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 幹部席の開渡係長が机を叩いて叫んだ。

「静かに!始めるぞ!」

 夜の捜査会議はたいてい雑然としている。初回の会議にいた幹部連中の姿が無いこともあるが、それよりも質問と同じ数の罵声や野次が十係から、馬場や桜井を筆頭に飛び交う。あまりの騒々しさに、幹部席で所轄の署長がきょとんとした表情を浮かべている。

 真壁の隣の席に座っている津田がハンカチで鼻をおさえてクシャミを連発している。二十数名のむさ苦しい男たちが放つタバコの煙とポマード、十係の桜井がつけているきついオーデコロンに鼻の粘膜を容赦なく刺激されるからであろう。所轄の刑事課長が「それでは・・・」と言い出したが、雑談は途切れない。また開渡が机を叩いて「静かに!」と一喝した。

 その夜はまず、東都大学の法医学教室から届いた死体の検案書で、捜査陣の一同がざわめいた。直接の死因は凍死という判定だった。

 死亡推定時刻は硬直の度合いと死斑の広がり方から、だいたい前夜午後10時から翌朝午前2時ぐらいの間。解剖時の血中アルコール濃度が平均で2.9%という《深酔状態》で寒空で濡れた衣服で横たわっていたため、体温の下降から昏睡に陥り、死亡したということだ。

「よりにもよって、凍死かよ・・・」何かとうるさい馬場も、しばし声を失う。

 被害者を殴った者は間違いなく傷害罪を問えるが、被害者の死因が凍死となれば、傷害致死罪の適応は微妙な線だ。

 外傷はいずれも死因となるほどのものではないが、強打されたことで一時的に意識を失っていた可能性はある。打撲痕は顔の全面に広がり、頭部では右側頭部のみ。頭頂部に蹴られた際に出来たと思われる擦過傷。後頭部にも創傷があり、これは地面に倒れた時に出来たものと思われる。

 解剖に立ち合った池袋南署の刑事が補足する。

「なお、検案書にもある通りですが、被害者が立位の状態で鼻を喰いちぎられたのだと仮定しますと、犯人は被害者と同等、もしくはそれ以上の身長があると考えられます。ちなみに被害者の身長は173センチです」

 顔面の創傷は挫滅が著しい点から人間の拳などではなく、先端の尖った物体で殴られたことが考えられる。頭頂部の擦過傷には微量の土と靴墨が混じっており、土のついた靴先で蹴られたものと見られる。ほかに爪でひっかかれたらしい創傷の内部から、マニキュアとみられる赤い塗膜片が採取された。これは鑑識で分析可能。

 続いて、鑑識だった。

「現場から有効な靴痕跡、指紋はいずれも採取できませんでした」主任が報告する。

 会議室にざわざわと失笑が広がる。所轄から「そんなはずはないでしょう!」と声が上がった。凶器は不明。靴痕跡、指紋も無しでは、犯人にたどれる線として他に何があるのか。ヤケ気味に杉村が野次を飛ばす。

「おうおう、池袋も言うなあ!エライ、もっと言え!」

「そこ、うるさい!」開渡が怒鳴る。「何か質問は?ある者は挙手!」

 真壁が手を挙げる。

「現場周辺の血痕については?」

「現場にいくつか残されていた血痕ですが、血液型は全てO型。被害者と血液型が同じであるため、被害者のものと考えられる」

「現場に落ちていたゴミはどうです?チリ紙、スプーン、割り箸・・・」

「特に、異物などは検出できなかった」

 真壁はとりあえず引き下がった。

 解剖と鑑識の報告は散々だったが、1日じゅう池袋界隈を歩き回っていた地どり各区からは収穫が挙がっていた。

 一番の成果は所轄署の刑事と警らの巡査のコンビが挙げた。西池袋一丁目にあるスナック《陽炎》という店で、被害者が午前1時の閉店まで飲んでいた証言が取れたらしい。

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