「最後の雨。」

屋上で話をしたいと言ったのは衛生長の方からだった。

この間の戦闘で怪我した足を引きずりながら階段を上がる。

屋上へ続く扉を開ける。外の空気は湿っている。灰色だ。

フェンスの近くで外を見ている衛生長が目に入り背後から「来たぞ」と声を掛けた。

衛生長は笑って振り向き敬礼する。その姿を全身舐めるように見る。

「直れ」そう言うと衛生長はフェンスにもたれる。だらしない。いつもの姿だ。

「タバコは禁止だと言ってるだろ」

匂いでわかる。しかし衛生長は悪びれる事なく「仕事に差し支えなければ一週間にたった一本隠れて吸うくらい構わないでしょ。例え規律を乱しているとしても、あたしが今まで何人の命を救って来たと思ってんの?」と言い放つ。ああ、こいつはそういう奴だ。出会った頃からそうだ。

「………本当に辞めるのか」

リーダーの言葉に衛生長は「そうだよ」と答える。鼻で笑うように吐き捨てた。

「お前十八になったばかりだろ、なんで。まだ早いだろ」

無意識にきつい声になっている。自分がささくれ立っているのがよくわかる。

冷静?そんなもの今はどうでもいいのだ。

屋上に二人きり。

リーダーの威厳とかそんなものどうでもいい。プライドなど糞みたいなものだ、今の状況では。

重たい曇り空がニヤニヤ笑う衛生長の顔を陰らせている。遠くの雷鳴が二人の間をしばし無言にさせる。

「あたしはねえ、お外に行くんだよ。お外に行きたいんだよ」

衛生長は沈黙と雲が鳴る音をかき消すような大きな声を出した。

「トーキョーにあるおっきい病院でお勉強させて貰って、人を救う凄いお仕事させてもらうんだ」

だからなんで、そんな決断をいきなりしたんだ。

嗚咽を抑えながら必死でそれだけ腹から絞り出すと、リーダーは俯いた。

背中に衛生長の声が響く。

「あんたのため」

その言葉に背筋が凍るが顔を上げる事が出来ない。ずっと涙を堪えている。 それをどうしても衛生長にだけは見られたくない。耐え切れず背を向ける。それでも容赦なく衛生長の言葉が響いて来る。

「リーダー、あんたはあたしがいると駄目。甘くなる。あたしはこの森の外をもっともっと知りたくなった。こないだあんたの戦闘で思った。そしてあんたはあたしがいると躊躇うでしょ。だから行く。あんたは強いリーダーじゃなくちゃいけない」

わかっている。そんなことはわかっている。

だけどこの一年、誰のために、なんのためにリーダーをやって来たと思っているんだ。

お前のためなのに。お前を守るためでしかなかったのに。この怪我だって、お前を庇うために。

リーダーが言葉を失っていると、衛生長は続けた。

「ねえ、あの時あたしはあたしなりにあんたを守りたかっただけだよ。怪我してたでしょ、あんた。それが愛だと思った。弱っているあんたを見るのも辛いんだよ」

あの時お互いに全く同じ事を、お互いを守る事を考えていたのに、なんで噛み合わなかったんだろう。今はそれが悲しい。

「もういい、下がれ」

自分の声が震えているのがわかる。しかしそんなこと気にしていないのだろう、衛生長は軽い声で「あいあいさー」と答えた。多分またあのいつものふざけた顔で敬礼をしているに違いない。見なくてもわかる。

「早く行け」

そうきつく叫ぶと「じゃあね、またね」という声が聞こえて、数秒後に階段へ降りる扉が開閉する音がした。

雨が不意に腕を打つ。

夏の終わりを告げる雨だ。間もなく外の世界は彼岸である。動けない。その場にうずくまる。体に力が入らない。

夕立の中に少女の嗚咽が鳴り響いたが誰もそれを聞く事はなかった。

愛はなんて勝手なんだろう。なんでこんなに重たいんだろう。

ここから見える景色はなんでこんなに悲しいんだろう。

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