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2月1日朝の捜査会議はひさびさに景気のいいものとなった。桜井と田淵がついに諸井が待っていた女を捜し当てたのだ。
「これだ、これ!」
桜井が黒板前で、あの週刊誌の広告欄に載っている小さな写真を指し示した。歳のころ三十過ぎの女が裸の胸をさらしていて、「人妻の〇〇」というキャッチコピーがついた出会い系サイトの広告だった。
「名前は新山香里。昨夜やっと、事情を知っている別の女と会うことが出来た」
桜井の報告は次のようなものだった。
女の名は恵美子。1月17日午後7時前、中年の男の声で電話がかかってきた。男は電話に出た恵美子にこう言った。
「新山香里さんと話がしたい」
「あたしじゃだめかしら」恵美子は言った。
「私は香里の知り合いで、彼女と話がしたいんだ」
そのとき、香里はほかの電話に出ていた。恵美子はこう応える。
「お名前、何ていうの。香里の手が空いたら言ってあげるわ」
「京都の諸井邦雄。そう言えば、香里に分かる」
「30分ぐらいしたら、また電話して」
恵美子がそう言うと、電話は切れた。相手はやけに切羽詰まった声だった。実名で指定してくるような男なら、本当に知り合いなのだろう。恵美子はそう思い、実際に香里に諸井邦雄のことを伝えたということだ。
その後、香里が実際に男の電話を受けて何事か約束したかどうかについては、恵美子は知らないと言った。しかし別の美奈という女が午後7時半ごろ、諸井邦雄を名乗って新山香里を指名してきた男の電話を受けていた。美奈は香里に電話を回した。そして、当夜は午前3時ごろまで香里はずっと事務所にいて、外出はしなかったという。これは複数の証言で裏付けられた。
杉村が即座に手を挙げた。
「電話をかけてきた男の声が『切羽詰まった声だった』というのは、恵美子の言葉か」
「そうだ。こんな電話にかけてくるような男の声でなかったので、恵美子は『何よ、このバカ』と思ったと言っている」
「そうと分かれば、さあ、香里の前歴を聞かせてもらおうか」と馬場。
「闇の中だろ」清宮がそっけない言葉を吐いた。
「会社が保存していた新山香里の履歴書は、名前以外は全部ウソ。恵美子は、香里が関西の出身だと聞いたことはあるらしいが、県名までは聞いていない。もっと親しい友人を探しているが、まだ見つかっていない」
真壁は心底、鬱々としたものを感じた。これでまた、あの京都の遺族に電話をしなければならない。真面目一方の孝行息子、あるいは会社と家の往復だけの人生だった夫の隠れた私生活を暴いて、得する者は誰もいない。皆を不幸にする電話をかけて、捜査書類を整えるのが警察の仕事だ。そう割り切って、真壁は京都に電話をかけるしかなかった。
諸井の妻の声は初め、だいぶ落ち着いていた。夫の葬儀もとっくのとうに済ませ、生命保険も下りたのだろう。しかし、東京の警視庁からかかってきた電話の主が「ご主人の生前の女性関係についてお聞きしたいのですが」と言い出すと、絵里の声は強張り始め、当惑と怒りの響きが加わってきた。
「前にも申し上げたはずです。主人が女遊びをしていたはずはありません。妻の私が知ってます」
「こちらの調べでは、ご主人は事件当夜、新山香里という女性と連絡を取ろうとしていたのは事実を掴んでいますが・・・」
「新山などという人は知りませんが、だからどうだと言うんですか。主人を静かに成仏させてやっていただけないんでしょうか!」
ひたすら気は滅入ったが、冷酷な職業意識は働き続けた。平静を乱された絵里の怒りは分かるが、怒りの出方が少し早過ぎる。初めて会ったときの印象もそうだったが、夫婦の関係はかなり複雑なものだったのは疑いようがない。絵里は夫の不倫を知っていたのだろう。それでもなお、離婚できない事情がいろいろあったのだろう。たぶん、あの老いた実父も息子の実情をいくらかは知っていたに違いない。
電話では埒が明かず、絵里の口からこれ以上の詳しい話は聞けないと真壁は感じて受話器を下ろした。新山香里の身元を調べて、被害者との関係を知ることは不可欠だ。開渡係長は呟いた。
「誰か、京都へ遣らねばならんなぁ」
その役目は順当に、桜井と田淵が負うことになった。香里の写真を持参して京都市内の歓楽街を訪ね歩くことになる。それでもだめなら、府警に駆け込むしかない。
馬場からの「手ぶらで帰って来れると思うな」という激励を背に、真意など間違っても顔に出さない本庁の刑事が2人、その日の午後にはさっさと旅立っていった。
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