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 2月9日は長い1日になった。

 本庁の指揮台から新たな呼出しがないことを祈りながら、十係は池袋南署の捜査本部に戻った。またそれぞれ所轄の刑事と手分けして池袋界隈の地どりと、金城麻紀を探しに出払っている。

 真壁と津田は1件の情報をもとに大久保で聞き込みをしたが、麻紀の居所については大した話は聞けなかった。その後、2人は電車で上野に出た。ジャーナリストの桧山亨に会うつもりだった。週刊新陽で城之内建設の手抜き工事に関する記事を書いた本人だ。

 2人は駅前からタクシーを拾って、5階建てのマンションの前に立った。以前に上野南署の刑事課にいた真壁は街道沿いに周囲を観察したが、街の雰囲気を思い出すのも苦労した。ガラス戸に子どもの手形がついている正面玄関に入る。なぜか調理油の臭いがした。桧山の部屋は505。1階の郵便受けは空だった。

 5階に上がって部屋の前に立った真壁はインターフォンを何度か押した。相手の返事を待ちながら、ドアの周辺や通路の佇まいを見つめた。トイレか風呂の換気扇の面格子に畳まれていない黒い傘が1本、ひっかかったままだった。右隣の部屋の横に赤い三輪車。その向こうの部屋からは、子どもを叱る女の声が響いてきた。

「いないみたいですね」津田が言った。

 真壁は女の声がする部屋のインターフォンに声を吹き込む。

「警察の者ですが、ちょっと」

 ドアチェーン越しに顔を覗かせた主婦を短い話をした。真壁は尋ねる。

「お隣の桧山さん、家に帰っておられます?ちょっとご家族の方が探しておりまして」

 主婦は最近、桧山の姿を見ていないと言った。

「桧山さんがいつから、家に帰っていないか分かりますか?」真壁は言った。

「1月の、24日ごろだったかしら?」

「よく覚えてますね」

「ウチの子どもが熱出して、昼過ぎに病院に行ったのよ。そのときマンションの玄関ですれ違ったけど。そういえば・・・」

「何です?」

「その日の夜に、隣の部屋から物音がしたのよ。何人か部屋に入ってたみたいだし。引っ越しでもするのかしらと思ったわ。それ以来、桧山さんも見てないわ」

 真壁と津田は両隣のチャイムを鳴らし、それぞれの住人から聞き取りをした。どちらも桧山とは付き合いがなかったが、1月の終わりを最後に桧山の姿を見ていないこと、その後で桧山の部屋に何人か入ったような物音が聞こえたと答えた。

 誰かが桧山の部屋に入り、家捜しをした可能性があった。

 真壁と津田はエレベーターホールや正面玄関の天井を確認したが、公営住宅に毛の生えた程度の造りであるこのマンションには防犯カメラもろくに無かった。無性に嫌な予感を抱えつつ、真壁は津田を連れてマンションから路地に出た。

 近くの路上で手帳を繰り、真壁は桧山が契約社員として勤めていたスポーツ新聞社の編集部に電話をかけた。電話口に出たのは、中年の編集長だった。真壁は桧山の友人を騙り、この2週間ほど桧山と連絡が取れないことを訴えた。

「あいつは今、取材中だと思いますよ。日本にいないんじゃないかな」

「どちらに行かれたとかは・・・?」

「最後に会ったときは、バンコクに行くとか言ってましたが」

「会社の方には、連絡があったんですが」

「取材が上手くいってる時のあいつは、連絡を寄越さないのが普通でして。コッチはもう慣れっこですが。ハッハッ」

 編集長は酒焼けしたようなひどいダミ声で笑った。話にならない。そう思った真壁は電話を切った。自社の契約社員に何かあったとは微塵にも思っていない。もしくは、桧山は本当に出国して今はバンコクで取材中なのか。

 腰のベルトに差していた受令機が鳴っていた。捜査本部からの呼び出しだった。真壁は津田に池袋署に連絡させ、電話をかけ続けた。今度の相手は組対の落合だった。

「下馬で三谷を撃った藤枝組の2人組、1月22日と24日は上野にいたって話でしたね。上野のどこで何をしてたんですか?」

「お前、よそのヤマに首を突っ込んでるヒマが・・・」

「そんなことを言ってる場合じゃない!」真壁は怒鳴り返していた。「桧山というジャーナリストが、1月24日から行方不明になってます。住まいは上野です。あの2人、その日は上野にいたウラが取れんでしょう?」

「記者本人が自分で身を隠したんじゃないのか」

「もしそうだとしたら、出国してるはずです。桧山は姿を消す前に、バンコクに取材に行くと上司に話してます。記者が出国してるかどうか、大至急調べてください」

 真壁は桧山の氏名・住所を伝える。

「照会には時間がかかるぞ」落合は言った。

「もし桧山が出国していなければ、あの2人の再聴取。頼みます!」

 通話を終えた真壁に、津田が囁いた。

「本部が『至急戻れ』と言ってます」

「何があった?」

「沢村が自首してきたみたいです」

 なんてこった。真壁は近くにあったゴミ箱を蹴飛ばしていた。

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