「まだ見えぬ空」
二号は目を覚ました。
一体ここはどこだろう。体中が痛い。
そうだ、ヌエの足を踏もうとしてお腹を攻撃されたんだ。それで気を失った。
そして今、目覚め行く意識の中で足と腕を拘束されている事に気が付く。
胃の辺りが気持ち悪い、手首も足首も痛い、吐きそう。
………どうしよう。
体を捩じらせて周りを見渡す。
部屋の作りから察するに恐らく団地の一室、他の場所に拉致されたわけではなさそうだ。
しかし我々が拠点としていた部屋ではないのは確かだ。ガランとしていて何もない。見えるのは蜘蛛の巣と埃ばかり。
誰もいない。きっとこの部屋は自分以外いない。なんの物音もしない。気配もない。
この無限回廊のような大きな団地の中、ここにたったひとりきりで拘束されているという恐怖。
発狂しそうになる。傭兵部隊に入って初めて「怖い」と感じた。
外の様子はわからないがなんの音もしない。誰もいない、という事だ。そうなるとそう簡単に発見はして貰えないだろう。
どうにか腕か足の拘束、どちらかだけでも解ければいいのだが。
ぼろぼろの畳の上をゴロゴロと転がる。口だけは猿轡を噛まされておらず自由だった。
不思議に思ったが、これは大きな声等出しても無意味だ、という意味なのかもしれない。
二号は静かな部屋の中で小さく呻く。体を這いずらせ、窓に近づく。しかしカーテンが邪魔だ。
今、何月何日何時何秒なのだろう。自分はここに拘束されてどれくらい経っているのだろうか。無論パソコンはとうに奪われているだろう。腕時計型無線機も無い。感触でわかる。
しばらく窓の下でゴロゴロと動いていたその時、玄関の方から音が聞こえた。
体が強張る。ヌエか、ヌエの仲間か。
今度こそ殺されるか、人質としてもっと面倒な目に合うか、どっちだろう。
目をギュッと閉じる。
近づいて来る足音に心臓が壊れそうになる。
「二号、見つけた」
聞き覚えのある声に驚いて目を開く。
そこにいたのは牛御前のトップ、衛生長であった。
しかも完全に戦闘フル装備体制の。
ガスマスクをしているから一瞬わからなかったが、よく見ればその立ち姿は明らかに衛生長なのであった。
特徴的なツインテール、それで判断した。
「通信長が極秘でね、もしもに備えて頼まれてたんだ。洗濯のついでに二号の襟の内側にそっと小さなGPSを仕込んでおいて欲しいって。九尾から支給して貰う時も嘘の申請書書いてさ、苦労したよ。敵に見つからなくてよかった」
そう言いながら衛生長は二号の襟の内側に手を入れた。
拘束は既に解いて貰っている。衛生長の指先に小さな機械が光った。これが二号本人も知らぬ間に仕込まれていたGPSか。
「ありがとうございます」
二号はうなだれる。その頭を衛生長は優しく撫でる。優しい指だ。
「このピストル使いな二号。それとね、外がちょっと面白い事になってるよ」
手渡されたピストルとホルダーを装着しながら二号は立ち上がりカーテンを開ける。
ようやく見えた外の光がまぶしくて目を細めた。しかし何度かの瞬きの後に視界に飛び込んで来たのはとても奇妙な風景であった。
鮮やかな赤が二号の視界を差す。
これは伊達メガネでフィルター掛けて見た方が「怖くない」と即座にそう思った。
建物と建物の間に張り巡らされた赤い紐。
驚いてベランダに出る。
隣の棟とこちらの棟、それぞれのベランダの手摺りを使って赤い紐が空中に張り巡らされている。まさしく縦横無尽、世界を切り裂くような線であり、まるで前衛芸術のようであった。
「これ、何が起きるんですか?」
呆然とした二号の驚きに対して衛生長は首を傾げて「さあ、まだわからない。だけど多分これからわかる。予備の通信機、渡すから二号、あなたがやるべき事はわかる?」と二号の足元に通信機を置いた。
「わかりました」と二号が振り返り通信機を拾っている間に衛生長はヒラヒラと手を振りながら部屋を出て行った。どこに行くんです、と呼び止める間もなく素早く。まるで蝶々のように。
二号は腹を括る。
もう一度奇妙な窓の外の景色を一瞬だけ伺い、そっと部屋を出る事にした。
渡された無線機のスイッチを入れる。
体を低くして、衛生長を少し遅れて追い掛けるようにドアを開ける。廊下に出るともう衛生長の姿は見えなくなっていた。
ふと足元にひとつだけ飴玉のような球体がふたつ転がっている事に気がつく。それはビー玉にも見えたし義眼のようにも見えた。
違和感。
しゃがんで顔を近づけてみると、それは小型爆弾であった。一瞬体が凍り付く。しかし既に処理済みである事がわかった。
………衛生長が全てやってくれたのだろうか。
辺りを見回して、ここが一号棟の二階である事を知る。
衛生長、あの人は一体なんなのだろうか。全く不思議な人だ。
階段の手摺りに触れた時、左手首を捻挫している事に気が付いたが今はそんな事気にしていられない。
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