[6]

 雪は降り続いていた。もうすぐ電車が動き出す時刻で、通勤者の姿がちらほらし始めている。立入り禁止のテープの外から、こちらの方を窺いながら、通り過ぎていく。

 係長の開渡鉄太郎はまだ来ない。自宅が多摩にあり、遠いせいもあるが、今日はとくに遅い。係の全員が現場を見るまでは、遺体も動かせない。

 午前5時半。先に聞き込みに回っていた機捜隊と巡査の3組が戻ってきた。3組とも一様に表情は鈍く、成果はなし。ロープの向こうの野次馬が次第に増え、そこにようやく池袋南署の強行犯係が数名、駆けつけてきた。

 その背後から、やっと開渡係長の姿が現れた。ダスターコートの背を丸めて、どこか無気力な足取りでロープを越えてくる。みな、目だけで挨拶する。

 開渡が遺体を覗き、杉村から説明を聞き終わるのに3分とかからなかった。開渡は顎だけでわずかにうなずき、「そうか」とだけ応えた。

「係長、中野の方はどうするんです?」馬場が言った。

「こっちの様子を見てからだな」

 開渡はポケットからティッシュを取り出し、盛大な洟をかんだ。この56歳の警部は叩き上げの典型というべき経歴で所轄に2回、3回ほど出向した以外は、ほとんど警視庁捜査一課に籍を置いていた。周囲からは退官まであと数年という時期に、十係の子守をまかされたのは不運だと思われていた。

 その傍で、杉村はさっさと鑑識に遺体の移動を命じ、現場にいる人数を数え直した。2人ずつ聞き込みの組分けをして、もう出かける態勢を取っていた。

「あんたとあんたは西口五差路を北へ。あんたとあんたは南へ。あんたとあんたは立誠大学方向。俺と田淵は、東口に出て区役所方向。桜井と馬場、吉岡と清宮はサンシャイン周辺。真壁とそこの巡査は、明治通りを南へ。8時半上がりで、署へ集合。出発!」

 真壁は津田と組むことになった。

 青いシートをかけられたまま担架に移された遺体がヴァンで運び去られていった。開渡は現れたときと同じ緩慢な足取りで、池袋南署の方へ立ち去った。ロープの向こうの野次馬を、立ち番の巡査たちが追い払っている。

 捜査員たちは割り当てられたとおり、それぞれの方向に散った。

 濡れた路面にボタン雪が散っていた。天気のいい日なら、早朝から雑多な人間が歩いているはずだが、さすがにこの空模様では人影もない。

 東口に出る。2人の男が路上に坐り込んでいる。寄り添って垂れた頭に雪が載っている。真壁と津田が近づくと、男2人はふいと頭を挙げ、とたんに互いを引きずり上げるようにして立ち上がったかと思うと逃げ出した。

「こら、止まれ!」

 とっさに真壁が駆け出して行く手を阻んだ。男2人は足元がもつれ、走り出してすぐによろめいた。1人は濡れた舗石で滑って転んだ。完全にラリっている。顔つきは学生だ。

「なぜ、逃げた?名前と住所、言え!」

 真壁に睨みつけられ、腕をつかまれ、怒鳴られた若者2人は涎を垂らし、歯を鳴らして震えていた。真壁は気短に若者らのポケットを叩き始める。しきりに「すみません、すみません」と言い、若者たちは泣き声を出す。

 それには耳を貸さず、真壁はさっと財布、定期入れ、50ccのシンナー、ビニール袋、その他の所持品をポケットから取り出した。シンナーが入った瓶だけ取り上げて残りをポケットに突っ込み直し、ついでに自分の警察手帳を男らの眼前に突きつけた。

「いつからここにいる?」

「1時ごろ・・・」と1人が言い、もう1人が「終電に乗り遅れて・・・」と言った。

「どの方向から来た?」

 2人は「あっち」と駅の方を顎で示す。

「口で言え」

「大学から・・・」

「西口は見たか。人は何人ぐらいいた?」

「覚えてません・・・」

「1時ごろなら、もう人は少なかっただろう。酔っぱらいとか、人待ちの女とか、変わった風体の人間とか、何か見なかったか?」

「覚えてません・・・」

「よし。早く家へ帰れ」真壁は一喝した。「今度吸ったら、逮捕するぞ!」

 駆け出す直前、若者の1人が不敵な照れ笑いを浮かべた。真壁はとっさに片足を出した。若者はつまずいて道路をひっくり返る。

 津田がその様子を呆然とした様子で眺めていた。若者2人は足をもつらせて走り去る。真壁が無言の唾を飛ばした。

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