[34]

 真壁がゆっくりとワイシャツの袖をまくり、腕時計に眼を落とす。

 時刻は午前0時半。

 沢村が欠伸をし、気の緩んだ顔になる。パイプ椅子に浅く腰掛け、自分の体重で崩れ落ちそうになるのを、床に突っ張った両足でかろうじて支えている。

 ひたすら苛立っていた真壁だが、沢村の面を張ってやりたい気持ちをぐっとこらえる。隣の小部屋で開渡係長や十係がこの様子をスピーカーで聞き、マジックミラー越しに見ているのは間違いなかった。昨日の乙女座の運勢は最悪だったなと思い出し、事件の構図を組み立てながら、真壁は話し出す。

「三谷透は知ってるか?」

「誰ですか、そいつ?」

「アンタと同じように、《ニューワールド企画》に出入りしてたヤク中の男だ」

 真壁は机の上に、逮捕時に撮影した三谷の顔写真を出した。

 沢村は写真を一瞥して、「知りませんよ、こんな男」と答える。

「三谷はもうバラしてんだよ」

「・・・」

「三谷は1月23日、警官2人にナイフを突きつけようとして捕まってる。その時、三谷は事件の前日、17日の夜、《ニューワールド企画》にいて、アンタとある男と一緒だったと言ってるんだ」

「・・・」

「三谷がアンタと一緒にいたと話したのは、この男だ。誠龍会の若頭、岩城竜生」

 真壁は今度、岩城の顔写真を机の上に出す。

「三谷も岩城も知りませんや・・・」

「そんなはずはない。アンタは岩城を知ってるはずだ。アンタと岩城は付き合ってたとか話す人間もいるんだぞ」

「だとしたら、そうなんでしょうよ・・・」

 真壁は両手を組み合わせて身を乗り出し、低い声を出す。

「まだ死にたくないだろう?」

「急に、何だよ・・・」沢村は答えるのも面倒だというふうに呟いた。

「三谷は1月26日に撃たれて殺されてる。殺ったのは藤枝組のチンピラ2人組だ。岩城が命じたんだ。藤枝は誠龍会系だからな」

「・・・」

「そういえば、麻紀が死体で見つかったのは知ってるよな?アンタは麻紀が死んで悲しくないのか、え?どうなんだ?」

 すると、沢村は思いがけない反応をした。机の下で組んでいた手を揉んで、髪を掻きむしり、「そんなこと知るか」とうそぶいた。

「事件当夜の話をしようか。諸井の頭部には3か所、傷があった。1つは後頭部。これは倒れた時にぶつけた傷だ。2つ目は頭頂部にあった蹴られた痕。3つ目は、右の耳の上。ここは腫れ上がっていて、明らかに人の拳で殴られた跡だ」

「・・・殴ったのも、蹴ったのも俺ですよ」

「アンタ、右利きだろう」

 津田はハッとして、思わず背筋を正した。

「左手で殴ったんだよ」

「ボクサーなら、それもあるのかもしれないな」真壁はうなづいた。「右利きの選手が左のジャブから入るのは普通だ」

「・・・」

「麻紀はアンタによりかかってた。そうだな?」

「そうだよ・・・」

「麻紀はアンタの左側にいたんだよな」

 沢村の答えは一瞬、遅れた。

「それは、真希を払いのけて・・・」

「そんなことしたら、麻紀が声を上げたかも知れない。クスリを打った時はいつも吐きそうになるんだろ?面倒なことは避けたいよな?だから、地面に吐かなかった。麻紀が声を上げるから。アンタはそう言ったよな?」

 沢村は虚を衝かれたように眼をしばたたいた。こめかみがぴくぴく震え、眼球がまるで犬のように逃げ出す。津田の方へ眼を移し、真壁の顔を見やる。

「死にたくないだろう?」

「どういうことだよ?」沢村の声は震えている。

 真壁はすっと身を引き、椅子に背中を押しつける。沢村に考えさせる時間を与えたようだった。津田はほとんど無意識に、部屋の温度がさらに上がったように感じた。

 2人とも無言のまま、5分ほどが過ぎる。津田は真壁の背中がかすかにうごめくのを感じた。またテーブルを叩くのか、沢村に掴みかかるのか。どちらしろ、今度は止めようと心に決めていた。沢村はほとんど息も出来ないようで、顔面が蒼白になっていた。

「アンタ、このままだと死ぬぞ」

「さっきから、何だよ・・・」

「アンタの証言は信用ならんから、明日の朝一番で釈放しようと思う。出迎えには岩城を呼ぶか?」

「いやだ、いやだ!」沢村は突然、両腕で頭を抱えた。「俺は死にたくない!」

 真壁がパイプ椅子から立ち上がると、沢村が悲鳴を上げた。

「岩城だ!岩城が諸井を殴って殺したんだ!」

「本当のことを話すのが、ちょっと遅かったな」

 真壁はその一言で切り上げて、取調室を出た。

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