[23]

 池袋の捜査本部はこの日、仕切り直しの雰囲気だった。事件発生から2週間近く経っていたが、捜査は大した進展を見せていなかったからだ。馬場が捜査員たちにハッパを掛けたが、その夜の捜査会議はどの班もろくな成果が出なかった。

 捜査会議の後、真壁と津田は組対の《ニューワールド企画》の監視に合流した。

 あてもなく歩き回る浮浪者。小物でも売りつけるのか、声をかける獲物を探している外人。流しで客を拾っている女。そういう人間が時どき駅の方からふらりと現れては、またどこかへ消えていく。

 屋上に様子を見に来た猪俣がうさん臭そうな横目をくれる。

「いったい、あのビルの中に殺人犯がいるのか?」

 真壁は応えなかった。

「面も割れてないんだろう?何を根拠に、誰を探してるのか分かってるのか」

「黙っててください。頼みます」

「末期症状だな」

「黙れって言っただろ」

 猪俣の部下が「おい」と真壁の肩を掴んだ。

「すみません・・・言葉が過ぎました。謝ります」

 猪俣は不服そうに鼻を鳴らして屋上を出て行った。

 ホシの面も分からず、ホシがあのビルにいる根拠もない。それでも他に探るところがないから、ここにいるだけだった。時間潰しと、ぎりぎりで紙一重といったところだった。

 実際のところ、無為というのは一番神経が消耗する。せめて風邪は引きたくなかった。簡易カイロをコートのポケットに入れ、手袋と耳あてを着ける。津田も似たような恰好で黙々としている。

 ビルにまた1人、女が入っていった。若いモデル風の感じだった。深夜の人通りは数年前と比べて明らかに減っている。昨今の不況のせいだろう。コートを着た酔っ払いの姿はほとんど見えない。客引きの声も聞こえてこない。ビルに入る人数を手帳に書いて数え上げていた真壁が「今ので、17人か」と呟くと、津田が「18人です」と訂正する。

「なぁ、お前はどうして警官になったんだ?」

 真壁は津田に訊いた。最近は使命感があるわけでもなく、単なる安定した職業のひとつとして警察官を選ぶ者もいる。真壁には、今まで黙々と自分の捜査についてきた津田には何か特別な理由でも抱えているような気がしていた。

「それは・・・警官の仕事が社会に不可欠だと」

「だからといって、お前が警官になる必要はないだろう。他の奴がなってくれるなら、それでいいじゃないか」

「母を殺されたんです」

 津田の告白に、真壁は思わず相手の顔を見る。わずかに顔を赤らめた津田は続けた。

「強盗に殺されたんです。僕はまだ、小学生でした。学校から帰ってみると家が荒らされ、母が倒れてました。お腹の周りが真っ赤になってて、気がつくと、病院にいて・・・その場で卒倒したんです」

「強盗犯は捕まったのか?」

「いえ」津田は首を横に振った。「その後は、父が独りで育ててくれました。楽をさせてあげたいという一心で・・・でも気が付いたら、警官になってました」

「いつかは母親を殺した強盗犯を逮捕したい、か」

「ええ・・・でも、今回の事件で初めて死体を眼の前にしたとき、吐き出してしまって・・・情けなくなりました。警官になったのに、こんなことでいいのかって」

「誰だって最初は吐く」

「この1か月間、やってみて分かったんですが、この仕事はとても地味なんですね・・・もちろん、テレビとか本の世界とは違うとは思ってましたけど」

「今でも思い出せるか?母親を殺された日のことを?」

 津田はうなづく。

「なら、大丈夫だ。この仕事で一番つらいのは、人間の心の闇と修羅を何度も覗き込むことだ。来る日も来る日も・・・まともな神経だったら、やっていけないだろうな」

「でも、誰かがしなくちゃいけない・・・真壁さんはどうして警官になったんですか?」

「訊くな」

「どうしてですか?」

「いつか教える」

「どうしてですか・・・?」津田は苦笑を浮かべた。「教えてくださいよ・・・」

「ホラ、前を見ろ。また1人、ビルに入って行ったぞ」

 真壁は双眼鏡に眼を向けたまま言った。眼下の仄暗い繁華街のどこかで、今夜も桜井と田淵が歩き回っているはずだった。被害者が雪の深夜にあの現場で待っていたかも知れない誰かを探し続けている。

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