「練習」
小さな護身用の銃を手のひらで転がしながら、衛生長は溜め息をつく。
慌ただしく午前中に洗濯と清掃を終え、短い休憩を取った。
裏庭にベンチ代わりのつもりで置いた小さな椅子に座り込み、手の中の小さな武器を持て余していた。
「どうした」
突然頭の上から呼び掛けられる。顔を上げるとリーダーが立っていた。
「いつもみたいに屋上にいるかと思ったのにいなかったから」
リーダーはそう言って庭に干された洗濯物を見上げる。
「今日は洗濯も掃除も時間が掛かって疲れたから階段上がる気にならなかっただけ」
衛生長はそう言いながら笑い掛けるが、リーダーは相変わらず無表情だ。
「何か考え事でもしてたのか」
ああ、見抜かれている。なんと恐ろしい相手なのだ。
「………私、銃の扱い下手なんだよね」
「入隊して最初に研修があっただろ」
あった。卒業生で自衛隊に入隊した者が定期的に数人の仲間を引き連れて新人を中心とした研修を行ってくれるのだ。身を守るための訓練だ。
「そりゃ研修はしたけど結局衛生兵に配属だからあんまり使う機会もなくてさ。でも今回久々に大きな任務でしょ、もしかしたら私だって使うかもしれないと思うとちょっと怖い」
素直にそう答えた。
思っている事を何も言わない方が嫌がられるのを知っている。
リーダーは相変わらず無表情でクールだ。
でも綺麗な横顔だなあと思った。たまにいる、こういう立っているだけで人の目を引いてしまう人が。
「お前はすぐに招集にはならない、それまで射撃場で少し練習しておけばいい」
リーダーは続けて言った。
「むしろ催涙弾の投げ方でもシュミレーションしておく方が有益かもな、その方がお前に向いているかもしれない」
珍しく軽口だ。多分これは本気で言っていない。
体を捩ってリーダーの手をつかみ、そのまま勢いで立ち上がった。しばらく無言で見つめ合う。
多分リーダーは「お前が前線に狩り出される時には既に天狗の手で戦闘は終わっている」と暗に言いたいのだと思う。
今まで何度も言われてきたし、実際そうだった。ただ一応「もしもの時に身を守る練習のフリくらいはしておいて損はない」というだけの話だ。
万全を期すのがこの部隊の仕事なのだから。
衛生部隊は常に後方支援の役割であり、もしまかり間違って前線に立たなくてはならないとしたらそれは相当な有事の時だけだろう。
いつだって状況は目まぐるしく変わるけれど、大体戦闘部隊が有能過ぎるため衛生兵に「もしもの事態」はなかなか訪れない。
それでも身を守る練習は大事なのだと頭でわかっていても正直心が疲弊する。
リーダーはそこを余り重要に考えていない節がある。
備えあれば憂いなし、それが先ず頭にある。
だけれど今まで一度も来た事がない有事のために練習する、それはそれでハードル高いんだよ、多分あんた達とこっちでは覚悟の方向が違うんだ、とはとても口に出来なかった。
どう方向が違うのか、うまく説明しろと言われたら多分口ごもってしまうから。
何も言えないままの衛生長の手をリーダーはやはり何も言わずにそっと振り解いた。行ってしまったリーダーの背中を見つめる。
リーダーの強くしなやかな手がいつも後方部隊を守ってくれているのは百も承知だ。 だけどその指先が時々震えている事だってよく知っている。
誰だって怖い。生きるのは怖い。それでも生きるために何かをしなくてはいけない。 そうでなければもっと怖い死が待っているのだから。
頭の上で洗濯物がなびく。その隙間から見える空はとても青い。
そろそろ取り込もう。
隊員全員分のセーラー服。ひとつひとつ襟の裏に名前と所属が刺繍されている。これを丁寧に素早く畳んで部隊毎に分けて行く。それも牛御前の仕事だ。
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