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 真壁は何日ぶりに警視庁に入る。1階のロビーで杉村や吉岡と鉢合わせになった。目敏く真壁の姿をちらっと見つけた吉岡が、杉村の肩を小突いた。

「ホラ言ったでしょ、主任。真壁は黙ってても顔を出してくるって」

 杉村は鼻を鳴らして、仏頂面を浮かべる。本庁捜査一課の刑事なら誰でも割り込み、抜け駆けはお手の物。2人とも個人的なルートで組対から連絡を受けて本庁にやって来たのだろう。その後、真壁は2人と手分けして強制捜査を食らった《ニューワールド企画》で逮捕された常習者の取調を行った。

 事件前日に当たる1月17日の夜、あのビルに誰が何人いたか正確に供述できる者はいなかった。ある者が「あの子、いたんじゃない?」と言えば、「いなかった」と言う者もいる。真壁が数人から聴取して分かったことは、17日の夜にあのビルにいたと挙げられた者の中に三谷がいたことだったが、今さら死んだ者に聴取できない。

 沢村については、いろんな話が出てきていた。クスリを買うために売春をしていたという話があり、何人か相手として割り出された客を聴取するため、池袋南署の刑事と手分けして当たった。捜査会議で取調の内容が報告されて議論になったが、はっきりと「沢村と関係があった」と答える客は1人も現れなかった。沢村が取っていた客に誠龍会若頭の岩城竜生の名前も上がっていた。真偽のほどは定かではないが、捜査員には一応、共有された。

 2月6日の夜、真壁は池袋南署の捜査会議が終わった後で本庁に向かった。ある所に聞かれたくない電話1本をかけるためだった。

 午後8時過ぎ、6階の大部屋は捜査員の数も少なく、そろそろがらんとし始めている。宿直室から同報のスピーカーの声だけが響いていた。真壁は空っぽの十係のシマにある自分の机で外線を手に取り、「週刊新陽」を発行する出版社の代表番号に電話をかけた。二度三度たらい回しにされてやっとつながった電話から編集部屋の喧噪が聞こえる。

「ホントに警視庁なんですか?」

 編集長の声は余裕たっぷりだった。

 真壁が2か月前に掲載された城之内建設の欠陥マンションに関する記事について聞くと、編集長は「あの記事はフリーの記者がウチに持ち込んできたもんなんで」と答え、大した話も聞けないまま電話を切られてしまった。その声音に余裕はなく、終始そっけない雰囲気だった点に真壁は違和感を覚えた。もう1本電話をかけた後で組対の大部屋に入った。

 四課八係の机で、落合が背中を丸めてパソコンの画面に額をひっつけていた。真壁は空いている隣の席に勝手に座った。落合は眼も向けずに「ちょっと待ってろ」と言い、人差し指1本でキーボードを叩き始めた。2行80字を叩くのに結局、5分かかった。

 真壁は差し入れの缶コーヒーを落合の机に置いた。

「誠龍会の岩城って若頭、どんな奴ですか?」

「両刀使いの変態野郎だ」

「変態って・・・」真壁は苦笑を浮かべた。「そんな話でなくて」

「先代のおぼえが目立たい奴でな。だいぶ早くに若頭になって組の土建関係の仕事は全部、その岩城が仕切ってるはずだ」

 土地売買や建築物の解体に伴う廃棄物の処理などに暴力団が絡んでいるのは、よくある話ではあった。

「ヤクザも、今さら土建でもないと思ってましたが」

「あの組は元々、日雇いの元締めから始まった組だからな。土建屋とは切っても切れない関係なんだろうよ。最近は儲けが薄くてぴいぴいしてるらしいが。お前の方はどうだ?まだ、捕まらねえのか?」

「赤いマニキュアをした女を探してます」

「そんな女、東京にゴマンといるぞ」

 落合の意見は至極もっともだったが、その女が十係に残された最後の糸ではあった。

 杉村が聴取した《ニューワールド企画》で逮捕された常習者の1人から、ある証言が得られた。1月17日の夜、沢村があのビルに出入りした際に女が一緒だった。沢村は午後9時ごろ女と来て、翌18日の午前1時過ぎにその女と出て行ったという。

 沢村が連れていた女の名前は金城麻紀。以前は新宿でキャバクラ嬢をしており、現在は無職。いつも爪を長く伸ばし、赤いマニキュアを塗っていたという。諸井の顔面にあった擦過傷に赤いマニキュアの塗料片が遺されていた点を考えると、重要参考人たりうる存在ではあった。

 しかし、麻紀は1月17日の夜を最後に、あのビルに現れていない。真壁が組対と張り込んで撮影した写真の中には、麻紀の顔写真は無かった。

 自宅の住所は不定。友人の家を渡り歩いているのだろうという話だった。そう証言した友人たちの中に最近、麻紀を泊めたという者はいない。おそらく麻紀を泊めていた者も社会とのつながりを失った世界で、ひっそり息をしている人間に違いない。

 十係の面々は「きっとクスリで歯も骨もボロボロだろうよ」などとぼやきつつ、最後の糸である女を探している。

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