[31]
午後4時前に真壁と津田が池袋南署に戻った頃には、捜査本部はすでに沢村の取調と裏取りで慌ただしくなっていた。帰着早々、真壁は会議室の幹部席に呼ばれた。記者会見のために本庁から管理官の秦野警視が出向いて来ていた。
「金城麻紀の行方は何か分ったのか?」開渡係長が言った。
「大久保で1件当たりましたが、麻紀の居所については不明です。明日も・・・」
真壁の報告を遮るように、秦野が口を開いた。
「ヤク中の女の行方はどうでもいい。ホシは沢村で決まりだ。目撃者もいる。そうそう、物証もあることだし」
「物証の話は聞いてません」
開渡係長が物憂げな手つきで、ビニール袋1つを掲げてみせた。折り畳み式の青い携帯電話が1台入っている。
「沢村が自首した時に、提出した。京都の自宅や会社、新山香里の連絡先、出会い系サイトの番号、全部入ってる。諸井の指紋が1つでも出れば、これは有力な物証になる」
「今日か明日中に沢村の線で、決着をつけろ」秦野が言った。
殊勝に「分かりました」と答えればよかったのだろうが、真壁はひとまず一礼してその場を離れた。沢村が自分で殺ったと言うのなら、話ぐらいは聞いてやってもいい。取調も終わらないうちから「ホシは沢村」はない。正気かと怒鳴りつけたい気分だった。
自首してきた沢村の聴取に当っている池袋南署の警部補が供述調書の一部を持って、会議室に駆けこんできた。開渡係長がそれを読み上げ始める。部屋の片隅で肩を寄せている十係の面々と一緒に、真壁は耳を澄ませる。
1月18日の午前1時過ぎ。金城麻紀と一緒に《ニューワールド企画》を出た沢村は東京芸術劇場のそばを通りかかり、たまたま遭遇した諸井に暴行を加えた。その夜、麻紀と一緒にいた理由について、沢村は「よく分からない」と答えている。
2人が諸井に暴行を加えた動機は判然とせず、沢村は「いつもよりもクスリが入っていたようで、とても気持ち悪かった」と繰り返している。相手の身体か肩が、自分か麻紀に当たってその場で喧嘩になった。沢村は指輪をはめた拳で諸井の顔面を何度か殴り、倒れた相手をついでに蹴飛ばしたことまでは覚えている。諸井の顔を引っ掻いたのは麻紀だと思う。動機は不明。その後、2人は駅前でタクシーを拾い、麻紀のマンションに帰ったという。麻紀のマンションの住所は「わからない」と答えている。麻紀とは事件当夜、1月18日の夜を最後に会っていない。
こんないい加減な供述があるか。真壁は胸の奥で憤った。犯行についても、沢村は諸井の顔を殴ったことは認めているが、顔や頬の肉を喰いちぎった点は供述がない。取調を担当している馬場がこの点を何度かつついているが、はっきりとした答えが返ってこない。
「目撃者というのは?」真壁が質問した。
幹部席の杉村が補足する。地どりからは早くも、1月18日未明に沢村と麻紀らしい酩酊した男女を池袋の東口で拾ったタクシーを突き止めていた。タクシーの運転手は男女を椎名町近くの交差点で下ろしたと証言した。
「椎名町の近辺に金城麻紀のマンションか関係先がないか、現在捜査中」
また、会議室にいた捜査員たちに、沢村がボクサーの現役選手だった3年前に起こした傷害事件の調書一式が回された。その時も沢村は路上で肩がぶつかった相手と口論になり、相手の顔面を数回殴打して右の耳垂を噛みちぎり、全治3週間の怪我を負わせている。
「カッと血が昇りやすく、耳を噛みちぎるヤツ」高瀬が低い声で嗤った。「犯人像としては、ピッタリだな」
これまでの話を聞いてみても、真壁には沢村が降ってわいたような印象を変える程の内容では無かった。沢村が本当に犯人なのか。その時、真壁の思考は途切れてしまった。
「変死体発見!」という声と靴音が廊下を走った。桜井の顔が会議室に現れて「麻紀が見つかった!」と叫んだ。反射的に時刻を確認する。午後5時13分。
半時間前に本庁に110番通報があり、捜査一課から九係が豊島区長崎一丁目の現場に行ってみると、マンションの一室で女ひとりが死んでいるのを発見した。その変死体が金城麻紀ではないかという一報が、九係の主任から寄せられた。
新たな事件の発生だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます