第3章

[22]

 真壁はいったん大井町の自宅に帰って着替えをすませた後、午前8時半に池袋南署の捜査本部に入った。会議前に済ませておこうとトイレに入ると、洗面台で顔を洗っていたらしい馬場が開口一番にのたまった。

「ほほう、抜け駆けでご活躍のお方はさすが清々しいお顔をしておられますな」

 ウィスキーの臭いがぷんと鼻を突き、真壁は顔をしかめた。

「息が酒臭い」

「けっ、飲まなきゃやってやれるか」

「それで、俺は言ってやったのよ」ドアが開いて、田淵が入ってくる。「てめえ、女だったらそんな大口叩く前に、股開けって。そしてらそいつ、ほんとに脱ぎやがんの。たまらねえよ、俺は・・・」

「なめられたんだよ、それは」鼻先でせせら笑う桜井の声が後に続く。

「おい、そこの2人」馬場が低い声を出す。「諸井が会ってた女、まだ分からねえのか」

「諸井がもしかしたら、男の趣味をあるんじゃないかってことでソッチも調べてますからちょっと遅いだけですよ」田淵が言った。

 真壁が「新宿二丁目?」と応えると、桜井が真壁の方へ鋭い流し目をくれる。

「そうか、お若いのは昔、新宿にいたっけ。まあ、主任、結果はお楽しみに」

 馬場が出ていくと、入れ替わりに杉村が入ってきた。真壁の隣に立つと、声をかける。

「おい、開渡から何か言われたか?」

「いや。何かあったんですか?」

「奥寺が入院した」杉村は告げた。「急性何とか病で面会謝絶だそうだ。まったく、代議士みてえな野郎だ」

 真壁がつたない記憶をたどると、「奥寺」という名前は諸井のカンにあった。奥寺康一。城之内建設の取締役専務。ガイシャが事件前日、東京で回った3社のうちの1社が城之内建設だった。

「いつから?」

「昨日」

 真壁は事件との関わりを想像することが出来ず、とっさにはピンと来なかった。必死に頭を巡らせたが成果はなかった。杉村からは頭ごなしに「《ニューワールド企画》の方、なんとかしろ」と言われ、出かけた小水も引っ込み、不快さだけが残った。

 薬物捜査第三係の主任によると、《ニューワールド企画》はヤクを吸う溜まり場としては大きい方だという。夜にビルに出入りする人間の中に個室でポルノビデオを見る男も含まれているが、人数はあまり多くはない。3階に上がる人間たちの中にかねてから目星のついている売人が数人、コロンビアからヤクを入れている運び屋が数人混じっているという。

 毎日、ビルに出入りする人間を望遠レンズのついたカメラで撮影する。撮影した写真を中野の照会センターや本庁の鑑識に回して、出来る限り身元を特定する。身元が判明した男女の中に売れない芸能人もちらほら見かける。撮られた瞬間、たまたま髪をかきあげる女がいて、長く尖った手の爪が写っている写真もあった。

 雑多な写真を広げて開渡係長が「めぼしいの、誰かいるか?」と聞いて来るが、真壁は「分かりません」と答えるしかなかった。

 真壁と津田が探しているのは、ヤクの売人や運び屋ではないのはたしかだった。犯人は頭を殴って鼻と頬の肉を喰った何者かだが、その犯人が《ニューワールド企画》に潜んでいるのかどうかは分かっていなかった。それでもとにかく、真壁と津田は寒空の下、向かいのビルの屋上に居座り続けた。

《ニューワールド企画》の監視を始めてから、1週間が経った夜。真壁は携帯端末で、落合に電話をかけた。下馬の射殺事件について聞いた。

「この電話、外か・・・?さては頭を冷やしに出たか」

 世田谷中央署から、落合は気だるい声で答えた。

「そんなとこです」

「ウラを取ったぞ」

「それで・・・?」

「お前の勝ちだ。あの2人、1月の20日から現場の見張りをしてたのは嘘だった。22日と24日の夜、2人とも上野にいたウラが取れた。もっとも供述の方は進展なしだ。江崎も喜内も口を割らん」

「恩に着ます。近々、1杯奢ります」

「そんなヒマがあったら、はやく嫁さん見つけろ」

 屋上を覗きに来た吉岡が「雪が降るぞ」と声をかけていった。組対の捜査員が温かい缶コーヒー片手に「降るなら降れ」と代わりに答え、真壁は欠伸をする。津田は双眼鏡に眼を当てたまま黙然としていた。

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