[10]

 幹部席の開渡係長が机を叩いて叫んだ。

「静かに!始めるぞ!」

 夜の捜査会議は、たいてい雑然としている。初回の会議にいた幹部の姿が無いこともあるが、それよりも質問と同じ数の罵声や野次が十係から、馬場や桜井を筆頭に飛び交う。あまりの騒々しさに、幹部席で所轄の署長がきょとんとした表情を浮かべている。

 真壁の隣の席に座っている津田が、ハンカチで鼻をおさえてクシャミを連発している。二十数名のむさ苦しい男たちが放つタバコの煙とポマード、十係の桜井がつけているきついオーデコロンに鼻の粘膜を容赦なく刺激されるからであろう。所轄の刑事課長が「それでは・・・」と言い出したが、それでも雑談も途切れず、開渡がまた机を叩いて「静かに!」と一喝した。

 その夜はまず、東都大学の法医学教室から届いた死体の検案書で、捜査陣の一同がざわめいた。直接の死因は、凍死という判定だった。

 死亡推定時刻は硬直の度合いと死斑の広がり方から、だいたい前夜午後10時から翌朝午前2時ぐらいの間。解剖時の血中アルコール濃度が平均で2.9%という《深酔状態》で、寒空で濡れた衣服で横たわっていたために、体温の下降から昏睡に陥り、死亡となったということだ。

「よりにもよって、凍死かよ・・・」何かとうるさい馬場も、しばし声を失う。

 被害者を殴った者は間違いなく傷害罪を問えるが、被害者の死因が凍死となれば、傷害致死罪の適応は微妙な線だ。

 外傷の方は、いずれも死因となるほどのものではないが、強打されたことで一時的に意識を失っていた可能性はある。打撲痕は顔の全面に広がり、頭部では右側頭部のみ。頭頂部に蹴られた際に出来たと思われる擦過傷。後頭部にも創傷があるが、これは地面に倒れた時に出来たものと思われる。

 解剖に立ち合った池袋南署の刑事が補足する。

「なお、検案書にある通り、被害者が立位の状態で鼻を喰いちぎられたのだとしますと、犯人は被害者と同等、もしくはそれ以上の身長があると考えられます。ちなみに被害者の身長は173センチです」

 顔面の創傷は挫滅が著しいことから、人間の拳ではなく先端の尖った物体で殴られたことによる。頭頂部の擦過傷には微量の土と靴墨が混じっており、土のついた靴先で蹴られたものと見られる。ほかに爪でひっかかれたらしい創傷の内部から、マニキュアとみられる赤い塗膜片が採取され、これは鑑識で分析可能。

 続いて、鑑識だった。

「現場から有効な靴痕跡、指紋はいずれも採取できませんでした」主任が報告する。

 会議室にざわざわと失笑が広がると、所轄から「そんなはずはないでしょう!」と声が上がった。凶器は不明。靴痕跡、指紋も無しでは、犯人にたどれる線として他に何があるのか。ヤケ気味に杉村が「おうおう、池袋も言うなあ!エライ、もっと言え!」と野次を飛ばす。

「そこ、うるさい!」開渡が怒鳴る。「何か質問は?ある者は挙手!」

 真壁が手を挙げる。

「現場周辺の遺留品については?」

「現場には血痕がいくつか残されていたが、血液型は全てO型。被害者と血液型が同じであるため、被害者のものと考えられる」

「現場に落ちていたゴミはどうです?チリ紙、スプーン、割り箸・・・」

「特に、異物などは検出できなかった」

 真壁はとりあえず引き下がった。

 解剖と鑑識の報告は散々だったが、1日じゅう池袋界隈を歩き回っていた地どり各区からは、収穫が挙がっていた。

 一番の成果は、所轄署の刑事と警らの巡査のコンビが挙げた。西池袋一丁目にあるスナック《陽炎》という店で、被害者が午前1時の閉店まで飲んでいた証言が取れたらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます