赤い瞳の悪魔の再訪

古来からまことしやかに囁かれているとおり、人間と人間ならざるものとの時間の流れは異なる。

ジャックに騙された赤い瞳の悪魔は、10年前と変わらない姿で再びジャックの住む街に訪れていた。


「さっさとジャックを見つけて、彼の魂を約束どおり抜き取ってやる」


意気込む赤い瞳の悪魔だったが、まだ日も高い真昼間の時間では、さすがに10月31日と言えど開店している居酒屋はない。

じゃあギャンブルで人からお金を巻き上げているのかと当たりをつけてみて、賭場をまわるも、空振りに終わった。


「気合を入れすぎちゃったわ。夜になるまで待てばよかった」


散々無駄足を踏む羽目になった赤い瞳の悪魔は、夜まで休もうと街外れまでふわふわと飛んできた。

人々の声が飛び交い、様々な店が密集している街のすぐそばにもかかわらず、ガラリと雰囲気が変わり長閑な風景となった。

小道の両脇には林檎の木が生い茂っており、重たそうに実をぶら下げている。

何とはなしに林檎を眺めていると、「おや」と後ろから声をかけられた。


「もしかして、君はあの時の赤い瞳の悪魔のお嬢さんかな」


お嬢さん、等と呼びかけた人間は過去に1人しかいない。

勢いよく振り返ると、彼女が思い浮かべた人物がそこに立っていた。

赤い瞳の悪魔の記憶と比べると、幾分か歳を重ねているように見えるが、その美しさは衰えておらず、また魂の穢れは以前よりも進んでいるようだった。


「10年が経った。約束どおり、ジャック、魂を貰いにきた」


不遜に見えるような態度で赤い瞳の悪魔がそう言うと、ジャックはにこりと人のいい笑みを浮かべた。


「約束だからね。どうぞ」


やけに聞き分けのいいジャックに赤い瞳の悪魔は警戒心を高める。

この人間に騙されたことは、この10年間一度たりとも忘れていない。必ず何か仕掛けてくるはずだと、赤い瞳の悪魔は確信していた。

そして、ジャックが「ただ」と切り出すと、内心それきたと、赤い瞳の悪魔は身構えた。


「10年前、約束した時間は夜だったはずだよ。今は昼間だから、まだ魂はあげられないな」


悪魔は約束を必ず守るんだろう、とにこにこ言われる内容に間違えはない。


「時間稼ぎをして私から逃げるつもり?くだらない。そんなことをしても無駄よ」

「そんな姑息な真似はしないさ。じゃあ俺が逃げないように、夜まで見張っていればいい」


そう言って、ジャックは林檎の木の下に座り、隣をぽんぽんと叩いて赤い瞳の悪魔に座るように勧めた。

ジャックの言うとおり、今魂をとってしまうと約束を破ってしまうことになる。しかし、ターゲットがこの場にいるのにここから立ち去って後でまた探し出すのも非効率的だ。


「…その前に身につけている十字架をどこかへ放りなさい」


赤い瞳の悪魔にそう命令されたジャックは、一瞬考え込むような表情をし、すぐに思い当たったのか肩をすくめながら財布から十字架を取り出し、3つほど離れた林檎の木の下に置いて戻ってきた。


「その十字架以外持っていないでしょうね」

「そんなに警戒しないでくれ。あれは不幸な事故だったんだ。俺は本当に自分用の十字架を持ち歩く信仰心の高い人間じゃないし、あの十字架だってお嬢さんがくるまで忘れるようにしていたんだ」

「信仰心が高くなくても、私が今日来ることは知っているのだから対策として複数持っていても不思議じゃない」

「まさか、約束は違えないさ。それに、昼間にここで出会うことは俺も予想していなかったから、用意する暇もなかった」


弁明するジャックの様子に、これ以上反論できず仕方なく赤い瞳の悪魔も腰を下ろことにした。


「夜まで暇だし、おしゃべりでもしていようか」


隣に座った赤い瞳の悪魔に向かって、そう提案したジャックを、彼女は奇妙な生き物を発見したかのように見つめた。

悪魔に対して、いやたとえ悪魔でなくともこれから殺してくる相手に向かって暢気におしゃべりしよう等と言う人間はいない。

少なくとも赤い瞳の悪魔がこれまで魂をとってきた人間達にはいなかった。10年前のジャックを除けば。


「相変わらず変な人間ね、ジャック」

「そういう赤い瞳のお嬢さんは、この10年間どうだった?あぁ、ちょっと待って。これからお喋りする君の事を『赤い瞳の悪魔さん』『かわいいお嬢さん』なんて一々呼ぶのは味気ないな。今更だけど名前は?」

「…私の名前を聞いて縛ろうとしても無駄よ。あなたのような魂の穢れた人間にはとうていできないでしょうし、それに私名前なんてないもの」

「なるほど…じゃあ仮に『アバル』としようか。お嬢さんの瞳は熟れた林檎の様につやつやとした美しい色だからね。それに10年前俺が飲んでいたのもシードルだったし、今も林檎の木の下で再会した」

「…勝手にしなさい。名付けたところで私を縛ることはできないもの」


赤い瞳の悪魔、アバルはふんと鼻を鳴らした。

殺される相手にあろうことか名付けるだなんて、本当に奇特な人間だ。

そう思いながら、アバルは自分という存在が名前を持つことにどこかくすぐったさを覚え、心の中で数回名前を唱えた。


力のないアバルのような悪魔は名前がないのが普通で、悪魔同士でおしゃべりをすることもないから呼びかけられることも少ない。あったとしても、『おい』や『赤目の』ですんでいた。あるいは、10年前からは不名誉なことに『ジャックに騙された間抜け』という呼び方をされることもあった。

人間にいたってはシンプルに『悪魔』もしくは『化け物』と大雑把にくくる者達ばかりだったし、これからもそうだろう。


だから、名前なんて不要なものだ。

そうわかっていても、アバルはむずむずとした感情から表情が緩まないようにキュッと口を結んだ。

満更でもないアバルの心情が、観察眼の優れたジャックにはとっくに見破れていることも知らずに。

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