「かまいたち、潜入」

廃墟となった団地にテロリストのひとりが潜伏しているという情報が既に上がっていた。

その男はテロ組織の中でも下っ端ではあるが、我々の捕獲対象であるヌエの恋人であるとされる。信憑性は五分五分。しかし「何かしら関係がある」のはほぼ確実である。

リーダーの支持でかまいたちが一先ず情報収集のために先陣を切って野営を張っていた。それが会議の三日前の事。

そして今日、かまいたちのひとりが接触を図る事になる。

元々天狗のメンバーであり、今回精鋭部隊に抜擢されたカラスという十六歳の隊員がその役を仰せつかった。

才能はあるがまだ若く、幼さが残るため敵に警戒心を抱かせないであろうという判断である。

一先ず不知火の一号・二号が持ってきた「新しい制服」に着替える。

普段の戦闘で着用しているセーラー服ではない。

白いシャツに薄手のニットベストを着せられ、紺のスカートは長さを何度も調整させられた。胸元のリボンの崩し方、カバンの持ち方まで指導される。

どうやらこの廃墟から少し離れた場所にある公立高校の制服によく似せてあるようだ。

暑苦しいが髪は下ろすように言われた。薄く化粧もされる。

「対象の男は三棟の三階、三○四号室に潜伏していると見られる」

そう隊長に言われ、カラスは頷いた。

「言われた通りに出来るか?」

これは確認である。

「もちろんです、たいちょう」

目が白黒する程緊張している。しかしこれはカラスに取って初めての大きな仕事だ。頑張らなくてはならない。

カラスは少し周りを見渡しながらゆっくり団地の中を歩く。

五階建てのフラットな中層棟がドミノのように連なっている。

各階に部屋は十部屋ずつ。

廃墟なだけあり、一部は不良のたまり場、犯罪の温床となっているというもっぱらの噂だ。

その割にかまいたちが野営を張る裏山には侵入者が少ない。最初は不思議であったが、洞窟の近くに古びて打ち捨てられたような神社があった。治安が悪い割に意外と信心深い人間も多いようだ。また、治安に問題有りと言いつつもここが騒がしいのは主に夜の話で、昼間は全くといっていい程人気がない。ただの死にかけの街であった。

余りの暑さに汗を拭う。華奢な手の甲が湿る。

三号棟にゆっくりと近づく。心臓が高鳴る。四号棟との間に忘れ去られたようにひとつの公衆電話があると言われた。それが目印であると。

上に言われた通り、カラスは一先ず公衆電話に小さな盗聴器を仕掛ける。一応まだこの公衆電話は機能している、という情報がある。どうやらこの団地は空っぽになってそれ程時間が経っていないようだ。今更公衆電話、とも思ったが、少し前にあった大きな災害を機に見直す動きがあるようだ。


建物内に入る。階段。一階と二階の間の踊り場に座る。時計を確認。十二時十五分。いつもなら対象者はこれくらいの時間に一度外に出て来る。

カラスはカバンから煙草を取り出す。

ぎこちなく火をつけ、ゆっくりと吸った。舌が軽くヒリヒリする。

初めてではない。まだ傭兵部隊に合流する前に一度吸った事がある。それが原因で入ったばかりの高校を辞めさせられ、怒り狂った親に「全寮制の学校へ行け」と絶縁されたのであった。

灰を床に落とすと、上の方から人の足音が聞こえた。

緊張が背筋を走る。ライターを持った左手に力が入る。

階段から降りて来たのは二十代半ばくらいと思われる背の高い痩せ細った男だった。

萎びている、というのが第一印象だ。

男と目が合ってカラスは慌てて煙草を揉み消し、慌てた声で「ごめんなさい」と言って立ち上がる。

「………近くの高校の子?」

そう問われ、カラスは俯いたまま反応しなかった。全ての行動は隊長からの指示だ。

あらゆる練習をさせられた。

「何、部活でもサボってここで隠れて煙草?」

意外と軽い口調で喋る男だ。

時期的にまだ世間は夏休み。もうほぼ終わりかけの時期ではあるのだが、この時期に制服で歩いていれば部活か補習のどちらかと思われるに決まっている。

「………すいません」

カラスがもう一度そう言うと男は小さく笑った。そこでカラスは一度男の全身を舐めるように見た。男は目が合うとまた笑う。

「言わないから大丈夫。だけどここは危ないから昼間でも若い女の子があんまり来ない方がいいよ、気をつけな」

そう言って男は外に出て行った。なんて不用心な男だ。

こんな男が本当にテロ組織の一員なのだろうか。

男の足音が遠のくのを待って、素早く上に上がる。エレベーターは壊れている。だからスピード勝負だ。

廊下を早足で歩きながらダストシュートの蓋を片手で確認。錆びていて開かない。

三○四号室は真新しい鍵が掛かっている、これは想定内。三○三号室の鍵は壊れていたのでそちらに侵入する。音を立てずに素早く中に入ると壁に盗聴器を仕掛ける。

部屋を見回す。この棟の部屋割りは基本的にワンDK。窓からこっそりと外を伺う。男の姿はない。急いでベランダに飛び出し、カバンから取り出した縄を使って脱出した。

平静を装って団地の外に向かう。ここから裏山に直接向かうより、一度反対側の国道沿いに出てから遠回りする方が誰かに会っても怪しまれない。

丁度国道に出たところで男と再び擦れ違う。カラスは緊張した面持ちで男に小さく会釈をして歩き続けた。

恐らく国道沿いにあるコンビニエンスストアに行っていたのだろう。袋の中身も確認した。

男は現在ひとりでこの廃墟にいる。それは揺るぎないだろう。

コンビニの前に着いた時、初めてカラスは立ち止まり大きく息をついた。

支給された無線機を取り出す。これはいつもの時計型ではなく、見た目はなんとか携帯電話のように見える。一般人の目がある場所ではこちらを使う。そしてこちらの方が使用出来る範囲が広いというのも大きかった。

「任務終了。急いで戻って報告をします」

それにしても久しぶりの煙草は舌が痛い。もう吸わない。だけどいつもと違う制服は気に入ってしまった。着替えるのが勿体ないな、と思ったけれどそういうわけにもいかない。残念だ。

でも自分は普通の高校生になんてなれやしないのだ。

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