ジャックの懐古
赤い瞳の悪魔が去った後、程なくして店を出たジャックは、お化けの仮面を被って馬鹿騒ぎする街の住民を横目に帰途に着いた。
そして徐に財布の中から銀の十字架をとりだして、数十分前に赤い瞳の悪魔を苦しめた元凶であるそれをぼんやりと眺めた。
「信仰心は死しても神に届くのか…」
手入れもしていないのに、銀の十字架は持ち主が変わって数年たってもその輝きが鈍っていない。
悪魔から身を守ってくれた十字架は、もとはジャックの幼馴染の神父のものだった。
神父、ダニエルは赤ん坊の頃から教会で育てられた男で、人の良い性格をしていた。
幼い頃から、ジャックが持ち前の美貌と賢しさを利用して学校をサボったり手を抜いていると、規律を重んじるダニエルは毎回注意をしてきたものだった。
「ジャック、また君は授業を抜け出したりして、ダメじゃないか」
優しげな顔をいかにも怒っているのだと主張するように、無理に眉を寄せながらダニエルが叱った。
そんなダニエルにジャックは悲しげに顔を歪めてみせる。
「あぁ、ダニエル。ごめんね、俺も授業を抜け出すのはよくないと思っていたんだ。だけれども、実は昨日実家の手伝いのときに…」
成人してからは綺麗な顔立ちのジャックだったが、少年の頃は天使のように愛らしい顔立ちをしていた。
そんなジャックが深緑の瞳を涙で潤ませると、ダニエルは怒っていたことも忘れて、そのふわふわとした金髪を痛ましげに撫でた。
「お父さんの鍛冶の手伝いで怪我でもしたのか?かわいそうに」
「…ははっ。嘘だよ、ダニエル。毎回毎回よくひっかかるなぁ」
ダニエルが騙されるのも毎回のことだったが、ジャックの作った表情と違い、心から悲しみを感じているダニエルに、早々にネタ晴らしをするのも毎回のことだった。
それに怒るどころか、心身ともにジャックが健やかであることにダニエルが喜ぶまでが、二人のお決まりのパターンだった。
歳を重ね、ジャックは実家の鍛冶屋を継ぎ、信仰深いダニエルはそのまま神父となった時も二人の関係性は変わらなかった。
からかい、騙され、笑い、嬉しいときには喜び合い、そして時に悲しみを分かち合った。
15になったジャックが鍛冶屋を本格的に継ぐことになった時は、ダニエルは自分のことのように喜んでくれた。
名ばかりで実働的な面はこれからだと言っても、これからが楽しみだと瞳を輝かせるダニエルの様子に、普段上手く手を抜きがちなジャックでも少しやる気をだしたのを覚えている。
ジャックの両親が亡くなった時は、ダニエルは誰よりも深く悲しみ、ジャックを支えてくれた。
家業を継いで半年足らずで、突然両親を失い途方にくれたジャックは、教会での別れの際すらその死を実感できなかった。
司祭の「死は終わりではなく、神の御許に招かれることだから悲しむものではない。二人の原罪は全て許されたのだ。安心しなさい」という言葉を理解できても心で上手く変換できずに呆然としていたくらいだ。
しかし、ぼろぼろと涙を流し言葉になっていない嗚咽を漏らすダニエルを見て、ジャックはようやく泣くことができた。心からの嗚咽や涙はジャックの心を癒し、悲しみにそっと寄り添ってくれていた。
そうして幼い頃から兄弟のようにずっとともに人生の苦楽を歩んできたダニエルは、唐突にジャックをおいて逝ってしまった。
ジャックが17の時の事である。
大雨の日に川に流されそうになった子供を助け、自分が溺れてしまったそうだ。
そんな大雨の日に外に出ているわけもなく、ジャックは後日人伝にそう聞き、「他人に心を砕くダニエルらしい最期だ」と感じた。
神父の仕事は祈ることであり、救助ではないのに、きっと目の前で困っている子供を放っておけなかったのだろう。
人に愛されていたダニエルのその早すぎる死は多くの人を悲しませたが、皆口をそろえて「ダニエルは信仰深い人間だったから、神も彼をはやく御許に招きたかったのだろう」とお互いを慰めるような口調で言っていた。
神に愛されているからこの世から去ってしまった。
その理由に十分すぎるほどダニエルは当てはまる人物だったが、それでもこの17年間どんな時も兄弟のように傍にいた片割れがいなくなることに、ジャックは耐え切れなった。
ダニエルが最期まで見につけていた銀の十字架を持ち前の器用さで拝借し、しばらくはそれを眺めて虚ろに過ごす日々が続いた。
やがて人々がダニエルの死を乗り越え、各々の生活に戻っていっても、ジャックの悲しみは癒えることはなかった。
両親の時と違い、よりそってくれる人物がいないからだ。
このままダニエルのもとへ自主的にいってしまおうか、という考えが何度も頭を過ぎるが、ダニエルの信仰している神は自ら命を故意に落とす行為は重い罪だと述べている。そうした手段でこの世を去った時、ダニエルによしんば会えたとしても、きっと酷く彼を傷つけることになるだろう。
ジャックに残された道は、天寿を全うするまで生きるほかないのだった。
生きるためには、稼いで食べていかないといけない。しかし、楽しみだと笑ってくれたダニエルのいない中、鍛冶屋だけで一生懸命稼ぐ気にもなれず、ジャックは人々を騙し楽にお金を稼いだ。
幸いにも、ジャックの整った顔立ちや表情は人の感情を動かしやすいようで、ダニエルほどではないにしろ、人々は容易にジャックに騙されてくれた。
稼いだお金の大半は酒代に消えた。
銀の十字架を眺めても、ダニエルのもとへは行けない。むしろ彼がいないことを切に物語る象徴を見たくなくて財布へ仕舞いこんだ。
十字架を眺めるかわりに、酒を相棒とすると、寂しさも虚無感も全て吹き飛んだ。
それに、酒は飲みすぎると寿命に関わると聞く。
故意ではなく、好きで酒を飲んでいるのだ。結果として、人よりも少しばかり寿命は短くなっている可能性はあがっているだろう。
ジャックは酒を飲むたびに、誰に言い訳をするでもなく、そう内心で呟いている。
生きるために人を騙し、稼ぎ、内心いい訳をしながら浴びるようにお酒を飲む惰性的な日々がもう二年も続いて、いい加減うんざりしていた時だった。
ハロウィーンの日に、ジャックの前だけに現れたのは、赤い瞳の不思議な悪魔だった。
魂をとる、と物騒なことを言う割に、ジャックの質問に丁寧にも答えてくれ、お人よしにもお願いを叶えコインに化けてくれたのだ。
悪魔の癖になんて「良い人」なのだろうと、おかしくなって、気付くと財布にしまいこんでいたダニエルの十字架で悪魔の自由を奪い取引を持ちかけていた。彼女に会う直前まではこの世に全く未練なんてなかったのにもかかわらず、この一瞬で終わらせてしまうのが惜しくなったのだ。
「何で十年後なんて言っちゃったんだろうなぁ。その時はもう29だろ。長いなぁ…」
その時までは生きていなきゃいけなくなってしまった。
参ったな、なんてひとりごちりながらも、ジャックは久しぶりに心から微笑んでいた。
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