさんはどうするんだ」
きつねの尻尾を振りながらクリスが訊いた。ひどい目に遭わされたのも忘れて結構懐いている。
『私はここに残り土を耕そう。憧れの田舎暮らしだ』
負刃はおどけるようにいうと、腰をひねり散らかった肥料を眺める。メモリ内部で農業用のアプリケーションを再インストールしているようだった。進行度をたしかめるかのように指を立て、徐々に折りたたんでいく。
『私のプランでは四年後に会場の準備が整う』
『それまで私とクリスは旅を続けて、参加者を募るのですね』
負刃は首肯する。明確なプランもなく、ただ目的だけが先行していた二人旅に一条の光が射した気がした。
『わかりました。それでは四年後、また会いましょう』
『ああ。きっとだ。君達の賛同者第一号として、成功を心より予測する』
負刃は腕を差し出すと、再度、三人の間で堅い握手を交わした。
菊とクリスは西方を目指し、負刃はここで土地と会場をつくり上げる。果たされるかどうかもわからない、再び文明が芽生えることを願う静かな約束が結ばれた。
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